第230話 誤解



 左前肢を前腕の半ばから失った。

 残ったあしと尾で跳躍しつつ、斬り落とされた直後の光景を回顧かいこする。

 腕の断面に鉤爪を食い込ませる腿白鷹ももじろダカの姿。それはいい。だが、いくら腿白鷹の握力が強くとも、さすがに琥珀豹の前肢をほど凶悪なものではない。前肢切断はまず間違いなく魔法によるものだ。

 物体を擦り抜ける。物体を破壊する。

 相反するとも思える現象を両立するようななにか。

 一瞬の思考の末に、レヴィンは獲物の超常を推定した。


 腿白鷹の魔法の本質はおそらく物体の透過。

 光も透過するため、結果的に透明にもなる。

 そして、物体に重なった状態で透過を解除すると、その部分を破壊できるのではないだろうか。


 物体を出現させるような魔法は無数に存在しているが、その焦点が物体に重なったときの挙動はおおよそ二つに大別される。『珀晶生成』のように完全に不発に終わる場合と、森人エルフの魔法『光耀焼結』のように重複した物体を押し退けて強行される場合だ。

 腿白鷹の魔法、これも終わり際に限定すれば、物体を出現させているようなものだろう。

 おそらく先の腿白鷹は拘束具を透過で抜けたあと、そのままレヴィンに向かって突進し、左前肢に身体を重ねた状態で魔法を解いたのだ。レヴィンの左前肢は内側から腿白鷹の身体によって押し退けられ、結果として分断された。

 切断箇所として頭や頸ではなく前肢を狙った理由は不明だ。単純に狙いが逸れたのか。あるいはレヴィンには思い付かないような何らかの条件があるのか。まあ、いきなり首を落とされて死ななかっただけ幸運だったと思っておこう。


 それはそれとして、困った。

 現状、レヴィンにはこの『透過解除による攻撃』を回避する方法が全く思い付かないのである。

 魔法の発動中、こちらからは物質的に干渉できず、視認もできず、そのくせやたらと速く、そしていざ破壊力を発揮する段階となれば毛皮を無視して筋骨を直接的に害し、しかもその威力はこの通り。

 初見時は障害物を無視できるだけの魔法だと思っていたが、とんでもない。極めて凶悪だ。

 それがまだ七匹も居ると言うのだから最高に興奮する。


 さて。

 明確に躱せる手段がない。

 ということはつまり、回避に意識をく必要はないということだ。

 レヴィンは黒い口唇をめくり上げ、白い牙を見せた。


 とにかく、まずは相手に近付かなければ。

 視線を巡らせ、腿白鷹たちの様子を観察する。

 戦闘における嚼人グラトン前肢うでは主に攻撃手段だが、琥珀豹の前肢は攻撃手段である前に移動手段だ。欠損した場合、戦闘能力の低下率は姉よりも自分の方が遥かに大きい。残る三本のあしに尻尾の筋力を加算したとて、五体満足の腿白鷹ももじろダカたちの速度に匹敵するのは難しいだろう。

 再生促進により多少出血を和らげることはできたが、この戦闘の最中さなかに欠損部を生やすのはどう頑張っても不可能である。


 当分の間、自分本来の速度は取り戻せない。

 となれば、彼我の速度差を埋めるには相手の速度を落とすしかない。

 そう考えて展開した霧状珀晶だったが、これが思いのほか巧くようだ。

 生命力に満ちた羽毛で身体を包み、唯一弱点となり得る眼球も瞬膜で覆う腿白鷹。編み出した時に比べれば飛躍的に硬くなったとはいえ、霧状珀晶に彼らの肉体を傷付けるほどの強度はない。が、全くの無抵抗で突っ切れるほど弱くもない。繊細な翼捌つばささばきを損なわせる程度にはねばい。

 普段よりも強く多く羽ばたかなければならなくなった腿白鷹たちは大層嫌そうに叫声きょうせいを上げていた。


 もちろん、霧状珀晶はレヴィンにとっても障害物となるため、自身が通る空間については適宜消去しなければならない。だが、それを差し引いても展開し続ける価値はあるとレヴィンは判断した。逆説的に霧の密度が薄くなれば途端に置き去りにされてしまうだろう。日頃からシルティとじゃれ合っているレヴィンは『追いつけないこと』の残酷さを知り尽くしている。

 だからと言って、密度を上げすぎるのも良くない。それだけ生命力の消耗が加速するからだ。

 レヴィンは琥珀豹。海水をぐびぐびするだけで生命力を即時回復できる嚼人グラトンではない。健康な食事を取っていても臓腑が生命力を生産するには時間がかかる。節約できるところでは節約しなければ。この状況では枯渇が見えた時点で死ぬ。


