第199話 森人流甲冑組討



 ミキミキミキミキミキ――生木の軋み裂ける重奏が響く。

 無数のチャクラムを浴びた森の木々が限界を超え、ゆっくりと倒れ始めた。

 猩猩の森の木々は太い。一抱えもあるようなものばかりだ。とはいえ、百を超えるチャクラムが食い込んで消滅すればその幹はくしのように。自重を支え切れずに倒伏とうふくするのも当然である。


 レヴィンは空中に点在させた珀晶の足場を駆け、開けた空間に逃げ込んだ。木々という障害物が消えた今、この距離では躱し切れない。突っ込んで喰らい付きたいという嗜好よりも生存と勝利を優先する理性がレヴィンに距離を取らせる。

 森人エルフの女も倒れ込む木々から身を躱したが、追撃の手を緩めることはなかった。兜に開けられた十字の目出し穴から宙を駆ける琥珀豹を睨み付け、その両手に創出したチャクラムを投射し続ける。

 重い霧白鉄ニフレジスで全身を覆っているくせに、その動作は極めて機敏だ。近頃のシルティと同じく、体重を軽量化しているのかもしれない。


 己。姉。森人エルフの女。千切れ落ちる枝と葉。空気を斬り裂く無数のチャクラム。

 戦場に存在する全要素の位置関係を三次元的に掌握し、縦横無尽の回避を継続しつつ、レヴィンは獲物の技量を推し量った。

 いやはや、素晴らしい。

 瞬時と言っても過言ではない創出速度と、それを活かした絶え間ない投擲。今は乱雑な照準でばら撒いているが、姉の首を狙った初撃は極めて精確だった。その気になれば百発百中の腕前だろう。

 だが、どうやら遠隔強化にまでは至っていないようだ。チャクラムに強化が乗っているならば、周囲の木々が倒れるのはもっと早かったはずである。

 あれならばおそらく、一枚や二枚喰らったところで身体を両断されることはない。

 まあ、一枚喰らえば生命力を散らされて動きが鈍り、結局は十枚二十枚と喰らうことになるのだろうが……さて、どうすべきか。


 自分よりも被弾面積が小さく遥かに素早い姉ならば、チャクラムの隙間を縫うように擦り抜けて肉薄するだろう。いや、得物でチャクラムを悉く叩き落としながら突っ込んでいくかもしれない。単純比較では霧白鉄ニフレジスに負けるが、真銀ミスリルは充分に強靭な素材である。シグリドゥルが作り出した傑作〈永雪〉ならば、生命力を散らされたとしても一方的に負けることはない。

 だが、自分は巨体かつ鈍間であり、真銀ミスリルの鉤爪も持っていないのだ。

 どちらの手段も無理だと判断したレヴィンは、空中を駆けるのを止めて地面に降り立った。

 空中に足場を生成する三次元的な挙動を封印。回避の難度が上がった分は、間合いに余裕を持たせることで相殺する。


 森人エルフの女が投げ、レヴィンが躱す。

 森人エルフの女が投げ、レヴィンが躱す。

 森人エルフの女が投げ、レヴィンが躱す。

 シャランという涼し気な金属音が奏でられる中、互いに無傷のまま時間が流れる。


 膠着した展開だが、これがこのまま続けば勝利するのはレヴィンの方だ。なぜならレヴィンは魔法をほとんど行使していない。肉体的な成熟が近い今、単純な運動のみで消耗する生命力は僅か。

 対して、森人エルフの女は絶え間なく『光耀焼結』を使い続けている。熟練の森人エルフと若い琥珀豹、生命力の総量でどちらに分があるかは定かではないが、先に尽きるのは間違いなく前者のはず。

 無論、森人エルフの女もレヴィンの狙いには気付いているだろう。だが、投擲の手を緩めさせるつもりはない。常に一定の距離を保ちつつ、陽光を反射するプレートアーマーへ熱烈な視線を注ぎ続ける。

 殺意と敵意は大して親しくない相手にも通じる万能のアイコンタクトだ。

 休めば殺す。


 レヴィンが地上に降りてから数えて十一度目の投擲。

 今までよりも大きく広がる十枚のチャクラム、これを余裕を持って躱した直後、森人エルフの女の姿が乳白色の四角形に遮られて見えなくなった。霧白鉄ニフレジスを薄く伸ばした衝立ついたてが創出されたのだ。

 魔法『珀晶生成』と『光耀焼結』は類似点が多い。盾としての運用は共通する。だが、珀晶と違って霧白鉄ニフレジスは完全に不透明だ。視線を切られた。相手の動きが見えない。

 耳を澄ますまでもなく、鎖が擦れるような微かな音が聞こえる。

 レヴィンは即座に跳び出した。

 逡巡しゅんじゅんなど一切存在しない電光石火の追撃。姉が鉱人ドワーフの男を斬って以降、森人エルフの女は常に逃避の機を窺っていたようだ。自然、レヴィンは森人エルフが障害物に隠れて逃げの手を打ったのだと断定した。


 四肢と背筋はいきんを酷使した全力の加速により、僅か二歩で最高速度へ到達。蛮族から教わった戦闘術理は琥珀豹の骨髄まで刻み込まれている。滞空時間を極限まで削減する地を這うような疾走も既に慣れたもの。

 衝立の右を通るとすぐに獲物の姿が視界に収まった。いさぎよく背中を見せた脱兎のごとき逃走。微かな擦過音さっかおんはプレートアーマーから響いている。霧白鉄ニフレジス製の鎧は可動部に革を張ることができないため、静穏性能はどうしても落ちてしまうのだ。


