第182話 拘り
引き延ばされた視界の中、四肢を羽ばたかせて急速に上昇していく
(ひぇー。喫茶店でも見せて貰ったけど、
三種の疑似竜の内、シルティが出会ったことがあるのは
特に
中身を空洞にして限界まで軽量化をしつつ、
(カトレアさん、頭ん中どうなってんのかなー。ふふ。開けたら脳が八つぐらいあったりして)
外見を精密に模しつつ内部は空洞化し、生物的形態に
三種、八匹分、個別かつ同時にだ。
一体どんな脳をしていればそんなことが可能なのだろうか。
シルティの感覚では、控えめに言っても完全に狂人である。
しかしこの戦法、合理的に考えれば随分と無駄が多い。
偏執的なまでの生物感は、不定形という強みを持つ
なぜ、そんな制限を設けているのか。
シルティにはわかる。
理由は
あくまで生物としての竜の動きを模すことに徹しているのだろう。ただ純粋に、竜を愛するがゆえに。
合理性よりも自らの
(さて、いくか)
約束通り、初手は譲った。次はこちらから。
短く息を吸い、止める。
地面を全力で踏み砕き、真っ直ぐに加速。
足場の強化を考慮しなければほとんど全力のキレだ。しかし、
魔術『
瞬き一つの間に速度を零にしたシルティの
予定通り。
カトレアの拘りを勝手に信頼し、疑似竜は変形しないという前提のもとに踏み込んだ、紙一重以下の見切りである。
おかげで最高の間合い。体勢も完璧だ。
両腕を畳み、伸び切った
自身の進路に対しほとんど平行に寝かせた刀身の狙いは、刃渡りを漏れなく一点に
研ぎ澄まされた
あとは手の内で
その瞬間、鼓膜を突き破るような
「ぎッぃ!」
本能的に食いしばった歯の隙間から
(
常人ならば骨折必至の衝撃。あらゆる関節が脱臼しかけた腕ももちろん痛いが、もっと痛いのは
(めちゃくちゃ斬りづらいなッ!)
腕のいい
シルティの唇がますます嬉しそうに弧を描いた。
斬り難いものほど斬ってみせたくなるのがシルティという娘である。
心拍数が限度を超えて上昇し、生産された生命力が全身を燃焼させ、世界を侵食していく。
確かに竜は世界で最も強い。
だが、シルティの愛する〈
カトレアの技を下に見るわけではないが、これを斬れなかったらあの
はッ、ひゅっ。肺腑の中身を素早く入れ替え、喉を絞り、地面を蹴った。
振り回される
「ふッ!」
鋭い呼気と共に閃いた銀煌の唐竹割が赤橙色の竜鱗に衝突、甲高い澄んだ金属音を置き去りにし、顎下から刃が飛び出した。
よし。いける。
獲物と刃の
縦に
そう言えば、
前は生食だったから、次の機会では茹でてみたい。
不意に想起された美食の思い出に食欲を
実に気持ちのいい手応え。先ほどは三度も躱されてしまったが、既に四肢一尾に備わった翼の動かし方を見せて貰った。四度目を許すほど、シルティは生温い戦士ではない。
これで
もちろん、
だが、カトレアならばまず負傷箇所を治すだろう。これほどまでに拘りを持って生物としての竜を模倣するならば、致命傷を負った見た目で元気に動くことなど許容するはずもない。
見た目としての致命傷を与えれば、少なくともその負傷が修正されるまで無力化できる。そこに猶予が生まれる。シルティはカトレアを信頼した。
そして、蛮族の娘が到達した斬術の極致は、その猶予をいくらか延長できる。
本物の
段階的に積み上がる狂信と確信を世界に容認させたことにより、シルティの振るう
生命力の導通により思考通りの変形を行なうというのは
固体化した
物性是正が切れるまで二拍。そこから負傷箇所を修正するのに一拍。殺した疑似竜が復活するまで、足して三拍。
群れの欠員による包囲の
両足を前後に開脚し、上体は前へ倒す、地面に胸が付きそうなほどの極端な低姿勢。大地を熱烈に踏み締めて莫大な反作用を獲得し、小さく折り畳んだ両腕に注ぎ込むと共に跳躍。肩を中心とする前方宙返りにより脚力と体重を打突力へと変換し、