 跳躍。跳躍。跳躍。

 頭を常に振って死角を潰し、絶え間なく魔法を行使。視覚、聴覚、嗅覚、そして珀晶の消滅を感じ取る琥珀豹特有の超常感覚、獲得した全ての情報を統合して七匹の敵の位置と姿勢を掌握。この擬似頭蓋内空間の直近の未来を想像し、最適と判断した足場を生成。三つのあしと尻尾を使い移動、合わせて進路上の霧を消去する。

 洪水のような情報の奔流と間違えられない判断の連続が、レヴィンにこの上ない陶酔感をもたらした。

 ああ。忙しい。

 いや。楽しい。

 思えばレヴィンの生涯、これほどまでに脳の機能を振り絞ったことはなかった。

 身体を動かすのも大好きだが、これはこれで最高に気持ちがいい。


 とろけるような多幸感の中、レヴィンは必死に獲物を追いかける。だが、琥珀豹と腿白鷹の軌跡が交錯することはない。腿白鷹たちが間合いの確保に専念しているためだ。

 見るからに積極性に欠いた動き。霧状珀晶の影響でやたらと飛びにくくなったそらに対応しようとしているのだろうか、獲物レヴィンから離れた位置をひたすらに泳いでいる。

 これでは『珀晶で拘束すれば牙が届く』という間合いにすら入れない。

 しかしながら、獲物レヴィンを諦めてこの場を去るつもりはないようだ。既に身内を失っていること。獲物が負傷していること。大海原の真っ只中では食物を得る手段が乏しいこと。諸々の要素が絡み合い、好戦的になっているのか。なんにしてもレヴィンにとってはありがたい。


 さあ、もっと速く動かねば。

 レヴィンは待機部屋の床面に一旦着地し、大きく息を吸った。

 心肺を整えつつ、極度の集中。鈍間のろまに流れる主観で世界を把握する。

 右方、最も近い個体を注視。翼の角度と手根関節の屈曲具合から半拍後に上昇すると判断。軌跡を予想。直線距離では跳躍五回分。どれほどキレ良く動いたとしても二回跳躍をした時点で相手も動くだろう。そこから先はその場で考える。どうにかして跳躍二回分の距離まで近付けば、珀晶で拘束して抜けられる前に捕まえられるはずだ。

 次こそはあの柔らかな羽毛に鉤爪を食い込ませ、魔法を使う間もなく嚙み殺してみせる。

 三肢と尾を煮え滾る生命力で満たし、新たな足場を設置。

 その瞬間、一匹の腿白鷹が翼をひるがえした。


 まるでレヴィンが足場を設置するのを待っていたかのような反応。獲物を中心とした公転軌道から直角に折れ曲がり、凄まじい速度で突進を開始する。群れの中で最も大きな個体だ。なんとなくだが他よりがする。頭目ボスだろうか。

 僅かに遅れて他個体も動きを変えた。一匹が下方へ。二匹が頭目に追従。視界外に居た三匹がレヴィンの後を追う。

 速い。先ほどまでとは比べ物にならない。身体能力を振り絞っている。どうやら相手も今を勝負所と見たようだ。


 致死の危機、あるいは必殺の好機を目前として、レヴィンの眼球が虹色に揺らめいた。

 視界内に存在する三匹それぞれの位置を精密に把握。今この状況ならば霧状珀晶を再展開する必要はない。その身に宿した超常を精密に発揮し、小さすぎる鳥籠とりかごを三つ生み出す。

 狙い違わず捕獲に成功。動きを強制的に止められた腿白鷹が甲高く叫んだ。

 間髪入れず跳び出す。一歩。二歩。加速。設置済みの足場へ向かって跳躍。

 一対三。り取り見取りだ。

 魔法で抜けられたとしてもどれかは殺せる。殺して見せる。


 滾るレヴィンの目の前で、三匹全てが視界から消えた。

 透過だ。一瞬の透明化ののち、拘束具の外側に出現する。

 同時に、レヴィンの肉体が硬直した。


 致命的な違和感。そこにあるべき臓器を強引にずらされたような。

 絶望的な嫌悪感。種としての根底を為す術もなく穢されたような。

 眩暈めまい。頭痛。悍ましいほどの吐き気。

 生涯でも初めて味わう重複した不調の中、レヴィンは自由を取り戻した腿白鷹を見た。

 正確に表現すれば、腿白鷹たちが存在する座標を見た。


 琥珀豹特有の超常感覚が痛いほどに訴えかけてくる。

 さっきまでにあった霧状珀晶が、今はにある。


 レヴィンの脳裏に走る稲光のような理解。

 そうか。前提から完全に勘違いしていた。あれは透過ではない。だ。彼らは自分の身体とどこかの空間をそのまま交換することができるのだ。目の前の現実を巧く説明できる理屈はそれ以外に思いつかない。

 そう言えば、前肢を切断された時も腿白鷲が消えた座標には薄っぺらな肉片が残っていた。あれはレヴィンの肉体の破片だったのだ。違和感は覚えていたはずなのに、なぜ考察材料から外していたのか。


