第173話 親密とは対極



【――というような感じですね】


 シルティはローゼレステに現状に至るあらましを説明した。


【そうか】


 覚醒した直後はややぼんやりとした様子だったローゼレステも、ぎ足した生き血から生命力が抜ける頃には意識がはっきりし、受け答えも明瞭となった。手探り未満の応急処置だったが、どうやら的外れというわけではなかったらしい。

 やはり熱中症に近いものだったのだろう。上空という寒冷な空間を住居とする水精霊ウンディーネにこの草原の熱気は酷過ぎたようだ。


【気が回らず、申し訳ありませんでした……】

【いや。助かった。礼を言う。……それで】

【はい?】

【お前……私は……また】

【なんでしょう】

【……どうやら。……ん】


 なにやらもごもごと口籠くちごもっている。

 伝えたいことがあるのだろう。シルティの経験上、がこういう振る舞いを見せたときは急かさない方がいい。しゃがみ込み、浴槽の中のローゼレステと視線の高さを合わせ、静かに待つことにした。

 ちなみに、精霊種の寿命は長くて三十年ほどであり、精神の成熟曲線も嚼人グラトンとは異なるので、七歳という字面からシルティが受けている印象よりもローゼレステは遥かに大人である。


 なお、手持ち無沙汰なレヴィンは親とおぼしき陽炎大猫の腹に顔を突っ込んで内臓を咀嚼していた。

 魔道具の素材として重要なのは脊椎と上下の肢帯したい付近で、それ以外の部位は残滓ざんし、言ってしまえばゴミである。魔術研究者の元へ持ち込んでも嫌がられるだけなので食べてしまっても問題ない。割と夢中になってチャグチャグしているので、どうやら結構美味しいようだ。

 肉食獣は体格に対して肝臓レバーが大きいことが多く、草食獣とはまた違った風味が楽しめることも多いので、新鮮なうちにシルティもご相伴しょうばんあずかりたいところ……と食欲を覚えていると、ローゼレステにようやく動きがあった。


【どうやら私は、また、お前に命を救われたな】

【えっ?】


 青虹色の球体が浴槽の中でくるくると小さな円を描く。


【今一度、対価を支払おう。助命に見合うだけの対価を、お前に】


 シルティは首を傾げた。


【命を……。あの。私は、そうは思いません】


 今回の狩りにローゼレステが同行する必要などなかったのにも拘らず、ウイスキーを餌のようにして呼び出し、炎天下を四半日(六時間)ほども連れ回して昏倒させたのだ。これに応急処置を施したからと言って、『命を救った』と胸を張るのはシルティには難しい。


【全てとは言いませんが、集団で行なう狩りの責任は頭目ボスにあります。つまり、今回は、私です。むしろ、私がローゼレステさんに対価を払わなくてはなりません】

【……。私は自分で冷やせた。だが、お前にそれを。それで、見誤った。だから、私の喪神は私の責任だ】

【ん。あー。なるほど。……んふふふっ】


 シルティは納得顔で頷いたあと、この上なく嬉しそうににんまりと笑った。


【手の内を隠しておきたかったんですね?】

【あ? ……ああ】

【大丈夫です、わかります】


 自分の技を隠すというのは決して恥ずべきことではない。

 前知識まえちしきを持たない相手にこそ最大の殺傷能力を発揮する技法、いわゆる初見殺しと呼ばれる術理も、蛮族の観点では立派な暴力である。シルティの動きのキレもある意味では初見殺しのようなものであるし、レヴィンの『珀晶生成』もかなり理不尽な部類の初見殺しだ。

 そして、戦闘の可能性を想定しない相手に技を隠す必要はない。蛮族にとって『技を見られたくなかった』というのは『お前との殺し合いを考えている』とほぼ同義、実に喜ばしい発言なのである。

 といっても、シルティは特に意識して自らの技法を隠すことはないのだが。

 彼女は相手に術理がバレていても殺せるような純潔な暴力が大好きである。

 自分の動きが速いと知っている相手を速さで圧倒するのが気持ちいいのだ。


【それじゃ、んー……。そうですねー】


 シルティはレヴィンの〈冬眠胃袋〉に手を突っ込み、三つ目の凍った水袋を取り出すと、そのまま宙に軽く放り投げた。

 即座に抜刀。慣性を翻し、切り返す。瞬時に往復する真銀ミスリルの峰打ちが氷塊を二度え、グジャッという鈍い音と共に粉々に砕いた。

 形相けいそう破砕はさいの感覚を応用すればこの程度は容易い。

 絶妙な力加減により手元へ戻らせた水袋をそつなくキャッチする。

 しかし、シルティが掴んだ瞬間に水袋がざらりと、大部分が地面に零れ落ちてしまった。


 微かに顔をしかめるシルティ。

 氷は確かに砕けたが、革袋自体も粉々に砕けている。革袋と内部の氷を明確に分けて意識できなかったシルティの未熟さゆえだ。父ヤレック・フェリスならば鼻唄混じりに氷のみを砕いていただろう。生半な斬撃など通らない竜の鱗を〈虹石火〉でぶっ叩き、形相破砕を浸透させて血肉をにするのは、筋肉と筋力を信奉するヤレックが愛する得意技であった。


(こうなる気はしてたけど、やっぱりダメか。未熟……)


 生命力の作用は自信と実績がそのまま冴えに直結する。ローゼレステとの交渉中ゆえ拙速せっそくたっとぶべき場面と判断して〈永雪〉を振るったが、『こうなる気がした』『やっぱりダメか』などと後悔が出るような軟弱な精神ではこうなって当然なのだ。

 超常的暴力の実現には絶対的な確信が必要で、確信を構築するためには積み上げた実績が必要。理屈はわかっていても、心の底から未来を妄信するのは難しい。精進あるのみである。


「んンッ」


 シルティは咳払いで気持ちを切り替え、手のひらの上に生き残った細氷をローゼレステの浴槽に投入した。


【では、ここはお互い様ということでどうでしょうか】


 指先をウイスキーに浸し、くるりと回し混ぜる。


【私は、ローゼレステさんの体調をもっと気にすべきでした。寒いところに住んでる生物が暑さに弱いのは当然のことですから、もっと頻繁に休息を取るべきでした。申し訳ありません】


 物質的肉体を持たぬ精霊種は気温の変化もなんのそのだろう、と思い込んでいた。これは完全にシルティの手落ちだ。


【でも、自分の限界を見誤ったこと、これは確かにローゼレステさんの失態かもしれません。ですので、お互い様です】


 シルティはそう言って微笑みを浮かべたが、しかし。


【……いや、それでは、釣り合わない】


 ローゼレステの反応はかんばしくない。


【うむん……】


 納得いただけないご様子。

 前々から思っていたが、どうもローゼレステは対価という概念にかなりの拘りを持っているようだ。水精霊ウンディーネという種族全体の性質なのか、ローゼレステという個体の個性なのかはわからない。

 シルティは少し悩み、そして名案を思いついた。


【では、私のことをシルティと呼んでください。それが対価ということで!】


 人類種で姓という概念を持つのは基本的に嚼人グラトン岑人フロレスの二種で、森人エルフは出身地の名を冠して名乗ることが多い。

 個体数の多い嚼人グラトン岑人フロレスは家名というものが重要になり、寿命が長く同族間での交流が盛んな森人エルフはどこから来たのかを示すことが重要になったのだろう。

 ちなみに、鉱人ドワーフは固有名のみを名乗ることが多い。古代において彼らはかなり閉じた社会で生きていたらしく、個体数が少ないこともあって、自分の名前と両親の名前があればそれで事足りていたようだ。


 長命な二種はともかく、嚼人グラトン岑人フロレスにとって名前で相手を呼ぶというのは親密さの表れである。……対価として名前呼びを強要するのはむしろ親密とは対極に位置する行為のような気もするが、今のまま時を過ごしていても名前で呼んでくれる日が来るとは思えない。

 対人戦闘ならば強引に間合いを詰めるべき場面もある。対人関係でもきっと似たようなものだろう、とシルティは考えた。


【……わかった】

【んふっ。ありがとうございます! それで、これからなんですが】


 朗らかな笑みを浮かべつつ、シルティが食事中の妹を手で示す。

 姉の動きを察知したレヴィンがぴくりと耳介を動かし、顔を上げた。大きな頭部を可愛らしく傾けながら、赤く染まった口周りを繰り返し舐めている。なにか用? とでも言いたげな表情だ。

 シルティとローゼレステの声が聞こえていないため、レヴィンはどうしても会話に取り残されがちである。非常に不便なので精霊の耳の構築だけでも始めておきたいところ。しかし、朱璃を調達するだけのお金がない。

 せめて自分の声だけでも聞こえるよう、シルティは並行して物質の喉でも同じ内容を発声することにした。


【私たちは大猫あれを解体しなければなりません。おつらいようでしたらローゼレステさんは雲にお帰りになっても】


 精霊種には契約錨けいやくびょうという便利なものが存在するので、辛くなったらいつでも雲へと帰れるはず。


【いや。いい。見ている】

【え。……結構その、汚れる作業ですが、大丈夫ですか】

【いい】


 予想外だが、喜ばしい返事だ。


【わかりました。でしたら、この辺をちょっと涼しくしていただけませんか? お酒の残り、また冷やしておきますから、それを対価に】


 レヴィンが日陰を作ってくれたとはいえ、まだまだ暑い。


【わかった】


 ローゼレステが浴槽の中から魔法『冷湿掌握』を行使する。

 やはり『冷湿掌握』の機序は霊覚器でも捉えられないが、肌ではっきりとわかるほど周囲の気温が低下した。


「おおっ。凄い」


 姉が感心の声を漏らすと同時に、妹も嬉しそうに尻尾を伸ばす。今回はシルティの言葉が聞こえていたので、レヴィンもこれがローゼレステの仕事だとわかっているのだ。姉妹揃ってローゼレステに感謝を告げる。


【それじゃ、ちゃちゃっと済ませちゃいますね】


 シルティは不銹ふしゅうのナイフ〈銀露〉を引き抜いた。

 飛鱗〈瑞麒〉で綺麗に首を刎ねた方の陽炎大猫へと足を向ける。


【さっきも言いましたが、お腹を開いて臓物を抜きますから、どうしても汚れてしまいます。水精霊ウンディーネのローゼレステさんにはかなり不快な作業だと思いますので、途中で辛くなったら遠慮せずに言っ】

【ローゼでいい】

「……。えっ!?」


 まさかの出来事にシルティの動きが止まった。

 ギギギ、という軋み音が聞こえそうなぎこちない動きで振り返り、ウイスキーの中で揺らめく青虹色に視線を向ける。


【私のことは、ローゼでいい。……シルティ】

【ロ。……ろ。ローゼ。……ちゃん】

【ローゼがいい】


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る