第184話 空想顔料 



 体色や模様まで再現された重竜グラリアが空中をのしのしと歩み出す。重竜グラリアは卵生だというが、もしかしたら産まれた直後はこのくらいの大きさなのかもしれない。

 カトレアが身にまとった天峰銅オリハルコンからは触手が伸び、後頭部の髪留めバレッタを包み込んでいる。おそらく宝石部分の穴から心臓部まで直結させ、生命力を注いでいるのだろう。


「シルティ、塗染ぬりぞめ孔雀クジャクって知ってる?」

「おっ、塗染孔雀! 知ってます! 羽根でなぞって色を変える魔物ですよね!」


 シルティの言葉を聞き、カトレアが意外そうな表情を浮かべた。


「あれ、よく知ってるね。この辺にはいないんだけど」

「友達から聞きました。レヴィンの珀晶に色をつけられるかも、って」


 半月ほど前、超常金属燦紅鈥カランリルの打刀〈ジャラグ〉で珀晶を熱して蒸留水を製造した日のこと。同好の士シグリドゥルが珀晶に着色する手段の候補として挙げたのがこの魔物の名だった。

 レヴィンも聞き覚えがあったのだろう。浴槽のふちに乗せていた顎を持ち上げ、疑似重竜グラリアをじっと見つめ始める。耳介は真っ直ぐに視線の方向へ向けられ、湯雫ゆしずくの付いた洞毛ヒゲが全開に広げられており、瞳孔も少し拡大していた。

 興味津々である。


「なるほど。えーと……塗染孔雀は、こういう鳥、なんだけどさ」


 カトレアが触手を伸ばし、重竜グラリアの隣に鳥の模型を作り出した。重竜グラリア同様に魔術によって着色されているが……モチーフを実際に見たことのないシルティでもわかるほどに、ざつだ。多分、細かい部分がうろ覚えなのだろう。対象への愛が完成度に直結している。

 まぁ、概形はわかるので問題ないか。

 しかし、それにしても。


(んん〜?)


 シルティは怪訝な表情を浮かべた。

 ノスブラ大陸にも『孔雀』と名のつく鳥類は生息している。シルティの知る限り、孔雀のたぐいはどれも総じて美しい鳥だった。身体を覆う羽毛に艶やかな光沢があり、色合いも鮮明な青や翠、種によっては赤や紫も混じる。大抵はオスの方が色鮮やかだが、メスも充分に綺麗だ。頭頂部にはぴんと伸びた冠羽かんうを持つことが多い。

 また特徴的な形態として、繁殖期が近付くとオスの上尾筒じょうびとうが生え替わり、きらびやかな『飾り羽』を形成するという点が挙げられる。

 頭胴長の二倍以上に伸長した飾り羽を扇状に広げ、メスに見せびらかしながら求愛するのだ。ぱっちりとした眼状紋が放射状に並ぶその姿は優美というほかない。


 一方でカトレアが作ったこの塗染孔雀、どうにも地味である。

 鮮明とはいえない青紫色の頭部に、くすんださびいろの頸部。胴体部は焦げたような黒褐色の地に灰色の斑点模様で、両翼は土気色。光沢もない。

 率直に言って、シルティの知る孔雀類とはかけ離れた姿だ。


「こんな孔雀、初めて見ました」

「言いたいことはわかる。地味だよね。でも、繁殖期になるとオスはちゃんと飾り羽を作るよ。他の孔雀と違って、よくある目みたいな模様はないけど」


 そう言いつつ、カトレアは疑似孔雀の上尾筒を伸ばし、扇状に広げた。色は腐ったわらのようで、人類種の観点で言えばやはり美しいとは言えない。


「この鳥たちの魔法は『空想くうそう顔料がんりょう』って呼ばれててね。羽根で触れたものの色を自由に変えることができるんだ。もちろん、自分の身体もね。繁殖期になるとそりゃーもう綺麗でさ。ちなみに、派手なオスの方がモテるみたい」

「なるほどぉ」


 確かにそれならば画布キャンバスとなる身体の色彩は関係なさそうだ。魔法の巧みさが異性へのアピールになるというならば、むしろ元々はより地味な方がえていいのかもしれない。


