第240話 断末魔



 空中に展開した足場飛鱗を踏み締め、鋭角に反跳、地面へ突き刺さるような角度で墜落、着地。落下の速度を両脚でしっかりと吸収し、次なる動力を膝と太腿に蓄積した。

 膝関節の屈曲により治りかけの太腿が膨らみ、しかし甚大な内圧に耐え切れず、皮膚下で弾けるように断裂する。間髪入れず再生促進。シルティは笑った。これで大腿筋がまた少し強靭になる。

 愛刀〈永雪〉を右肩に背負い、地面を這うような軌跡で疾走を開始。進路は当然のように前だ。巨木のような天峰銅オリハルコンを纏った岑人フロレスでも〈素質殺し〉と斬り結ぶのは不可能だろう。相互束縛バインドからの駆け引きなど夢のまた夢。矮躯の嚼人グラトンが拮抗するなどどんな奇跡が起きてもありえない。

 ゆえに、前へ。

 相手の刃を躱せる、自らの刃が届く、至近の間合いを目指して愚直に滑り込む。


 ファーヴが動いた。

 棒立ちの体勢から右前肢みぎうでだけで振るう唐竹割り。

 橙金色の死を目前にしてシルティの思考速度はさらに加速され、その瞳孔は昂りの度合いを示すように限界まで拡大される。


(めちゃくちゃ下手くそだっ!!)


 ファーヴが太刀を上手く使えないのは至極当然の話だ。おそらくこの真竜エウロスは生涯で初めて武器というものを振るったのだから。だがしかし、天稟てんぴんの剣才を持つシルティからするとそれは、初めてという事情を鑑みてもあまりにも稚拙な太刀筋だった。

 前肢うで以外の関節や筋肉をほとんど使えておらず、刃筋もまるで立っていない。手の内を全く整えずに、肩から先の動きだけで長い板切れを振り回しただけ。仮に握っているものが棍棒の類であったとしても、これでは真価を発揮できないだろう。

 産まれた時から身体能力が生物の上限値にあるような世界最強種と言えど、さすがに技に関しては下限値から積み重ねが始まるらしい。少しでも剣術をかじった者が見れば目を覆いたくなるような、ぎこちない振り下ろしである。


 にも拘わらず、その速度だけは天雷かみなりにも匹敵した。

 表情を変えることすらできない静止した世界の中で、シルティは歓喜に震える。

 直撃すればシルティの身体など、血液の一滴すら残らず消滅するに違いない。


 この身体は輝黒鉄ガルヴォルン。体重を増加すると同時に姿勢を一段低く。踏み締めた砂地を遅滞なく強化し、しかと踏み締めると同時に体重を軽減。生命力の作用による超常技法を連続的かつ瞬発的に組み合わせ、柔らかい砂浜で減速を伴わない鋭角な方向転換を成し遂げた。

 一瞬遅れて、〈素質殺し〉が砂浜へと墜落する。

 大質量を高速で衝突させるという単純明快な破壊行為。竜の身体能力から繰り出された稚拙な斬撃は砂浜をまさしく爆散させ、冗談のような量の土砂を巻き上げる。あまりの衝撃に、発生した砂の奔流は微かに赤熱していた。渦中のシルティはそれどころではないが、孤島に生息する生物たちは強い地震を感じ取っていただろう。


 とても一生物いちせいぶつが引き起こしたとは思えない現象。完全に天災の域である。

 だが、ファーヴの太刀筋からこれを完璧に予測していたシルティは、飛鱗たちを予め身体の側方に滑り込ませていた。

 微かに跳躍。直線上に並び擬似的な直剣と化した飛鱗たちが息を合わせて高速で旋回する。


 形相切断。

 水撃式移動法の前準備と同様の、旋刃による継続的な物性是正だ。主観が流体であるならば、シルティの愛する飛鱗たちは対象が海水だろうと流砂だろうと等しく斬り裂く。

 自らが穿った活路に畳んだ身体を滑り込ませ、肌を焼かれながらも、シルティは致死性の土砂を貫通した。

 赤熱した砂の幕を抜け、眼前に広がったのは見慣れぬ景色。

 足が届かない。つい先ほどまでは平和だった砂浜が深々と抉れ、楕円形のクレーターが形成されていた。


「んふっ」


 絶望的な現実に笑みが溢れる。かつて恐鰐竜デイノスも体当たりで入り江を変容させていたが、いやはや。六肢竜たちは地形を簡単に変えすぎである。おそらく、これでもまだファーヴは全力など出していないというのに。

