第167話 琥珀豹のお仲間



 ローゼレステとの追加契約を結んだ翌日、夜。

 朋獣同伴専門宿屋『頬擦亭』の自室。シルティはベッドの上で仰向けになり、指先で水珠をいじっていた。


 精霊種と人類種が契約を結んだとしても、よほど親密な関係でなければ常に同行することにはならない。精霊種たちは基本的に居心地のいい環境に住んでおり、呼ばれたときだけ契約者のもとに姿を現す。

 そのために必要なのがこの水珠である。精霊種は自身の『ウォークス』で染め上げたものを介し、ある程度の空間的隔たりを無視して移動することができるのだ。

 ちなみに、ローゼレステはいくつかお気に入りの場所にこれを設置しているとか。

 どんな場所なのかは教えて貰えなかったが、いずれはシルティのそばを『お気に入りの場所』と認識して貰いたいものである。


 さて、精霊種たちは種ごとに固有の言語を持っているのだが、マルリル曰く、この『ウォークスで染め上げたもの』に関してはほぼ共通して『インシグネ』あるいはそれに近い発音で表現されるらしい。

 人類言語に直訳すると『印』や『はた』といったところだが、霊術士界隈では実質を重視し、『契約けいやくびょう』と呼ぶと教わった。慣例にならい、シルティもそう呼ぶことにする。


 今は小さな布の袋に入れ、ハーネスのベルトに括り付けて持ち運んでいるのだが、正直言って心許ない。このままではいつか失くしてしまいそうだ。

 音信不通になったとしても契約が破棄されるわけではないが、また空の上までローゼレステを訪ねなくてはならなくなる。

 水精霊ウンディーネ契約錨インシグネは基本的に使い捨てであり、作り出すたびに大きさが変わるのが厄介だが、朋獣認定証のように専用のホルダーを作るべきだろう。革職人ジョエル・ハインドマンに相談すれば、なにか上手い収納方法を考えてくれるだろうか。

 まあ、なにはともあれ。


(いよいよ、って感じだなー……)


 長く念願であった水精霊ウンディーネとの契約は成就した。あとは水中での呼吸方法さえ確保すれば、ようやく愛する〈虹石火にじのせっか〉回収に踏み出せるのだ。

 当初は水精霊ウンディーネ風精霊シルフの協調――原質支配により呼吸を確保しようと考えていたが、金鈴きんれいのマルリルがもっと安価な解決策を授けてくれた。すなどりウサギの魔法『鰓銛さいせん』を再現する魔道具、〈兎の襟巻えりまき〉だ。

 残念ながら港湾都市アルベニセの周辺には生息しない魔物なので、行商経由で取り寄せることになる。『ジジイの店』店主ヴィンダヴルには既に相談済みだ。まあ二月ふたつきもありゃ届くだろよ、とのこと。


 シルティが漂着したあの入り江から港湾都市アルベニセまで、かつては海岸線を辿って四十日ほどだった。今回はレヴィンが逞しく成長しているし、小川を見つけるたびにさかのぼるような必要もないから、旅程はずっと短縮できる。

 食料をたっぷりと持ち込んで急げば、距離的には三十日未満か。

 つまり、最短で三か月後には海底さらいを始められるということである。

 既に十五か月以上も〈虹石火〉を待たせてしまっているので、一刻も早く再会したい。


 とはいえまあ、実際にはもう少し道中に時間がかかるだろう。猩猩の森には蒼猩猩をはじめとする多彩な魔物が生息しているし、奥地に関してはまだまだ未開の地と呼ぶべき環境だ。知られている以外にも数多あまたの魔物が生息しているはず。シルティが不意に遭遇した重竜グラリアも、森の奥地には普通に生息しているのかもしれない。

 実に楽しみだ。

 楽しみ、だが。


(お金、稼がなきゃ……)


 またもや、お金がない。

 ローゼレステとの追加契約に臨むにあたり、のウイスキー三本に加え、大富豪エアルリンが見初めたアクアマリンをで購入している。さらに〈兎の襟巻〉の取り寄せ費用を払ってしまった。

 当然、シルティの懐は瀕死である。日々の食費もあるし、宿泊費も払わなければならないし、ローゼレステを呼ぶためにウイスキーも買い足さなければならない。

 会話内容から察するに、ローゼレステはウイスキーというより氷点下でも凍らない液体に感動していたようだ。〈冬眠胃袋〉で凍らない程度まで酒精が濃いならば、ヴィンダヴルのお気に入りほど高価でなくともよさそうである。

 しかし、蒸留酒というものはそもそもが高級な嗜好品なのだ。

 すぐにでもお金を稼がなければ。


 視線を妹の方へ向ける。

 レヴィンは毛布の上に腹這いになり、晴れて自分のものとなったアクアマリンの裸石ルースを鼻先や前肢で優しくいじくって転がしていた。

 機嫌の良さを表すようにゆったりと動かされる尻尾。既にほとんど元の長さを取り戻している。シルティの想定よりずっと再生の促進が上手い。二十日はかかると思っていたのだが、根本で切断してからまだ半月はんつきほどだ。これなら遅くともには明日の昼には完治する。十全な体調で狩りに向かうことができるだろう。


「レヴィン」


 呼びかけるもレヴィンは振り向かず、尻尾の先端で床面をたんたんと軽く叩いて応えた。ちゃんと聞こえてるからそのまま話して、という仕草だ。若干、おざなりな対応である。今はとにかくアクアマリンに夢中らしい。