「この鳥、繁殖期以外もずっと魔法の練習してるんだよね。現地では勤勉さの象徴だったよ」


 僕も見習わなきゃね、とカトレアは笑った。

 先生マルリルと気が合いそうな鳥だな、とシルティは思った。


「塗染孔雀の魔法は――」


 カトレアが魔法『空想顔料』の説明を続ける。

 条件は風切羽根や尾羽の羽弁うべんで触れること。対象は液体や気体でも問題なく、変えられる色は事実上無限。対象側からすると色の変化以外の影響はなし。完全に無害だ。一度彩色すると故意に解除しない限りは二日から二日半ほど色が残り、これは塗染孔雀が死亡したとしても変わらないという。


「もうわかってると思うけど、このバレッタは孔雀から作った魔道具でね」


 塗染孔雀は地味な色合いの魔物だが、宝石部に内包された羽根は随分とカラフルなので、採取した素材になんらかの処理を施しているのだろう。バレッタは装身具アクセサリーとしての役割もあるため、魔術的に意味はなくとも見た目が悪いから綺麗に染めた、という線も充分にあり得る。


「接触させたものの色を結構思い通りに変えられるんだ」


 触手の先の塗染孔雀が首を前後に振りつつ両翼を動かし、奇妙なダンスを踊り始めた。竜種の動きに比べるとややぎこちない。すると、徐々に飾り羽や体表が青や翠に色付いていった。レヴィンは真剣極まる表情でそれを見ている。

 後頭部のバレッタに触れさせて色を変えた天峰銅オリハルコンけいの要領で隠しながら運搬し、触手の先で露出させているのだろう。芸が細かい。


「おおー」

「だから、こういうこともできるわけ」


 続いてカトレアが小さな手のひらを広げ、シルティに見せつけた。入浴によって赤みを増した肌に、全く同じ色を呈する天峰銅オリハルコンの雫が乗っている。

 人工的な保護色による迷彩、なるほど見難みにくい。


「なるほどぉ」


 つまりカトレアは、模擬戦の最中さいちゅう、随所随所で身に纏った天峰銅オリハルコンを背景に溶け込むよう彩色していたということだろう。もちろん、八匹の疑似竜を個別に操作して連携させつつ、である。本当に脳が複数あると言われても信じてしまいそうだ。


すっごいなー。色まで変えられるとか、ますますタコっぽい……)


 シルティは蛸を海における優れた捕食者だと認識しているので、これは含むところのない純粋な称賛である。しかし、岑人フロレスは自分たちを烏賊イカタコに喩えられることをあまり好まないらしい。内心で思うだけにしておく。


(っていうか、これなら霊覚器で見破れたな……)


 背景と同色に変わった天峰銅オリハルコン。物質眼球では確かに見辛みづらいが、生命力が介在しているので霊覚器ならば一目瞭然だ。にも拘らず、シルティは今日何度もカトレアの不意打ちを食らっている。

 二戦目の開始時に土砂による目潰しを受けた瞬間、シルティは感覚の比重を意図的に物質眼球から精霊の目へと偏らせた。その後間もなく煙幕が晴れたことで、また物質眼球へと切り替えた。遠近感に乏しい霊覚器に頼っていては疑似竜たちの猛攻をさばくことはできなかった。とても忙しくて楽しかった。そして二戦目の開始時以外で物質視界を潰されることはなかった。

 この一連の流れがシルティの霊覚器への意識を無自覚にぎ、カトレアの不意打ちを助けていたのだ。これを狙って初手に目潰しを選んだのだろうか。本当に見事な組み立てと言うほかない。


「まあでも、原魔法オリジナルに比べるといろいろ劣化してるんだけどね」


 カトレアはそう言いながら塗染孔雀の形をぐにゃりと崩し、その分の体積を重竜グラリアに足した。一回り以上大きくなったそれを湯舟の縁に重竜グラリアをそっと着地させ、さらに分離する。

 するとその途端、見事に着色されていた疑似竜は天峰銅オリハルコン本来の色に戻ってしまった。


「お?」

「切り離すと色が戻っちゃうんだよ。これが無ければほんと文句なしなんだけど……」


 心底残念そうに溜め息を吐くカトレア。

 本来の魔物が使う魔法に比べ、魔道具が再現する魔術は様々な点で劣っていることが多い。例えば鬣鱗猪りょうりんイノシシの魔法『操鱗そうりん聞香もんこう』は飛鱗に遠隔の嗅覚が宿っているが、シルティが操る魔術ではにおいを感じ取ることができない、というようにだ。

