第193話 オプロス



 世界最強の一角いっかくを仕留めてから十日後の夕暮れ時、三名は無事に港湾都市アルベニセへと帰還した。

 およそ半月ぶりの白い城壁を遠目に見て、シルティは満面の笑みを浮かべ、レヴィンは耳介を前に向けながら尻尾を静かに伸ばす。擬似鎚尾竜アンキロの頸元にまたがっていたカトレアはほっと息を吐き、それと同時に赤橙色の竜が穏やかな欠伸を披露する。

 欠伸に伴って身体を少し揺らされたカトレアは、とても愛おしげな様子でその後頸部うなじを撫でた。


「ありがとう、


 鎚尾竜アンキロと殺し合ったその日から、カトレアの天峰銅オリハルコンはほぼ常に鎚尾竜アンキロの姿を取り続けている。カトレアが起床すると同時に一定の量が竜をかたどり、入眠と同時に液体へと戻るのだ。その間、『鎚尾竜アンキロ』という形状から逸脱することは決してない。

 形状を鎚尾竜アンキロに固定することは自由自在の千変万化を特徴とする天峰銅オリハルコンの利点を殺すことになるのでは、とシルティは思ったが、合理よりも好みを優先する気持ちはとてもよくわかるので黙っておく。

 そしていつしか、カトレアはこの鎚尾竜アンキロを『オプロス』と呼ぶようになっていた。

 もちろん、起床時に形成し直しても名前は変わらない。至る所に至ってしまった少女は、もはやこの疑似竜を己の天峰銅オリハルコンではなく完全に一つのと見做すようになったらしい。

 たまに地面の草をみ、そして時々は排泄までしているのだから、その拘りは凄まじい。さすがに消化機能はないらしく、ふんとして出てくるのは潰れた草の塊でしかないが。


 どういうわけか、名を付けられてからこの『オプロス』の動きは明確に変わった。

 どう見ても行動しているのだ。

 本人の意識がどうであれ、天峰銅オリハルコンの本質は『操作』でしかない。カトレアが認識した地形を踏み締めるように変形しているから、歩いているように見えるだけに過ぎないはず。

 だがこのオプロスは、カトレアの視界の外に出ていたとしても……たとえ障害物の向こう側に隠れていたとしても、のだ。

 これはつまるところ、カトレアは遠隔強化中の天峰銅オリハルコンを通して地形を把握しているということに他ならない。


 繊細な武具強化に触覚を宿ることは広く知られているが、それだけでは説明がつかない。おそらく、カトレアの天峰銅オプロスには視覚や嗅覚、あるいはそれに準ずるものまでが備わっているのだろう。ゆえに、いちいち見ずともオプロスの周辺の地形がわかり、その情報を元にして正しく歩めるのだ。

 単純な技能のみで『操鱗遠隔聞香嗅覚』以上の超常を成し遂げているのだから、この岑人フロレスの少女の頭は率直に言って大分おかしい。


 シルティは目を丸くして『なんで見えないところでそんな正確に動かせるの』と尋ねたが、カトレアはきょとんとして『なにが?』と答えた。

 どうやら無意識のようだ。なので、シルティはこの件に触れることをやめた。意識させた瞬間にできなくなってしまうかもしれないからだ。感覚派の人類種にはよくあることである。


 とその時、レヴィンが唐突に姉の腹部へ向けて頭突きを見舞った。そのまま側頭部や耳介の後ろを擦り付け始める。どうやらオプロスがカトレアに撫でられているのを見て羨ましくなったらしい。シルティはくすくすと笑いながら両腕で頸を抱え込むようにして撫で回す。

