第193話 オプロス
世界最強の
およそ半月ぶりの白い城壁を遠目に見て、シルティは満面の笑みを浮かべ、レヴィンは耳介を前に向けながら尻尾を静かに伸ばす。擬似
欠伸に伴って身体を少し揺らされたカトレアは、とても愛おしげな様子でその
「ありがとう、
形状を
そしていつしか、カトレアはこの
もちろん、起床時に形成し直しても名前は変わらない。至る所に至ってしまった少女は、もはやこの疑似竜を己の
たまに地面の草を
どういうわけか、名を付けられてからこの『オプロス』の動きは明確に変わった。
どう見ても
本人の意識がどうであれ、
だがこのオプロスは、カトレアの視界の外に出ていたとしても……たとえ障害物の向こう側に隠れていたとしても、
これはつまるところ、カトレアは遠隔強化中の
繊細な武具強化に触覚を宿ることは広く知られているが、それだけでは説明がつかない。おそらく、カトレアの
単純な技能のみで『
シルティは目を丸くして『なんで見えないところでそんな正確に動かせるの』と尋ねたが、カトレアはきょとんとして『なにが?』と答えた。
どうやら無意識のようだ。なので、シルティはこの件に触れることをやめた。意識させた瞬間にできなくなってしまうかもしれないからだ。感覚派の人類種にはよくあることである。
とその時、レヴィンが唐突に姉の腹部へ向けて頭突きを見舞った。そのまま側頭部や耳介の後ろを擦り付け始める。どうやらオプロスがカトレアに撫でられているのを見て羨ましくなったらしい。シルティはくすくすと笑いながら両腕で頸を抱え込むようにして撫で回す。
「んンッ。さて。じゃ、予定通り
彼女の住居『
◆
いつものように女衛兵ルビア・エンゲレンに荷物を検められ、相応しいだけの税を納めて西門を通過した。
ルビアには事前に『今度
帰還した姉妹の身体をぺたぺたと撫で回し、無傷であることを確認すると、むぎゅりと抱き締めて長々とした安堵の息を吐いてくれた。
ちょっと
その間、カトレアは居心地が悪そうに少し離れてオプロスを撫でていた。
カトレアの生活拠点はアルベニセの中央区東寄り。西門の衛兵とはほぼ面識がないので仕方がない。
こうして無事に都市へと足を踏み入れた
中央区ほどではないが、西区もまだまだ人通りのある時間帯。道行く人々の興味深そうな視線が一行に注がれる。と言っても、この辺りに住んでいる人々は一度二度くらいは
色合いからして
そうこうしているうちに、到着。
日は既に落ちた。
この研究所はエアルリンの自宅でもあるので、なにか特別な理由がない限り今の時間帯ならば会えるはず。ドアノッカーを抓み、控えめに音を鳴らした。
ゴン、ゴン。ゆっくりと七を数えるほどの時間が経過。
重厚な扉が滑らかに開かれ、黒い礼服に身を包んだ
「申し訳ありません、お待たせしました……おや、フェリス様」
「こんばんは。いつもいつも、遅くにすみません」
「いえ、お気になさらず。……おぉっ」
「これは、見事な」
「ふふ。どうも」
どうやら初対面のようだが、なにか通ずるものがあったのだろう。ヒースは神妙な表情で賛辞を呈し、カトレアは満更でもない表情でそれを受ける。
「失礼しました、フェリス様。さて、本日は? また
「んふふ」
冗談めかして要件を尋ねるヒースに対し、シルティは笑いながらレヴィンの〈冬眠胃袋〉をポスポスと叩いた。
「今日は
「なるほど、
◆
シルティたち
「すまんっ! さすがに即金は無理だっ!」
遡って八か月前に
「いやいやいやそんな」
「無理言ってるのは僕らですから……」
シルティとカトレアは慌ててエアルリンより低く頭を下げた。事前約束なしでいきなり持ち込んだのだ。これで謝られてしまっては恐縮するしかない。
なお、レヴィンは我関せずと言った様子で
「いやいや。なに言ってんだ。わざわざうちに持ってきてくれてありがとよ。竜の死骸ならいつでも大歓迎だぜっ」
エアルリンが頭を上げ、柔らかい笑みを浮かべた。
魔術研究者からすると、貴重な魔物の素材を売り込んでくれるというのはとてもありがたいことである。大して価値のない魔物であればもちろん迷惑だが、シルティたちが持ち込んできたのは貴重極まる六肢動物。邪険にすることなどありえない。
「ただ、情けねーことだけどよ」
はぁ、と小さく息を吐いた。
直前の笑みから、憂いを帯びた表情に変わる。
切れ長の目、瑠璃色の虹彩、髪と同色の長い
相も変わらずとんでもない美人だ。初対面のカトレアは完全に見惚れていた。
「今、うちにそんだけの金はない。ないもんはない。けど、あたしに竜の素材をみすみす見逃すってのは無理だ。悔しくて死んじまうぜ」
そして相も変わらず、見た目に似合わぬ中性的な口調と声音である。
「んで、ほんと悪いんだけどさ、ちょっと待ってくんない? んーと、十日……いや九日……いや、八日! 八日でいい!」
エアルリン曰く、親交のある魔術研究者たちと何人かで金を出し合い、共同買取という形にしたいらしい。ただ、アルベニセの研究者界隈にも面子やら繋がりやらがあるようで、誰々に声をかけたのに誰々には声をかけていない、というような面倒な事態を避けるための調整時間が必要だとか。
手元に入って来る金額に変化はないし、シルティにもカトレアにも特に急ぐ用事はない。
カトレアはしばらく狩猟者は休業だ。現在の彼女の左上腕は魔法『咆光』で消滅させられた上から焼灼止血を施した状態。未だに酷く焼け
シルティはどうかと言うと、ヴィンダヴルに取り寄せを頼んだ水中呼吸用魔道具〈兎の襟巻〉が届くのを待つばかりである。資金は
シルティはカトレアを見た。カトレアもシルティを見た。視線で意思疎通を終え、代表してシルティが答える。
「大丈夫です!」
「よしっ! ヒーちゃん、
「かしこまりました」
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