第229話 全然余裕
口内に溢れかえる血の味と匂い。
誇るべき戦果に茹だりそうになる本能を理性でどうにか宥める。
油断なく視線を巡らせつつ、びくびくと足を痙攣させている
さて。
先ほどは向こうから襲ってくれたのだから、次はこちらから襲うべきだろう。
前肢間を緩く広げ、頭を僅かに低く。後肢を脱力しつつ折り畳み、筋と
引き延ばした主観を貪り、加速した思考を巡らせる。
高速で飛び回る七匹の腿白鷹たち。
面倒で、厄介で、楽しい敵だ。
長い牙を剥き出しにしながら息を静かに吸い。
止めて。
魔法『珀晶生成』を行使。
音もなく出現する無数の足場。ローゼレステとの殺し合いでは姉に合わせた仕様で展開したが、今回は自分用。レヴィンはシルティよりも遥かに体重が重く、軽量化もまだ覚束ない。踏み抜いて落下しては目も当てられないので、余裕を持った体積を与えておく。
間髪入れず全身の関節に蓄えていた筋力を解放、弾かれたように跳び出す。
一歩。二歩。再度の魔法。
視界に収めていた三匹の腿白鷹を珀晶で拘束。その胴体部を網目状の枷で雁字搦めに捕らえる。
これもすぐに抜けられるだろう。それでもいい。
鋭く跳躍。生み出した慣性を損失なく斜方へ。展開した足場と足場の間を縫うように駆け上る。襲撃的な直進と鋭角な方向転換でフェイントを織り交ぜつつ縦横無尽に駆け巡り、目まぐるしく切り替わる視界に映り込む鷹たちを都度拘束。魔法の発動速度に任せて相手を拘束し続けながら強引に間合いを詰めていった。
僅かに離れた位置の一匹を視界の中央へ据える。
孤立とは呼べないほどの孤立だが、あれを狙う。
十四の眼球は漏れなく全てがこちらを
問題ない。
右前肢を屈曲。体重と慣性を乗せた貫くような殴打を獲物へと叩き付け、同時に腿白鷹を拘束していた枷を消去した。
甚大な暴力を孕んだ鉤爪で、無防備を晒す腿白鷹の胴体を薙ぐ。
渦巻く空気。
手応え無し。
振り抜いた前肢のすぐ傍に、無傷の鷹の姿。
魔法による超常的な透過だ。
拘束具から抜け出せるのだから、巧く合わせれば攻撃を回避できるのも当然である。
無論、これは想定通り。レヴィンに焦燥はない。
唐竹割りから切り返しての左逆袈裟はシルティの得意とする連撃だ。この左右の薙ぎ払いはそれをレヴィンなりに消化した連撃である。未だ
見たところ腿白鷹は透過状態をそう長く維持することはできず、また、透過を連発することもできないようだ。ならば、当たるまで殴り続けよう。レヴィンはそう判断した。
だが、腿白鷹も然るもの。回避が間に合わないと判断するや否や痛烈な蹴撃を繰り出し、レヴィンの殴打を迎え撃った。真正面から衝突する肉球と鉤爪。体重で勝るのはレヴィンだが強度的に優るのは鉤爪だ。緩く湾曲した杭がレヴィンの
これは想定外だったが、やはり、レヴィンに焦燥はない。
強靭な筋肉を酷使する。骨を軋ませながら前腕を
が、これは空振りに終わった。
レヴィンの歯牙が閉じるより速く、腿白鷹が透過を発動して擦り抜けたのだ。
強烈な違和感。
レヴィンは今、腿白鷹の姿を完全に見失った。この至近距離で注視していたにも拘らず、気が付いたらズレた位置に出現していた。さすがにこれはおかしい。速すぎて見えないのではない。純粋に見えていないと考える方が納得できる。
レヴィンの脳に
いや、主観的にはそう感じられているだけで、あるいは……と瞬発的に考察するレヴィンに襲い掛かる、六匹の腿白鷹。
時間を掛け過ぎたか。一匹に掛かりきりになっている間に拘束を抜けてきたようだ。
レヴィンは自らの身体が描く放物線上に足場を生成、弾むように跳躍し、体勢を整えた。錐揉みする身体ごと視界を巡らせ、全ての個体の座標を確認。ついでに最も近い位置に居た腿白鷹を再び拘束する。
跳躍の初速度を消費し切って自由落下に移行。展開済みの足場が近くにある。あそこに着地しよう。その前に左前肢の負傷を意識し、再生を促進する。
無事に足場に着地。視線を巡らせ、捕獲済みの腿白鷹を注視。
掴みどころのない厄介な魔法ではあるが、間隔がそれなりにあることもあって、捉えきれないこともない。
次に捕まえた時は、逃さず噛み殺してみせる。
と決意した直後、拘束した腿白鷹が姿を消した。
本当に厄介な。一体どこへ。
いや、腿白鷹が消えた座標に、なにかが。
平べったい、
直後、レヴィンはバランスを崩した。
左に傾倒する視界。
下端で何かが転がった。
太い棒状で。
黄金色で毛むくじゃら。
黒い斑点がある。
眼球動作だけで自らの左前肢を見た。
前腕の中ほどから先がない。どういうわけかそこには一匹の腿白鷹が居て、ぴぃーと間延びした鳴き声を上げながら筋肉の断面に鉤爪を食い込ませていた。認識するや否や即座に喰らい付く。だが、腿白鷹は軽やかに羽ばたき、これを躱す。
空気を噛み締めた歯牙から短い軋音が響く。
なにが起きた。透過の魔法を攻撃に転用したのか。そもそも透過ではなかったのか。経緯は不明だが結果は明らか。前肢の欠損。出血。機動力の低下。決して軽傷とは言えない。
身体を大きく欠損したのはこれで二度目だ。一度目はローゼレステとの殺し合いの最中、脱臼した尻尾が邪魔だったので姉に切除して貰った。
あの時は綺麗に斬ってくれたので大して痛くはなかったが、しかし、今回のこれは切断面が恐ろしく雑で……率直に言って、物凄く痛い。
しかし、これまでの生涯で味わった最大の痛み――
三肢で立ち上がり、姿勢を正す。
逆立つ被毛が波打つように艶めき、陽光を浴びて黄金色に輝いた。
汲めども尽きぬ無限の戦意が膨大な生命力を漏れなく沸騰させる。
姉は腕が無くても竜を殺したのだ。
だから自分も、こんなの、全然余裕だ。
低い咆哮を上げ、戦意を露わにする琥珀豹。
これを虚勢と見做したのか、七匹の腿白鷹は途端に動きを変えた。
獲物を中心として公転軌道を描く包囲網から一転、全員が示し合わせたような殺到を見せる。
レヴィンは牙を剥いた。機を見るに敏とはこのことだ。
どう迎え撃つか。こちらの足は潰された。単純な移動速度ではあちらに大きく分がある。
ゆえに、脳裏に描くは無数の点。座標は無作為かつ緻密。個々の大きさは胡麻粒ほど。己の頭蓋を模した空間の内部を埋め尽くす。
かつては強度を補うために針状にして獲物を垂直に捉える必要があったが、成長に伴い生命力の密度が向上した今では不要な工夫だ。
さすがにこれは予想していなかったのか、腿白鷹たちは固定化された霧へと無防備に突っ込む。
ガラスの粒を磨り潰すような、甲高い轢潰音が鳴り響いた。
贅沢を言えば眼球を傷付けたいところだが、おそらく無理だ。高速で飛行する鳥類は
喉元に棒状の珀晶を生成。
股の下を通した長い尾でそれを掴む。
三本の
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