第198話 投擲特化



 琥珀豹と森人エルフ

 数ある魔物の中でも上位に位置するであろう二種の戦いは、極めて静かに開幕した。

 初手はレヴィンの『珀晶生成』。

 森人エルフの女の全身を完全に内包する、巨大な虫入り琥珀のような光景を想像し、琥珀豹が誇る魔法を行使する。これで仕留められるとは思わないが、相手は投擲を得意とするようだ。動きを止め、その隙に少しでも肉薄したい。そう考えての一手である。


 だが、レヴィンの魔法は不発に終わった。一瞬、森人エルフの周辺の空気が仄かに黄金色を帯び、そのまま薄まって消えたのだ。

 レヴィンは怪訝そうに目の上の洞毛ヒゲをぴくりと揺らす。

 森人エルフの女はびくりと身体を硬直させたあと、素早く周囲を見回した。


 レヴィンの魔法が不発に終わることはそう珍しいことではない。例えばシルティを同じように捕獲しようとすれば、彼女はどういう感覚によるものなのかそれを的確に察知して加速し、生成座標に身体を割り込ませて不発を引き起こす。

 だが、今のように奇妙な痕跡が残ったことはない。姉とはまた別の手法で不発化させられたと考えるべきだろう。まあ、森人エルフの様子を見るに、彼女にとっても予想外の出来事だったようだが。

 姉と森人エルフの差異はなんだろうか。

 レヴィンはすぐに思い至った。

 森人エルフの女が身に纏う乳白色の軽装鎧。霧白鉄ニフレジスが発揮する生命力霧散作用が原因だ。


 生成済みの珀晶に霧白鉄ニフレジスを触れさせても悪影響はない。事実、先ほどは森人エルフの投刃を逸らすことに成功している。だが、『珀晶生成』は眼球から注視点へ生命力を飛ばして結実させる魔法だ。飛ばした生命力自体は簡単に霧散されてしまうということだろう。

 自分の魔法の特性も霧白鉄ニフレジスの物性も知っていたのだから、事前に答えに辿り着くことは不可能ではなかった。

 レヴィンは自らの馬鹿さを呪いつつ、次なる手を打つために素早く獲物の形を把握する。

 霧白鉄ニフレジスに触れない位置、肌や鎧下が露出している部分のみをくくることは可能のはずだ。

 だが、レヴィンが二手目を打つより早く、森人エルフの女が動いた。


 左腕のラウンドシールドを思い切りよく捨て、魔法『光耀焼結こうようしょうけつ』を行使。急所を守っていた軽装鎧が恐るべき速度で、それぞれが連結・融合していく。

 森人エルフ特有の長身を包み込む乳白色のプレートアーマーが瞬く間に完成した。隠密性能に気を遣う狩猟者が装備するようなものではないが、滑らかな曲面が木漏れ日を反射しており、とても美しい。


 先ほどと違って、肌や鎧下の露出がない。これでは体表に接するような窮屈な珀晶を生成することは不可能だ。

 どうやら森人エルフの女はレヴィンの得たものと同じ考えに行き着いたらしい。レヴィンは鼻面に皺を寄せて白い牙を剥き出しにし、威圧的な表情を見せた。

 一見すると威嚇のようにしか思えないが、これは彼女なりの称賛の表情である。


 珀晶による拘束という手段を封じられたレヴィンは一瞬の沈身で力を蓄え、即座に跳び出した。地を這うような低空の疾走で一直線に獲物へと肉薄する。

 だが、森人エルフはそれを許可しない。大きく一歩後跳しつつ両手を素早く振るった。

 シャランという涼しげな金属音と共に空気を引き裂くのは二十枚の大きな輪。直径は拳三つ分ほど、非常に薄く、見るからに鋭利。戦輪せんりんやチャクラムなどと呼ばれる投擲武器だ。

 十枚ずつ重ねて保持していたものを投擲したらしい。投擲時に互いに干渉したのだろう、適度にばらけ、水平方向に広がる。

 シルティの飛鱗と違って空中を自在に泳ぎ回ることはないが、レヴィンの身体が大きいこともあって、チャクラム同士の隙間に身体を滑り込ませることは難しそうだ。

 下がって距離を取るべきか。


 

 姉譲りの嗜好が真正面からの突入を選択させた。

 投げられたチャクラムは二十枚だが、自身に命中するのは五枚程度。重ねて投げられたため、全ての角度は揃っている。これならば掻き分けることは容易いだろう。

 長く鋭いくさび形の障壁を生成、チャクラムを斜面で優しく逸らし、無事にやり過ごす。

 よし。このまま肉薄する。

 前肢で地面を掴み、脊椎を大きく屈曲。生産した莫大な力を後肢へ流そうとしたところで、レヴィンは相手を見縊みくびっていたことに気付いた。

 透明な障壁の向こう。振りかぶり、今まさに投擲動作に入った森人エルフの女。その両手には既に再装填された無数のチャクラムが。


 馬鹿な。早すぎる。

 レヴィンにとって森人エルフの強者は金鈴きんれいのマルリルだ。マルリルの創出速度を基準にすれば、到底あり得ない速度である。

 咄嗟に尻尾を振り回し、反動を獲得。流しかけた筋力の向きを変え、後肢を揃えて地面を蹴り、上方へ大きく跳躍する。追加で生成した足場を踏み付け、鉛直に空中を駆け昇った。間一髪、先ほどとは異なる角度で飛来したチャクラムが楔形障壁を食い破り、消滅させる。

 さほど体積を費やした障壁ではなかったとはいえ、ああも簡単に。やはり、単純な強度であれを弾くのは難しそうだ。


 陸上生物とは思えない軌道で回避した琥珀豹を追いかけ、さらに追加のチャクラムが投擲された。まるで駄々を捏ねる子供のように縦横無尽に振るわれる森人エルフの両腕。だが、その凶悪さは全く微笑ましくない。一振りごとに十枚前後の殺意が撒き散らされるのだ。

 レヴィンは死から逃れるために忙しなく空中を駆け回った。両の眼球が爛々と輝いている。見るからに大興奮のご様子だ。シルティの『操鱗そうりん聞香もんこう』でも味わえない濃密な弾幕に血が滾ってしまったらしい。


「おぉーっ、凄い。こんな森人ヒト初めて見た」


 背後から呑気に観戦していたシルティは称賛混じりの感嘆の声を漏らした。

 魔法『光耀焼結』は『珀晶生成』と違い、最初から完成品が出現するわけではない。最初に芯とでも呼ぶべき極小の基部が創出され、それが急速に成長して望みの形状を取る。

 この霧白鉄ニフレジスの成長速度は個人個人によって異なり、かつ、訓練によってある程度高速化することが可能だ。要するに、一定以上は才能の領域である。


 マルリルは長い短剣バゼラードを一本創出するのにおおよそ一呼吸の時間が必要だったが、この森人エルフの女はより大きく複雑なはずのプレートアーマーですらほとんど一瞬で装着して見せた。単純な形状のチャクラムであれば尚のこと早い。片腕を振るごとに十枚以上なのだから、一呼吸の間では百枚を超えるだろう。ローゼレステの攻撃も弾幕的であり非常に苛烈だったが、これはさらに残酷である。

 マルリルに才能がないというわけではないはずだ。これまで出会ってきた森人エルフの狩猟者の創出速度も大概は似たり寄ったりだった。

 つまり、単純にこの襲撃者の才能が飛び抜けているのだ。


「いいなぁ、楽しそう……」


 自らの方へ飛んできたチャクラムの中央穴に〈永雪〉をくぐらせて、地面に投げ捨てつつ、シルティは妹に羨望の視線を送る。

 ここまで投擲攻撃に特化した相手などそうそう出会えるものではないのだ。


「レヴィンに譲るにはちょっと惜しい殺し合いだったかもなー……」


 若干大人げないことを呟きながら、シルティは妹の雄姿を見守った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る