第163話 焼肉球



 ついつい話が脱線してしまったが、いよいよ蒸留の開始だ。

 刃物愛好家二名が協力してサイキス河の派川から水を運び、目の細かい布をかぶせたククルビットの給水口に注ぎ入れる。充分な量が溜まったら別の清潔な布を丸め、給水口に固く詰めて密封。さらに冷却槽も水で満たす。ついでにシルティは頭から水をかぶっておく。

 これで準備完了。あとは熱するだけだ。

 シルティは土台にあがってククルビットの真正面に立ち、腰に吊るした〈ジャラグ〉を滑らかに抜刀した。中段に構えた打刀うちがたなを膨大な生命力が満たし、燦紅鈥カランリルの刀身が虹色に揺らめく。


「んふ。……じゃ、始めよっか」


 ヴォゥン。レヴィンが了承の唸り声を上げつつ、土台のそばへ向かった。

 下半身を地面の上に残したまま両の前肢のみを土台の上に。体重を軽く乗せて肉球を押し潰しながら、感触を確かめるようにしっかりと踏み締める。

 瞼を閉じて視覚を遮断、触覚に集中。手触りを入念に刻み込んだら瞼を開き、魔法を行使。かたどる形状は自身の右前肢だ。ククルビットの表面を踏み付けるような形で、接触した状態に生成する。

 自身の肉体だけあってその精度は凄まじく、被毛の先までしっかりと再現されていた。石膏などで型取りしてもここまでのものは作れないだろう。透明であることを除けば完璧な複製である。


「いくよ。一回一回、集中して、真剣にね」


 言葉と共に一歩踏み込み、シルティは〈ジャラグ〉を振るった。

 初めて使う刃物であっても彼女とっては己の腕の延長そのもの。紅玉色の刃は思い描いた通りの軌跡を寸分の狂いもなく実現し、ククルビットには一切触れず前肢型珀晶のみを真っ二つに両断した。

 ああ。素晴らしい切れ味だ。硬脆こうぜいな珀晶に罅一つ与えない。さすがはシグリドゥル自慢の逸品、純粋な刃物としても一級品である。

 この打刀ならば膜のように薄いガラス板だって割らずにすぱりと斬れるだろう。シルティは引き伸ばされた主観時間を存分に貪り、恍惚とする。

 直後、〈ジャラグ〉がその特性を解放。

 己の軌跡を空間に焼き付けるように、扇形の火炎がほとばしった。


(うおッ)


 シルティが想定していたより、七割ぐらいデカくて激しい。


「だっ、ちっ、ちちち……」


 炎に包まれそうになったシルティは慌てて後方へ跳躍し、ククルビットから距離を取った。


「びっ……くり、したぁ……」


 即座に装備を検める。

 生命力をたぎらせていたおかげで武具への強化は十全だ。革鎧はもちろん鎧下も無事、〈ジャラグ〉も美しいままである。

 前髪は少々焦げてしまったが、鉱人ドワーフ以外の人類種は体毛に身体強化を及ぼすのが苦手なので、これはまあ仕方がないだろう。

 続いて、ククルビットに目を向ける。


「おっ。ちゃんと燃えてる!」


 なめらかな黄金色の表面に紅葉色の火炎が纏わり付いていた。可燃物などないにもかかわらず燃焼は安定して持続されており、まるで空間そのものが燃えているかのよう。

 燦紅鈥カランリルの噴き出す火炎は熱量も凄まじいが、これをより致命的なものと変えているのが、この超常的なだ。

 接触対象が不燃物だろうと可燃物だろうと油のように吸着し、さらに短時間であれば燃料無しでも維持される。引き金となった衝撃の強さにもよるが、心臓の鼓動で五回から十回分程度の時間は消えない。時間経過と共にこの粘性は薄まり、やがて普通の炎と同様の振る舞いをするようになるが、尋常な生物にとってはまさしく致命的だ。

 燦紅鈥カランリルを繭として生産する鈥峰かほう天蚕テンサンは、幼虫時代も成虫時代も比較的大人しい魔物なのだが、蛹化ようかしている間だけは妙に殺意が高いのである。生息地では反抗期のある虫と言われているとかなんとか。


「よかった。ちゃんと蒸留できそう」


 ともかく、狙い通り。

 ああして燦紅鈥カランリルの炎を纏わり付かせておけば、効率的にククルビットを熱することができる。予想を遥かに超える火力だったが、レヴィンが充分な体積強度を確保してくれたおかげでしっかり耐えてくれたようだ。

 シルティは満足げに頷いたあと、絵に描いたような興奮の表情を浮かべ、右手に握る〈ジャラグ〉に愛の目を向けた。


「しっかし、きみ、〈くれない乙女おとめ〉よりずっと激しいんだね。んふふ。かっこいいなぁ……」


 遍歴の旅を終えて故郷へ帰還した蛮族の戦士、バイロン・ヘイズ。

 シルティの先達である彼の愛剣〈紅乙女〉は、この〈ジャラグ〉と同様に燦紅鈥カランリル製だったが、ここまで熱烈な噴火特性は持っていなかった。


「それは多分、わざと純度を落としてる」


 シルティの呟きを受け、シグリドゥルが鍛冶師としての見解を述べる。


「ふむん? 燦紅鈥カランリルの純度落とすのって、すっごく難しいって話じゃなかったっけ」

「不可能ってわけじゃない。でも、凄く繊細な技術わざ鉱人ドワーフ以外にはできない、と思う」


 燦紅鈥カランリルは純度の低下に伴い噴火特性を加速度的に失う。この喪失があまりにも急激なので、狙った状態に調整するのは鉱人ドワーフであっても至難の業だ。鈥峰天蚕の繭の品質も関係してくるので、運の要素も大きく絡む。

 シグリドゥル曰く、どれだけ冶金やきんの腕が良くとも、望みの純度の地金インゴットが出来上がるのは千に一つか二つと言ったところだとか。


 おそらくバイロンは、燦紅鈥カランリル噴火殺傷能力と自身の戦闘技能の兼ね合いを熟考した結果、純度を少し落とすよう鍛冶師に注文したのだろう。

 きっと〈紅乙女〉の完成の前には無数の試行錯誤と幾振りもの失敗作が横たわっているに違いない。支払った料金もとんでもないことになっているはず。だがその結果、バイロンは竜をも殺しる素晴らしい牙を手に入れた。彼に後悔など微塵も存在していないだろう。


「なるほどー……。ちなみに、シグちゃんは〈ジャラグ〉の純度を落とそうとは思わなかったの?」

「他のヒトに打つなら、それもあったかも。でも、この子は私が私のために打ったものだから」


 彼女は『ヤバい素材ならそのヤバさを殺さず存分に暴れさせた方がイカしてる』と考える性質たちである。注文を受けて打つならばもちろん自重するが、趣味で打つならば枷など存在しない。

 シルティは共感に満ち溢れた笑顔を浮かべた。


「ふふふっ。気難しい子もそれはそれで可愛いよね!」

「そう。ほんとそれ。……本当はなかごを鍛接するのもやめようと思った。いろいろ試した。……でも、無理だった。どうやっても手が焼けるから……」


 つか程度の大きさでは、どれほど断熱性の高い耐火材であっても充分な性能は発揮できなかったという。燃え上がったり溶けたりということはなくとも、すぐに持つのは不可能な温度に達してしまうのだ。

 鍛冶仕事で使う耐熱革手を着用してすら短時間持つのがやっとの有様ではさすがに実用性がなさすぎるので、大人しく真銀ミスリルを鍛接することにしたとのこと。

 シルティはくすくすと笑いながら〈ジャラグ〉をひゅるんと振り回す。

 火炎になり損ねた熱波が広がり、陽炎かげろうが生じた。

 シルティにとってはその揺らめきすら愛おしい。


「でもこれ、すっごく可愛いよ? やっぱり真銀ミスリルの甘えっぷりは格別というかさー」

「わかる。なかご真銀ミスリルを使ったのは初めてだったけど。手の中では甘えてくるのに外だと暴れん坊なの、死ぬほど可愛い」

「わかるぅー! ふふふ。もー、シグちゃんといると、ついつい刃物に花を咲かせちゃうなー」


 にまにまと笑い合う二人の耳に、タン、タン、タン、という周期的な音が届いた。

 はっとして音源の方向に視線を向けると、レヴィンが前肢で珀晶の土台を叩いていた。

 いつになったらちゃんと始まるの、とでも言いたげな表情で、姉をじっと見つめていた。


「あっ……はい。ごめんなさい。ちゃんとやります」


 シルティは〈ジャラグ〉を握り直した。


「んンッ」


 咳払いを一つ挟み、そのまま上段に構える。

 踏み込み、右袈裟。生み出した慣性を両脚へ流し、身体を軽やかに翻す。転回の勢いを乗せ、水平左薙ぎ。沈身、刀身を右肩に担ぎつつ前方へ、撫で斬りを意識した擦れ違いざまの逆胴。そのまま前方へ抜ける。

 想像上の噴火をことごとかわし、シルティは満足げに頷いた。

 これならいけそうだ。

 予想以上ではあったが、これはあくまで火炎の噴出であり、雷銀熊らいぎんグマの『炸裂さくれつ銀角ぎんかく』ほどの甚大な衝撃を伴うわけではない。

 既に体感した。斬り込む角度と体捌きで充分に掌握する自信がある。


「よし。お待たせ」


 レヴィンの溜め息と共に出現した珀晶の前肢。今度は左前肢だ。

 唐竹割りで両断し、噴火を躱す。

 三個目の珀晶。左逆袈裟で斬る。

 四個目。逆胴で断つ。

 五個目。腰を落としつつ水平左薙ぎ。六個目。真っ直ぐに貫く。七個目。手首で打つコンパクトな左逆袈裟。

 一回一回、心を込めて、丁寧に斬る。

 獲物を食い破る度に燦紅鈥カランリルたけり狂った。飽和した火炎はククルビットの表面からしたたり落ち、土台に広がって空気を炙る。

 周囲の気温がみるみるうちに上昇していく。


(ひぃ、い……)


 斬り続け動き続けるシルティはあっという間に汗塗あせまみれになり、離れた位置に座っているレヴィンも顎を大きく開いて口呼吸を始めた。さすが鍛冶師と言うべきか、唯一シグリドゥルだけは涼しい顔をしている。

 もちろん、火炎に纏わり付かれるククルビットがこうむる被害は動物たちの比ではない。両断した前肢が三十を数える頃には湯気で真っ白にくもり、五十を超える頃には中身が沸騰し始めた。蒸気がアランビックを通って受け瓶へと噴き付けられ、凝縮されて内部に溜まり始める。

 そうして、百十四個目の珀晶。

 全開にしていたシルティの霊覚器に、ほんのりと淡い虹色の揺らぎが映った。


「ふッ!」


 逆風さかかぜの一撃で真っ二つに両断し、直後、ぴたりと動きを止める。

 うだるように熱い空気を吸い込んで吐き出し、肺腑の働きを速やかに整え、構えを解いた。

 視線を後方へ。土台に前肢を乗せているレヴィンに笑顔を見せる。


「今のちょっと良かった! その調子!」


 ヴォゥン。

 誇らしげに唸り声を上げる琥珀豹の両前肢からは、という燃焼音と共に儚げな白煙が立ち上っていた。


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