第178話 都度殺せれば毎回が初見



 翌日、早朝。

 港湾都市アルベニセの西門から少し離れた草原にて。

 適度な間隔を空け、シルティとカトレア・オルカダイレスが向き合っていた。

 生憎あいにくの曇天だが、雨は降っていない。いつも通り、レヴィンはシルティの後方上空に珀晶の足場を生成し、その上に姿勢よく座って観戦に臨んでいる。ただし、今日は観戦だけでは終わらない。レヴィンもカトレアと模擬戦を楽しむ予定である。


 昨日の昼頃にカトレアと出会い、竜殺しのためのチームを組む約束をしたシルティ。そのまま模擬戦と洒落込みたかったのだが、残念なことにあの日のカトレアは完全な休日オフで、武器も防具も身に着けていなかったのだ。

 シルティは『じゃあ私も素手でやりますので! 久しぶりに天峰銅オリハルコンでぶん殴られたかったんですよ!』と詰め寄ったが、『いや僕この服気に入ってるから汚したくない』と冷静に却下された。ぐうの音も出ない鉄壁の拒絶理由である。

 シルティは当日の模擬戦を諦めた。

 つまり、後日の模擬戦を打診した。

 一緒に狩りするならお互いの腕は知っておくべきだと思います、などと尤もらしいことをのたまい、カトレアを説得。シルティの口説き文句は岑人フロレスの少女に一理あると判断され、翌日の確約に成功したのだ。



「よろしくお願いしますッ!!」


 シルティはにまにまとした笑みを浮かべながら、左腰の〈永雪〉を滑らかに抜刀した。その刀身は当然のように虹色に揺らめいている。つまり、生命力がギンギンにほとばしっているということだ。

 右足を前に、両足を拳四つ分ほどの間隔を空けて広げる。体重を蹴り足にかけつつ、重心は正中線上。両手で握る〈永雪〉の切先を相手の喉へ向け、中段に構える。


「お手柔らかに」


 対するカトレアは赤橙色せきとうしょくの触手を展開し、身体を空中に固定していた。華奢な矮躯に暗褐色の革鎧を着用している。といっても、全身が分厚い天峰銅オリハルコンで包まれているため、顔以外は全く見えない。

 昨日別れた時よりも、身に纏う天峰銅オリハルコンの量がはっきりと増加している。カトレア自身の体積を基準とするならば、天峰銅オリハルコンだけで優に三倍はあるだろう。質量的には数十倍だ。

 岑人フロレスには、魔法『峰銅あかがね湧出ゆうしゅつ』により分泌した天峰銅オリハルコンの余剰分を保管し、いざという時のために蓄えておく習慣がある。つまり、カトレアはこの模擬戦を『いざという時』と判断してくれたということである。カトレアの姿を見た途端、シルティが大喜びしたのは言うまでもない。


 伸ばした五本の触手の先で掴む得物は、刃幅が拳四つ分ほどもある大型の鴛鴦鉞えんおうえつ

 同好の士シグリドゥルに見せて貰った〈シャクト〉――風火輪ふうかりんに類似した用法の武器だ。三日月状の刃を交差させた形状をしており、刃を潰した中心部を把持はじして、あるいはように使う。

 鴛鴦鉞、風火輪、月牙刺げつがし鉄貫てっかんなどの格闘用に特化した刃物のことを、人類言語では『拳鉞けんえつ』と呼ぶ。肉体による斬撃の実現を目指すような極まった拳法家たちが、拳術動作のまま切断するという感覚を養うために使うほか、一部の岑人フロレスたちにも好まれる。

 ただし、岑人フロレスが使う場合に限っては把持部グリップを設けず、総身そうしんを刃とすることが多い。液体の腕を持つ彼らは自傷を気にする必要がないからだ。


(ああ、あの子も綺麗だなぁ……)


 蛮族の娘はカトレアの得物へ向け、欲望まみれのぐっしょりとした視線をそそぎ込んでいた。

 言うまでもないことだが、シルティは岑人フロレス用の拳鉞も大好きである。構成要素の全てが刃物という潔さがめちゃくちゃ格好いい。ノスブラ大陸にいた頃、シルティも一度だけ使ってみたことがある。親指と人差し指の股がざっくりと裂けてしまい、とても痛くて嬉しかった。