肩甲骨ごと肺腑と心臓を両断している位置、間違いなく致命傷だ。三匹目。
両足で
空中に躍り出た
(容赦ないなッ)
操作しているのが一人なのだから当然と言えば当然なのだが、馬鹿げた精度の連携だ。
さて、回避か、迎撃か。
ここは迎撃だ。
一閃。
真横に払う
魔術『
この瞬間に実現できる最強の踏ん張りを生み出しつつ、右手を
「ふんくッ」
固く食い縛った歯の隙間から気塊が漏れ、皮膚の薄い額や首筋に血管が浮き上がった。全力という言葉を絵に描いたような表情だ。増加させた踏ん張りを骨格に沿わせて丁寧に流し、全身の筋力と練り合わせて体幹筋に蓄積、そして。
「あァッ!!」
雄々しさ溢れる
小柄な肢体には不似合いな剛剣が空中の
「はぁはッ!」
会心の笑声。
かつて真の
短時間とはいえ八匹中五匹を無力化した。今が勝機。カトレアを仕留める。四対一ならば自分の方が速い。
跳ね上がった身体に逆らわず、空中で小さく転身しながら両腕を脱力、刀身から粘性と摩擦を逃がし、
視界の端に、カトレアがぬるりと滑り込んできた。
(んえっ!?)
馬鹿な。なんだそれは。どこから出て来た。油断をしたつもりはない。
先ほどから思っていたが、この少女、気配を殺して不意を衝くのが巧すぎる。視界に映らない瞬間があると言われても信じてしまいそうだ。
その身に備える全ての瞬発力を総動員、死ぬ気の『
もう、間に合わない。
カトレアの触手がシルティの腹部に添えられた。
全身が総毛立つ。
咄嗟に腹筋を締める。
直後、それを嘲笑うかのような衝撃が貫いた。
「おぶぇッ!」
シルティの身体が
内臓が丹念に揉み崩された
カトレアが少し力を込めれば、シルティの頭部はぐしゃりと噛み砕かれるだろう。
「ガッふ、ふぐッ、はぁッ、げ、ふッ……ふ、ふふふっ……んふふふふっ……」
シルティは咳き込みながら、
身動きは取れず、急所は掌握され。この状況、誰がどう見ても完全な敗北である。
「参り、ま、ゲッホげほ……。参り、ました」
「よーしよし。なんとか一勝一敗に持ち込めたなっ」
カトレアは満足げに頷き、
疑似
「……っはあぁ……」
ぶるぶると震えながら寝返りをうち、仰向けで幸せそうに笑うシルティ。その視界に二匹の
シルティは妙にのどかな青空を眺めながら呼吸を整え、鼻腔を逆流する自らの血を飲んで生命力を補給し、折れた鼻の再生を促進する。
カトレアはどこかそわそわとした様子でシルティの傍に寄り、空中にしゃがむという奇妙な体勢を取った。
「で、どうだったかな? 僕の
「いやっ……めっちゃくちゃ、凄かったですね!!」
シルティは大輪の花が咲いたような満面の笑みを浮かべ、尊敬という概念を絵に描いたようなキラキラとした視線をカトレアに向ける。
独立的に動く大質量の八匹が驚異的な連携を見せるだけでも充分な暴力だというのに、やたらと不意打ちが巧い指揮官が随所随所で殺しにくるのだ。必殺を
「ひへっ」
「……まあ、ちょっと
「はいっ!
「はっはっは。あれはまぁ、ぶっちゃけまぐれだったけどね。山を張ったら当たったというか」
頭上を旋回していた二匹の疑似
まさか竜に対してこんな事を思う日が来るとは思わなかったが、普通に可愛らしい。
「ちなみに、やっぱり竜限定なんですか?」
「うん。というか僕、竜以外は遠隔も無理なんだよね」
「え、そうな、あー、なるほどー……」
刃物への愛に
「……にしても」
心底感服した表情を浮かべながら、シルティはある一角に視線を向けた。
頭部を割られた
「死骸まで再現するとは、本当にこだわってますねぇ」
この
竜といえど死んだらそれまで、ということなのだろう。シルティの信頼を上回る
「竜は死骸でもかっこいいからね!!」
カトレアはこの上なく自慢げな表情で胸を張った。
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