第160話 追加の対価



「それで、先生にご相談が」

「なにかしら?」


 マドレーヌを一つレヴィンに差し出しながら、マルリルが答える。

 レヴィンはゆったりとした動きで鼻を近付け、匂いを念入りに確認したあと、ベロンと舐めて口内へ持ち去った。直後、動きを止める。クッキーに似た匂いのくせに初めての食感だったため、少し驚いたのだろう。だが、すぐに気を取り直したように飲み込んだ。表情から察するに、どうやら美味しかったらしい。


「ローゼレステさんと契約した内容は〈虹石火〉回収への無償協力なんですが、私としてはもうちょっといろいろ頼んだりして、仲良くなりたいんです」

「うん、折角だものね」


 二人の会話を他所よそに、レヴィンは薄っぺらい舌で口唇を舐めながらマルリルに上目遣いの視線を送った。無言でお代わりを要求する。マルリルが二つ目のマドレーヌを差し出すと、態度で感謝を示しながらぺろんと飲み込み、ごるるると喉を鳴らす。それから、前肢で口元をこすり始めた。ご馳走様、の合図である。

 姉の影響もあって様々なものを口にするレヴィンだが、やはり本職は肉食動物。魔物の消化器はらわたは総じて強靭だが、場合によってはお腹の調子が悪くなるかもしれないので、美味しくても大量には摂取しないことにしているのだ。


「それで、水精霊ウンディーネさんが喜ぶような対価を一緒に考えて欲しくて……」


 ローゼレステに別の仕事を頼むならば、追加の対価が必要になるだろう。だが、シルティにはこの『追加の対価』に相応しい事柄が思い付かなかった。そこで、頼りになる先生の助力を乞うたのである。

 マルリルは伸ばした人差し指を自らのおとがいに当てながら考え込んだ。


「んんんー……そうね……」


 火精霊サラマンダーたちは煙の少ない火炎を殊更に好む。ゆえに、上質な炭を用意して、効率のよい炉などにべてやると喜ぶ。

 風精霊シルフたちはなぜか植物を熱した時に発する蒸気を好む。ゆえに、香りのよい生の茶葉などを調達して、じっくりと焙煎ばいせんしてやると喜ぶ。

 地精霊ノームたちは鉱物を好む。特に、単結晶を好む。さらに言えば、それが丁寧に磨かれたものを好む。ゆえに、質のいい大粒の宝石を贈呈すると喜ぶ。

 これらに共通しているのは、純粋な自然物ではなく、大なり小なり人類種の技術が関わって生まれる成果であるということ。

 精霊種は総じて文化文明というものをいとい、自然豊かな環境を住処とするのだが、それが対価となると一転して自分たちが持ち得ない『技術』に価値を見出すものらしい。


 さて、では肝心の水精霊ウンディーネはどうか。

 清浄で膨大な水を好む、ということまではわかっているが。


水精霊ウンディーネは……本当に、情報がないのよねー……」

 氷水が好きだという話もある。

 氷水を差し出したら怒り出したという話もある。

 強い酒が好きだという話もある。

 強い酒を見た途端に逃げ出したという話もある。

 水精霊ウンディーネとの契約は、数が極端に少ない上に、事例の内容が全く相反することが多いのだ。同種でも個体による差異が大きいのかもしれない。

 宝石のアクアマリンを好む、などという話まであった。まあ、これは地精霊ノームと間違っているのではないか、とマルリルは思っているが。


「やっぱり、そうですよね……」


 シルティが眉を八の字にし、困惑を乗せた吐息を吐き出す。


「うーん……。綺麗な水が好きなのは間違いないと思うから……。他の四大精霊の好みからすると、やっぱり、ちょっと人類種の技術を加えた方がいいのかしらね?」

「綺麗な水を大量に作るってことですか? 濾過ろかとか?」

「あとは、蒸留もあるわね」

「蒸留。……そう言えば船に乗ってたとき、晴れた日は甲板かんぱんで水を作ってたような」


 船を使った長旅ではどうしても真水が不足する。嚼人グラトンであれば海水だろうと泥水だろうと肉体的には平気だ。しかし、他の種族はそうもいかない。ゆえに、長距離を進む船には海水を蒸留して真水化する装置が搭載されているのが普通である。

 かつてシルティが乗り、そして牙鯨きばクジラかじられて沈没したあの船には、ノスブラ大陸で安価に手に入る点火用魔道具〈蜻蛉トンボの尻尾〉の高火力版を使って海水を熱する大型の蒸留器が三台載せられており、血縁を結んだ担当者三名が定期的な造水を行なっていた。


「蒸留器かぁ……。どこで買えるんだろ……」


 港湾都市アルベニセで生活を始めて一年と一か月ほど。色々と見て回ったが、今のところ蒸留器のような品物を取り扱っている商店を見たことはない。まあ、日常生活で使うような品物ではないので仕方がないか。フェリス姉妹の生活範囲は基本的にアルベニセ西区に収まっている。別の区にも足を伸ばしてみたら見つかるかもしれない。

