第176話 お誘い



 案内された喫茶店にて。

 お互いの自己紹介を兼ねた雑談により、シルティはカトレア・オルカダイレスの経歴を知った。


 残念なことに、母親はカトレアを産んだ際に亡くなってしまったらしい。膨大な生命力を誇る人類種にとっても出産は命懸けの行為だ。以後、狩猟者の父に男手一つで育てられる。物心付いて以降はサウレド大陸中を転々としながらの二人旅。十一歳からは父であるオルキス・オルカダイレスを師として戦うすべを学んだとのこと。


「ということはオルカダイレス先輩、狩り歴十年ぐらいですか」

「見習い期間も含めれば、そのくらい」

「んふ。実は、私もです」

「十年が?」

「はい。今年で十年目。戦い方もお父さんから教わりました」


 気の抜けた笑みを浮かべるシルティ。

 シルティの戦闘技能も父を師として学んだものであり、また狩りを始めたのは七歳なので、十七歳となった今年でちょうど十年目だ。完全に偶然の共通点だが、シルティは単純なので、こんなことでも親近感の種になってしまう。


「オルカダイレス先輩は」

「待って」


 と、カトレアが童女のような手のひらを見せてシルティの言葉を遮った。幼くも見えるその相貌は真っ赤に染まっている。


「先輩はいらないから」

「え、でもさっき、『きみの先輩』だって」

「言ったけどさ! あれは、なんというか、ただの冗談だったから!」

「あ。そうだったんですか。すみません」


 相手の冗談を真に受けてしまうことはよくあることなので、シルティは素直に受け止めて謝罪した。


「カトレア。カトレアでいいから」

「はい、カトレアさん」

「呼び捨てでいいから。いいよね、シルティ」

「んぇ。……か、カトレア」

「よぉっし! 最初が肝心!」


 突如、なぜか妙に嬉しそうに両拳を握り締めるカトレア・オルカダイレス。

 レヴィンを目前にしたエミリア・ヘーゼルダインのような圧力を、シルティは眼前の少女から感じていた。椅子に座りながら少し仰け反ってしまう。


「……んンッ!」


 と、そこで我に返ったのか、カトレアが小さく咳払いを挟んだ。

 取り繕ったような優雅な動きでティーカップを持ち、茶で唇を湿らせる。


「まあ、呼び方はどうでもいいか。本題に入ろう」


 どう見てもどうでもよさそうな様子ではなかったが、シルティは流すことにした。


「知ってる? ちょっと前、この辺に四翼竜カンギュラが落ちて来たんだ」


 四翼竜カンギュラ

 中肢ちゅうしを退化させた四肢竜ししりゅうの一種だ。

 飛行できる六肢動物はいくつか知られているが、飛行できる四肢竜は既知の中では二種のみ。前肢が飛膜状に変化した二翼竜プテロと、四肢の全てに風切羽根を持つ四翼竜カンギュラだけだ。

 四翼竜カンギュラの方が体格は小型だが、それでも成獣の琥珀豹ぐらいはある。頭部は小さめで、前方に鋭く突き出した口吻マズルを持っていた。これはくちばしではないのだが、ほぼ全身が羽毛で覆われていることもあり、一見すると風変わりな巨鳥に見えなくもない。食性は肉食で、空中で鳥類を捉えたり、海面付近の魚を口吻マズルで掬い取って食べる。


 前肢は幅広かつ曲線的で、まさしく鳥類の翼といった様相だが、多くの鳥類と違って翼角よくかくから長い鉤爪を備える器用な指が三本伸びていた。四翼竜カンギュラの体格からすると貧弱にも思える細い指なのだが、彼らは世界最強種。これでも人類種の胴体など紙切れのように断ち切る。

 後肢はすらりとした脚線を誇る美脚で、膝関節の辺りから跗蹠ふしょにかけて風切羽根が並ぶ。前肢より幅は控え目だが、こちらもしっかりとした翼を形成している。驚くほど可動域の広い股関節と特化した筋肉を駆使して力強く羽ばたく。五本のあしゆびは羽毛の代わりに固い鱗に覆われていて、樹上性の鳥類に近い湾曲した鉤爪を備えていた。

 尾は長くしなやかで、両側面に広がるように尾羽が生えており、猫類や猿類の尾のように自由に動かせる。さすがに尾の羽根で揚力を生むことはできないが、旋回や急制動などの性能を担保しており、四翼の羽ばたきによる加速を組み合わせることで鋭角かつ瞬時の方向転換を可能とした。


 健康に生きた四翼竜カンギュラは生涯において地上に降りる機会が一度もないと言われるほど、彼らの身体は空中生活にとにかく特殊化している。前肢だけあるいは後肢だけで飛行に充分な揚力を生み出すことができるほど。食事や睡眠は当然として、繁殖すらも空中で行なわれるらしい。

 もちろん、繁殖を直接的に観測できた例はないのだが、空から四翼竜カンギュラの卵が降って来た事例があるのと、尾を不自然に丸めながら飛ぶ四翼竜カンギュラの姿はまれに観測できる。おそらくは交尾から産卵、抱卵ほうらん、子育てから独立まで、全てが空中で行なわれるのだろうと考えられていた。


「ちょっとだけ聞いたことあります」


 シルティは頷く。

 金鈴きんれいのマルリルから聞いたことがある。今から五年ほど前、前後の右翼を失った四翼竜カンギュラが港湾都市アルベニセにほど近い場所へ墜落してきたらしい。欠損部の再生が竜としてはあり得ないほど遅かったため、おそらくは他の竜に傷を負わされたのだろう。竜特有の破壊魔法『咆光ほうこう』は魔物の再生力を著しく阻害するが、これは被害者が竜であろうと例外ではなかった。

 同種での喧嘩か、あるいは異種の竜に襲われたのかは定かではないが、なんにせよ放置するわけにはいかない。行政の主導で二十名の討伐隊が組まれることになった。

 当時からその実力を認められていたマルリルは当然要請を受け、これに参加。実力者のみで構成された討伐隊は、死者三名という僅かな犠牲でこれを駆除することに成功した。

 カトレアは天峰銅オリハルコンの触手で空中に四翼竜カンギュラの姿を描きつつ、言葉を続ける。


「僕のお父さんもこれに参加してたんだけど、まあ、死んじゃってさ」

「おおっ。それはほま……んンッ」


 滑りかけた口を咄嗟に咳払いで誤魔化した。

 蛮族にとって、竜に殺されるというのはこの上ないほまれであり誇るべき最期である。しかしシルティは、他の人類種にとってはどうやらそうではないらしいということを既に学んでいた。お父さんが竜に殺されたなんてよかったですね、と言うべきではないことはさすがにわかる。


「僕はがしたい」


 直後、静かに、燃えるように、言葉を紡ぐ。


「誤解しないで欲しい。別に父の復讐というわけじゃない。ただ、そうしたいだけだ」

「わかります」


 蛮族が竜を殺したくない日なんて存在しない。


「シルティ。ちょっと僕とチームを組んで、一緒に竜を殺してくれないか」

「いいですね!!」


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