第187話 カトレアは死んだ



 広大な草原を長々と貫く致死の光線。


「ぉぅぁ」


 シルティの唇からなんとも言えない唸り声が漏れる。

 竜の『咆光ほうこう』は大抵の物質を消滅させる凶悪な破壊魔法だが、それゆえ捕食のための手段には全く向いていない。しかし草食の場合、仕留めた獲物にどれだけ可食部が残っているかなどどうでもいいので、肉食の竜に比べると気安く『咆光ほうこう』を撃つ傾向があると言われている。

 だがまさか、あの状況から問答無用でぶっ放してくるとは思わなかった。

 多少のぎこちなさはあったとはいえ、見た目はほぼ完璧だったとシルティは思うのだが……鎚尾竜アンキロからは殺意へ直結するほどに不愉快な存在に見えていたらしい。


「うひぇ、大惨事……」


 帯状にき散らされた膨大な血と臓物ぞうもつ。食事を楽しんでいたウマウシ混群こんぐんが不運にも巻き込まれ、真っ二つに分断されていた。即死を免れた個体が叫喚しつつもがき始めたが、彼らが生き残る確率は低いだろう。竜の『咆光ほうこう』は肉体の再生を著しく阻害する。自力治癒以外の止血手段を持たない野生動物では、四肢を一本失った程度でも失血死を避けられない。

 幸運にも射線から外れていた生き残りは叫喚を上げつつ逃走を開始し、上空のフェリス姉妹にも聞こえるほどの地響きを奏でた。


 とばっちりを受けた混群ですらこの有様なのだ、明確に標的とされた疑似鎚尾竜アンキロは確殺かつ即死である。背中の装甲の一部と肩棘の先端を除いて全てが消失。残った部分も敢えなく赤橙色の液体へと戻っていた。

 塗染孔雀ぬりぞめクジャクの魔道具は彩色対象と物質的に接続していなければその効果を発揮できない。そして、消滅させられた疑似鎚尾竜アンキロはしっかりと彩色されていた。つまりカトレアはあれに直接触れていたはずだ。おそらくは着ぐるみのように内部に収まっていたのだろう。

 それを、真正面から『咆光』で貫かれてしまった。

 地面に広がる天峰銅オリハルコンに固形物は一つとして残っていない。極太の光線は岑人フロレスの矮躯を指先に至るまで漏れなく包み込んだようだ。

 呆気ないことだが。

 カトレアは死んだ。


 シルティは大きく息を吸うと同時に主観を引き延ばし、カトレアの死を噛み締めるための僅かな時間を作り出した。

 蛮族の精神は殺し合いの結果に怨恨の感情を持ち込まないようにできている。たとえ実の親や子を殺されても恨みから敵討かたきうちをしようなどとは思わない。親より敵が強かった。子を守れぬ自分が弱かった。見事な腕前の相手だった。それだけだ。

 だがそれはそれとして、死んだ友人の心残りを晴らしてあげたいという弔いの気持ちはある。

 せめてカトレアの命が散ったこの土地で鎚尾竜アンキロを解体し、その身体の構造をつまびらかにしてあげよう。

 と、そこまで考えて。


(あ。いや、違うな)


 シルティはようやく思い違いに気が付いた。

 八日前、公衆浴場での入浴中のことである。

 カトレアがバレッタでは疑似竜群に彩色できないと嘆いていたとき、シルティは『バレッタと同じものをそれぞれに埋め込めばいけるのでは?』と発言し、カトレアは『それは死ぬほどお金がかかる』『他に手がなければ買う』と答えた。

 当時はあまり気に留めずに流してしまったが、あれはカトレアが遠隔強化と魔術『空想顔料』を両立できるからこその回答だ。

 疑似竜を使って鎚尾竜アンキロの殴打を誘うとしか聞いていなかったが……現状でも一匹だけならば、彩色を施した疑似竜を遠隔で操作できたはず。


 時間の分解能を存分に活かして視線を眼下に巡らせ、すぐに見つけた。

 鎚尾竜アンキロから見て右方の草藪くさやぶ、その中で倒れ伏す岑人フロレスの姿。やはり。カトレアが竜を侮るような手段を取るはずがなかった。

 しかし、動かない。


「レヴィン」


 シルティが地上のカトレアを指で示す。


「見てくる。緩衝材クッションは要らない。時間稼いで」


 簡潔な指示を受けたレヴィンは姉の意図を正確に察し、即座に足場を消去した。一拍置いて自らの直下に足場を生成、踏み付けて大きく跳躍。自らはさらに上空へと昇っていき、姉のみを地上へ落とす。

