第162話 着色の可能性



「レヴィン、お願い」


 シルティの要請を受け、レヴィンが魔法を行使した。

 生成されたのは、高さがシルティの身長の二倍半ほどもある直立した巨大フラスコ瓶。蒸留の際に原料を入れて熱する方のフラスコ瓶で、専門的な用語では『ククルビット』と呼ばれるものだ。細い首の根本には給水用の口が開いており、そこに辿り着けるよう側面からは梯子はしごが伸びていて、さらに地面付近で分厚く広く平滑なに接続されていた。蒸気を収集するための湾曲した漏斗アランビックも被せた状態になっている。

 全てが一体型で生成されているので体積は充分だ。これならきっと燦紅鈥カランリルの噴火にも耐えられるだろう。

 さらに、アランビックの先端に凝縮室となる受け瓶を生成し、その受け瓶を冷やすための冷却槽を追加で生成すれば、巨大な蒸留器の完成である。


「おお。凄い」


 魔法『珀晶生成』を見た経験に乏しいシグリドゥルが感嘆の声を漏らした。


「……というか、少しずるい」


 直後、御髭おヒゲをもしゃもしゃと揉みながら嫉妬の声を漏らす。物品を創り出す職人として、思い通りの形状を瞬時に完成させられる琥珀豹の魔法はやはり羨ましく思えるらしい。

 ちなみに、本日のシグリドゥルは仕事中いつもとは違い、鉱人ドワーフの女性らしく髪と髭を綺麗に編み込み、控えめな髪飾りと髭飾りを付けている。同じ刃物愛好家でも、蛮族の娘よりも鍛治師の娘の方がお洒落に気を遣っているようだ。一応、シルティも髪の毛をくしけずったり、適当に編み込んだりすることはあるが、それはお洒落というより戦闘の邪魔にならぬようにという意味合いが強い。幼少期は丸刈り頭にしようとしていたくらいである。母ノイア・フェリスが止めたので実現はしなかったが。


 羨望の眼差しを受けたレヴィンは洞毛ヒゲを揺らしたあと、不意に明後日あさっての方を向き、無言のまま立て続けに魔法を行使した。

 巨大な鉱山斧こうざんふ。短柄のハルバード。分厚いバックソード。湾刀タルワール、プルワー。大振りのククリナイフ。身の丈ほどもあるツヴァイヘンダー。七つの風火輪。

 かつて鍛冶屋『髭面の孫』で披露されたシグリドゥルのコレクションが次々と再現され、空中に展示される。


「ぃひっ」


 その途端、シルティが戦闘中のようなキレを発揮してうきうきと刃物の群れに突入していった。まるで灯りに誘引されるのようだ。

 よだれを垂らさんばかりの姉を見送ったあと、レヴィンはシグリドゥルに期待のこもった視線を送り、澄まし顔で洞毛ヒゲをぴくぴくと揺らす。さあもっと褒めろ、とでも言いたげである。

 しかし、シグリドゥルは不満そうに目を細めた。


「違う。全然ダメ」


 予想外の言葉を聞き、レヴィンの動きが止まる。

 シグリドゥルはまず、鉱山斧の〈スリアヴ〉を指し示した。


「レヴィンの〈スリアヴ〉は斧頭が小さいし、なにより突起ピックの角度がキツすぎる。これじゃ自然に振った時に垂直に当たらない。が少し細いのも気になる」


 続いて、短柄のハルバードに指先を向ける。


「〈ゴッヴォ〉は刺先スパイクの身が広すぎるのと、が指一本分短い。ただでさえ柄が短いんだから、これじゃ重心が合わない。使いにくい」


 バックソード。


「〈スペイシュ〉のフラー、適当にやってるね。本数と長さが違う。フラーはただの装飾じゃないよ。珀晶は違うのかもしれないけど、普通の素材は切欠きがあると物凄く弱くなるから。ねばい素材でも脆くなったりする。かどあなみぞを作るならちゃんと考えて」


 タルワール、プルワー。


「〈ガーラィ〉は刃先の方のシルエットが少し下品。撫で斬りした時に抜けにくいから手首に負担がかかる。〈ピナー〉は身幅はぴったりなのに紙二枚分くらい薄い。そのせいで刃角が狂ってる」


 ククリナイフ、ツヴァイヘンダー、風火輪。


「〈メァファン〉は私の遊び心でチョーを波刃セレーションにしてある。〈フェアヴラ〉は柄頭ポンメルが球じゃない。殴れるようにフランジが付けてあったでしょ。リカッソも少し短い。それから、〈シャクト〉は把持と月牙げつがにも刃を付けてある。これは岑人フロレスが使うもの。自傷は気にしなくていい」


 容赦のない長々とした批評が叩き付けられた。

 言われても常人にはほとんど理解できないような些細な点だが、鉱人ドワーフであり製作者であり刃物愛好家でもある彼女にとっては致命的なほどの瑕疵かしに感じられるらしい。

 シルティは周囲に展開されたそれぞれの刃物に目を向け、腕を組みながらうんうんと頷きながら「さすがシグちゃん」などと呟いていた。周知の通り、彼女は刃物に関しては全く常人ではない。


