第186話 誘惑



 八日後、昼過ぎ。

 港湾都市アルベニセから東南東、疎林そりんが点在する広大な草原。

 ここはシルティたちが陽炎大猫かげろうオオネコを誘い出した地点よりもずっと奥地。植生の違いはほとんどなさそうだが、視線を巡らせれば初見の動物がちらほらと見える。

 身体を小さくして地面の起伏に隠れているのは猫鼬マングース岩狸ハイラックスの類。地面に転がった動物の遺骨をついばんでいる中型の猛禽もいる。やや離れた位置では馬類ウマるい牛類ウシるい混群こんぐんが一心不乱に草をんでいた。今のところ姿は見えないが、陽炎大猫も生息しているはずだ。


「うっひょぉ……」


 上空に浮かぶ珀晶に乗るシルティは、足場に右膝を付いて体勢を低く保ちつつ、無邪気に目を輝かせていた。


「いやー、やっぱかっこいいなぁ……」


 シルティの膝の遥か下を鎚尾竜アンキロが悠々と闊歩している。

 俯瞰視点から観察すると、鼻先から尾の先まで背面が楕円形の装甲でよろわれているのが良くわかった。大きな頭部は見るからに頑丈そうで、鼻先は幅広い。後頭部と前腕部には鋭利な突起が並んでいて、まるでのこぎりのよう。両肩からは殊更に長いとげが前方に向かって伸びている。脇腹には重竜グラリア同様に鉤爪状の中肢ちゅうし痕跡器官が露出していた。

 全体的な色合いはは僅かに緑を帯びた褐色だが、吻部や尾の先は黒みを増す。体表面に模様はないが、装甲の色が濃いため斑模様まだらもようのようにも見える。また、両肩の棘は特徴的な煤竹色すすたけいろをしていた。


 上下に潰れた樽型胴体を支える四肢はどれも屈強かつ短めだが、前肢に比べると後肢がやや長いため、肩よりも腰の位置が高い。必然的に頭部は低く位置し、無理なく食事を行なえる姿勢を保てるようになっている。

 肩幅も腰幅も広く、左右のあしの間にシルティが余裕で横に寝られるほど。おかげで見た目の安定感が凄まじい。

 低重心を保つ骨格に馬鹿げた体重。腹面に装甲はないらしいが、生きた鎚尾竜アンキロをひっくり返して腹を斬るのは不可能と言っていいだろう。


 尻尾は緩やかな円錐形で、頭胴長の八割程度の長さ。先端には名前の由来にもなっている戦棍メイス状の骨塊こっかいがある。六肢動物学ではこれを尾骨鎚グロンドと呼ぶらしい。上下にも振り回すことができるが、より可動域が広いのは左右方向だ。

 重竜グラリアと違って、鎚尾竜アンキロは尻尾を明確な武器とする竜である。その威力は比べ物にならないだろう。あの時は顔面を帯状にえぐり飛ばされるだけで済んだが、今回はかすっただけでも胸から上が消滅するかもしれない。


「んふふ……」


 霊覚器などなくとも感じ取れる太陽のような生命力。カトレアが何度も模型を作って見せてくれたが、やはり本物は威圧感が違った。

 熱量ではカトレアのような真正の愛好家には及ばないかもしれないが、竜を敬愛するのは蛮族も同じ。世界最強種を目の当たりにすれば高揚してしまうのは当然だ。シルティの隣に待機するレヴィンも興奮した様子で洞毛ヒゲを広げ、長い尻尾をくねくねと揺らしている。


「思ってたよりずっと早く見つかったなぁ。レヴィンのおかげだね」


 シルティが折り曲げた五指で妹の頸部を掻き撫でると、レヴィンは頭を大きく傾け、姉の虎爪こそうを側頭部へ誘導した。今は頸部よりもこちらの気分らしい。大きな頭部を抱え込むようにしながらわしわしと撫で回す。


 フェリス姉妹とカトレア・オルカダイレスが草原の外縁部に辿り着いたのは三日前のこと。アルベニセから徒歩で七日ほどの距離だが、優れた狩猟者たちが脚力を存分に発揮すれば数日短縮することは容易い。

 その後は奥へ奥へと向かいつつ鎚尾竜アンキロを探すことになったのだが、ここでレヴィンが大活躍した。珀晶による足場で高所を確保すると、焦点自在の望遠鏡を何千回と生成し、人類種には不可能な広範囲の索敵をやってのけたのだ。巨体を誇る鎚尾竜アンキロ狙いだからこそ有効な粗目網あらめあみだが、おかげで三日という僅かな時間で竜と巡り合うことができた。


 何千回もの魔法の行使がレヴィンの生命力を大幅に削ってしまったので、現在は鎚尾竜アンキロを見失わないように監視しつつ休息中だ。既にシルティの生き血をたっぷりと飲ませ、シルティ自身も軽食を取った。体調はほぼ万全だ。もう間もなく地表に隠れたカトレアが動く手筈になっている。待ち遠しい。

 かなりの距離を空けてはいるが、フェリス姉妹が空中にいることは鎚尾竜アンキロにバレているだろう。この程度の距離では竜の感覚から逃れることはできない。竜の破壊魔法『咆光ほうこう』の規模は種によって多少異なるが、短く見積もってもここは完全に射程内だ。

 しかし、幸いにも鎚尾竜アンキロは草食の竜であるし、骨格的にも上空に顔を向けるのは億劫はなず。下手に刺激しない限り、いきなりぶっ放してくるようなことはないだろう。多分。