 カトレアの鴛鴦鉞は天峰銅オリハルコンに似た色合いをしている。鍛冶的処理により赤橙色に染めているのだろう。岑人フロレスが使う武器にはよくあることだ。

 触手と色合いを似せることで、自己延長感覚の確立を助ける狙いがあるらしい。


(拳鉞と斬り合うのはびっくりして楽しいから好き……)


 シルティの経験上、拳鉞けんえつるいを得物とする岑人フロレスは『膂力』よりも『関節の存在しない多腕』という強みを活かすタイプであることが多い。

 現在見えている鴛鴦鉞は五つ。だが、戦闘中に手数を増減させるのは岑人フロレスの戦士が得意とする手。カトレアは少なくとも二十本の触手を操れるはず。身体にまとう分厚い天峰銅オリハルコンの中に十や二十の暗器を隠していても驚きはない。充分な天峰銅オリハルコンを操る岑人フロレスは、存在自体がのようなものなのだ。


「んふふ……」


 興奮で乾いた唇をちろりと舐める。

 では。

 まず。

 こちらが、初見殺しを仕掛けよう。


 シルティは肢体の軽さを強く自覚した。

 ひそかに半長靴はんちょうかで地面を踏みにじる。

 己の肢体を隅々まで満たす生命力を精霊の目によって明確に視認、最も密度の高い心臓を霊的に注視する。

 心臓の拍動に合わせて虹色の流れに大きなこぶができ、そのまま四肢へと流れ込んでいく。

 もっともっと流量を増やしたい。

 煮え滾る戦意に釣られて心拍数が跳ね上がり、瘤と瘤の隙間がなくなって、太く大きな線を描く。

 額の薄い皮膚のすぐ下で、地面を踏み締める足の裏で、血管がズグンズグンと脈動する感覚が、とても心地よかった。

 よし。

 いける。

 確信。あるいは、妄信。


 息を静かに吸い。

 止めて。

 跳び出す。





 重く固い衝音と共に地面が微かに揺れた。

 強引に突き破られた大気が轟音を鳴らす。


「……、っう」


 カトレアは無意識に喉を鳴らし、本能的に身体を硬直させた。

 場面を切り替えたように突如拡大したシルティ・フェリスの姿。十歩はあったはずの間合いが一歩未満に。その背後ではほのかに土煙が上がり、彼女の移動した軌跡を示すように渦を巻いていた。

 華奢な両腕から伸びるは銀煌の太刀。切先は視界の下端に消えているが、見るまでもない。触覚を通していた天峰銅オリハルコンが切開され、実在しない痛みが脳を苛んでいる。煮え滾るような殺意が位置するのは分厚く纏った超常金属の内側、己の右首筋から指一本分の距離だ。

