第181話 疑似竜群



 見覚えのある疾走を披露している重竜グラリア。二匹。

 前方から滑るように接近して来る鎌爪竜ティリジノ。二匹。

 四肢を羽ばたかせ空中を泳ぎ回る四翼竜カンギュラ。四匹。

 竜を模す八つの天峰銅オリハルコンの塊は、カトレアから完全に分離された状態でありながら力強く躍動していた。


 例えば嚼人グラトンなどが訓練の末に遠隔強化に至り、ナイフや矢などに生命力を導通させたとしても、手元から離れたそれらを操作するようなことは不可能だ。しかし天峰銅オリハルコンの場合はその物性により、なんら手を加えることなく遠隔で変形および流動させることができる。天峰銅オリハルコンへの生命力導通が可能なのはほぼ岑人フロレスに限られるので、これもまた彼らの特質と言っていいだろう。


岑人フロレスの遠隔強化、見るのは初めてじゃないけど……わざわざ竜を象るとはなー)


 シルティは寝かせた〈永雪〉のみねを右上腕に乗せる変形八相の構えに移行しつつ、地空に展開した疑似竜たちを広く眺めた。

 見たところ最も足が速いのは重竜グラリア鎌爪竜ティリジノ重竜グラリアに比べるとやや鈍重。肉体の組成は同じ天峰銅オリハルコンだが、生み出せる速力には差があるらしい。二足と四足の違いだろうか。

 四翼竜カンギュラたちは頭上でぐんぐんと高度を稼いでおり、今のところ降下する様子はない。このままいけば切り込み隊長は重竜グラリアになるだろう。


 移動によってから逃れるのは対多数戦闘の基本中の基本だ。相手の速度に明確な差がある場合、一度大きく後退するというのは常套手段である。短時間だが遅い鎌爪竜ティリジノたちを連携から追い出せるかもしれない。


 しかし、せっかくの機会なのだ。

 どうせなら一気に襲って貰おう。

 シルティは意図的に理性を手放し、自らの趣味嗜好に身を委ねることにした。


 一拍待ち、いざ接敵。

 ここまで近付けば煙幕の中でも視認できる。赤橙色の疑似竜たち。体表の鱗すら細かく再現されており、ざらざらした見た目で、色以外は全く違和感がない。執念すら感じるこだわりっぷりである。知識のない者がこれを見せられ、こういう色合いの竜ですと言われたならば、きっと一も二もなく信じてしまうことだろう。

 カトレアさんはレヴィンと気が合いそうだなぁ、とシルティは少し和んだ。


 二匹の疑似重竜グラリアの初手は僅かにタイミングをずらした連続的噛み付き。狙いは左足、続いて腹部だ。

 相手は変幻自在の天峰銅オリハルコン。不意に変形して間合いが変わることを念頭に置き、余裕を持って拳二つ分で躱す。

 初撃を躱された重竜グラリアたちが更なる噛み付きを繰り出すと同時、鎌爪竜ティリジノたちが追い付いた。彼らの武器は前肢から伸びる三本の長大な鉤爪。本物の鉤爪は打刀うちがたなほどの長さがあるらしい。刃物と呼ぶに相応しい鋭さを持つ上、鎌爪竜ティリジノたちの魔法『遠斬とおぎり』の起点でもあると聞く。

 だがしかし、どれほど精巧に作られていても天峰銅オリハルコンの塊が竜の魔法を宿すはずもない。

 鎌爪竜ティリジノにせよ重竜グラリアにせよ四翼竜カンギュラにせよ、疑似竜たちの攻撃は物質的な手段に限られる。つまり、けいは警戒しなければならない。


(……


 なんとなく。言語化できない曖昧な予感が見事に的中した。左右に散開する重竜グラリア鎌爪竜ティリジノに正面を譲るつもりか。純粋な攻撃力という意味では鎌爪竜ティリジノの鉤爪が最大。俊敏な重竜グラリアはサポート役を担うらしい。

 重竜グラリアたちはそのままシルティを迂回し、包囲しにかかった……と、行きがけの駄賃とばかりに尾の横薙ぎ。

 魔術『操鱗そうりん聞香もんこう』により滞空時間を延ばした低空の腹転跳びベリーロールでやり過ごす。


(やっぱり、だ)


 実物を殺したシルティだからこそわかる。この疑似重竜グラリア、あらゆる動きが本当に物凄く写実的リアルだ。あるはずもないのに、皮膚の内側に筋肉や骨格の存在を想像してしまうほど。

 ゆえに、なんとなくだが、動きが読めてしまう。もちろん、それを陽動フェイントに使われることも警戒しなければならないが……今のところ、とても素直だった。


 シルティは更に前へ。敢えて鎌爪竜ティリジノに挟まれる位置に突入する。

 容赦なく振るわれる斬撃。珍味のような暴力に血眼ちまなこを輝かせながら、低く鋭角な動きでことごとく躱す。

 随所に挟まれる重竜グラリアの尾や噛み付きも刺激的で心地良い。

 自慢の広い視野で全てを把握し、丁寧にさばき、捌き、捌き続ける。


「くふっ」


 超楽しい。

 幸せなじゃれ合いを楽しんでいると、徐々に土煙が晴れてきた。視界が拡がったことでシルティの動きはなおのこと冴え渡る。

 すると、ようやく上空の四翼竜カンギュラたちに動きがあった。四方に散り、それぞれが曲率の異なる弧を描いてシルティへと殺到。重力を味方につけた急降下だ。宵闇よいやみワシを彷彿とさせる素晴らしい速度である。

 さらにカトレアが動いた。身体を支えていた触手がぐにゃりと崩れると同時に、カトレア本人も小ぢんまりとした体勢に移行する。赤橙色の敷布団しきぶとんの上にしゃがみ込んだような外観となり、なんとそのまま突進を開始した。一見すると蝸牛カタツムリのような奇妙な移動方式。ただし速度は五百倍くらいある。

 二足歩行、四足歩行、飛行、そして這行しゃこう

 四者四様、選り取り見取りの捕食者たちが襲ってくる。


「くひッ」


 超嬉しい。

 二匹の重竜グラリアから隠れるように動き、向かって右側の鎌爪竜ティリジノの懐へ潜り込む。それをのか、鎌爪竜ティリジノ噛み付きを繰り出した。

 小刻みな足運びで一瞬の後退を刻み、直後に前後に開脚。急激な沈身で鎌爪竜ティリジノの顎下をくぐり抜け、前へ。

 体勢が崩れた獲物を頭上死角から狙う四翼竜カンギュラ。だが、シルティは動物的な勘で首を傾げ、身体を折り畳み、赤橙色の嘴と翼角よくかくの鉤爪を躱した。

 回避の流れで身体を小さく丸め、数度の横転。慣性を掬い上げて跳ね起き、後跳し――シルティの視界に突如カトレアが映った。


(おあっ)


 初速度から想定したよりずっと近い。僅かに目を離した隙に急加速したのか。

 太く長い触手うでが小さく振りかぶられる。先端には鴛鴦鉞えんおうえつが握られていた。

 殴って来るつもりだ。あのぶっとい天峰銅オリハルコンで。

 防御できずに受ければ死ぬ。防御してもぶっ飛ばされれば必死に陥る。

 ならば、まともに受け止めるしかない。


 魔術『操鱗そうりん聞香もんこう』を発動、十二枚の飛鱗を全力で鉛直に押し付ける。飛鱗を切り離さぬ魔術の行使はシルティの滞空時間を短縮し、さらに体重以上のを生成した。

 肘を畳み、〈永雪〉を正中線に構え、瞬間的に息を吸う。

 全生物が恐れるべき岑人フロレスの殴打を、小柄な嚼人グラトンの少女は真正面から受けた。

 巨大な鉄床かなどこに巨大な大鎚を叩き付けたような、あまりに重々しい金属音がとどろく。


「ゴボぇッ」


 腕越しに肺腑が潰され、盛大に漏れ出した息が気泡の混じったような音を鳴らした。

 両足が地面を抉り、平行なわだちを刻み込み、ようやく止まる。

 いやはや、なんという馬鹿力か。魔術という超常ずるを用いてもなおギリギリだ。

 だが、受け止めた。受け止めてやった。唾液混じりの血で濡れたシルティの唇が満足げに弧を描く。

 対するカトレアの目は驚愕に見開かれ、硬直していた。それだけ自信のある一撃だったのだろう。


 本来は膂力の差で成立し難い武器の交差を無理やりに実現した。そして、相手は茫然としている。

 この上ない好機。

 シルティは左手を柄頭つかがしらから離し、脱力と共に踏み込んだ。鴛鴦鉞に生じたこぼれをとして刃の交点が切先へと流れ、シルティはカトレアの懐へと潜り込む。空いた左手は右腰の〈銀露ぎんろ〉へ。前進の慣性を乗せて引き抜き、天峰銅オリハルコンに覆われたカトレアの脇腹へと一閃。


 だが、硬い感触と共に、再びの金属音。

 天峰銅オリハルコンは斬り裂いたが、ちょうどそこに埋め込まれていた鴛鴦鉞えんおうえつに当たってしまったらしい。埋め込んでおけば暗器としてだけでなく装甲としても使えるのが大型拳鉞けんえつ類の利点だ。

 こればっかりは仕方がない。奇襲の失敗を認識したシルティは即座に後退しつつ、左手をさらに一閃した。

 左逆袈裟に掻き斬る動きで鴛鴦鉞を弾き上げ、不完全な相互束縛バインドを強制解除。自由になった〈永雪〉で間髪入れぬ右袈裟を放つ。


 三度みたび、耳をつんざく金属音。

 天峰銅オリハルコンの触手で保持された二つの鴛鴦鉞が重なり合い、〈永雪〉の刀身を挟み込むように受け止めていた。さすがにカトレアも冷静さを取り戻したか。不意打ちは失敗だ。

 単純な膂力で敵うはずもなし。この状況では得物の交差を介する手癖の悪さでも及ばない。シルティは身体ごと退がり、刀身を鴛鴦鉞の月牙げつがから引き抜こうとした。

 だが、これは見え見えすぎたようだ。シルティが退いた分だけカトレアが踏み込み、得物の拘束を維持。さらに別の触手を振るった。鞭のように弧を描き、シルティの背中を狙う触手うで。その先端には鴛鴦鉞が握られている。


 シルティは頭を振り視線を背後に飛ばした。瞬時に触手の軌跡を予測。魔術『操鱗そうりん聞香もんこう』を発動し、肩甲骨付近に配置された二枚を射出する。一枚を盾として刺突を受け止め、さらに鴛鴦鉞の側面を叩いて強烈に弾き飛ばす。

 並行して、シルティはカトレアに前蹴りを放っていた。貫くような蹴撃が天峰銅オリハルコンに包まれたカトレアの腹部を捉え、突き飛ばす。


「ぐギッ」


 瞬間、シルティは地震や火山噴火にも似た雄大な衝撃を体内に感じた。

 同時に、右足全体に悍ましいほどの激痛が生じる。

 さもありなん。けいを内包した天峰銅オリハルコンを蹴り飛ばせばこうなって当然だ。半長靴はんちょうかの内側では皮膚が粉々にひびれているかもしれない。

 だが、そのおかげでシルティは後方へ吹き飛べる。拘束された〈永雪〉を身体ごと引き抜いて救出しつつ、飛鱗を使って生み出した安全圏に転がり込んだ。


 呼吸を入れる暇などない。襲い掛かるは空の四肢竜。彼我の間合いはわずか一歩。狙いは首か。忙しい。

 咄嗟に逆水平右薙ぎを繰り出し、そして、無様に空振からぶった。


(んっ)


 刃を切り返し、低空の左袈裟。空振からぶった。


(なん)


 身体を反転、振り向きざまの左逆袈裟。

 これもまた、空振からぶった。


「はっ?」


 茫然とするシルティの左頬から、勢いよく鮮血が噴き出す。

 四翼一尾の羽ばたきが生み出す鋭角な方向転換。確かに四翼竜カンギュラの空中俊敏性能は他の追随を許さないと聞くが……カトレアが生み出したあれは、あくまで単なる天峰銅オリハルコンの塊、のはず。

 それが、シルティの斬撃を三度も躱し、しかも、擦れ違いざまに翼角の鉤爪でシルティの頬をざっくりと斬り裂いていった。

 まるで飛鱗を足場にして空中を跳び回るどこぞの蛮族のようだ。


(……いや、凄すぎでは?)


 引き延ばされた視界の中、四肢を羽ばたかせて急速に上昇していく四翼竜カンギュラの後ろ姿を見送りつつ、シルティは心底感心してしまった。


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