第224話 時間切れ間近



 巨鯱おおシャチを仕留めたことで大量の生肉を手に入れることはできたが、毎回都合よく大きな動物と殺し合えるとは限らない。

 起床したらまず海を確認し、荒れていなければ潜水漁を行なって魚介類を採取。軽く朝食を取り、珀晶の足場を跳びながら〈虹石火〉捜索を開始。道中で獲れそうな鳥がいればレヴィンが捕らえ、飛鱗たちに仕留めて貰い、回収。寝る前にはレヴィンの身体を掻き撫でて換毛を手伝う。そんな毎日である。

 レヴィンはあと三か月ほどで二歳となり、体格的には死に別れた親豹にも迫る勢いだが、琥珀豹としてはまだまだ育ち盛り。ひもじい思いをさせるわけにはいかない。シルティは基本的に海水を飲んで腹を満たし、食料の大部分は妹に譲ることにした。


 道中、何度か雨に降られた。

 琥珀豹という魔物は種族的に雨天や煙霧が苦手だ。空気中を占める異物の割合が多くなると魔法の行使に支障が出る。かつて水精霊ウンディーネを探すために空に向かった際も、雨が降っていてる間は移動をやめて大人しくしていた。

 だが、晴れて水精霊ウンディーネの協力を得られた今、たとえ暴雨に襲われたとしても足止めされることはない。

 ローゼレステが少し世界に願うだけで、天より降り注ぐ水滴は一行いっこうを避けて海面を打つのだ。極めて快適である。


 食料を節約しつつ大海原をしらみ潰しにして、二十八日が経った。

 ここで、とうとう食料が尽きる。

 どれだけ食料を節約しても、今の食事量では二つの〈冬眠胃袋〉を完全に満たした状態からひと月ほどが限度のようだ。

 捜索を中断した地点に珀晶の目印を残し、今度こそ、入り江へと帰還。

 久方ぶりの陸地に辿りついたフェリス姉妹は軽く模擬戦をしてじゃれ合って羽根を伸ばしたあと、二手に別れた。

 シルティは単独で猩猩の森には単独で踏み込み、食料の確保を担う。〈冬眠胃袋〉の数は一つ減ってしまうが、最近ではレヴィンが居ると蒼猩猩あおショウジョウが襲ってきてくれないので致し方ない。

 一方のレヴィンは入り江に残り、自前の足場で高さを稼いで視野を広げ、望遠鏡で中断地点の目印を注視しておく。歩数と方角は記録してあるが、目印を維持できるならばそれに越したことはない。


 三日ほどかけて蒼猩猩を釣り出し、問題なく仕留めた。蒼猩猩は丁寧に解体し、骨や毛皮といった不可食部を可能な限り取り除く。断面が多くなれば傷みやすくはなるが、今回は運搬する肉量を重視だ。

 二つの〈冬眠胃袋〉を蒼猩猩の肉で再充填したあと、一行いっこうは再び水平線を目指して入り江を出立した。





 さらに、二十七日後。

 フェリス姉妹は再び入り江へと戻ってきた。


(うーん……)


 海を探し始めて八十日弱。簡単に見つかるとは思っていなかったが、やはり途方もない。

 港湾都市アルベニセを出発してから数えると既に百と十日、三か月半以上も経過してしまった。

 『頬擦亭』の部屋は五か月分の値段を払って確保して貰っている。期限を過ぎた場合、部屋に置いて来たフェリス姉妹の私物は女主人エキナセア・アストレイリスの所有物となる契約だ。そう多くの物を置いているわけではないが、友人たちと一緒に購入した衣類や〈紫月〉のつか、レヴィンのアクアマリンなど、大切なものばかりである。手放したくはない。

 入り江からアルベニセまでどれだけ急いでも片道二十日ほどはかかることを考えると、ひとまずの期限はあと二十日間ほど。前回同様、食料確保に三日かかると考えれば、海上を捜索できるのはあと十七日間しかない。


 余裕を持って一度帰還するべきか。

 片道二十日というのは最短の道程であり、道中で運よく琥珀豹などと出会えばまた殺し合うことになる。それを考えれば、もうそろそろ帰還を初めてもいい頃間だ。

 いや、森の中ではなく、レヴィンの魔法で樹冠の上を通ればそういったイレギュラーは少ないはず。まだ見ぬ殺し合いを諦め、ギリギリまで粘るべきか。


 シルティは唸りながら悩み、ギリギリまで粘ることに決めた。





 食料を再度確保して入り江を出発し、十四日目。

 今日は心を洗われるような晴天。全周が青色に包まれた大海原で、シルティは小さく溜め息を吐いた。

 西の水平線に太陽が近付き始めている。もう間もなく青い世界に赤が混ざり出すだろう。今日も成果はなさそうだ。

 いよいよ期限が近い。もうそろそろ捜索を切り上げなければならない。五か月と言わず二年分ぐらい払ってくるべきだったか。資金を貯める時間はもちろん必要だが、どう考えてもその方が効率的である。

 次はそうしよう。

 と、シルティが決意したその時。

 青虹色の閃光を放ちながら魔法を行使していたローゼレステが、ぽつりと言った。


【見つけた】

【ん。……はい、ありが……ん?】


 あまりに唐突だったので、シルティの反応は遅れに遅れた。

 電光石火の反射神経を身上とする戦士としては致命的なのろさである。ここが戦場であれば今の間に死んでいただろう。


「……えっ!?」


 一拍ほども経ってようやくローゼレステの発言内容を理解したシルティは、歓喜と驚愕を混ぜて煮詰めたような砲声を放った。

 この場で唯一水精言語を解さぬレヴィンは唐突に叫んだ姉にぎょっとし、全身の被毛を逆立てながら飛蝗バッタも斯くやという跳躍を見せた。


【ほ、本当ですか!?】

【ああ】

「う。……おっ」


 両手で拳を作り、万力のような筋力を込めてぶるぶると震えさせる。


「っしゃあ!!」


 歓喜に脳を茹だらせるシルティ。

 レヴィンもシルティの喜びようから状況を察したらしく、尻尾をぴんと伸ばして喉を大きく鳴らす。

 だが、ご機嫌な姉妹とは裏腹に、ローゼレステの声は冷淡だった。


【シルティ。見つけたが。取るのは、諦めるべきだ】

【はッ?】


 途端、シルティは動きを止めた。

 ぎ、ぎ、ぎ。頸椎の関節にゴミを噛んだようなぎこちない動きで首を回旋かいせん。両目でローゼレステを注視する。握り締められたままの両拳。自らの筋力で骨が軋んでいるのか、奇怪な音が響く。


【なぜですか?】


 長らく恋焦がれた家宝を前に断念を勧められたことで多大な精神的負荷ストレスを覚えているらしく、蛮族の瞳孔は完全に開き切っていた。星のない夜空よりも暗い二つの穴から物理的および霊的な圧を孕んだ視線が射出され、青虹色の球体を貫いている。

 あまりの剣幕に慄いたのか、ローゼレステがシルティから距離を取った。

 音波的には状況を把握できないレヴィンも姉の変貌に気付いたらしく、首を竦めて頭を低くし、耳介をぺたりと横に倒した。

 シルティという個体は基本的に楽観的かつ享楽的であり、一般的な苦痛すらも快楽に変換するよう脳を矯正されているため、そもそも不機嫌になることが極めて少ない。レヴィンすらも姉があからさまに不機嫌になっているところを見たことがなかったくらいだ。


【お。……おそらく、だが。六肢がにじのせっかを気に入っている】

【はい? 六、肢……。竜っ!?】


 その途端、シルティの機嫌は回復した。


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