 自由落下に移行したシルティは体重を軽量化しつつ、空気抵抗と身体操作により主観的な天地を入れ替えた。魔術『操鱗そうりん聞香もんこう』を発動、切り離した飛鱗〈瑞麒みずき〉を足元へ固定し、全力跳躍。重力を遥かに超える加速度で斜めに墜落する。

 頃合を見て残る飛鱗を全て射出、空中に展開した十一個の飛石とびいしを段階的に踏み締めて減速し、カトレアのすぐ隣に難なく着地した。


「カトレア!」


 呼びかけるも反応なし。気絶しているのか、死んでいるのか。

 彼女にとって疑似竜は自らの肉体の一部であり、同時に自らが産み出した一個の生命体である。当然、触覚を始めとする鋭敏な体性感覚を備えていた。それを生命力ごと完全に消滅させられたのだ。カトレアの主観としては死とほぼ同義。昏倒はむしろ当然、場合によっては死に至ることも充分にありるだろう。

 指の背で柔らかな唇に触れる。

 幸いにも、呼吸はあるようだ。

 重畳。生きているなら戦える。


 シルティは素早く視線を巡らせ、鎚尾竜アンキロの様子をうかがった。

 直後に、眩い閃光。地表と天空が光線によって結ばれる。


(おっわ)


 二度目の『咆光』だ。こちらに向けられていたら死んでいたかもしれない。

 反射的に光線の行方ゆくえを確認。太陽の方角。凄まじい仰角である。骨格的に、鎚尾竜アンキロも相当つらい体勢だったに違いない。逆光のため見辛いが、指の幅ほどの大きさのレヴィンの姿が見える。

 レヴィンの眼球ならば鎚尾竜アンキロの顎が開いた瞬間を見極めるぐらいは簡単なこと。いかに最強の破壊魔法といえどこの距離ではまず当たらない。

 姉の唇が笑みの形を作ると同時に、鎚尾竜アンキロ尾骨鎚グロンドがゆっくりと左右に振られた。


 仕草から感情を察せるほど鎚尾竜アンキロとの親密度は高くないが、武器を動かして見せるという行為は一般的に威嚇や殺意の開示だろう。

 シルティがレヴィンを目視できるのだ。竜にも当然目視できる。標的が健在なことに苛立っているのかもしれない。

 と、その時。鎚尾竜アンキロの緑褐色の皮膚に突如まばゆい光点が生じた。

 右目の少し横。人類種で言えば蟀谷こめかみの辺り。大きさは広げたシルティの手のひらくらい。

 間髪入れず竜が身動みじろぎをし、光点から逃れる。その動きのまま胸郭を大きく膨らませ、空気を震わせる咆哮を放った。


 巨大なふいごを吹いたような重低音。

 骨格的に厳しい体勢だろうに、視線を頭上へ向け、尻尾をぶんぶんと振り回している。

 さすがにこれはわかる。めちゃくちゃ苛立っている。


(ほんと、レヴィンはどんどん器用になってくなぁ)


 シルティは今の光点の正体を知っていた。

 なぜならこれは、レヴィンが考案しただからだ。



 アルベニセを出発して以降、レヴィンは悩んでいた。

 カトレアは囮、姉がとどめで、自分は援護の役目を担うことになったが、しかし援護とはなにをすればいいのだろうか、と。

 カトレアのあの剛力ならばもしかしたら竜とも拮抗できるかもしれないが、自分では絶対に無理だ。最大強度の珀晶でも拘束などできるはずもない。相手に目潰しも無意味。顎を開いた瞬間を見計らって口腔内を埋め尽くし、窒息を狙うか。いや、すぐに噛み砕かれて終わる。望遠鏡……探すには使えるかもしれないが、殺し合いでは何の役にも立たないだろう。

 これまでに獲得した全ての経験と知識を総動員して悩みに悩み……四日目の昼、不意に閃いた。


 鎚尾竜アンキロがその身に宿す魔法『衝撃原動』は物質的攻撃をほぼ無効化する。姉を吹き飛ばして焼き焦がしたあの雷銀熊らいぎんグマのように、不意打ちすることも叶わないらしい。