「明後日から狩りに行くからね。明日はお昼くらいからミリィちゃんとこ行って、それから買い物」


 食事処『琥珀の台所』の掲示板を確認し、貼り付けられた紙片から良さそうな獲物を物色。その後、調味料やいざと言うときのための保存食など、諸々の消耗品を補充して、明後日から出発だ。


「せっかくだし、ローゼレステさんに手伝って貰いたいね」


 るァゥん。

 レヴィンが肯定とも否定とも取れない曖昧な返事をした。

 初対面で失礼を働いてしまったということもあってか、どうもレヴィンはローゼレステに対し負い目のようなものを持っているらしい。

 そもそも、目視ができず会話もできない相手なのだ。まともなコミュニケーションが取れないのだから、物理的にも精神的にも距離感が全く把握できないのだろう。この苦手意識を克服するのはなかなか骨が折れそうだ。


「もー」


 シルティは苦笑を一つ零したあと、レヴィンの隣に四つん這いになり、もぞもぞと身体をせる。


「ローゼレステさんと仲良くしてよ? 一緒に戦うこともあるんだからさ。海の上とかだったら、やっぱり水精霊ウンディーネが強いと思うんだよね」


 ヴォゥン。

 レヴィンはアクアマリンを前肢で横に転がすと、若干めんどくさそうに寝返りを打ち、シルティの分のスペースを空けた。

 一応、添い寝を許してはくれたが、どうにもつれない態度だ。顎の下をくすぐってご機嫌取りをするも、なしのつぶてである。



 自分と姉の共闘に別の存在が混ざるのはなんかちょっと気に入らない、とこの時のレヴィンは思っていたのだが、残念なことにシルティがそれに気付くことはなかった。





 翌日、昼。

 食事処『琥珀の台所』で美味しい昼食を取ったあと、前肢で顔を丹念にこすり始めたレヴィンをそっと放置して、シルティは掲示板に向かった。

 貼り付けられた依頼紙片を下から順に眺めていく。

 ぱっと見ただけでわかる。最も多いのはやはり蒼猩猩の名だ。アルベニセで魔術研究を行なうにあたり、彼らの魔法『停留領域』を再現する魔道具は必須の設備。どれほど丁寧に使っていても経年劣化はしてしまうため、数年ごとに交換が必要な消耗品である。需要は絶えない。

 シルティは掲示板の上の方へと視線を走らせた。

 蒼猩猩を狩るのもいいが、シルティの遍歴の旅の主目的は強くなること。どうせならまだ狩ったことのない魔物を狩りにいきたいところである。初めての相手との戦闘に飢えない蛮族などいない。


(んー……)


 蒼猩猩。雷銀熊らいぎんグマ。蒼猩猩。

 黒曜百足こくようムカデ土食鳥つちくいドリ。蒼猩猩。

 蒼猩猩。鬣鱗猪りょうりんイノシシ削磨狐みがきギツネ


(んーんん……)


 削磨狐の名が珍しいくらいで、見覚えのある名前ばかりだ。やはり同じ食事処では依頼内容が偏りがちである。

 唯一、〈冬眠胃袋〉の素材である土食鳥は斬った経験がないが、正直言ってあまり食指が動かない。なぜなら、土食鳥はさほど強い魔物ではないからだ。

 巨大で屈強な肉体を持っているし、運動能力自体も高いのだが、性格的に闘争心というものがどうにも欠けているらしい。その身に宿す魔法『熱喰ねつばみ』のおかげでほぼ食事に困らないからだろう。

 さらに言えば警戒心もあまり強くなく、火を焚いて適当に隠れていれば炎をついばみに寄ってくるとか。つまり、レヴィンが居たらなんの苦労もなく一発で捕まえられる獲物なのだ。

 一方的な殺しを成し遂げる暴力はもちろん素晴らしいものだが、シルティは基本的に、殺しではなく殺し合いが好きである。


 昼食を取ったばかりだが、別の食事処に行ってみようか。レヴィンはもう満腹のようだが、嚼人シルティは食べようと思えばいくらでも食べられる。元々、猩猩の森に近い西区では蒼猩猩の依頼が多いのだ。別の地区ならば目新しい依頼があるかもしれない……と、その時。


「お?」


 シルティの目が一枚の紙片に留まった。

 まずは報酬を確認。そこそこ美味しい金額だ。

 部位の指定はなし。つまり、狩った死骸を丸ごと持ってこなくてはならない。しかし、指定された個体数がちょうど二匹だ。姉妹の〈冬眠胃袋〉に一匹ずつでぴったりである。

 無駄がない。これはいい。

 そこに記された魔物の名は。


陽炎かげろう大猫オオネコ……」


 小さな呟きを耳聡く聞きつけたレヴィンは耳介をぴくりと動かし、即座に顔を洗うのを止め、店内をのしのしと闊歩した。他のお客様たちと看板娘が感動と畏怖の籠った視線を向けてくるが、全てを悉く無視。そのままシルティの隣を陣取り、側頭部を姉の脇腹に擦り付け、上目遣いをしながら喉を鳴らした。

 シルティにはわかる。念のためもう一回言って欲しい、と要求している。


「陽炎大猫だってさ。掲示板に貼ってあるの、初めてだよね」


 軽くしゃがみ込み、妹の鼻鏡びきょうを指先でつんと突っつく。


「んふふ。レヴィンのだ。どっちが強いかな?」


 レヴィンの口唇が捲れ上がり、長い白牙が露わになった。

 姉にそっくりな、蛮族の笑みである。


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