第237話 誠心誠意を込めて正直に
呼び出されたローゼレステは
何がどう転んでもこの竜は自分を害するつもりがない、ということを理解させられたのだ。
波打ち際で砂と塩水の混合物をジャリジャリと捕食しつつ、シルティはローゼレステと情報を共有した。
深海の底で無事に家宝を発見したこと。ローゼレステが認識していた通り六肢竜が傍にいて、〈虹石火〉を抱き枕にしていたこと。
それが魔法『真意真言』を宿す
力づくで奪おうとしたこと。
気がついたらこの孤島に運ばれていたこと。竜がシルティの凄さを認めてくれたこと。
そして、これからもう一回殺し合うこと。
この孤島はいい感じの広さなので、最高の殺し合いができるだろうこと。
【毛の少ない
目を爛々と輝かせるシルティに、呆れを通り越して愉快になってきたのか、ローゼレステは笑いの混じった声を響かせた。
意思を持つ生命体ならば『危険を避けて生存する』という本能は当然備えているべきものだ。物質的な肉体を持たぬ精霊種であってもそれは変わらない。
しかしローゼレステが見る限り、シルティは『危険を避ける』本能を完全に喪失しているようにしか思えなかった。それどころか、むしろ大喜びで危険に向かって走り出そうとする。今も、生物の頂点を前にして恐怖など微塵もなく、せっかく奇跡的に拾い上げた命をそのまま六肢竜という超絶的な危険に向かって全力で投げようとしているのだ。
その思考回路を理解しようとするのはとっくに諦めていたが、いよいよ
全ての
【えー、と? 私、どう見ても、動物……ですよね?】
【……いや、いい。忘れろ。……それで? なぜ私を呼び寄せた?】
【はあ。……えーと、レヴィンがここからどのくらい離れてるか、わかります?】
【ああ。わかる。おおよそ――】
ローゼレステはここに来る前に、レヴィンの〈冬眠胃袋〉の外側に設けられた小ポケットに契約錨を残してきた。ゆえに、レヴィンと現在地の距離も当然把握している。
しかし、それはあくまでローゼレステが主観的に認識しているもの。
【んん。なるほど。かなり遠いですね】
脳内でなんとか換算したところ、どうやらレヴィンは『シルティが立って目視する水平線までの距離』の七倍ほどの位置に居るようだ。
シルティは視線を
【
ジャリジャリと咀嚼を継続しながら精霊の喉で発声する。
魔法『真意真言』による意思疎通に言語は必要ない。これは強制的かつ完全な以心伝心を成立させる魔法である。だからこそ、音によるコミュニケーションを行なうような生態を持たぬ胡麻粒ほどの羽虫であっても
しかし、言語文化を持つ身としてはやはり言葉を介する方がやりやすいので、シルティはわざわざ水精言語を発していた。
【あなたの『咆光』は、ここから水平線の七倍のところまで届きますか?】
竜の『咆光』は接触する物質を
もちろん、六肢竜が放つ『咆光』の規模は四肢竜の比ではないが、しかし、四万二千歩は生半可な距離ではない。
届くのだろうか。
もし届くのならば、次に控えた『陸の上でちゃんとやる殺し合い』の流れ弾でレヴィンが死ぬ可能性がある。
この世界が球形なのは蛮族でも知っている常識だ。レヴィンは素晴らしい反射神経を備えているが、水平線の向こうから海中を貫通して飛んでくる破滅を察知して躱すのはさすがに困難だろう。
〝届かせるだけなら、届かせようと思えば〟
シルティの問いかけに対し、交差させた前肢を枕にしていた
【んふっ。ふふふっ。いや、さすがですねっ! 最高です!】
ああ。素晴らしい。世界最強種はまさしく世界最強だ。
私もいつかは水平線の向こうを斬れるようになりたい、とシルティは脳を
届かせようと思えばという表現からして
世界を壊せる破滅の光線。なんとも心躍る響きだ。是非とも私に撃って欲しい。
文字通り、命を賭けて斬ってみせる。
にまにまと笑いながら、シルティは視線をローゼレステに戻した。
やはり、レヴィンたちにはもう少し離れて貰っておいた方がいいだろう。
【ローゼ。この島の位置、
ローゼレステが確実にこの場所へ戻ってくるためには、契約錨に頼らぬ基準でこの孤島を記憶して貰う必要があった。
【……まあ、おおよその位置ならば】
【ありがとうございます。それじゃすみませんが、レヴィンにあの入り江に戻るよう伝えてください。それから、殺し合いが終わったくらいで迎えに来て欲しいので、えーと……明後日になったらレヴィンをここまで先導してあげてくれますか】
幸いにもシルティが倒れているのは柔らかな砂浜だ。簡単に掻き集められる粒子状の食料がいくらでもある。