 寸止めされていなければ、カトレアの頭部は胴体と敢え無く生き別れとなっていただろう。この一戦、誰がどう見てもシルティの勝利である。


 拍動をひとつ挟み、カトレアは臨死の実感を抱いた。

 幼い相貌が急激な発汗を見せ、みるみるうちに雫を形成する。

 模擬戦が始まったと思ったら、死んでいた。いや、辛うじて見えてはいた。カトレアも一廉ひとかどの狩猟者だ。主観時間を引き延ばすことは当然できる。

 だが、反応できなかった。

 桁違いの体重を誇る岑人フロレスは身軽な他人類種と比べれば少々鈍重なところがある。それは確かだ。だが、それにしても、指先一つ動かせないというのは。


「……。はっはっは」


 もう笑うしかない。


「参りました」





 降参宣言を聞き、シルティは「ぶへぁーっ」と品のない呼気を吐き出した。

 カトレアの首筋に添えていた〈永雪〉をひるがえし、軽やかな血振ちぶりを挟んで音もなく納刀。

 己の性能を押し付けるを見事に決めた蛮族の娘は、大輪の花が咲いたような輝く笑顔を浮かべた。


「どうでしたっ?」


 カトレアは溜め息交じりの苦笑で応える。


「きみが速い狩猟者ってのは知ってたつもりだったけどさ。いくらなんでも速過ぎでしょ。なにそれ。むーりー」

「んふっ。ふへっへ。ありがとうございますっ!」


 シルティは喜びを全身で表しながら振り返り、視線を後方へ向けた。口元をだらしなく緩めつつ、自身が踏み締めた地面を遠目に確認する。

 十歩ほど先に、大きく陥没した足跡が一つだけ。

 そのふちからは、雲を裂く雷霆のような細かなひびれが無数に伸びていた。


な!)


 速度に特化した蛮族の異常な脚力をそそぎ込まれた地面は敢え無く爆散し、土塊つちくれを巻き上げ、煙幕として使えるほどの土煙を生み出すのが常だったが……今回はこの程度の被害に収まっている。これまでと比べれば、些細ささいと言ってもいい小ぢんまりとした破壊だ。

 不完全極まりないが、足場が強化された物証である。


 老鉱人ドワーフの奥義を授けて貰ったのがおよそ二百日前。あの日以来、武具強化の際は意識的に皮膚感覚を鋭敏にしていた。また、定期的に半長靴を手入れしつつ舐め回すように観賞し、その構造を三次元的に頭に叩き込むことで精度の向上を図っている。燦紅鈥カランリルの打刀〈ジャラグ〉を用いた蒸留水の製造で焼き、靴越しの灼熱と痛みを脳髄に刻んだのも記憶に新しい。

 そして、ローゼレステの堪忍袋の緒が切れ、空中でレヴィンと分断されたあの時、合流するための最後の一歩。シルティは強化した飛鱗〈嘉麟かりん〉を足場に全力の跳躍を行ない、爆発的な加速を得て、軽量化した身体で壊れない足場を踏み締めることの楽しさを身を以て知った。無論、その直後のローゼレステとの殺し合いでも体重軽量化と飛鱗の足場を併用しており、死と重なり合う実戦で濃密な経験を積んでいる。


 そりゃあもう、めちゃくちゃ楽しかった。

 時たま夢に見て布団の中で身悶えしてしまうくらい、死ぬほど楽しかった。


 結果として今のシルティは、呼吸を充分に整え、深く集中に落ちる時間的猶予がある場合に限り、足場を僅かに強化できるようになったのだ。戦闘中にこなすのは現状では逆立ちしても無理だが、最初の一歩であればなんとかなる。

 足裏で捉えた全てが不壊となり、かつ瞬間自在に体重を増減させるヴィンダヴルの領域は遥か遥か彼方だ。あれの完成度を千としたら、シルティの踏み込みは一にも及ばない。だが、千分の一未満の強化ですら、狩猟者カトレアの反応を置き去りにするほどの超越的な加速をシルティにもたらした。

 身体能力任せの踏み込みとは一線を画す圧倒的なキレは、真正面から尋常に突っ込んで斬るという愚直な打突を初見殺しに変貌させる。

 もちろん、ただ真っ直ぐに速いだけの動きなど二度目は通用しないだろうが、見せた相手を都度殺せれば毎回が初見だ。


「ふふ。んふふふふ……。会心の一歩だった……」


 身体をくねらせながらご機嫌に笑うシルティ。

 カトレアは赤橙色の触手の先で鴛鴦鉞をくるりと回し、そして、鞭のように振るった。恐ろしい速度で空気を裂いた月牙が甲高い破裂音を響かせる。


「シルティ。もう一回やろう」

「おっ! やったあ! もちろんです!! すぐやりましょう!」

「僕、まだ一つもいいとこ見せられてないしね」


 表面上笑顔を浮かべながら、内心では灼熱をたぎらせるカトレア。

 彼女は目立ちたがりであり、そして同時に、負けず嫌いである。


「次は僕が勝つよ」


 シルティの目に映る天峰銅オリハルコンが、ぐにゃりと虹色の揺らぎを孕んだ。


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