 嚼人グラトンと琥珀豹が姉妹愛を確かめ合い、岑人フロレス天峰銅オリハルコンがやや特殊な愛を確かめ合い、全員が満足したところでシルティが咳払いをした。


「んンッ。さて。じゃ、予定通り西に向かおっか」


 鎚尾竜アンキロが生息する草原はアルベニセの東南東とうなんとうに位置しているが、一行いっこうが向かうのは東門ではなく西門である。わざわざ遠回りしてでも西門を通る理由は、アルベニセでも有数の資産家である槐樹かいじゅのエアルリンを訪ねるためだ。

 鎚尾竜アンキロ狩りは魔術研究者の依頼によって行なわれたものではないので、現時点では売却先も決まっていない。そこで、重竜グラリアを斬った時と同様、彼女の資金力と伝手を頼らせて貰えないかと考えたのである。竜の素材は非常に貴重かつ高価なので、エアルリンにも莫大な利益をもたらす話のはずだ。

 彼女の住居『槐樹かいじゅ研究所』は西区にあるため、東門から都市に入ると人通りの多い中央区を通過しなければならない。だがカトレアと出会った日に経験したように、大きな琥珀豹レヴィンを連れた状態ではどうしても時間がかかってしまう。今回はそれに加えて鎚尾竜オプロスまでいるのである。西門を使った方が確実に早い。





 いつものように女衛兵ルビア・エンゲレンに荷物を検められ、相応しいだけの税を納めて西門を通過した。

 ルビアには事前に『今度鎚尾竜アンキロ狩ってくるね!』と伝えていたので、今更驚かれることもない。まあ、伝えた当日は仰天して正気を疑われたが。

 帰還した姉妹の身体をぺたぺたと撫で回し、無傷であることを確認すると、むぎゅりと抱き締めて長々とした安堵の息を吐いてくれた。

 ちょっとくすぐったかった。

 その間、カトレアは居心地が悪そうに少し離れてオプロスを撫でていた。

 カトレアの生活拠点はアルベニセの中央区東寄り。西門の衛兵とはほぼ面識がないので仕方がない。


 こうして無事に都市へと足を踏み入れた一行いっこうは、そのまま寄り道することなく『槐樹かいじゅ研究所』へと向かった。

 中央区ほどではないが、西区もまだまだ人通りのある時間帯。道行く人々の興味深そうな視線が一行に注がれる。と言っても、この辺りに住んでいる人々は一度二度くらいは琥珀豹レヴィンを見たことがあるので、視線の焦点はのしのしと歩く鎚尾竜オプロスだ。

 色合いからして天峰銅オリハルコンであることは明らかであるし、大道芸かなにかだと思っているのかもしれない。


 そうこうしているうちに、到着。

 日は既に落ちた。鉱人ドワーフ以外の人類種が明かりを持たずに出歩くのは厳しい時間帯だ。

 この研究所はエアルリンの自宅でもあるので、なにか特別な理由がない限り今の時間帯ならば会えるはず。ドアノッカーを抓み、控えめに音を鳴らした。

 ゴン、ゴン。ゆっくりと七を数えるほどの時間が経過。

 重厚な扉が滑らかに開かれ、黒い礼服に身を包んだ岑人フロレスの使用人、ヒース・エリケイレスが姿を現した。


「申し訳ありません、お待たせしました……おや、フェリス様」

「こんばんは。いつもいつも、遅くにすみません」

「いえ、お気になさらず。……おぉっ」


 天峰銅オプロスまたがった同族カトレアをちらりと見た瞬間、ヒースは感嘆の声を漏らし、動きをぴたりと止めた。


「これは、見事な」

「ふふ。どうも」


 どうやら初対面のようだが、なにか通ずるものがあったのだろう。ヒースは神妙な表情で賛辞を呈し、カトレアは満更でもない表情でそれを受ける。


「失礼しました、フェリス様。さて、本日は? また重竜グラリアでも狩りましたか」

「んふふ」


 冗談めかして要件を尋ねるヒースに対し、シルティは笑いながらレヴィンの〈冬眠胃袋〉をポスポスと叩いた。


「今日は鎚尾竜アンキロです」

「なるほど、鎚尾アンキ……。……はッ? 鎚尾竜アンキロ?」





 シルティたち一行いっこうは『槐樹かいじゅ研究所』の応接室に通され、そこで家主エアルリンに頭を下げられていた。絹糸のように滑らかな明るい金髪、その美しい旋毛つむじがよく見える。


