第185話 衝撃原動



「さて、お互いの戦闘技能やりかたを体感し終わったところで、今後の話をしようか」


 カトレアは伸ばした触手の先を浴槽のふちの疑似重竜グラリアに接続すると、そのまま変形させて四肢竜鎚尾竜アンキロに生まれ変わらせた。

 特徴的な尾端びたん戦棍メイスが左右に振り回される。

 尻尾の動きに釣られてレヴィンの顔が小さく左右に動き、湯舟に周期的な波紋が広がった。


鎚尾竜アンキロ狩りですね」

「うん。二人とも、魔法も知らないよね?」

「はい」


 昨日まで名前すら知らなかったのだから当然だが、シルティは鎚尾竜アンキロがその身に宿す魔法についても完全に無知だ。レヴィンも同様である。


「だよね」


 カトレアが嬉しそうに唇を緩めた。

 六肢動物を語りたくて堪らないといったご様子。こうしていると本当に、はしゃいでいる童女のようにしか見えない。


鎚尾竜アンキロの魔法は『衝撃原動しょうげきげんどう』。簡単に言うと、皮膚に加わった衝撃を生命力に変換する魔法だって言われてる」

「んん、っと。それはつまり、雷竜ブロントの『呑雷どんらい』のような?」

「そうそうっ! よく知ってるね! まさにそんな感じだ!」


 魔法『呑雷』は雷竜ブロント動物と呼ばれる所以ゆえんだ。嚼人グラトンの『完全摂食』や土食鳥つちくいドリの『熱喰ねつばみ』に近い性質のもので、自身に直撃した天雷かみなりを生命力に変換できるのだと考えられている。

 それと同じような魔法というならば、もしかして鎚尾竜アンキロは殴られていれば生きていけるのだろうか。

 蛮族も負傷を友とし痛みを糧とする動物だが、さすがに殴られてお腹が膨れるようにはできていない。シルティとしては実に羨ましい魔法だ。……いや、衝撃自体を生命力に変換するということは、そもそも痛みすら感じないということなのだろうか。


(それはちょっと物足りなさそう……)


 と、シルティは思った。

 訓練にせよ殺し合いにせよ、痛ければ痛いほど何かを乗り越えている感じがして好きなのだ。

 物心ついた頃からそういう傾向はあったのだが、耳に朱璃を注いだり喉に〈玄耀〉形の珀晶を突き刺したりして霊覚器を構築した、あれをやっていなかったら死んでいた、という成功経験を積んでしまったため、今のシルティは以前に輪をかけて痛みをたっとぶようになっている。


「まー、鎚尾竜アンキロ雷竜ブロントほど魔法に頼って生きてるわけじゃないけどね。普通に草とかも食べるよ」

「ふんふん。草食なんですね」

「うん。でも、でっかい身体してるくせに超小食なんだよね。地面を踏んだ時の反動も生命力に変換してるんじゃないかって言われてる」

「もしかして、恒常魔法ですかね?」

「多分ね」


 シルティがにやーっと笑った。


「それ、めちゃくちゃずるくないです?」


 カトレアもにやーっと笑った。


「そりゃもう、めちゃくちゃずるいよ!」


 ずるいずるいと楽しそうに言い合う二人の娘。

 自身に加えられた衝撃を生命力に変換するということはつまり、変換効率によっては物質的な攻撃をほぼ完全に無効化するということだ。しかもそれが無意識に効果を発揮する恒常魔法ならば、寝込みを完璧に襲ったとしても無駄である。率直に言って自然界では無敵に近い。

 レヴィンがァォゥと小さく鳴きながら首を傾げた。

 戦闘経験が狭く浅いレヴィンには、鎚尾竜アンキロの恒常魔法がどうずるいのかイマイチ想像できないらしい。


「んーとね。恒常魔法には不意打ちが効かないんだよ。アルベニセに着く前、私が雷銀熊らいぎんグマにちょっかい出して吹っ飛ばされたことあったでしょ? 覚えてる?」


 ヴォゥ。肯定の唸り声。

 当時のレヴィンはおそらく生後三か月半ほどだったが、しっかり覚えているようだ。


鎚尾竜アンキロは、雷銀熊の角が皮膚になってて、殴ると爆発する代わりに元気になる感じ。私がご飯食べた時ぐらい元気になる。めちゃくちゃずるいでしょ?」


 それで納得したのか、レヴィンは興奮したようにヴァフーッと音を立てて鼻息を吐き出した。湯面が吐息に勢いよく撫でられ、方向性を帯びた細波さざなみが起きる。

 身体がでかくなって肺活量も随分増えてきたなー、とシルティは妹の成長を内心で喜びつつ、腕を伸ばして太い鼻面をくすぐった。


「んン」


 琥珀豹のこんな無邪気な姿を見る日が来るとはと地味に感動していたカトレアが、気を取り直すように咳払いを挟んでから言葉を続ける。


「本当は僕一人で挑戦したかったんだけど、どーにも魔法を突破できそうになくてさ」

「あー。鴛鴦鉞えんおうえつだとちょっと相性悪いかもですね」


 拳鉞けんえつの類はに特化した刃物。殴りながら刺す、あるいは殴りながら斬るという武器だ。裂傷を与えると同時に骨を砕き肉をほぐしてしまうため、得物を綺麗に殺すというのは不得意だが、刃の通らないような堅い相手であっても挫滅ざめつという形で損傷を与えることが可能だった。

 打撲や挫滅は対魔物戦闘において効果的な攻撃手段とは言えないのだが、人類種の中でも特に持久力に優れる岑人フロレスならば大抵の相手を死ぬまで殴り続けることができる。また、刀剣や長柄ながえとは比較にならぬほどコンパクトかつ総身が刃物であるため、練り上げたけいを無理なく乗せられるという利点もあるのだ。

