第187話 カトレアは死んだ
広大な草原を長々と貫く致死の光線。
「ぉぅぁ」
シルティの唇からなんとも言えない唸り声が漏れる。
竜の『
だがまさか、あの状況から問答無用でぶっ放してくるとは思わなかった。
多少のぎこちなさはあったとはいえ、見た目はほぼ完璧だったとシルティは思うのだが……
「うひぇ、大惨事……」
帯状に
幸運にも射線から外れていた生き残りは叫喚を上げつつ逃走を開始し、上空のフェリス姉妹にも聞こえるほどの地響きを奏でた。
とばっちりを受けた混群ですらこの有様なのだ、明確に標的とされた疑似
それを、真正面から『咆光』で貫かれてしまった。
地面に広がる
呆気ないことだが。
カトレアは死んだ。
シルティは大きく息を吸うと同時に主観を引き延ばし、カトレアの死を噛み締めるための僅かな時間を作り出した。
蛮族の精神は殺し合いの結果に怨恨の感情を持ち込まないようにできている。たとえ実の親や子を殺されても恨みから
だがそれはそれとして、死んだ友人の心残りを晴らしてあげたいという弔いの気持ちはある。
せめてカトレアの命が散ったこの土地で
と、そこまで考えて。
(あ。いや、違うな)
シルティはようやく思い違いに気が付いた。
八日前、公衆浴場での入浴中のことである。
カトレアがバレッタでは疑似竜群に彩色できないと嘆いていたとき、シルティは『バレッタと同じものをそれぞれに埋め込めばいけるのでは?』と発言し、カトレアは『それは死ぬほどお金がかかる』『他に手がなければ買う』と答えた。
当時はあまり気に留めずに流してしまったが、あれはカトレアが遠隔強化と魔術『空想顔料』を両立できるからこその回答だ。
疑似竜を使って
時間の分解能を存分に活かして視線を眼下に巡らせ、すぐに見つけた。
しかし、動かない。
「レヴィン」
シルティが地上のカトレアを指で示す。
「見てくる。
簡潔な指示を受けたレヴィンは姉の意図を正確に察し、即座に足場を消去した。一拍置いて自らの直下に足場を生成、踏み付けて大きく跳躍。自らはさらに上空へと昇っていき、姉のみを地上へ落とす。
自由落下に移行したシルティは体重を軽量化しつつ、空気抵抗と身体操作により主観的な天地を入れ替えた。魔術『
頃合を見て残る飛鱗を全て射出、空中に展開した十一個の
「カトレア!」
呼びかけるも反応なし。気絶しているのか、死んでいるのか。
彼女にとって疑似竜は自らの肉体の一部であり、同時に自らが産み出した一個の生命体である。当然、触覚を始めとする鋭敏な体性感覚を備えていた。それを生命力ごと完全に消滅させられたのだ。カトレアの主観としては死とほぼ同義。昏倒はむしろ当然、場合によっては死に至ることも充分にあり
指の背で柔らかな唇に触れる。
幸いにも、呼吸はあるようだ。
重畳。生きているなら戦える。
シルティは素早く視線を巡らせ、
直後に、眩い閃光。地表と天空が光線によって結ばれる。
(おっわ)
二度目の『咆光』だ。こちらに向けられていたら死んでいたかもしれない。
反射的に光線の
レヴィンの眼球ならば
姉の唇が笑みの形を作ると同時に、
仕草から感情を察せるほど
シルティがレヴィンを目視できるのだ。竜にも当然目視できる。標的が健在なことに苛立っているのかもしれない。
と、その時。
右目の少し横。人類種で言えば
間髪入れず竜が
巨大な
骨格的に厳しい体勢だろうに、視線を頭上へ向け、尻尾をぶんぶんと振り回している。
さすがにこれはわかる。めちゃくちゃ苛立っている。
(ほんと、レヴィンはどんどん器用になってくなぁ)
シルティは今の光点の正体を知っていた。
なぜならこれは、レヴィンが考案した
アルベニセを出発して以降、レヴィンは悩んでいた。
カトレアは囮、姉が
カトレアのあの剛力ならばもしかしたら竜とも拮抗できるかもしれないが、自分では絶対に無理だ。最大強度の珀晶でも拘束などできるはずもない。相手に
これまでに獲得した全ての経験と知識を総動員して悩みに悩み……四日目の昼、不意に閃いた。
では例えば、雷銀熊が
当然、爆発が起きる。衝撃は生命力に変換され、
レヴィンは火という現象が大好きなのでよく知っている。火には触れることができない。だが、重なれば熱い。過剰な熱は肉体に苦痛と損傷を
若い琥珀豹は確信した。
熱による攻撃ならば、魔法『衝撃原動』を擦り抜けて
もちろん、生きた竜を焼くなど普通は不可能だ。松明を押し付けた程度では無意味。腹の下で焚火などしたら即座に殺される。浴びせられるほどの可燃油もない。
しかし、今の自分ならば。
離れた位置から
「んふ」
遥か上空に生成された黄色透明の小さな円――
正確なサイズまでは目算できないが、道中で試した時と同じならば直径はシルティ三人分ほど。それだけの面積に降り注ぐ真夏の太陽光を手のひら大にまで集束させたのだ。焦点の温度は木材の発火点など遥かに超える。照射を続ければ岩石を溶かしてしまうほど。
竜の鱗を灼くのはさすがに不可能のようだが、それでも、無視できない程度の不快感は与えられているようだ。
(いやー、改めて見ても、えぐいなー)
望遠鏡という形で焦点の調整に習熟していたからこそ可能な、光速の灼熱狙撃。
天候や時間帯に大きく左右されるとはいえ、事前に上空に登らなければならないとはいえ、あまりにも凶悪な遠距離攻撃である。竜だからあの程度で済んでいるが、例えばシルティの頭頂部にこれをやられたら一発で炎上するだろう。
元々琥珀豹の『珀晶生成』は中遠距離で威力を発揮する魔法だが、いよいよ離れると手が付けられなくなってきた。頼もしい限りだ。
ともかく、レヴィンが稼いでくれた時間を無駄にはできない。
シルティはベルトに吊るしていた小さな袋を開き、折り畳まれた
そのまま、一拍。
「はォえッヴ」
びぐんっ。
カトレアが身体を痙攣させた。
「おッう、ごふっ、ごっ、げぇぁっ」
身体をくの字に折り曲げて端切れから顔を
無理もない。端切れの赤は気付け薬の色。たっぷりと染み込ませてあったのだ。シルティもその強烈な
「カトレア、落ち着いて」
右腰の〈銀露〉を引き抜き、左の手のひらを浅く裂いた。カトレアを抱き起こして顎に右手を添え、左手を握り潰して血を絞り出し、その唇を垂らす。
「んッ。っぷぁ」
「飲んで」
「ん、ぐ……ん……」
華奢な喉がひくんと動き、豊富な生命力を含んだ生き血が
「かふっ。んンッ!」
弱い咳のあとに、強い咳払い。頭を軽く振る。気付け薬の影響で若干涙目だが、混乱はしていない。
「ごめん寝てた。状況は?」
「レヴィンが
「よし、わかった」
「行ってくる。ちょっと予定は狂っちゃったけど、予定通り止めは任せるよ」
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