第161話 ジャラグ
三日後。
港湾都市アルベニセの外、南南東にしばらく進んだ位置。
サイキス河の小さな
「ふふふ……」
にまにまと、この上なくだらしのない笑みを浮かべるシルティ。
目の覚めるような赤い刀身を持つ、一振りの
超常金属
昨日、シルティは替えの
大量の蒸留水を用意するには大量の燃料が必要になる。決して安いものではない。その点、
ゆえに、本日の蛮族はこうして深紅の打刀を握っている。
ちなみにこの打刀、銘を〈ジャラグ〉という。
命名者はもちろん製作者のシグリドゥルだ。彼女は注文を受けて鍛えた刃物に関しては命名しないようにしているのだが、趣味として打った刃物には全て固有の銘を付けていた。シルティには耳慣れない響きだが、〈ジャラグ〉というのは古い
シルティとしては、なんというか、非常に納得感のある命名だ。〈
「はぁぁ……」
湿度の高い吐息を漏らしつつ、シルティは右手に握る〈ジャラグ〉の刀身をじっとりと眺めた。
重ねの厚い刀身は剛健であり荘厳だが、
にぎにぎと手の内を確かめる。
少し甘えてくるような感覚があるのは、
「はぁ……ほんと綺麗……かっこよ……」
ゆったりと片手上段に構え、右足を気負いなく踏み込み、神速の右袈裟。刀身を返しながらさらに前へ踏み込み、初太刀を綺麗に遡る左逆袈裟。
シルティの顔面と首筋をもわっとした熱気が撫でた。
空気を斬ってさえこの熱量。強靭な動物の毛皮や肉を斬ったならば、一体どれほどの暴力を生み出せるだろうか。
「ぃひっ」
笑いが止まらない。
だからこそ、
当然、使い手を殺しかねないこの〈ジャラグ〉も、シルティにとっては死ぬほど可愛かった。
「んふふふふ……」
人目も
辛うじて残ったなけなしの理性が、刀身への頬擦りをギリギリで踏み止まらせている。
そんな姉の姿を、レヴィンが珍しく、興味深そうに眺めていた。
シルティの刃物愛にあまり共感できていないレヴィンだが、今回は特別。火という現象を殊更に好む彼女にとって、ぶつけるだけで火炎を生み出す
「ふふふふふ……」
それを見守る
シグリドゥルの鍛冶の腕前は、一流の狩猟者である祖父ヴィンダヴルにも認められるほどの域に達している。
あいつが産まれんのがもう二十年も早けりゃ俺の
しかし、実際に刃物を使う才能については、残念なことに酷く乏しいと称するほかなかった。
いや、才能が砕けてしまった、と言うべきかもしれない。
シグリドゥルが初めて満足のいく
二十年以上経った今でも、その心的外傷は癒えていない。
相変わらず刃物を心底から愛しているので、自分の身体の延長と見做すことはもちろんできる。初めて触れる刃物であっても、シルティに匹敵するほど迅速に自己延長感覚を確立できる。ただ刃物を持つだけならば気を
だが、いざこれを振るう段階になると。
自分のせいで刃物がまた折れ曲がってしまうのではないかという恐怖が思考を染め上げ、生命力の作用が負の方向へ働いてしまう。
どうしても、過去の記憶が拭い去れない。
ゆえに、シグリドゥルは自分の作品が使われる場面の観賞を殊更に好んだ。
自分では引き出してあげられない
シルティに〈ジャラグ〉を使ってと申し出たのは、実のところ友人への厚意というより、自分自身の欲求を満たすため。
特に今回は使ってくれるのが
「よしっ。いけそう」
何度か
鯉口を左手で握り、刃を誘導して切先を入れ、角度を合わせた
ここ数年で最も気を遣った納刀を終え、シルティは
「シグちゃん……」
恍惚としながら振り返る。
「この子、ほんっと、最高っ……こんなに綺麗なのに……振り応えは、むしろかっこいい、感じがする……」
興奮しすぎて途切れ途切れになった称賛の声を受け、シグリドゥルも満面の笑みだ。
「ありがと。〈ジャラグ〉も喜んでる」
「んふふふ……」
「今日はいっぱい斬るところ見せて」
「うんっ! この川辺を燃やすつもりでやるね!」
「うん」
朗らかに微笑み合う刃物狂いたち。
二人に比べれば幾分冷静なレヴィンが、何とも言えない視線を送っていた。
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