第169話 雑談



 十七歳であること。ノスブラ大陸出身であること。自分とレヴィンの関係性。ローゼレステがお酒を好きなように、自分は刃物が好きなこと。

 などなど。

 広大な草原を当てもなく彷徨さまよいながら、シルティは取り留めのない雑談を続けていた。


(思ってたよりちゃんと答えてくれるなー……?)


 蛮族以外の感情の機微ににぶく、またところどころでズレているという自覚のあるシルティでも、ローゼレステが自分を苦手に思っているらしい、ということくらいはさすがに察している。正直に言えば、もっと冷淡な反応になってもおかしくないと思っていた。

 しかし意外なことに、ローゼレステはシルティを無視することなく、一言ひとこと二言ふたことではあるが律儀に応答を返してくれている。どう贔屓目に見ても盛り上がってはいないが、一応は雑談のていを成していると言えるだろう。

 氷点下のウイスキーという『ご褒美』のために嫌悪感を抑え込んでいるようだ。先日の入浴がよほど気持ちよかったらしい。

 理由はどうあれ、絶好の機会である。今回の狩猟で少しでも親密になっておきたい。

 かのレヴィンもかつてはシルティに激烈な嫌悪感を抱いていたが、現在ではあの通り。一度嫌われたからといって、二度と好かれないというわけではないのだ。


【それで、今日は陽炎かげろう大猫オオネコっていう魔物を狩りに来たんです】

【そうか】

【レヴィンみたいな姿の肉食獣で、顔のここに黒い線の模様があるらしいんですが】


 シルティは右手の人差し指と親指で自身の目頭を押さえると、鼻梁びりょうの横を通して口角までなぞる。

 すると、ローゼレステがシルティの眼前にふよふよと移動してきた。

 もう一度、涙の痕のような軌跡を指でなぞる。わかりやすいよう、先ほどよりゆっくりと。

 ローゼレステの意識がシルティの手の動きを追いかけた、ような気がした。

 霊覚器で捉える水精霊ウンディーネの姿は単なる青虹色の球体で、目や耳に相当する感覚器の位置はおろか身体の前後すらも定かではないのだが、こうして注視しているとなんとなく雰囲気で察せるから不思議だ。もちろん確かめたわけではないので、シルティがそう思っているだけかもしれないが。


【ローゼレステさん、こういう顔の動物って見たことあります?】

【ない】

【ですよね】


 まあ、予想通りである。

 潔癖で知られる水精霊ウンディーネが地上の動物に詳しいとはシルティも思っていない。


【……その、あそこの。レヴィン、だったか】


 とその時、初めてローゼレステの方から話を振ってきた。いい傾向だ。シルティは歩みを一度止め、可能な限り穏やかな笑みを浮かべて首を傾げる。


【はい。レヴィンがどうかしましたか?】

【レヴィンは、あそこでなにをやってる】


 話題のレヴィンは現在、シルティたちの頭上で自身が生成した珀晶の足場に乗り、静かに気配を殺していた。かなりの距離があるため、ここからでは大豆ダイズほどにしか見えない。


【それを説明するには、まず、陽炎大猫のことからですね】


 びしり、と右手の人差し指を伸ばすシルティ。


【動きがとにかく速い魔物なので、こっちから近付いて斬るのはちょっと無理です。逃げられたら追い付けません】

【……それは】


 ローゼレステが身体をぷるんと波打たせた。

 実際に近付かれて斬られた経験者なので、なにか思うことがあるのかもしれない。


か】

【んふっ。はい。ふふ。、です】


 シルティはローゼレステの言葉を、婉曲えんきょくな表現で自分の速度を褒めている、と解釈した。口元をだらしなく緩め、喜びに満ちた笑みを浮かべる。


【実際に見たことはありませんが、陽炎大猫は本当にとんでもないらしいですよ。私も足の速さには自信がありますが……さすがに追い付けないです】


 無論、将来的には追い付くつもりのシルティである。その将来像が現実的かどうかは彼女にとってどうでもいいことだ。そんなことに気を取られていたら生命力の作用が濁ってしまう。やる気に満ちた大言壮語は蛮族にとって紛れもない美徳である。


【それに】


 言葉を繋ぎつつ、シルティは伸ばした人差し指で自分の右目を示した。


【目が凄く良いので。殺せるところまで近付く前に多分気付かれます。そうなるとすぐに逃げちゃうみたいです】


 昼行性の陽炎大猫は視覚的に獲物を探す動物だ。日常的に木に登り、高さを確保して周囲を見渡す。当然ながらその眼球の性能は素晴らしいものがあった。起伏や障害物の少ない草原で彼らに忍び寄るのは至難の業である。

 また、速度に特化した生態のため接近戦を本能的に嫌悪するのか、たとえ小動物が相手だとしても不意に接近されれば一も二もなく逃げを選ぶらしい。無論、充分に距離を取ったあとに落ち着いて逆襲することはあるが、初手の基本は逃走。独り立ちした陽炎大猫が自身への接近を穏やかに許すのは、適齢の異性かつ繁殖期の間のみに限られる。

 つまり、存在を気取けどられた時点で失敗なのだ。

 逃げる陽炎大猫に独力で追い付ける陸上生物は、それこそ六肢動物くらいのものだろう。


【ですので、これを殺すには、向こうから近付いてきてもらう必要があります。私が……ええと】


 囮役をになうつもりなのだ、と簡潔に説明したかったが、水精言語で『囮』に該当する単語を思い付かなかった。少し悩み、表現を冗長なものに変える。


【私がこうやって、無防備に歩いておいて、相手が襲ってくるのを待つ。……襲ってこさせる、という感じですね。ちなみに、今の私のような役割を人類言語では囮と言います】

【……まあ、理解した】

【レヴィンはあの通り私よりもずっと身体が大きいですから、一緒にいると警戒されて襲ってこないかもしれません。陽炎大猫もわざわざ強そうな相手を狙わないでしょうし。まして群れていたら尚更です。だから上の方に隠れて貰ってるんです】


 右目を示していた指をそのまま上空へ。

 先ほどから動作が若干大袈裟なのは、かつてレヴィンを育てた経験を思い出しているからだ。

 レヴィンがまだ人類言語を習得していなかった頃、シルティは身体言語ボディランゲージによって意思疎通を試み、そしてある程度の成功を収めている。

 結局のところ、嚼人グラトン水精霊ウンディーネは別種の生物だ。言葉は一応通じているとはいえ、細かい部分で齟齬があるかもしれない。シルティはそこを身体言語ボディランゲージで補えないか、と考えているのである。


【レヴィンはあそこからでも攻撃ができますからね。問題ありません。殺してもいいよって言いましたから、機会があれば本気で急所を狙うと思います。まー正直、さすがに殺すのはまだ無理だと思いますが……いや、陽炎大猫くらい速いならもしかして……】


 すると、ローゼレステが困惑したように視線を上に向けた、ような気がした。


【……あそこから、攻撃? どうやって】

【え? そりゃ魔法で……あっ。あーそうでした。ローゼレステさん、レヴィンの魔法を知らないんですね】


 陽炎大猫を見たことがないように、琥珀豹を見たこともやはりないのだろう。シルティは魔法『珀晶生成』の概要を掻い摘んで語った。

 語るにつれて、ローゼレステの動きが緩慢かんまんになっていく。

 なにやら驚愕しているような、虚をつかれたような、そんな雰囲気である。


【では。あの奇妙な感触の氷のようなものは。……お前ではなく、レヴィンが?】

【んふふふ。実はそうでした】


 シルティが推測した通り、ローゼレステは珀晶の足場や丸棒を生成しているのがレヴィンだと気付いていなかったようだ。


【だから、次に私たちと空で殺し合うときは、まずレヴィンを狙った方がいいですよ! その時はレヴィンもローゼレステさんの事を殺せるようになってるかもしれませんが!】


 シルティはレヴィンのことを正真正銘の天才だと思っている。このまま順調に成長していけば、彼女の爪牙はいずれ形相切断にも至るだろうと確信している。だが、霊覚器の構築だけはどうしても人類種の手助けが必要だ。早く〈虹石火〉の回収を済ませ、構築に使う朱璃しゅりの購入資金を貯め始めたい。


【……私はもう二度とお前たちとは殺し合わない】

【んう……。私とローゼレステさん。一対一でどっちが強いか、気になりませんか?】

【ならない】

【むうぅん……。成長したレヴィンがどれだけ強くなるか、気になりませんか?】

【ならないと言うのに】

【ぬむ。……っていうか、あの、ローゼレステさん?】


 突如、シルティはねたように唇を尖らせ、ローゼレステに媚びるような上目遣いの視線を送る。


【なんだ】

【私のことはシルティって呼んでくれないんですか?】

【は?】

【レヴィンの事はレヴィンって呼ぶのに】

【お前……お前は、だって……】


 ローゼレステが視線を逸らした、ような気がした。


【お前は、怖いからな……】

【ふふっ。ありがとうございます!】


 蛮族にとって、一度殺し合った相手からの『怖い』は純粋な誉め言葉である。

 ローゼレステの抱く恐怖は、残念ながら随分と歪んだ形でシルティに届いた。


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