 自分の脚力。

 相手の速度。

 彼我の距離。

 追いつける。レヴィンは確信した。

 捕食の興奮に身体を突き動かされ、猛進。一歩、二歩、三歩、四歩、五歩。ここだ。

 後肢で地面を蹴る。両前肢を屈曲させながら背筋はいきんを引き絞り、低く鋭く跳躍。疾走の慣性と正真正銘の全体重、さらに尾を振り回すことで獲得した僅かな反作用を束ねて右前肢に注ぎ込み、長く鋭い鉤爪を剥き出しにした掻撃そうげきを放った。


 掌球しょうきゅうを叩き付けるような全身全霊の一撃が逃走者の肩甲ポールドロンを捉える。直後、悍ましいほどの不快感がレヴィンを襲った。霧白鉄ニフレジスの持つ生命力霧散作用だ。右前肢を満たしていた生命力が散らされ、強化が著しく減衰される。当然ながら、覚悟済みだ。ものともせずに筋力を振り絞る。

 逃走の最中に外力を受けた森人エルフの膝はがくんと折れ曲がった。

 耳障りな金属の干渉音を響かせながら地面に転倒、慣性のままに華麗な跳び込み前転を披露し、地面で背中を打って仰向けに転がる。

 腹面や喉を露わにした獲物を見たレヴィンは本能的に勝利を確信した。

 いける。自分だけで殺せる。

 獲物の左肩と前額部を前肢で押さえながら身体の向きを合わせ、下半身にしっかりと圧し掛かり、致命傷を与えるべく顎を大きく開いて喉にかじり付き……しかし、そこで止まった。


 頸当ゴージットの硬い歯応え。

 自慢の牙が通らない。


 レヴィンは自らの失敗を自覚した。

 咬合力はレヴィンの最大の武器だ。幼い頃ならばともかく、今の自分ならば超常金属宵天鎂ドゥーメネルで武装する宵闇鷲よいやみワシですら食い殺せる。霧白鉄ニフレジスの板金程度、当然のように咬み潰せると思っていた。

 だが実際はこの体たらく。

 まさかここまで硬いとは。これが通らないならばもう何も通らない。こちらの生命力だけが散らされるという反則を甘く見過ぎていた。

 レヴィンは咬撃を即座に中断し、獲物の上からの退避を選んだ。だが、レヴィンが飛び退くより一瞬早く、その体性感覚が微かな浮遊感を覚えた。森人エルフの女が身体を大きく捻ったのだ。肩とひたいをしっかりと押さえていたはずなのに、どういうわけか、軽々と。


 左前肢が僅かに浮いている。

 レヴィンは咄嗟に右前肢を屈曲させ、左前肢を伸ばし、迅速に足場を整えようとした。空中立位反射にも似た本能的な行動だ。だが、左前肢の肉球が肩甲ポールドロンを捉えた瞬間、霧白鉄ニフレジスは脆くも砕け散った。

 足場の消失により踏力とうりょくが完全に空転し、琥珀豹は致命的なまでに体勢を崩す。

 森人エルフは全てを予想していたかのように股を開き、長い両脚と右腕をレヴィンの背面に回すと、がっしりとしがみ付いて身体を大きく傾けた。


 霧白鉄ニフレジスのプレートアーマーが誇る絶大な質量が踏ん張りを凌駕し、レヴィンは敢え無く横転する。

 身体の左側面に硬い地面の感触を感じた瞬間、レヴィンは身体を捻って跳び上がろうとした。が、動けない。

 いつの間にか全身を目の粗い金網で包まれていた。無論、霧白鉄ニフレジス製だ。獲物の拘束はレヴィンだけの専売特許ではない。

 致命的にも思える不快感に呑まれたレヴィン。視界は色褪いろあせ、逞しい筋肉は活力を失う。さらには目隠しまでされてしまった。文字通りの雁字がんじがらめ。

 もはや完全に為す術なし。それを自覚したレヴィンは、清々しい気持ちで身体の力を抜いた。



「おおー、凄い」


 観戦していたシルティが感嘆の声を上げた。

 素晴らしく流麗な返し方。四足動物のマウントからああも簡単に逃れるとは。霧白鉄ニフレジス製の防具を前提としているような雰囲気を感じる。森人エルフ流の甲冑かっちゅう組討くみうちだろうか。あまり見慣れない動きだったので、サウレド大陸の森人エルフ特有のものかもしれない。

 森人エルフの女はレヴィンの背中を右足で踏み押さえつつ、両手に短剣を一本ずつ創出した。

 形状こそつばの目立つ細長い短剣だが、剣身は四角錐。本質は刃物というより杭に近いだろう。スティレットやロンデルダガーなどと呼ばれる、刺突専用の頑丈な短剣だ。


「動かないで」


 右手に持ったスティレットの切先をレヴィンの後頸部うなじにぴたりと添える。

 基本的に狩猟者は刺突武器の類を使わないものだが、相手を完全に捕獲した状態ならば話は別。脳や心臓といった急所を正確に潰せるだろう。

 森人エルフが握るスティレットは長い。あれだけの刃渡りがあれば大型動物の延髄でもしっかり破壊できる。

 レヴィンは満足そうに洞毛ヒゲを揺らし、呼吸以外の動きを止めた。自らの敗北を認めたようだ。死にたくはないが死んでもいい、そんな表情である。


「すー……、ふぅー……」


 シルティは大きく息を吸い、そして吐いた。


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