全力で再生を促進させて、骨折や脊髄損傷が完治するのが、おそらく明日の昼ごろ。そこから、
どちらが勝つにせよ、決着に時間はかからないはずだ。一瞬で終わるかもしれない。
入り江を出発する時刻を明後日の朝にすれば、万が一にでもレヴィンたちを殺し合いに巻き込むことはないだろう。
【私が死んでたら、報酬はレヴィンから貰ってください。レヴィンもお酒は冷やせるので】
【レヴィンは私の言葉を解さんのだが】
【そこは、そのー……心苦しいのですが『冷湿掌握』とかで、こう、水の塊で
【……面倒な。期待はするなよ】
【ふふ。そう言いながらも
【なんだお前は。くそ
返ってきた言葉自体は刺々しかったが、なんだかんだでもうそれなりに長い付き合いである。気安さが多分に含まれた憎まれ口であることがシルティにはわかった。思わず食事を中断し、くすくすと笑いを溢してしまう。
【それじゃ、お願いします】
【わかった。……まあ。頑張れ】
【んふふ。頑張らない殺し合いなんてないですよ。動物も植物も、生き物はみんな頑張って殺し合ってます】
【……確かにな】
苦笑の混じったような声を響かせたあと、青虹色の球体は滲むように薄まり、初めから居なかったかのように消えた。
ちょうどその時、レヴィンは
契約錨が収納されたレヴィンの〈冬眠胃袋〉は戦闘の流れで遥かな海面へと投下されていたため、それを基準として移動したローゼレステは当然のように
想定外のなにかが起きたのだと察したローゼレステは、覚悟せずに浴びてしまった汚物に憔悴しつつも〈冬眠胃袋〉を『冷湿掌握』で持ち上げ、半泣きのような心持ちでレヴィンを探し回ることになった。
◆
ジャリジャリ。
浜に
砂。決して美味しいものではない。
しかし今、六肢竜との殺し合いが控えているという事実が最高の調味料となってシルティの味覚を狂わせていた。
妙に美味しい砂だ。
いくらでも食べられる。
ジャリジャリ。
〝それ見たい〟
「
唐突に脳に叩き込まれる理解。
突然だったのでつい聞き返してしまったが、魔法『真意真言』のおかげで
「ん、ぐ。……んンッ」
唾液を集めて口内の砂を改めて嚥下し、咳払いを一つ。
【〈永雪〉ですか? いいですよ】
シルティは俯せから仰向けになり、鞘に納めていた〈永雪〉を世界に見せびらかすように抜き放った。我が愛刀ながら本当に美しい。抜くたびに
【どうぞ。まだ動けないので、すみませんが受け取ってください】
〝うん〟
〝うーん。綺麗だ〟
「でっ! すよねッ!!」
愛刀が世界最強に褒められた。
嬉しさが許容限度を一瞬で振り切り、シルティは生命力の補給すら忘れて絶叫気味に賛同する。
〝
「わかります!」
〝俺、人類種の作るやつの中でも、刀と剣は特に好きなんだよね〟
「死ぬほどわかりますッ!!」
竜の中には人類種の作る工芸品を好む傾向を持った種がいくつか存在するのだが、
「くふっ。うふふふ。
幸運にも
ちなみに、港湾都市アルベニセが所属するローザイス王国の
〝んー。俺、まだ若いからね〟
「若い……とだめなんですか?」
〝若いやつが人類種のものなんか生み出したら、生意気だと思われるからね〟
「生意気……?」
シルティにはよくわからなかったが、
黙って作ったらバレないのでは、と一瞬思ったが、すぐに思い直した。
「思わせとけばよくないです? 好きなものは好きなんですから」
〝お前は、生意気だね?〟
魔法『真意真言』のおかげで過不足なく伝わって来る。
シルティは得意げな笑みを返した。
「生意気って思われるのより刃物を愛でられない方が億倍は嫌ですから。私に刃物を愛でるなって言うやつには近付きませんし、あっちから近付いてきたら斬ります」
〝単純でいいね〟
「せっかくだし、
血の色に染まったシルティの脳は完全に
刀剣は世界で最高の芸術品である。
六肢竜は世界で最強の動物である。
じゃあ、刀剣を竜が使ってくれたら、最高に最強なんじゃないだろうか。
「誰もが認めざるを得ないようなとびっきりの剣を作ったら、大人の
シルティは誠心誠意を込めて正直に
生涯で一度くらいは
「それで、私を斬ってください!」
さすがのシルティも、
だが、思い至ってしまえば、この上なく最高の死に様に思える。
しかもそれを竜が振るうというのなら、最高に最高が掛け合わさって最高の二乗である。
〝狂ってるね〟
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