 カトレアの魔道具バレッタは持続性の再現度が大きく犠牲になっており、変色させた箇所と直接的に生命力導通が成立していなければすぐに解けてしまうらしい。遠隔強化との併用ができないため、泣く泣く疑似竜群を赤橙色のまま運用しているのだとか。また、固体と液体には着色できるが、気体への着色は不可だという。


「いつかどうにかしたいと思ってる……」


 独立した赤橙色の重竜グラリアは四肢を屈曲させて頸部を伸ばし、湯舟にふんの先端を沈め、舌を水中に出し入れして周期的な波紋を生み出していた。もちろん実際に水を飲んでいるわけではないが、本当に感嘆すべきだ。確かに、これで色があれば、と思わずにはいられない。

 見つめるレヴィンの瞳孔が細かく収縮と拡大を繰り返している。理性の上では食べられないとわかっていても、手頃な大きさの動物が無防備な姿を晒していると捕食者の本能がくすぐられてしまうらしい。

 初めての魔法の契機が守宮ヤモリだったこともあってか、レヴィンはこういった蜥蜴形の生物が妙になのである。


「そのバレッタと同じようなやつを竜たちの中に一個ずつ埋め込んだらいけるんじゃないですか?」

「それ僕も考えたけど、死ぬほどお金かかるんだよね! 一個でもめちゃくちゃ高かったのに!」

「あー……」

「まあ他に手がなかったら買うんだけどさ!」


 苦笑しつつ疑似重竜グラリアを観察していたシルティが、ふとあることに気付いた。

 ちらりとカトレアに視線を向け、再び重竜グラリアに視線を戻す。


「そういえば私、霊覚器を構築してから初めて遠隔強化をんですけど」

「ん? うん」


 もちろん、自分自身が操る飛鱗などは見ているが、残念ながらあれは魔術ありきの紛い物。一方、対象が竜の形に限られてはいるものの、カトレアのこれは正真正銘の遠隔強化だ。

 この二つを精霊の目で見比べてみると、その見え方に明確な違いがあった。


「ガチの遠隔強化って、がないんですね」

「んん? 経路?」


 飛鱗に遠隔強化を乗せている間、シルティと飛鱗は生命力の経路で繋がっている。しかし、カトレアと疑似竜の間には虹色の経路が見えなかった。

 初めて知ったが、どうやら正真正銘の遠隔強化は生命力が本人から供給され続けるわけではなく、生命力が綺麗に分離されるものらしい。


「私の鎧、魔道具なんですが」

「知ってるよ。鬣鱗猪の『操鱗聞香』だろ?」

「はい」


 カトレアはシルティのファンなので、その装備品の情報も可能な限り集めていた。


「一応、『操鱗聞香』で遠隔強化っぽいことができるようになったんですけど、これ私と飛鱗の間に生命力のひもみたいのが見えるんですよ。でも、この重竜グラリアとカトレアの間には見えません」

「へー……紐、ねぇ」


 この経路は遠隔強化の有無に拘らず見えるので、ひとえに魔術『操鱗聞香』に由来するものだ。そしてシルティは、遠隔強化とはこのような経路を介して成立するものだと思っていた。そのため、今までは遠隔強化の訓練として『飛鱗に遠隔強化を乗せた状態で魔術の出力を弱めていき、徐々に細くなっていく経路をなんとか維持しようと頑張る』という試行錯誤に日々はげんでいたのだ。

 しかし、正真正銘の遠隔強化に経路が存在しないのであれば、この訓練は全くの的外れだったかもしれない。


「私もそのうち魔術なしで遠隔強化できたらなーって思ってるんです。なにかコツとかないですか?」

「うーん。……僕は、竜の形の天峰銅オリハルコンを操るっていうより、自分の肉から竜を産み出すって感じでやってるかな」

「産み出す……」


 呟きつつ、シルティが視線を下方へ落とした。

 肩まで浸かった湯の中で浮力を獲得し、ほんのりと持ち上がる乳房。普段にも増して存在を主張するそれのせいでシルティ自身には見えないが、そのやまこうには程よく引き締まった白い腹部がある。

 両手を使ってへその周辺を撫で回し、皮膚越しに腹直筋ふくちょくきんの構造を改めて確認。

 魔物、特に嚼人グラトンにとって、消化器はらわたが破れたぐらいは軽傷のカテゴリだ。


「しばらくお腹の中に刺し込んでたナイフを腹筋で押し出したらいけますかね」

「さすがにそれはやめた方がいいと思うな、僕は」


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