第173話 親密とは対極
【――というような感じですね】
シルティはローゼレステに現状に至るあらましを説明した。
【そうか】
覚醒した直後はややぼんやりとした様子だったローゼレステも、
やはり熱中症に近いものだったのだろう。上空という寒冷な空間を住居とする
【気が回らず、申し訳ありませんでした……】
【いや。助かった。礼を言う。……それで】
【はい?】
【お前……私は……また】
【なんでしょう】
【……どうやら。……ん】
なにやらもごもごと
伝えたいことがあるのだろう。シルティの経験上、
ちなみに、精霊種の寿命は長くて三十年ほどであり、精神の成熟曲線も
なお、手持ち無沙汰なレヴィンは親と
魔道具の素材として重要なのは脊椎と上下の
肉食獣は体格に対して
【どうやら私は、また、お前に命を救われたな】
【えっ?】
青虹色の球体が浴槽の中でくるくると小さな円を描く。
【今一度、対価を支払おう。助命に見合うだけの対価を、お前に】
シルティは首を傾げた。
【命を……。あの。私は、そうは思いません】
今回の狩りにローゼレステが同行する必要などなかったのにも拘らず、ウイスキーを餌のようにして呼び出し、炎天下を四半日(六時間)ほども連れ回して昏倒させたのだ。これに応急処置を施したからと言って、『命を救った』と胸を張るのはシルティには難しい。
【全てとは言いませんが、集団で行なう狩りの責任は
【……。私は自分で冷やせた。だが、お前にそれを
【ん。あー。なるほど。……んふふふっ】
シルティは納得顔で頷いたあと、この上なく嬉しそうににんまりと笑った。
【手の内を隠しておきたかったんですね?】
【あ? ……ああ】
【大丈夫です、わかります】
自分の技を隠すというのは決して恥ずべきことではない。
そして、戦闘の可能性を想定しない相手に技を隠す必要はない。蛮族にとって『技を見られたくなかった』というのは『お前との殺し合いを考えている』とほぼ同義、実に喜ばしい発言なのである。
といっても、シルティは特に意識して自らの技法を隠すことはないのだが。
彼女は相手に術理がバレていても殺せるような純潔な暴力が大好きである。
自分の動きが速いと知っている相手を速さで圧倒するのが気持ちいいのだ。
【それじゃ、んー……。そうですねー】
シルティはレヴィンの〈冬眠胃袋〉に手を突っ込み、三つ目の凍った水袋を取り出すと、そのまま宙に軽く放り投げた。
即座に抜刀。慣性を翻し、切り返す。瞬時に往復する
絶妙な力加減により手元へ戻らせた水袋を
しかし、シルティが掴んだ瞬間に水袋がざらりと
微かに顔を
氷は確かに砕けたが、革袋自体も粉々に砕けている。革袋と内部の氷を明確に分けて意識できなかったシルティの未熟さゆえだ。父ヤレック・フェリスならば鼻唄混じりに氷のみを砕いていただろう。生半な斬撃など通らない竜の鱗を〈虹石火〉でぶっ叩き、形相破砕を浸透させて血肉を
(こうなる気はしてたけど、やっぱりダメか。未熟……)
生命力の作用は自信と実績がそのまま冴えに直結する。ローゼレステとの交渉中ゆえ
超常的暴力の実現には絶対的な確信が必要で、確信を構築するためには積み上げた実績が必要。理屈はわかっていても、心の底から未来を妄信するのは難しい。精進あるのみである。
「んンッ」
シルティは咳払いで気持ちを切り替え、手のひらの上に生き残った細氷をローゼレステの浴槽に投入した。
【では、ここはお互い様ということでどうでしょうか】
指先をウイスキーに浸し、くるりと回し混ぜる。
【私は、ローゼレステさんの体調をもっと気にすべきでした。寒いところに住んでる生物が暑さに弱いのは当然のことですから、もっと頻繁に休息を取るべきでした。申し訳ありません】
物質的肉体を持たぬ精霊種は気温の変化もなんのそのだろう、と思い込んでいた。これは完全にシルティの手落ちだ。
【でも、自分の限界を見誤ったこと、これは確かにローゼレステさんの失態かもしれません。ですので、お互い様です】
シルティはそう言って微笑みを浮かべたが、しかし。
【……いや、それでは、釣り合わない】
ローゼレステの反応は
【うむん……】
納得いただけないご様子。
前々から思っていたが、どうもローゼレステは対価という概念にかなりの拘りを持っているようだ。
シルティは少し悩み、そして名案を思いついた。
【では、私のことをシルティと呼んでください。それが対価ということで!】
人類種で姓という概念を持つのは基本的に
個体数の多い
ちなみに、
長命な二種はともかく、
対人戦闘ならば強引に間合いを詰めるべき場面もある。対人関係でもきっと似たようなものだろう、とシルティは考えた。
【……わかった】
【んふっ。ありがとうございます! それで、これからなんですが】
朗らかな笑みを浮かべつつ、シルティが食事中の妹を手で示す。
姉の動きを察知したレヴィンがぴくりと耳介を動かし、顔を上げた。大きな頭部を可愛らしく傾けながら、赤く染まった口周りを繰り返し舐めている。なにか用? とでも言いたげな表情だ。
シルティとローゼレステの声が聞こえていないため、レヴィンはどうしても会話に取り残されがちである。非常に不便なので精霊の耳の構築だけでも始めておきたいところ。しかし、朱璃を調達するだけのお金がない。
せめて自分の声だけでも聞こえるよう、シルティは並行して物質の喉でも同じ内容を発声することにした。
【私たちは
精霊種には
【いや。いい。見ている】
【え。……結構その、汚れる作業ですが、大丈夫ですか】
【いい】
予想外だが、喜ばしい返事だ。
【わかりました。でしたら、この辺をちょっと涼しくしていただけませんか? お酒の残り、また冷やしておきますから、それを対価に】
レヴィンが日陰を作ってくれたとはいえ、まだまだ暑い。
【わかった】
ローゼレステが浴槽の中から魔法『冷湿掌握』を行使する。
やはり『冷湿掌握』の機序は霊覚器でも捉えられないが、肌ではっきりとわかるほど周囲の気温が低下した。
「おおっ。凄い」
姉が感心の声を漏らすと同時に、妹も嬉しそうに尻尾を伸ばす。今回はシルティの言葉が聞こえていたので、レヴィンもこれがローゼレステの仕事だとわかっているのだ。姉妹揃ってローゼレステに感謝を告げる。
【それじゃ、ちゃちゃっと済ませちゃいますね】
シルティは
飛鱗〈瑞麒〉で綺麗に首を刎ねた方の陽炎大猫へと足を向ける。
【さっきも言いましたが、お腹を開いて臓物を抜きますから、どうしても汚れてしまいます。
【ローゼでいい】
「……。えっ!?」
まさかの出来事にシルティの動きが止まった。
ギギギ、という軋み音が聞こえそうなぎこちない動きで振り返り、ウイスキーの中で揺らめく青虹色に視線を向ける。
【私のことは、ローゼでいい。……シルティ】
【ロ。……ろ。ローゼ。……ちゃん】
【ローゼがいい】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます