第175話 要するに威嚇



 港湾都市アルベニセ西区、『マッドレル研究所』の軒下のきしたにて、シルティは満面の笑みを浮かべていた。


「儲かっちゃったなー」


 無事に陽炎かげろう大猫オオネコの素材を売却できただけでも喜ばしいことだが、どうやら研究者たちが想定していたよりも随分と早い納品だったようで、報酬に少々色を付けて貰えたのだ。

 聞けば、フェリス姉妹がアルベニセを発ったのは『マッドレル研究所』の職員が依頼紙片を掲示板に貼り付けた翌日だったらしい。相手を指名しない依頼方式としてはほとんど最短の達成である。

 さらに、今回は狩りとは全く別の要因で報酬が発生していた。


「レヴィンのおかげだね」


 シルティが妹の尻尾をしごくように撫でると、レヴィンは尻尾の先端をくねらせて姉の手首を捕まえ、機嫌良さそうに喉を震わせる。


 まさか琥珀豹が訪ねてくるとは思っていなかったのだろう、『マッドレル研究所』の研究者たちはレヴィンを見た瞬間に身体を硬直させ、直後にたぎるような歓喜の表情を浮かべた。そして、シルティが本来の要件を伝えるより早く深々と頭を下げ、どうか魔法を見せてほしいとレヴィンに頼んだのだ。

 実のところ、こういったことは初めてではない。今までの納品先でも同様のことを頼まれることは珍しくなかった。魔法『珀晶生成』を観察できる機会など願っても得られるようなものではないので、魔術研究者としては絶対に逃せないのだろう。

 だが、全て素気すげなく断ってきた。レヴィンが嫌がったからだ。

 しかし今日のレヴィンはなぜかこれを了承した。これまでの渋りっぷりはなんだったのかというほどあっさりと。単に機嫌がよかったのか、あるいはなんらかの心変わりがあったのかもしれない。


 なんにせよ、レヴィンは研究者たちに請われるがままに魔法を披露し、そして少なくない報酬を獲得した。さすがに陽炎大猫二匹分の対価ほどではないが、一般的には充分に大金と呼べるがくである。

 レヴィンが初めて独力で獲得したお金なので、シルティはこれを妹が自由に使える小遣いとするつもりだったのだが、レヴィンは首を傾げながら不要だと答えた。常に一緒に居る家族なのに、財布を分ける理由がいまいち理解できないらしい。

 まぁ、不要と言うなら強要することでもないだろう。あちらから欲しがるまでは姉妹の共有財産としておく。


「んじゃ、お風呂行こっか」


 腰部をぽんと叩くと、レヴィンが了承の唸り声を上げ、そのまま歩き出した。うきうきとした後ろ姿を微笑ましく思いながら、シルティはのんびりと追従する。

 大通りと『マッドレル研究所』を接続する路地をのしのしと進むことしばらく。

 やや背の高い建物に挟まれた隙間を抜け、視界が開けた――その瞬間、レヴィンが動きをぴたりと止めた。


(ん?)


 なにか気になることがあったのだろうか。シルティはレヴィンの背中越しに視線を巡らせる。すると、岑人フロレスの少女と目が合った。


(んん)


 岑人フロレスらしく非常に小柄だが、天峰銅オリハルコンの触手で身体を支える特有の移動様式のおかげで、目線の高さはシルティより少し上にある。霊覚器で捉える生命力の密度。身に纏っているのはいわゆる普段着だが、それに包まれた肢体は間違いなく戦闘用だ。

 明るい茶色の髪を高い位置でポニーテールにしており、虹彩は深い緑色。勝気に吊り上がっていた。

 じっと見つめ返しても目を逸らさない。たまたま目が合ったというわけではなさそうだ。

 妙に好意的な視線。

 なんだろう。

 もしかして戦ってくれるのだろうか。


「んふふっ」


 隠し切れない期待を笑みで表現しつつ、一歩前へ。擦れ違いざまにレヴィンの肩を撫で、後退を指示。

 左足を前に半身になり、微かに重心を寄せる。鞘口を切り、右手を〈永雪〉の柄へ添えた。都市内ということでまだ抜刀こそしていないが、シルティの居合の練度を考慮すれば抜身を構えているのと大差ない状況だ。

 レヴィンは指示通り後方へ下がると姿勢を正し、視点を高く上げて静かに瞳孔を拡げる。敵はレヴィンの視界内。首でも手足でも即座にくくれる状況だ。


 フェリス姉妹の好意戦意に満ちた視線を受けた岑人フロレスの少女は、形のいい唇をひくりと動かし、身体を支える触手の数をと増やした。


「ぉおっ」


 シルティは知っている。触手の数を増やして見せるのは岑人フロレスにとっての臨戦態勢だ。より動物的に表現すれば、要するに威嚇いかくである。

 もしかすると本当にこのまま戦ってくれるかもしれない。

 シルティは渇望にとろけた目で少女を見つめる。

 野生の魔物と戦うのももちろん楽しいが、人類種と戦うのもやっぱり楽しい。


(にしても、な……)


