第194話 兎の襟巻



 九日後。

 港湾都市アルベニセ中央区に存在する食事処『竜の背中』にて、フェリス姉妹はカトレア・オルカダイレスと共に夕食を取っていた。

 昨日無事に鎚尾竜アンキロの素材の売却費用が手元に入ってきたので、少し間が開いてしまったが晴れて打ち上げである。

 当然のように同行している天峰銅オリハルコン製の鎚尾竜アンキロは、床に置かれたサラダの器に吻を突っ込み、もしゃもしゃと顎を動かしていた。他の利用客が奇異の視線を向けているが、カトレアは全く気にしていない。

 レヴィンは初めての場所に緊張しているのか、あるいはわくわくしているのか、洞毛ヒゲを広げながら周囲に視線を巡らせている。


「改めて、ありがとう」


 カトレアが天峰銅オリハルコン触手うでで持つ陶器製ジョッキをかかげた。九日前に比べると、身に纏う天峰銅オリハルコンの量は随分増えている。自分で分泌したにしては早すぎるので、同族から譲って貰ったのだろう。

 ちなみに、ジョッキに注がれているのは弱い発泡性の林檎酒シードルだ。


「こちらこそ!」


 シルティも同じものが注がれたジョッキを掲げ、ジョッキを合わせて軽く音を鳴らす。

 乾杯を終えたカトレアは待ち切れないといった様子で酒杯を唇へ運び、ぐびぐびと勢いよく飲み始めた。細い喉が動く度に酒杯が傾いていき、あっという間に底面が天井を向く。


「ぷはあっ! 美味いっ!」


 人類種の中でも鉱人ドワーフ岑人フロレスは酒好きの種族だ。前者は蒸留酒をちびちびと舐めるように飲むことを好み、後者は醸造酒をぐびぐびと浴びるように飲むことを好む傾向がある。カトレアも例に漏れず醸造酒が好きらしい。ちなみに、森人エルフは大半が比較的下戸の種族であり、鉱人ドワーフ岑人フロレスと同じ量を飲むと二日酔いに苦しむことになる。魔物たちは漏れなく強靭な臓器を備えるとはいえ、やはり、種族差はあった。


「んー……んっ」


 シルティも一口ひとくち

 正直に言うとシルティはあまり酒類を美味しいとは思わないが、この林檎酒シードルは酒精がかなり弱いため普通に飲めた。甘さ控えめで若干酸っぱい炭酸の林檎ジュース、と言ったところ。

 レヴィンがのっそりと立ち上がり、首を伸ばして姉の太腿に顎を乗せた。なにそれ、と言いたげな視線でジョッキを見つめる。


「これは飲んじゃダメだよ」


 レヴィンは面白くなさそうに鼻を鳴らし、目尻を吊り上げた。


「もー、ねないのっ」


 少々の酒であれば琥珀豹の害にはならないだろう。しかし、レヴィンはまだ一歳半だ。無論、嚼人グラトン岑人フロレスと同じ曲線で成熟するわけではないが……それでも酒をたしなむには早すぎる。