 岑人フロレスの手数、膂力、けい、持久力を漏れなく活かせるのが、拳鉞という得物なのである。


 しかし残念ながら、鎚尾竜アンキロの防御能力は物質的なものではない。

 カトレアがどれだけ鴛鴦鉞えんおうえつを叩き付けても、あるいは練り上げたけいをぶち込んでも、その本質が天峰銅オリハルコンの流動である以上は『衝撃原動』を貫くことはできないだろう。ただ鎚尾竜アンキロの腹を満たすだけ。攻撃とすら見做されないかもしれない。


「でも」


 カトレアが言葉を切り、挑発的な笑みを浮かべた。


「きみなら斬れるだろ?」


 極限に研ぎ澄まされた斬術は、


「んふっ。嬉しいこと言ってくれますねー。ふふふふっ」


 シルティは物を斬る行為がとにかく好きだ。

 毎日、毎日、誠心誠意、なにかを斬って生きてきた。

 めども尽きぬ愛情で、自らの技量をすくすくとはぐくんできた。

 積み上げた実績とそれに伴う狂信が晴れて世界に認められ、ついには形相切断にまで至った。

 彼女が全身全霊でなめらかに斬ったならば、その切断面は鏡面と呼ぶに相応しい平面度を顕示する。条件によっては面同士を軽く合わせるだけで強く吸着し、そのまましばらく放置しておくと完全に結合してしまうほどだ。……まあ、内部でけいが荒れ狂う天峰銅オリハルコンには刀身の側面を弾かれてしまったが。


「もちろんです。斬ります」


 自分ならば魔法『衝撃原動』の反応をり抜け、鎚尾竜アンキロ皮骨板ひこつばんに銀煌の殺意を届けることができる。シルティは自信を持って断言した。


「はっは。良い答えだなぁ。頼りにさせてもらうよ」

「はい!」


 カトレアが満足そうに頷く。


「まー白状すると、シルティが形相切断できるって聞いてたから、鎚尾竜アンキロ狩りに行こうって誘ったんだけどね」


 天峰銅オリハルコンの触手が巨大な蜂をかたどった。


「きみ、鷲蜂わしバチの女王蜂を生け捕りにできるんだろ?」

「んぇ。よ、よく知ってますね?」

槐樹かいじゅ森人エルフさんがしてたからね」

「あ。そういえばそうでした」


 ローザイス王国(港湾都市アルベニセが属する国家)では魔術の研究結果の共有が推奨されており、報告者には少なくない報奨金が支払われる。また、それが『発明』と見做されれば十年間の排他的権利、いわゆる特許が付与され、使用料を受け取ることができた。ただし、個人の技能や技量を前提とするものは基本的に発明とは見做されない。

 もう八か月ほど前になるが、魔術研究者エアルリンはシルティの了承を得て『鷲蜂女王個体の採取法』を発見者シルティの名と共に行政に報告している。

 霊覚器個人のと形技能相切断や技量が無ければ成り立たない手法なので特許の獲得には至らなかったが、これまで不可能に近かった女王個体を無傷で採取できるという点が極めて有用と判断されたため、報奨金は結構な金額となった。


 こういった特許ではない『発見』の情報も行政には蓄積されており、アルベニセではそれなりの手数料を支払えば誰でも参照することができる。勤勉な狩猟者や魔術研究者は定期的にこの情報を閲覧し、自身の知識に加えているのだ。シルティもレヴィンと一緒に何度か利用したことがある。


「さて、ざっくりとだけど作戦を決めておこう。鎚尾竜アンキロが棲んでる場所まで時間かかるし、僕ときみたちの呼吸は道中で合わせればいいよね」

「ですね」

「まずは僕が囮になる。獲物を誘うのは得意なんだ。レヴィンは遠くから魔法で援護を頼むよ。二人で何とかして鎚尾竜アンキロの動きを止めよう」


 ヴォゥン。レヴィンが了承の唸り声を上げた。


「で、とどめはもちろんシルティだ。作戦の大筋おおすじはこれでいい?」

「異論なしです!」

「一撃で仕留められなかったらあとは臨機応変になるけど、僕たちが殴ると回復されちゃうからね。最後は絶対にきみに頼ることになる」

「ふふふっ。美味しいところ貰っちゃうみたいで悪いですね!」


 比喩ではなく、よだれを垂らしそうな表情を浮かべるシルティ。その脳内には竜の血肉を浴びる自分の姿が浮かんでいる。

 重竜グラリアの血液に濡れた尻尾は物凄く美味しかったが、鎚尾竜アンキロの血肉はどうだろうか。実に楽しみだ。


「それと、撤退の決定権は全員が持つこと。誰か一人でもやばいと判断したら遠慮なく言うこと。そして、その判断には文句言わずに無拍子で従うこと。逃げるときは全力で。殿しんがりは僕がやる。わかったかい?」


 撤退戦闘において最も危険なのが最後尾しんがりであることは周知の事実。鎚尾竜アンキロ狩りに誘ったのは自分なのだから当然自分が担うべき役割だ、とカトレアは考えていた。


「んむ……」


 シルティは片目を閉じて唸り声を上げた。

 レヴィンはほんの少し鼻面に皺を寄せた。

 危険な殿を務めること。蛮族の文化ではもちろん誉れである。

 竜に殺されること。今更言うまでもなく、無上の誉れである。

 つまるところ彼女たちにとって、『対竜戦の殿』はお金を払ってでも自分が担いたい役目なのだ。

 しかし、シルティは既にという最高の役割を与えられているし、レヴィンは自分がこの三名の中で最も弱いことを理解している。我が儘は言えない。


「……わかりました」


 五拍ほど経ち、蛮族姉妹は渋々しぶしぶで頷いた。


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