 液体である天峰銅オリハルコンを身体の一部と見做す岑人フロレスと言えど、個別かつ精密に操作できる本数には限りがある。一般人であれば、深く集中しても十本が限度と言ったところ。

 しかし、才能と訓練によって本数を増やすことは可能だった。手数の多さは彼らの暴力の根底を為す屋台骨。戦闘を生業とする岑人フロレスは日常的に訓練を繰り返し、少しずつ自身の手足を増やしていく。

 必然的に、触手が多い岑人フロレスは強大な個体であることが多い。だからこそ、触手の大量展開が実力の誇示として成り立つのだ。

 そして、眼前の少女がうねうねさせている触手は十本どころではなかった。ある種の磯巾着イソギンチャクを彷彿とさせるような異形に、いやがうえにも期待が高まる。


(……、二十本!)


 主観時間を引き延ばして数えた限りでは二十本。これが上限かどうかは不明だ。やろうと思えばもっと生やせるのかもしれない。しかし、既にシルティがこれまで出会った岑人フロレスの中でも上位に食い込む本数である。

 鬣鱗十二猪の枚の革鎧飛鱗を身に纏ったことで岑人フロレスにもそうそう負けない手数を手に入れた、と思っていたのだが、いやはや。

 上には上がいるものだ。

 戦ったら絶対にしい。

 是非とも斬り合いたい。


 もちろん、いきなり模擬戦を申し込むようなことはするつもりはない。シルティはもう気付いたのだ。蛮族以外に模擬戦を申し込む場合は、その前にまずは仲良くなるべきなのだと。

 だが、もしも。

 あちらから誘ってくれるならば。

 煮えたぎる期待を視線に込める。

 膨大な生命力が注ぎ込まれ、〈永雪〉が鞘ごと虹色に揺らめく。


 しかし、シルティの期待もむなしく、岑人フロレスの少女は触手の数を二十本から六本まで減らしてしまった。


「んぁ……」


 あからさまにがっかりした表情の蛮族に対し、岑人フロレスの少女は苦笑を浮かべる。ぬるぬるとした動きで距離を詰めると、触手の操作で視点の高さを揃えた。


「きみ、シルティ・フェリスだろ?」

「……はい」


 少女の声音に戦意は感じられない。残念ながら戦うつもりはないようだ。大人しく〈永雪〉の柄から手を離し、シルティは姿勢を正した。


「話には聞いてたけど、本当に物騒な奴だな」

「ありがとうございます。……ええと?」


 体格が体格なため、ちょっと生意気な口調の可愛らしい女の子にしか見えないが、多分シルティよりも年上だろう。岑人フロレス嚼人グラトンと寿命が近いので、鉱人ドワーフ森人エルフに比べればまだ外見で年齢を推察しやすい。自信はないが、二十歳は超えていそうな気がする。


ぼくはカトレア・オルカダイレス」

「ぼ。……はい。オルカダイレスさん、ですね」


 蛮族に『僕』という一人称を女性が使う文化はないので一瞬面食らってしまったシルティだが、広い世界にはそういったヒトもいるだろう、と疑問を飲み込んだ。


「僕も狩猟者だ。アルベニセでは四年くらいやってるから、一応きみの先輩かな。よろしくね」


 カトレアは一歩踏み出し、小さな手を差し出した。

 なんだかよくわからないが、妙に好意的な相手だ。

 この分ならすぐに斬り合ってくれるかもしれない。

 シルティは満面の笑みを浮かべてその手を握った。


「よろしくお願いします!」

「きみとは一度会ってみたかったんだ。そしたら、路地そこに入ってくのが見えたからさ。待っちゃった。ごめんね」


 カトレアが天峰銅オリハルコンを伸ばし、大通りの先を指し示す。


「実は少し話があるんだけど。あっちにいい喫茶店があってさ。少しお茶でもどう? 奢るよ」


 強者との縁は結んでおきたいが、これを受けると妹との入浴がおあずけになってしまう。

 シルティは横目でレヴィンの様子を窺った。太い鼻面にうっすらとしわを寄せていたが、しかし我慢できないほどではなさそうだ。ならば問題なし。


「もちろんです!」

「おっ。よかった。ありがとう」


 カトレアの柔らかそうな頬がほんのりと紅潮する。やけに嬉しそうだが、どんな話があるのだろうか。


「こっちだよ」


 関節の存在しない足をぬるぬると動かし、先導を始める。

 シルティはレヴィンの鼻面を撫で、皺を伸ばしてから、そのあとを追った。




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お読みいただきありがとうございます。

今回で書き溜め分を吐き出し切ってしまいました

次話以降は、基本的に月曜、金曜の朝8時ごろに投稿していきます。

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