 生成済みの足場に墜落するように着地。辛うじて落下はしなかったが、三本の肢は禄に働いてはくれず、腹這いの状態だ。必死に力を込めるが、震えるばかりで言うことを聞いてくれない。陽炎大猫かげろうオオネコの魔法『疲憊転嫁ひはいてんか』の餌食になった時でさえこんな感覚は味わわなかった。まるで脳が命令を出す機能を失ってしまったようだ。

 レヴィンの身体を襲っているこの異常な不快感はおそらく、魔法の根底を成す要素を外部から強引に歪められたせいだろう。珍しいことだが、魔法と魔法が重なることでそういったことが起こる場合がある、ということは書物で読んで知っている。


 魔法『珀晶生成』の大原則は誕生した座標に生涯固定されること。腿白鷹たちにそういった意図があったとは思わないが、彼らの『入れ替え』はこれを超常的手段で崩してしまった。動かぬはずの珀晶を移動させられたことで、自分が琥珀豹であることを否定されたような破滅感が思考を蝕む。

 あの状況で霧状珀晶を展開したという選択が間違っていたとは思わないが、なんというか、悪い方に噛み合ってしまったようだ。

 腿白鷹たちに警戒の色が滲む。倒れ伏したレヴィンの意図を読めなかったのだろう。やはりこの状況は彼らにとっても想定外らしい。だが、それも一瞬。翼を鳴らし、獲物へと殺到する。


 肺腑に残っていた空気を無理やり絞り出す。

 咆哮を上げ、自らの精神と肉体を鼓舞した。

 幸い、腿白鷹たちはこちらに向かって来る。

 震える三肢に最大限の力をみなぎらせ、一拍。

 会心のタイミングで、レヴィンは魔法をした。


 待機部屋。足場。霧状珀晶。全ての珀晶が瞬時に消滅する。

 支えを失ったレヴィンの身体は自由落下に移り、霧状珀晶による抵抗を前提としていた腿白鷹たちの飛行軌跡は大きく波打った。片や下方へ、片や上方へ。必然、彼我の軌跡は交わらずに擦れ違う。

 しかし、後方からレヴィンを追っていた三匹は軌道の修正が間に合った。

 突き出された蹴りがレヴィンの下半身に命中する。

 脊椎を突き上げるような致命的な衝撃。右後肢、臀部、腰部にそれぞれ深々と突き刺さる鉤爪の感触。

 同時に、レヴィンの不調は嘘のように消え去った。

 魔法的歪みを正された心身にキレが戻り、痛みを獲得した思考は鮮烈に冴え渡る。


 直下に足場を生成。激突。弾む。その勢いで身体をくの字に折り曲げる。右前肢を振り回し、右後肢に取り付いていた腿白鷹に叩き付けた。

 だが、これは躱される。『入れ替え』だ。

 ならばと狙いを変えたが、臀部腰部を掴んでいた二匹も即座に翼を羽ばたかせ、レヴィンから離れる。一撃離脱が容易いのも群れの利点の一つだろう。

 直後、レヴィンの右後肢の先端が千切れ飛ぶ。

 内側から分断される筋骨の感触。右後肢の踵付近に出現した腿白鷹。どうやら下方に回っていた最後の一匹だ。ここに来て『入れ替え』での直接的攻撃。

 それを感じ取った瞬間、レヴィンの顎門あぎとは閉じていた。

 脊髄反射染みた反応速度。

 レヴィンの右後肢を奪った腿白鷹は為す術もなく命を散らす。


 あしをまた欠損してしまったが、まあ、いい。

 これで残り六匹だ。残る肢を一本ずつ引き換えにすればあと二匹殺せる。

 楽しくなってきた。

 筋肉を晒す右後肢でそのまま床面を踏み締め、爛々と輝く両目で腿白鷹の群れを睥睨。さあ、また襲ってこい。次も殺してやる。

 猛るレヴィンに腿白鷹たちは背を向け、大きく間合いを取り……。


 そして、そのまま、真っ直ぐに離れて行った。


 離れて行く。離れて行く。離れて行く……。そうして、視界から消える。

 しばらく待ってみるが、戻ってこない。

 どうやら二匹目を殺したことで、割に合わない獲物だと判断されてしまったらしい。


 レヴィンも腿白鷹たちの判断が間違っているとは思わない。群れの構成員一匹の死までなら報復感情や食欲が優っていたが、二匹目も死亡し、さらに喪う可能性もあるとなれば、退散を選ぶのも止む無しと言ったところである。

 しかし、蛮族の戦士レヴィンとしては、やはり消化不良が否めない。


 滾る戦意を持て余したレヴィンは荒々しく咆哮混じりの鼻息を吐き出すと、唯一手元に残った腿白鷹の死骸にばぐんと喰らい付いた。

 ジャグジャグと咀嚼。

 噴き出す血液。旨味の豊富な筋肉。少し臭みのある内臓。総じて、美味い。

 でも、もっとお腹いっぱい、気持ちよく食べたかった。


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