「……にしても」


 妹の頭部を愛撫しつつ、シルティは鎚尾竜アンキロの両肩に視線を向けた。

 肩甲骨が変形したものだろうか、優美な弧を描く煤竹色すすたけいろの棘。つかを含めた〈永雪〉の全長よりも長い。


「いい色……。あれで太刀作ったら綺麗だろうなぁ……」


 骨髄の除去などのいくつかの防腐処理は必要になるが、ほとんどの竜の骨は死後も鋼を凌駕する強度を保っている。また、自己延長感覚の確立が比較的容易で、しかも刃毀はこぼれ程度ならば自然と再生されるという真銀ミスリルに近い性質を示す。

 似たような素材でも竜の牙ではこのような傾向は見られないことから、これはおそらく、骨内部に張り巡らされた微細な血管のおかげだと言われていた。

 サウレド大陸の北東端では剣竜ステゴ尾骨剣サゴマイザーを加工し、献上あるいは下賜するための湾刀とするようだが、竜骨製の武具というのは見栄や希少価値という要素を除いたとしても充分に実用的なものなのだ。


 まぁ、シルティは大抵の刃物であれば何度か素振りをするだけで武具強化の対象にできる天才変態なので、延長感覚確立の早さはあまり利点にはならないのだが……それはそれとして、自らが仕留めた竜の骨で作った武具というのは死ぬほど心が踊る。

 シルティの故郷にも、異竜アロという六肢竜の大腿骨から作った〈地啼じてい〉という直剣つるぎを振るう先達がいたが、めちゃくちゃ綺麗で格好良くて羨ましかった。


 とはいえ、既にシルティの腰は〈永雪ながゆき〉と〈銀露ぎんろ〉で埋まっている。しかももう間もなく〈虹石火にじのせっか〉も戻ってくる予定だ。

 シルティの体格では太刀を二振も腰に吊るすのは難しいので、将来的には〈虹石火〉と〈永雪〉をその日の気分で使い分け、片方は〈冬眠胃袋〉と一緒に背負うことになるだろう。三本目となれば、レヴィンにも背負って貰わなければならなくなる。

 旅の身空でこれ以上刃物を増やすわけにはいかないのはわかっているのだ。

 わかっているのだが、でも欲しい。

 先っちょだけでいいから、せめてナイフくらいは作りたい。


「はぁぁ……」


 湿気を帯びた吐息を漏らしつつ、シルティは灼熱の欲望を持て余す……と、その時。


「おっ」


 眼下に存在する疎林から、もう一匹の鎚尾竜アンキロが姿を現した。

 既存の鎚尾竜アンキロに比べるとやや小柄で、肩の棘や尾骨鎚グロンドも控えめ。のんびりとした様子で頭部を揺り動かし、そして一匹目の鎚尾竜アンキロに気付くと、のしのしと尾を揺らしながら近付き始めた。


「うーん。上から見てると、まだちょっとぎこちないね」


 ヴォゥン。レヴィンが同意の唸り声を上げた。

 言わずもがな、これはカトレアが作り出した疑似竜である。

 いかに竜愛好家カトレアと言えど、どんな竜でも即座に再現して操れるわけではない。実際に動いているところをじっくりと観察するのが最上、最低でも骨格や筋肉の付き方を正確に把握する必要がある。

 今朝の時点でカトレアが産み出せる模擬竜は、四翼竜カンギュラ鎌爪竜ティリジノ、そして重竜グラリアの三種のみだった。だが、こうして肉眼でしっかり観察したことで鎚尾竜アンキロを再現できるようになったのだ。さすがにまだ完成度は低いものの、魔道具バレッタによる彩色は完璧である。

 ちなみに、カトレアが重竜グラリアを再現できるのは、シルティが狩ったあの個体の解体記録を舐め尽くすように精読し、竜愛好家仲間と一緒に模型を作ったりして遊んでいたからだ。


「さて、かな?」


 カトレア曰く、現在は鎚尾竜アンキロたちの繁殖期だという。

 鎚尾竜アンキロたちのオスは、発情すると尾骨鎚グロンドでメスをぶん殴る。メスを満足させるだけの威力が出せたらメスが殴り返して、それから交尾をするのだ。蛮族も愛の告白の代わりに自らの武力を示すことが多いので、シルティとしてはとても馴染みのある求愛行動である。

 そして、カトレアはオスに比べてメスの方が肩の棘や尾骨鎚グロンドが小さいということを知っていた。つまり、彼女が再現しているのはメス個体の鎚尾竜アンキロで、本物の方はオス個体だ。さすがに鎚尾竜アンキロ流の誘惑の作法まではわからないが、発情中のオスがメスを排除する可能性は低い。上手く行けば殴ってくれるはず。

 もちろん、疑似鎚尾竜アンキロがその尾撃に耐えられるはずもないので一瞬で粉砕される。だが、求愛対象を思いがけずぶち殺してしまったとなれば竜にも隙が生まれるだろう。

 そこを突いてレヴィンが最高強度の珀晶で拘束し、カトレアも残った天峰銅オリハルコンで絡み付き、さらに全速力で落下したシルティが首を落とす……というのが、ひとまずの作戦だ。


 本物の鎚尾竜アンキロは既に疑似鎚尾竜アンキロに気付いており、歩みを止めて真っ直ぐに視線を向けていた。

 小刻みに動く頭部。疑似鎚尾竜アンキロがオスなのかメスなのか迷っているようにも見える。本来はフェロモンなどで雌雄判別を行なうのだろうが、風向きの関係で届かない。

 これは上手く行くのでは、と思った瞬間、シルティの霊覚器が虹光にくらんだ。


「あっ」


 間抜けな声を上げた時にはもう遅かった。

 全てを消滅させる極太の光線が、疑似鎚尾竜アンキロの中心部をあっけなく貫いた。

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