「すまんっ! さすがに即金は無理だっ!」


 遡って八か月前に重竜グラリアを持ち込んだ際、エアルリンはその死骸に目が飛び出るほどの値段を付け、しかもその場で全額の支払を済ませたが……さすがに、年に二度も竜を購入するほどの資産はなかったらしい。


「いやいやいやそんな」

「無理言ってるのは僕らですから……」


 シルティとカトレアは慌ててエアルリンより低く頭を下げた。事前約束なしでいきなり持ち込んだのだ。これで謝られてしまっては恐縮するしかない。

 なお、レヴィンは我関せずと言った様子で毛繕いグルーミングをしていた。彼女にとって大事なのは狩りそのものであり、猟果の売買にはあまり興味がないのだ。というか、売るより食べたい。


「いやいや。なに言ってんだ。わざわざうちに持ってきてくれてありがとよ。竜の死骸ならいつでも大歓迎だぜっ」


 エアルリンが頭を上げ、柔らかい笑みを浮かべた。

 魔術研究者からすると、貴重な魔物の素材を売り込んでくれるというのはとてもありがたいことである。大して価値のない魔物であればもちろん迷惑だが、シルティたちが持ち込んできたのは貴重極まる六肢動物。邪険にすることなどありえない。


「ただ、情けねーことだけどよ」


 はぁ、と小さく息を吐いた。

 直前の笑みから、憂いを帯びた表情に変わる。

 切れ長の目、瑠璃色の虹彩、髪と同色の長い睫毛まつげ

 相も変わらずとんでもない美人だ。初対面のカトレアは完全に見惚れていた。


「今、うちにそんだけの金はない。ないもんはない。けど、あたしに竜の素材をみすみす見逃すってのは無理だ。悔しくて死んじまうぜ」


 そして相も変わらず、見た目に似合わぬ中性的な口調と声音である。


「んで、ほんと悪いんだけどさ、ちょっと待ってくんない? んーと、十日……いや九日……いや、八日! 八日でいい!」


 エアルリン曰く、親交のある魔術研究者たちと何人かで金を出し合い、共同買取という形にしたいらしい。ただ、アルベニセの研究者界隈にも面子やら繋がりやらがあるようで、誰々に声をかけたのに誰々には声をかけていない、というような面倒な事態を避けるための調整時間が必要だとか。


 手元に入って来る金額に変化はないし、シルティにもカトレアにも特に急ぐ用事はない。

 カトレアはしばらく狩猟者は休業だ。現在の彼女の左上腕は魔法『咆光』で消滅させられた上から焼灼止血を施した状態。未だに酷く焼けただれている。少しでも再生を促進するためにも正しい治療を施さねばならない。大幅に減ってしまった天峰銅オリハルコンを調達する時間も必要だ。

 シルティはどうかと言うと、ヴィンダヴルに取り寄せを頼んだ水中呼吸用魔道具〈兎の襟巻〉が届くのを待つばかりである。資金は鎚尾竜アンキロの売却費用で余裕でまかなえるだろう。予定では十日後に届くはずなので、むしろ八日くらい時間が空いてくれるとちょうどいいかもしれない。

 シルティはカトレアを見た。カトレアもシルティを見た。視線で意思疎通を終え、代表してシルティが答える。


「大丈夫です!」

「よしっ! ヒーちゃん、明日あすあさに手配できるよう準備しといてくれ! 声かけんのはグローヴァーとウォルポールと、カーペンターとパターソンとエヴァと……セリーナも乗ってくるだろ。この辺だ」

「かしこまりました」


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