第194話 兎の襟巻
九日後。
港湾都市アルベニセ中央区に存在する食事処『竜の背中』にて、フェリス姉妹はカトレア・オルカダイレスと共に夕食を取っていた。
昨日無事に
当然のように同行している
レヴィンは初めての場所に緊張しているのか、あるいはわくわくしているのか、
「改めて、ありがとう」
カトレアが
ちなみに、ジョッキに注がれているのは弱い発泡性の
「こちらこそ!」
シルティも同じものが注がれたジョッキを掲げ、ジョッキを合わせて軽く音を鳴らす。
乾杯を終えたカトレアは待ち切れないといった様子で酒杯を唇へ運び、ぐびぐびと勢いよく飲み始めた。細い喉が動く度に酒杯が傾いていき、あっという間に底面が天井を向く。
「ぷはあっ! 美味いっ!」
人類種の中でも
「んー……んっ」
シルティも
正直に言うとシルティはあまり酒類を美味しいとは思わないが、この
レヴィンがのっそりと立ち上がり、首を伸ばして姉の太腿に顎を乗せた。なにそれ、と言いたげな視線でジョッキを見つめる。
「これは飲んじゃダメだよ」
レヴィンは面白くなさそうに鼻を鳴らし、目尻を吊り上げた。
「もー、
少々の酒であれば琥珀豹の害にはならないだろう。しかし、レヴィンはまだ一歳半だ。無論、
「いやあ、何回か死んだと思ったよ。というか、僕だけだったら最初の一発で死んでたね。二人とも、本当にありがとう」
姉妹の触れ合いを微笑ましく見ていたカトレアは、店員に手振りで
「あー。初っ端で『咆光』撃たれたのはびっくりしたよね……」
「あれは……正直、めちゃくちゃ恥ずかしかったよ……僕、あんなに自信満々だったのにさぁ」
「んふふ。私、カトレアが中に入ってると思ってたから、死んだと思ったよ」
「あれ? 言ってなかったっけ……ごめん」
小首を傾げつつ、焼いたベーコンを口へ運ぶカトレア。
塩気の利いたそれをむぐむぐと咀嚼し、届いた二杯目で流し込む。
「ぷは。……
現在のカトレアの髪は若草色の髪紐で纏められている。
「また買うんでしょ?」
「うーん……そうだなぁ……」
カトレアが悩まし気な声を上げ、眉間に
「なにか他に色が付けられる魔道具があればいいんだけど、思い付かないしなー……でも、遠いんだよなー……」
「んー……しょうがない。買いに行こう。オプロスにもお洒落させてあげたいし」
自分で現地に向かった方が遥かに安上がりだし、身体に合わせた細かい調整もできる。カトレアは次の目標を決めた。
「……シルティは?」
カトレアは、言外に『一緒に行かない?』という意味を込めて尋ねた。
「んふふ。前に注文してた魔道具がもうそろそろ届くはずなんだ。それが届いたら、私は海に
だが、シルティは単に『これからどうするの?』という意味に捉えた。
残念なことに、歪曲な表現でのお誘いはシルティにはなかなか伝わらないのである。
「……そっか」
カトレアは微かな溜め息を吐きつつ薄切りにしたチーズを齧り、杯を傾けて喉を潤した。
「じゃあ、しばらくお別れかな」
「またすぐ会えるよ。私も回収したらカラキザドニアの方へ行くつもりだからさ」
「あ、そうなの? きみたちが来たらすぐニュースになりそうだなぁ。
「んふふ。また一緒に竜を殺そうね。私はいつか六肢竜も斬るんだー」
「うん! 楽しみ!」
若干幼い口調で輝かしい未来に夢を馳せたあと、カトレアが
「それで、回収って? 海の底になにか落としたのかい?」
「んーと。私、出身はノスブラ大陸なんだけど」
「うん」
「遭難してここに流れ着いて」
「うんうん」
この辺りの事情はカトレアも知っている。彼女はシルティのファンなので。
「その時、うちの家宝を失くしちゃってさー……」
「家宝?」
しかし、家宝〈
「うん。純
「えっ。……マジ?」
「マジ! 混じりっ
「おうん」
この
無論、
ぼうしのかえりがえっち、というのは、どういう意味なのだろうか。理解できない。
「あ、そうだ。カトレアの
「え。いいけど……総刃だから気を付けて」
「ありがとっ! んへへへ……」
差し出された一枚の鴛鴦鉞を丁寧に受け取り、うっとりとした表情で眺めるシルティ。
刃筋を立てないよう指先でくるくると弄んだあと、顔を近付けてすんすんと匂いを嗅ぐ。はぁ、と湿気を帯びた吐息を漏らす。すると、鴛鴦鉞の月牙がじわじわと虹色の揺らぎを帯び始めた。
「……うぅん」
それはそれとして、さすがに嗅ぐのはやめてほしいな、とカトレアは思った。
◆
カトレアとの飲み会から三日後、昼頃。
フェリス姉妹は魔道具専門店『
「こんにちは!」
挨拶とドアベルの音に反応して、カウンターで手作業をしていた店主ヴィンダヴルが顔を上げる。
「よぉ。嬢ちゃんか」
「お久しぶりです!」
「狙いすましたように来やがったな。ちゃんと届いてんぜ」
「やった!」
「ちょっと待ってろ。持ってくら」
ヴィンダヴルが立ち上がり、倉庫へと向かう。すぐに戻ってきた。その無骨な両手には丈夫そうな布で作られた襟巻が一つずつ。
二か月ほど前に取り寄せを依頼した水中呼吸用魔道具、念願の〈兎の
ヴィンダヴルの許可を取り、手に取って確かめる。職人の技量を感じさせる丁寧な縫製。墨色で硬質な素材の飾りが十数個、強固に縫い付けられている。素材となったのは魔法『
裏返してみると平たいボタンのようなものが備え付けてあった。艶やかな赤色の表面。
「琥珀豹が着けられる〈兎の襟巻〉なんざ、世界初じゃねえか?」
「んふふ。多分、うちの妹は世界初の記録ばっかりですよ?」
話題に上げられたレヴィンは澄まし顔の
「期待してるとこ悪いけど、これ、都市の中じゃ着けられないからね?」
姉に言われて気付いたのか、レヴィンの耳介がへにゃりと横を向いた。朋獣認定証を隠すことは禁止されているので、首輪の上に被ってしまう襟巻は着用できないのだ。襟巻の上から首輪を巻くことは可能だが、それはどう考えても格好悪い。
シルティは苦笑しつつ購入代金の詰まった布袋を取り出し、カウンターに置いた。取り寄せ費用は支払い済みなので、これは商品そのものの料金だ。ヴィンダヴルは手慣れた様子で金額を検め、
「確かに。これでこいつらは嬢ちゃんたちのもんだ」
ヴィンダヴルが差し出した薬液を使い、姉妹がそれぞれで〈兎の襟巻〉との血縁を結んだ。
「俺も使ったこたねえが、そいつ、結構クセがあるらしいからよ。本番やる前にしばらく慣らした方がいいぜ」
「わかりました。今から行ってきます!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます