第180話 八つの虹影
重力に逆らう雪崩のように舞い上がる大量の土砂で、シルティの視界が漏れなく黒褐色に塗り潰される。
ただ地面を力任せに叩いただけではあり得ない現象だ。威力の
その
シルティはノスブラ大陸を遍歴する間にも何度か体験させて貰ったのでその凶悪さを身を以て知っている。十三歳の頃に襲ってきた〈
あれと同じような威力を地中で解放すれば、当然こうなる。
視覚を殺す膨大な土砂、その一粒一粒を視認しつつ、シルティは会心の笑みを浮かべた。
全て、
かつてのシルティであればこの手を読み切ることはできなかった。僅かなりとも驚愕を覚え、
だが、今のシルティはれっきとした水霊術士。非生物的障害物を透過する精霊の目が、カトレアの足元に染み込んでいく虹色の液体を克明に捉えていた。
液体という
しかし、仕込みの段階を目視できれば、その狙いを看破することは容易い。
こちらが遅れを排せばあちらの遅れになるのは道理。
目潰しを読んだ時点で対応は決めた。
煙幕を突っ切って右袈裟でぶった斬る。カトレアが次手を打つ前に殺す。
瞼を閉じ、左膝を抜く。
瞬間的に生み出した脚力を地面へ
僅かな強化を成し遂げた足場を粉砕し、爆発的な加速度を獲得。
右足を滑らせるように前へ。
直後、シルティの胸部と顔面を凄まじい衝撃が襲った。
「ぐヴぇッ」
強引に潰された肺腑が空気を漏らし、引き伸ばされた
シルティの霊覚器に攻撃の予兆は映らなかった。完全に意識の外からの不意打ちだ。だが事実として、悍ましいほど重い液体が顔面の肌を濡らさずに撫でていく。
自身の速度も相まってまるで鉛の塊を投げ付けられたような威力。
しかし、力強く踏み込んだ両足には前進の慣性がそのまま残っている。
後方へ弾き飛ばされた上半身、前へ進もうとする下半身、平行かつ対向する膨大な
閉じた視界の中でも平衡感覚や体性感覚は生きている。後頭部が地面に衝突するまで、残り一歩の距離。
胴を捻って地面に左の手のひらを添え、転倒の勢いを肘の屈曲で吸収。間髪入れずバネのように身体を跳ね上げ、低く宙に浮く。広げた両脚で角速度を減衰させると同時に魔術『
流れるような受け身を
着地すると同時に、瞬間的な自己診断。
鼻腔から灼熱を帯びた血が噴き出している。鼻骨を骨折したようだ。シルティには全く問題にはならない。六、七歳の頃は鼻血を出さない日の方が珍しかったのだ。今更、鼻腔を逆流する血液に呼吸を妨げられることなどないし、痛みは蛮族の燃料である。
煙幕対策として瞼を閉じていたので眼球は無事。意識も明瞭で、霊覚器も冴え渡っている。
戦闘継続に問題なし。まだまだいける。
(読まれてたなぁ)
精霊の目を持つシルティは、カトレアの
しかしカトレアはカトレアで、シルティの
一連の流れから察するに、どうやらシルティが霊覚器を構築していることは知られていたらしい。そうでなければ、わざわざ生命力を導通させない
紅で化粧された唇が弧を描く。
つまりカトレアは、シルティを殺すためにしっかりと情報収集を行ない、一度切りのハメ手を考えてくれたということだ。
こんなおもてなしをされて興奮しない蛮族はいない。
「ひひっ」
蛮族の眼球は興奮すると涙の分泌が止まる。訓練により眼球反射のいくつかを喪失させるからだ。これは多くの場合で利点となるのだが、土煙が舞うような環境では不利益を
そういった場合、蛮族たちは血液で目を洗うことが多い。
今回はカトレアが鼻骨を折ってくれたので、手間が少なくて済む。
シルティは柔らかくなった鼻を左手で摘まんだ。
「んッ!!」
息を止めながら圧をかける。
目頭と鼻腔を繋ぐ
鼻腔に残る血液をはしたなく啜り上げ、ごくりと
両目をかっ
赤く染まった視界に変化はない。地面が爆発してからまだ拍動一つほどの時間しか経っていない。これが晴れるにはもうしばらくかかるだろう。
霊的視界にも変化はない。戦闘開始以降、カトレアの立ち位置は変わっていない。この煙幕の中ではカトレア自身も視界を殺されるのだろう……と、その瞬間。
後方への退避を開始した着膨れした虹色の影が、突如として
(ぅおっ)
予想外の出来事に直面し、シルティの主観がさらに引き延ばされる。
ほとんど静止した世界に映る九つの虹影。視界の中央に残る最も大きな影がカトレア本人だ。分離した八つのうち、四つが空中にあり、四つが地面にある。どれも大きさはカトレアの
全ての影が、明らかに生物の姿を模している。
二つは四足歩行をする生物型。胴体は上下に扁平な円筒形、尾は全長の四割ほど。頭部は小さく、全体的に流線形。蜥蜴のような形だが、腹を引き摺っておらず、動きは速そうだ。
もう二つの影は二足歩行をしている。鋭い円錐状の尾が後方へ伸びており、長細い頸部と小さな頭部。前肢は小ぢんまりとしたものだが、湾曲した鉤爪が目立っていた。
そして、視界の上端、空中で羽ばたく四つの影。これは全て同じ形状のようだ。一見すると鳥のような形状をしているが、明確な長い尾があり、また四肢全てに風切羽根のようなものが生えて……と、そこまで把握したところで理解した。
これは明らかに
一つ思い至ればあとは連鎖的に発想が閃く。蜥蜴のようなものは小型の
「おおッ!」
シルティは思わず感嘆の声を上げてしまった。
どう見ても、何度見ても、竜型
つまり、これは、生命力の作用を用いた絶技の一つ。
シルティの飛鱗のような紛い物ではない、正真正銘の独力のみで成し遂げられた
どういう手段でこちらの位置を把握しているのかは不明だが、八つの竜影はそれぞれが連携するようにシルティへと殺到している。
ああ、なんて素晴らしい光景だろうか。
ああ、まさか、九対一で竜と殺し合えるなんて。
嗚呼。
今日死んでも悔いはないかもしれない。
「ぁははっ!」
シルティは血涙を垂れ流しながら歓喜した。
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