 では例えば、雷銀熊が鎚尾竜アンキロに頭突きをした場合、どうなるのだろう。

 当然、爆発が起きる。衝撃は生命力に変換され、鎚尾竜アンキロの腹を満たす。だが、その際に生じた熱は。

 レヴィンは火という現象が大好きなのでよく知っている。火には触れることができない。だが、重なれば熱い。過剰な熱は肉体に苦痛と損傷をもたらす。衝撃など伴わずに。

 若い琥珀豹は確信した。

 熱による攻撃ならば、魔法『衝撃原動』を擦り抜けて鎚尾竜アンキロを害することができる、と。


 もちろん、生きた竜を焼くなど普通は不可能だ。松明を押し付けた程度では無意味。腹の下で焚火などしたら即座に殺される。浴びせられるほどの可燃油もない。

 しかし、今の自分ならば。

 離れた位置から



「んふ」


 遥か上空に生成された黄色透明の小さな円――を見上げ、シルティは笑った。

 正確なサイズまでは目算できないが、道中で試した時と同じならば直径はシルティ三人分ほど。それだけの面積に降り注ぐ真夏の太陽光を手のひら大にまで集束させたのだ。焦点の温度は木材の発火点など遥かに超える。照射を続ければ岩石を溶かしてしまうほど。

 竜の鱗を灼くのはさすがに不可能のようだが、それでも、無視できない程度の不快感は与えられているようだ。鎚尾竜アンキロはシルティやカトレアには見向きもせず、上方へ向けて五度六度と繰り返し『咆光』を放っていた。完璧な時間稼ぎである。


(いやー、改めて見ても、えぐいなー)


 望遠鏡という形で焦点の調整に習熟していたからこそ可能な、光速の灼熱狙撃。

 天候や時間帯に大きく左右されるとはいえ、事前に上空に登らなければならないとはいえ、あまりにも凶悪な遠距離攻撃である。竜だからあの程度で済んでいるが、例えばシルティの頭頂部にこれをやられたら一発で炎上するだろう。嚼人グラトンといえど皮膚が炭化すれば再生に時間がかかる。

 元々琥珀豹の『珀晶生成』は中遠距離で威力を発揮する魔法だが、いよいよ離れると手が付けられなくなってきた。頼もしい限りだ。


 ともかく、レヴィンが稼いでくれた時間を無駄にはできない。

 シルティはベルトに吊るしていた小さな袋を開き、折り畳まれた端切はぎれを取り出した。それを広げ、毒々しい赤色を呈す内側の布面を露出させると、躊躇なくカトレアの呼吸器鼻と口に押し付ける。

 そのまま、一拍。


「はォえッヴ」


 びぐんっ。

 カトレアが身体を痙攣させた。


「おッう、ごふっ、ごっ、げぇぁっ」


 身体をくの字に折り曲げて端切れから顔をそむけ、苦しそうに咳き込み始める。

 無理もない。端切れの赤は気付け薬の色。たっぷりと染み込ませてあったのだ。シルティもその強烈な効能悪臭は身を以て知っている。


「カトレア、落ち着いて」


 右腰の〈銀露〉を引き抜き、左の手のひらを浅く裂いた。カトレアを抱き起こして顎に右手を添え、左手を握り潰して血を絞り出し、その唇を垂らす。


「んッ。っぷぁ」

「飲んで」

「ん、ぐ……ん……」


 華奢な喉がひくんと動き、豊富な生命力を含んだ生き血が嚥下えんげされる。嚼人グラトンほどではないにせよ、多少は回復の役に立つだろう。


「かふっ。んンッ!」


 弱い咳のあとに、強い咳払い。頭を軽く振る。気付け薬の影響で若干涙目だが、混乱はしていない。


「ごめん寝てた。状況は?」

「レヴィンがで時間稼いでくれてる。まだまだこれからだよ」

「よし、わかった」


 岑人フロレスの少女が腕を伸ばし、生命力導通を失って地面に広がっていた天峰銅オリハルコンに活力を与えた。赤橙色の触手で身体を持ち上げつつ、唇に付いた血液を手の甲で拭う。


「行ってくる。ちょっと予定は狂っちゃったけど、予定通り止めは任せるよ」


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