 自信のあった精密模造に落第点を付けられたレヴィンは、虚を突かれたように目を真ん丸に見開いたあと、低く唸り声を上げ、前肢を揃えて姿勢を正す。

 力量不足を指摘された際、不貞ふてくされずに真摯に反省できるのも、戦士としての重要な資質の一つである。

 レヴィンは刃物を模した珀晶をすぐに全て消去した。シルティががっくりと肩を落としたが、今はそれどころではない。

 ダメ出しされた点を当なりに改善して、まずは鉱山斧の〈スリアヴ〉をシグリドゥルの眼前に再生成。真正面からじっと鍛治師を見つめる。


「うん。よくなった。でもまだ違う。〈スリアヴ〉は筋力で使うための刃物。斧刃はもう少しハマグリにして、突起ピックにぶく……」





 シグリドゥルの細かな修正を受けながら再生成すること七回目。

 ようやく納得のいく出来栄えになったらしい、鉱人ドワーフの娘は満足げに頷いた。


「ばっちり。いい勘してる」


 レヴィンもまた満足げに喉を鳴らし、シグリドゥルの髭や髪に感謝を込めて毛繕いグルーミングを施す。シグリドゥルのお洒落を崩さないよう控えめに。

 同じ刃物狂いの愛の吐露とろでも、刃物に関しては可愛いだの綺麗だの格好いいだの振り心地が気持ちいいだのしか言わない使い手シルティと違って、作り手シグリドゥルは機能面や構造面での具体的な言及が多かった。理論派のレヴィンにはシグリドゥルの方がずっと理解しやすかったらしい。

 シグリドゥルが微笑み浮かべながらレヴィンの後頸部うなじを揉んだ。


「これからももっといろんな刃物を覚えて。そうすればきっと、自分で刃物が作れるようになる。刃物造りは死ぬほど楽しい。早く


 どこか粘性を感じさせる声音で、シグリドゥルは己がひそむ底無沼へといざなう。

 レヴィンは毛繕いグルーミングを中断し、顔を逸らしながら耳介をぺたりと横に倒した。

 珀晶で複雑な構造を模倣したり、状況に適した形状を考えたりするのは間違いなく好きなのだが、刃物に関してシグリドゥルほどの領域に至りたいかと問われると、それはちょっと遠慮したい、というような表情である。


「……そういえば」


 不意に何かを思い出したのか、シグリドゥルはシルティの方へ振り返った。


「お爺ちゃんに聞いたことがある。塗染ぬりぞめ孔雀クジャクって魔物が、羽根で触ったところの色を思い通りに変える魔法を宿してるって」

「ほうほう! 初めて聞く名前!」


 予想外の情報に、シルティが顔を輝かせて食い付く。

 レヴィンにとっても興味深い内容だったのか、倒していた耳介をプルンと震わせながら立てた。


「空気の色だって変えられるって言ってたから、上手く魔道具にしてレヴィンが使えば、珀晶の色を変えられるかも」

「んんん。いいなあそれ。すっごい欲しい」


 珀晶は基本的に黄色かつ透明であり、内部構造を工夫しても半透明が限度。これに手軽な着色が可能となれば造形の幅は一気に広がる。魔法で様々なものを模造するのはレヴィンの趣味の一つなので、これは是非ともプレゼントしたい。同じく趣味の一つである天体観測にも役立つはず。鏡筒きょうとうを黒く染めるだけで望遠鏡の性能は跳ね上がるからだ。色を変えられるというが、例えば無色に変えることはできるのだろうか。もし、表層だけでなく内部の色まで変えることが可能ならば、是が非でもレンズを無色にしたいところ。

 レヴィンの趣味を抜きにしても、単純に狩猟用途でも有用そうだ。臨機応変な迷彩というのは非常に凶悪な暴力。岩石や倒木などの自然物を模した珀晶の中に潜んで獲物の接近を待ち、シルティが珀晶ごとぶった斬れば、視覚的にはほぼ完璧な不意打ちとなるだろう。


「その塗染孔雀って、アルベニセには居ないの?」

「生息しているのは、カラキザドニアよりもっと先」

「んあ。遠いなあ……」

「お爺ちゃん、若い頃はそっちに住んでたんだって」


 カラキザドニアはシルティが本来到着する予定だった港街の名で、アルベニセの隣の隣の隣の隣の都市である。さらにもっと先に生息しているという話だから、現在地から見ると相当に遠い。塗染孔雀の魔道具を手に入れられるのは家宝〈虹石火〉を引き上げたあとになりそうだ。

 レヴィンが姉を上目遣いに見つめながら、小さく欠伸あくびのような声を漏らした。シルティにはわかる。あれはだ。日頃あまり物欲を露わにしないレヴィンだが、着色用魔道具には食指が強烈に動いたらしい。


「ふふ。いいよ。そのうち買おっか」


 シルティが約束すると、レヴィンはまだ完治していない尻尾をまっすぐに立ててのしのしと歩み寄り、姉の胸元にズンと頭突きを見舞った。そのまま側頭部を荒々しくり付け始める。よほど嬉しかったのか、圧が強い。

 シルティは身体能力を増強してそれを受け止めながら、シグリドゥルに輝かんばかりの笑顔を向けた。


「ありがとシグちゃん。ノスブラに帰る前に、絶対、また来るから」


 シルティが遍歴の旅の途中だということはシグリドゥルも知っている。


「その時はレヴィンにサウレド大陸中の刃物を再現して貰って、一緒に鑑賞会しようね! ちゃんと色付きで!」

「うん。私も新しいの作るから。楽しみにしてて」

「楽しみっ!」


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