第197話 刃渡り二倍



 問答無用で真正面から突進してくる鉱人ドワーフの男。

 シルティは鞘尻で妹の臀部を叩いて合図を送ったあと、迎え撃つようにこちらも突進を開始した。


 主観を引き延ばして生み出した猶予で獲物の姿を観察する。

 身体に纏うのは要所要所に金属の装甲を持つ革鎧。肩回りや股関節付近は鎧下が見えているが、前腕から手首にかけては大型の籠手ガントレットが覆い、膝から下は黒光りする脛当グリーブが守っていた。

 加えて、頭頂部の尖った涙滴型の兜を被っている。目庇まびさしと鼻当が顔の上半分を覆い、豊かな髭が顔の下半分を覆っているため、ほとんど目元しか見えない。兜の下縁から垂れ下がる鎖錣アヴェンテイル後頸部うなじを隠しているが、彼らにとっての誇りである髭はしっかりと露出していた。

 軽装なシルティとは正反対の、全体的に防御力を重視した装いである。


 ずんぐりむっくりとした見た目の割に、その踏み込みは鋭い。みるみるうちに間合いが消費される。

 重心はやや高く、体勢は前のめり。鉱山斧こうざんふ石突いしづき付近を左手で握り締め、右手は中ほどを把持している。

 大上段の構えの狙いは明白。全力の唐竹割りだ。の長さと斧頭ふとうの重さを最大限に使うつもりだろう。

 鉱人ドワーフの膂力で振り下ろされる長柄の戦斧。相互束縛バインドを仕掛けるのは無理だ。〈永雪〉は無事だとしても手首が砕ける。受け流すのも難しい。シルティが全力で踏ん張っても彼の太刀筋を歪ませるには足りない。


 ならば拳一つ分で躱しながら逆水平を被せ、喉を裂こう。自分ならばできる――と。

 無意識的に返し手を決めるシルティの脳内で、不意に、過去の栄光が閃いた。


 受け止めるのも流すのも不可能な一撃。

 四肢竜重竜グラリアの尾先を斬り飛ばした、あの輝かしい実績が。

 死ぬほど気持ちよかったあれを、また味わいたい。

 匂いと質量を感じられるほど鮮明に蘇った会心の斬撃が、シルティの理性を厚く塗り潰した。


 地響きが轟く。

 眼前の鉱人ドワーフが踏み鳴らす大地の悲鳴だ。

 足首。膝。股関節。骨盤。脊椎。肩甲骨。上腕骨。前腕。

 生産された莫大な反発力が一切の損失なく体内を伝わり、両手の得物へと漏れなく注がれる一連の技が、シルティには自分の事のようによくわかった。

 見惚れるほどに素晴らしい操身。

 力流の滑らかさという点において鉱人ドワーフはシルティを遥かに上回る。無論、それだけが太刀筋の完成度を決めるわけではないが、この男の唐竹割りはシルティが見る限り完璧としか思えない。


 振り下ろされる虹色の死を前にして、天雷かみなりすら視認する眼球と脳がその性能を振り絞った。

 前に出した左足で地面を掴み、己の慣性を掌握。ただの一歩で完全な静止を成し遂げる。

 右足を浮かせながら両腕を前へ伸ばし、分厚い斧頭の側面に〈永雪〉の横手筋よこてすじを優しく触れさせ、手首と肘を固めつつ下半身を脱力した。

 全力の唐竹割りを迎え撃つのは、相互束縛バインドを成立させないほど柔らかな接触。

 遅延する世界に耳障りな擦過音を響かせ、刃の交点が切先から鍔元へと流れる。馬鹿げた粘りを持つ鉱山斧は傾斜した物体との接触をものともせず直進し、シルティの身体は必然的に切先の方向へと引きり込まれた。