「いやあ、何回か死んだと思ったよ。というか、僕だけだったら最初の一発で死んでたね。二人とも、本当にありがとう」


 姉妹の触れ合いを微笑ましく見ていたカトレアは、店員に手振りで林檎酒シードルのお代わりを頼みつつぺこりと頭を下げた。


「あー。初っ端で『咆光』撃たれたのはびっくりしたよね……」

「あれは……正直、めちゃくちゃ恥ずかしかったよ……僕、あんなに自信満々だったのにさぁ」

「んふふ。私、カトレアが中に入ってると思ってたから、死んだと思ったよ」

「あれ? 言ってなかったっけ……ごめん」


 小首を傾げつつ、焼いたベーコンを口へ運ぶカトレア。

 塩気の利いたそれをむぐむぐと咀嚼し、届いた二杯目で流し込む。


「ぷは。……魔道具バレッタなー。消されちゃったんだよなー……あれ、気に入ってたんだけど……」


 現在のカトレアの髪は若草色の髪紐で纏められている。天峰銅オリハルコンに彩色を施していた魔道具バレッタは一発目の『咆光』で永遠に消滅させられてしまった。


「また買うんでしょ?」

「うーん……そうだなぁ……」


 カトレアが悩まし気な声を上げ、眉間にしわを寄せる。


「なにか他に色が付けられる魔道具があればいいんだけど、思い付かないしなー……でも、遠いんだよなー……」


 塗染ぬりぞめ孔雀クジャクの生息地は遠い。港湾都市アルベニセまで取り寄せることも不可能ではないが、相当な金と時間がかかるだろう。


「んー……しょうがない。買いに行こう。オプロスにもお洒落させてあげたいし」


 自分で現地に向かった方が遥かに安上がりだし、身体に合わせた細かい調整もできる。カトレアは次の目標を決めた。


「……シルティは?」


 カトレアは、言外に『一緒に行かない?』という意味を込めて尋ねた。


「んふふ。前に注文してた魔道具がもうそろそろ届くはずなんだ。それが届いたら、私は海にもぐる!」


 だが、シルティは単に『これからどうするの?』という意味に捉えた。

 残念なことに、歪曲な表現でのお誘いはシルティにはなかなか伝わらないのである。


「……そっか」


 カトレアは微かな溜め息を吐きつつ薄切りにしたチーズを齧り、杯を傾けて喉を潤した。


「じゃあ、しばらくお別れかな」

「またすぐ会えるよ。私も回収したらカラキザドニアの方へ行くつもりだからさ」

「あ、そうなの? きみたちが来たらすぐニュースになりそうだなぁ。琥珀豹レヴィンがいるし」

「んふふ。また一緒に竜を殺そうね。私はいつか六肢竜も斬るんだー」

「うん! 楽しみ!」


 若干幼い口調で輝かしい未来に夢を馳せたあと、カトレアがって塩を振った豆をパクパクと摘まむ。


「それで、回収って? 海の底になにか落としたのかい?」

「んーと。私、出身はノスブラ大陸なんだけど」

「うん」

「遭難してここに流れ着いて」

「うんうん」


 この辺りの事情はカトレアも知っている。彼女はシルティのファンなので。


「その時、うちの家宝を失くしちゃってさー……」

「家宝?」


 しかし、家宝〈虹石火にじのせっか〉を紛失し、それを海底に沈んだものと見積もって回収しようとしていることまでは知らなかった。特に隠しているわけではないが、この情報を知っているのはルビア・エンゲレンや金鈴きんれいのマルリル、シグリドゥルなどのごく限られた範囲に留まっている。


「うん。純輝黒鉄ガルヴォルンの太刀なんだ」

「えっ。……マジ?」

「マジ! 混じりっなし! 〈虹石火〉って言うんだけど、この〈永雪〉に負けないくらい色っぽい反りしててさー。ほら、輝黒鉄ガルヴォルンって黒いでしょ? だから、ぱっと見じゃ刃文はもんが見えないんだけど、ふひっ、に当てながら傾けるとキラキラッて浮かび上がるの。虹色の火花が夜空に飛び散ったみたいで死ぬほど綺麗なんだよ! それと、突き上がった鋩子ぼうしの返りが最高でー、なんかもうえっちに見えるくらいでー……ふっへへ」

「おうん」


 このもしかして酔っ払ってるのだろうか、とカトレアは思った。

 無論、嚼人グラトンが酒で酔うことはないとわかってはいるのだが。

 ぼうしのかえりがえっち、というのは、どういう意味なのだろうか。理解できない。


「あ、そうだ。カトレアの鴛鴦鉞えんおうえつ、少し見せてくれないかなー。前から綺麗だなーって思ってて……」

「え。いいけど……総刃だから気を付けて」

「ありがとっ! んへへへ……」


 差し出された一枚の鴛鴦鉞を丁寧に受け取り、うっとりとした表情で眺めるシルティ。

 刃筋を立てないよう指先でくるくると弄んだあと、顔を近付けてすんすんと匂いを嗅ぐ。はぁ、と湿気を帯びた吐息を漏らす。すると、鴛鴦鉞の月牙がじわじわと虹色の揺らぎを帯び始めた。

 嚼人グラトンには馴染みの薄い拳鉞けんえつだとしても、刃物である以上、シルティの愛の対象だ。少し触れ合えばすぐに武具強化を成立させられる。


「……うぅん」


 それはそれとして、さすがに嗅ぐのはやめてほしいな、とカトレアは思った。





 カトレアとの飲み会から三日後、昼頃。

 フェリス姉妹は魔道具専門店『ジジイの店』を訪れた。


「こんにちは!」


 挨拶とドアベルの音に反応して、カウンターで手作業をしていた店主ヴィンダヴルが顔を上げる。


「よぉ。嬢ちゃんか」

「お久しぶりです!」

「狙いすましたように来やがったな。ちゃんと届いてんぜ」

「やった!」

「ちょっと待ってろ。持ってくら」


 ヴィンダヴルが立ち上がり、倉庫へと向かう。すぐに戻ってきた。その無骨な両手には丈夫そうな布で作られた襟巻が一つずつ。

 二か月ほど前に取り寄せを依頼した水中呼吸用魔道具、念願の〈兎の襟巻えりまき〉だ。

 ヴィンダヴルの許可を取り、手に取って確かめる。職人の技量を感じさせる丁寧な縫製。墨色で硬質な素材の飾りが十数個、強固に縫い付けられている。素材となったのは魔法『鰓銛さいせん』を宿す漁兎すなどりウサギで、彼らの額からは螺旋状に捻じれた黒い角が真っ直ぐに伸びていると聞く。この黒い物体はおそらくその角を加工したものだろう。一本、先の丸いピンのようなものが刺さっている。

 裏返してみると平たいボタンのようなものが備え付けてあった。艶やかな赤色の表面。朱璃しゅりを用いた生命力導通補助装置、楔点せってんだ。


「琥珀豹が着けられる〈兎の襟巻〉なんざ、世界初じゃねえか?」

「んふふ。多分、うちの妹は世界初の記録ばっかりですよ?」


 話題に上げられたレヴィンは澄まし顔の三つ指座りエジプト座りを披露しているが、耳介と洞毛ヒゲと尾が忙しなく動いており、喜びを隠しきれていない。彼女は姉よりよっぽどおしゃれ好きなのである。


「期待してるとこ悪いけど、これ、都市の中じゃ着けられないからね?」


 姉に言われて気付いたのか、レヴィンの耳介がへにゃりと横を向いた。朋獣認定証を隠すことは禁止されているので、首輪の上に被ってしまう襟巻は着用できないのだ。襟巻の上から首輪を巻くことは可能だが、それはどう考えても格好悪い。

 シルティは苦笑しつつ購入代金の詰まった布袋を取り出し、カウンターに置いた。取り寄せ費用は支払い済みなので、これは商品そのものの料金だ。ヴィンダヴルは手慣れた様子で金額を検め、鷹揚おうように頷く。


「確かに。これでこいつらは嬢ちゃんたちのもんだ」


 ヴィンダヴルが差し出した薬液を使い、姉妹がそれぞれで〈兎の襟巻〉との血縁を結んだ。


「俺も使ったこたねえが、そいつ、結構クセがあるらしいからよ。本番やる前にしばらく慣らした方がいいぜ」

「わかりました。今から行ってきます!」


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