 半瞬遅れて、自分の笑い声が聞こえなかったことに気付いた。身体中が痛いので気付くのが遅れたが、せっかく再生した鼓膜がまた破裂したようだ。

 体捌きと飛鱗たちの尽力で直撃を避けたとしても、その攻撃が生み出す余波衝撃波までは防げない。もう一度再生したとしてもどうせすぐに破れるだろう。

 この戦いにおいて聴覚を保持し続けることは不可能だ。そう判断したシルティは潔く鼓膜を切り捨て、再生促進の比重を他の部位に傾けた。


 眼前で旋回する擬似直剣をびたりと急停止。そのまま足場に転用し、反跳。地面を離れ、膝を畳みつつ空中へ身を躍らせる。

 竜が太刀を持つという願ってもない状況。せっかくなので地に足を付けた状態での斬り合いを楽しみたかったが、唐竹割りで天災を引き起こされるのはさすがに剣術の範疇外だ。躱す度に溶砂を切開していたら攻勢には出られない。厄介にもほどがある。

 回避しても地面を斬られない角度。

 切先が地面を擦ったとしても土砂が届かない高さ。

 そんな位置関係を保つ必要があるだろう。


「んふふふっ!」


 笑いが止まらない。

 射出していた十二の飛鱗たちに帰還を依頼。へそより上の八枚は所定の位置へ納め、〈瓏鵄ろうし〉、〈怜烏れいう〉、〈貅狛きゅうはく〉、〈獅獬しかい〉の四枚を足元へ向かわせる。

 二枚ずつ、平行に並べ、高速で旋回。


「ふッ!」


 雄々しい呼気と共に折り畳んでいた両膝を勢いよく伸ばし、シルティは思い切り飛鱗を踏み付けた。

 湿り気を帯びた音と共に飛鱗が靴底を貫通する。〈瓏鵄ろうし〉と〈怜烏れいう〉は中足骨ちゅうそっこつに垂直に食い込み、〈貅狛きゅうはく〉と〈獅獬しかい〉は踵骨しょうこつに深々と食い込んだ。

 激痛及び流血と引き換えに、両足の裏に飛鱗を二枚ずつ固定する。


 巨鯱おおシャチとの殺し合いで真なる遠隔強化に目覚めて以降、シルティは十二枚を総動員することで体重軽減なしで宙に浮かぶことが可能となった。だが、現状では飛鱗が配置されていない下半身が宙ぶらりんであり、いまいち踏ん張りが利かない。

 港湾都市アルベニセに帰還したら、革職人ジョエル・ハインドマンに飛鱗を半長靴の靴底に納められるような追加工を依頼するつもりだったのだが……残念ながら、そんな猶予は存在しないようだ。

 ならば、こうして直接骨肉に固定するしかないだろう。

 ぶっつけ本番になってしまったが、まあ、上手くいかなくても死ぬだけだ。いつものことである。


(おッ)


 ファーヴの中肢翼が微かに動いた。

 右肩周りの筋肉が隆起し、右後肢に体重が乗る。

 致死の気配。わかりやすい。練達の剣士シルティには手に取るように読める。真竜エウロスの次の一手は斬り上げだ。

 右手を頭頂部に。左手を柄頭つかがしらに。愛刀を上段に構えつつ、肉体を宵天鎂ドゥーメネル化。体重を極限まで軽量化した上でたぎらせた生命力を飛鱗たちに贅沢過剰に注ぎ込む。、魔術『操鱗そうりん聞香もんこう』を発動。飛鱗たちの自立的出力に魔術的出力を相乗することで動作のキレを無理やり確保した。生命力の消耗は跳ね上がるが、やらなきゃ死ぬ。ならばやる。

 飛鱗を介して宙を両足で踏み締め、腰を落とす。

 停止した世界で唯一動く、雄大な橙金色の太刀を見つめる。

 まだ早い。まだ。まだ。さあ来い――

 今。


 つばを中心とした円運動を意識し、身体を浮かせながら両腕を前へ伸ばす。恐ろしい速度で跳ね上がる〈素質殺し〉の側面に、愛刀〈永雪〉の横手筋よこてすじを優しく合わせた。

 互いに超音速の領域にありながらも相互束縛バインドを成立させない狂気的な柔らかさ。それはかつて鉱人ドワーフの強盗に見舞った絶技、事実上の刃渡りを二倍に延長する撫で斬りと同様の始動だった。

 あの時は鉱山斧こうざんふの斧頭ごと使い手の首を刎ね飛ばしたが、今回の得物は至金アダマンタイト。さすがにまだ、斬れるとは思っていない。


 接触した障害物を完全に無視して直進する至金アダマンタイトの刃。彼我の体重差は歴然も歴然。剣術としては稚拙とはいえ、その斬撃の粘りは鉱人ドワーフの比でなかった。山が超音速で進んできたような感触だ。

 停止した世界に鈴の音のような擦過音を響かせ、刃の交点が切先から鍔元へと流れる。斜めに構える〈永雪〉を介し、シルティの身体が頭上方向へ押し退けられた。

 このままならば、良くても超音速で弾き飛ばされ、悪ければ〈永雪〉ごと両断されるだろう。

 当然、シルティは愛刀にそんな末路を迎えさせるつもりなど毛頭ない。


 身体を引きり込まれながら両肘を畳む。右腕は固定し、右手首だけを柔らかく。柄頭を握る左手で太刀を操作。刀身と刀身の逢瀬を途切れさせないよう、絶妙な加減で立たせていく。

 雷光よりも短い刹那、〈永雪〉と〈素質殺し〉が成す角度は連続的に減少し、ぜろに至る。

 瞬間、シルティは全力で宙を蹴った。

 シルティ自身の回転に伴い、逢瀬の接点が〈素質殺し〉の鎬地しのぎじからみねへと移行。体重を腕に乗せ、最速で斬り払う。

 鍔元まで押し込まれていた刃の交点が再び切先へと流れ、相応の反作用を得たシルティは刃圏の内側へと弾かれるように侵入した。


「あはあっ!」


 シルティの脳内で歓喜が爆発する。

 相手の斬撃に迎え入れるような斬撃を被せてを斬り落とす斬撃は、シルティの故郷では『峰落みねおとし』と呼ばれており、かつてマルリルにやられた『合撃がっし』に近い理の技術だ。合撃の場合は斬撃を斬撃で逸らしつつそのまま斬り殺すが、こちらは斬撃を受け流しつつ相手の得物を抑え込んで封殺、あるいは破壊し、組討くみうちなどに持って行く。

 竜を相手にこれを決めたのはおそらく人類種史上でシルティが初めてだろう。彼我の質量差のおかげで接近動作も両立できた。間違いなく、これまでの生涯で最高のさばきだ。


 直後、轟音と共にその皮膚が引き裂かれ、鮮血が噴き出した。眼球に激痛が走り、視界が真っ赤に染まる。物質的な攻撃は回避できてもこの衝撃波だけはどうにもならない。視認さえできれば斬ってみせるのだが。

 まあいい。来るとわかっていればシルティの動きに遅滞は生じない。

 こんな楽しい時間を見逃したら勿体ないだろ早く治れ。

 自らを責め立てるような心持で眼球の再生を瞬時に終える。ますます絶好調だ。


〝ぅっ?〟


 思わずといった様子で、ファーヴが驚愕の意を漏らした。

 彼の視点ではシルティが斬撃をり抜けて直進してきたように見えたのだろう。洗練された峰落は充分な初見殺しとなり得るのだ。

 竜の度肝を抜くことができた。最高に嬉しい。

 歓喜が体内を駆け巡り、臓腑がさらなる生命力を生産する。

 我ながら峰を弾く角度が完璧だった。〈永雪うで〉を伸ばせば、もう、ファーヴの首元に届く。


 海底では斬れなかったが、ここは陸上。慣れ親しんだ空間だ。

 両足で空気を掴む。

 上半身の飛鱗たちに身体の支持を任せて全身の筋肉を酷使。この瞬間に生み出せる全ての力を乗せ、シルティは渾身の右袈裟を放った。

 銀煌の刃が暗橙色あんとうしょくの鱗を切開し、長い頸部に吸い込まれ――止まる。


(ぬああかったい!!)


 斬り開けた。

 だが、斬り抜けなかった。

 鱗の硬さも凄まじいが、その内側に詰まった筋肉の密度が超常的すぎる。さすがは竜の筋肉だ。

 というか、まずい。抜けない。

 シルティは両足で頸部を踏み付け、渾身の力で〈永雪〉を持ち上げた。


 ずず、と微かに動く。抜けそうな気配。

 直後、ファーヴの左前肢が振るわれる。

 襲い来る鉤爪。

 咄嗟に、シルティは回避行動を取った。

 その手に、〈永雪〉を握ったまま。


 絶海の孤島に、真銀ミスリルの断末魔が響いた。


(あッ)


 突如として抵抗を失った右手にバランスを崩しつつ、シルティは一瞬、喪心した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る