 なんと素晴らしい。嚼人グラトンには到底出し得ぬ剛力。わかっていたが、どう頑張っても抗うのは不可能だ。

 右肘を畳みつつ、さらに固める。その上で、右手首を完全に緩める。柄頭を握る左手で太刀を操作し、刀身と鉱山斧の逢瀬を途切れさせないよう絶妙な加減で寝かせていく。

 瞬きよりも短い時の中、斧頭と刀身が成す角度が連続的に増大し、鋭角から垂直を経て鈍角へと至る。

 切先から鍔元まで流れて来た刃の交点は狂気的なほどに滑らかに反転し、再び切先へと流され――の手応えを感じた刹那、シルティは右足を酷使した。


 地面を砕く。

 空間を切開するような寒々しい一閃。

 切先から鍔元を経由して再び切先へ戻る刃の交点。絶妙な手の内により実現されるのは、事実上刃渡りを二倍に延長する常軌を逸した撫で斬りの極致である。

 いい手応えだ。見ずともわかる。シルティの脳内に歓喜が溢れた。

 一瞬にも満たない交錯を経て、嚼人グラトン鉱人ドワーフが擦れ違う。


 自由落下する物体が二つ。

 頸という支えを失った兜首かぶとくびと、刃渡りの半ばで真っ二つに両断された斧頭だ。


「んふっ」


 相手の得物斬り殺すという反則的な斬撃。

 もちろん、シルティの斬術がいかに天才的だと言っても、普通はこんなことは不可能だ。

 鉱人ドワーフの男が放った唐竹割りの申し分ない威力を切断力に変換し、ようやく到達した奇跡のような切断である。


「ふッ!!」


 頭部を失った男の身体がぐにゃりとくずおれる中、シルティはすぐさま刃を振るった。

 自らの首を狙う殺意を感じ取り、それを迎撃しようとしたのだ。

 だが、それは空振からぶった。


「おっ?」





 鞘で臀部を叩かれた直後、レヴィンは全力で左方へ跳躍した。

 鉱人ドワーフの男は姉と殺し合うつもりらしい。姉も嬉々として迎えに行った。

 ならば当然自分は森人エルフの女――と、レヴィンは思ったのだが、残念ながら森人エルフはそうではなかったようだ。


 レヴィンから見て右方へ、男と姉の円の内部に取り込むように弧を描いて移動する森人エルフの女。並行する一対一ではなく、まずは二対一で姉を仕留めるつもりか。

 ならば自分の役割は妨害だ。移動を反転、視界に森人エルフを捉える……と、その長い右腕が凄まじい速度で振るわれた。

 なんだ。あまりに遠い。そんな間合いでは何をしても届かないだろう。

 というレヴィンの先入観は、真っ直ぐに飛来する乳白色の刃に斬り裂かれた。


 レヴィンの目が見開かれる。

 くの字に折れ曲がった板状の霧白鉄ニフレジス。縁部に鋭い刃を持ち、恐るべき速度で回転している。初見の武器だ。軌跡が気持ち悪い。手元を離れたというのに一切落下せず、完全に飛んでいる。終着点は姉の首筋か。

 魔法『光耀焼結』で創出した使い捨ての投擲武器は森人エルフの特権。そういう知識は持っていたが、いざ刃物が投げられるのを見ると驚きを隠せない。


 霧白鉄ニフレジスは生命力を霧散させる作用を持ち、かつ、驚くほど重い。あの体積と勢いがあれば嚼人グラトンの首を落とすくらいは容易いだろう。しかも、森人エルフの手には既に同じものが握られている。

 レヴィンの知る唯一の森人エルフの狩猟者、金鈴きんれいのマルリルは一つの武器を創出するのに平均して一呼吸ほどの時間が必要だったが、この襲撃者の創出はまさしく一瞬だ。あれならば事実上の投げ放題である。


 魔法『珀晶生成』を行使。

 姉ほどの強者に向けて投げられたのだ。森人エルフの女もこの投擲物の威力には自信があるのだろう。単純な珀晶であれを受け止められるとは思わない。ゆえに工夫する。

 生成すべきは曲面。強度は必要最低限でいい。重要なのは角度だ。対象の動作と平行に接触し、徐々に角度を増大させることで切断力を発揮させずに軌跡を歪ませる。

 気持ちが悪いほど水平に飛んでいた投刃が甲高い擦過音と共に落下し、地面に突き刺さった。どうやらレヴィンの工夫は巧く行ったようだ。直後に霧白鉄ニフレジスの崩壊が始まり、跡形もなく消え去る。


「おっ?」


 〈永雪〉を空振からぶった体勢で呑気な声を漏らすシルティ。


「なっ……」


 対して、ぎょっとしたような声を上げる森人エルフの女。驚愕の焦点はレヴィンの仕事ではなく、鉱人ドワーフの男が殺害された過程についてだろう。

 シルティと男が交錯したと思ったら死んでいた。それも、。打ち合わせた刃物をさぱりといでそのまま持ち主を斬るなど、どれほど力量差があれば実現できるのか。一見すれば防御を許さぬ究極の斬撃だ。

 森人エルフの女は動きを止め、ちらりと自分の左手を見た。握り締めたラウンドシールドの性能に疑いを持ってしまったようだ。なまじ腕に覚えがあるからこそ、シルティの絶技に血の気が引いたのだろう。


「ありがとレヴィン。助かった」


 感謝を告げるシルティに対し、レヴィンはつい面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 姉はしっかりと反応していた。自分が守らずとも霧白鉄ニフレジスの投刃を叩き落していたに違いない。


「ふふ。あのヒト、任せていい?」


 妹が若干拗ね気味であることに気付いたシルティは、苦笑を漏らしつつ場所を譲った。

 姉が自分に気を遣ったことに気付いたレヴィンは、羞恥を誤魔化すように牙を剥いた。


人類種ヒト殺し合うの初めてだよね。頑張って」


 ヴォゥン。

 姉の応援を背中に受けつつ一歩前へ。森人エルフの女を睨み付ける。

 生まれながらの捕食者としての嗅覚が逃避の気配を嗅ぎ取った。冷静な視線、足の角度、低い重心。機を窺っている。シルティには敵わないと判断したようだ。

 蛮族に逃走をさげすむ文化はない。

 弱者にとって強者から逃げ切ることは紛れもなく勝利である。


 だからと言って、見逃がすつもりもない。

 合法的に人類種を殺せる機会は乏しいのだ。

 さらに強くなるための糧。絶対に逃せない。死んでも殺す。

 滾るような殺意を眼球に乗せ、レヴィンは魔法を行使した。


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