 あるいは特注するという手もある。精密な加工といえばやはり鉱人ドワーフが一番だ。同好の士である鍛治師シグリドゥルに声をかけてみようか。シグリドゥル自身が作れなくとも、職人同士で横の繋がりがあるだろうから、誰か腕のいい金工職人を紹介して貰えるかもしれない。

 などと考えていると。


「そういえば珀晶って、火にも耐えられるのかしら?」


 マルリルが不意に疑問を呈した。

 自分の魔法を話題に上げられ、レヴィンの耳介がぴくんと跳ねる。顔を洗うのを中断してマルリルを見上げながら、ヴォゥンと肯定の唸り声を上げた。


「普通の焚き火くらいなら全然大丈夫です」


 シルティが補足する。

 まな板を宙に浮かべて食材を斬ったり、板状や網状の珀晶で肉を焼いたり、深い鍋を作って煮炊きをしたり。ここしばらくは空の上だったので出番はなかったが、猩猩の森で野営をする時などは珀晶製の調理器具が大活躍なのだ。煙突付きのかまどやオーブンのような調理を生み出すことさえ容易い。おかげで狩猟中のフェリス姉妹は信じられないほど身軽である。今なら海水から塩を作るのも簡単だろう。

 さすがに鍛治に使われるような高温の炉に入れてどうなるかはわからないが、少なくとも焚き火程度の温度であれば珀晶が融解することはないらしい。そもそも、珀晶に融点が存在するのかどうかも不明なのだが。いつか機会があれば実験してみたいとシルティは思っている。

 ただ、火にかけた際、亀裂音と共に消滅してしまうことはあった。細長かったり厚みに変化があったり、不均一な構造の一部を急激に熱すると割れが起こりやすい。尋常な物体と同じく、熱による膨張は発生しているようだ。

 しかし、体積が大きければ熱衝撃に対する抵抗力も向上するようで、細い糸状に生成した珀晶でも充分に長いものであれば割れなかった。この辺りはさすが超常の物質と言ったところか。


 シルティの説明を聞き終わり、マルリルは満足そうに頷く。


「なら、レヴィンに作って貰ったらいいんじゃないかしら? あんな質のいい望遠鏡が作れるんだもの。簡単じゃない?」

「私、蒸留器ってあまり知らなくて……」


 濾過装置の構造ならばシルティも詳しい。自身で何度も作ったことがあるからだ。レヴィンに説明し、再現して貰うことも容易いだろう。

 だが、蒸留器の構造は全くわからない。船上搭載の蒸留器はたる型の外装で覆われていたので、中身も見えなかった。一応、湯を沸かして蒸気を冷やして水に戻すという流れぐらいは知っているが、経験もないし、妹に教え込めるほどの理解度ではない。


「……先生、お詳しいですか?」

「見たことくらいは。エアルリンが立派なものを持ってるから、自慢されたわ」

「え。エアルリンさんが?」


 シルティは首を傾げた。

 槐樹かいじゅのエアルリン。アルベニセ有数の富豪であり魔術研究者でもある彼女が、いったい何に蒸留器を使うのだろうか。


「知らない? 魔術の研究に蒸留は付き物なのよ?」

「えっ。そうなんですか?」

「……ノスブラ大陸では違うのかしら?」

「や、多分、私が知らないだけだと思います。あっちだと魔術研究は全部行政の管理下なので……」

「あー。そういえばそうだったわね」


 ノスブラ大陸での魔術研究は完全な認可制だ。領主直轄の『魔術研究機構(魔研機構)』でのみ研究が許されており、研究のノウハウなどは基本的に秘匿されている。


「ともかく、水の純度を上げるくらいなら、そこまで厳密な蒸留器は必要ないわよ。……ない、はずよ?」


 言っているうちに自信を喪失したのか、微妙に頼りないことを語尾に付け加えつつ、マルリルが魔法『光耀焼結こうようしょうけつ』を行使した。

 乳白色の丸底フラスコ瓶が二つと、喫煙具パイプのように折れ曲がった細長い漏斗ろうと――アランビックと呼ばれる部品を創出され、テーブルの上に並べられる。

 片方のフラスコの頭にアランビックを被せ、細い管の先端をもう一つのフラスコの中に挿入すれば、簡素な蒸留器の完成だ。


「こっちに水を入れて、熱して、こっちは冷やす」


 マルリルがほっそりとした指先で二つのフラスコを順番に突っつきながら手順を説明する。


「……え。これだけですか?」

「これだけよ」

「思ってたよりめちゃくちゃ簡単ですね……。レヴィン、これ作れる?」


 シルティが声をかけるまでもなく、レヴィンは頭を高く上げ、テーブルの上の蒸留器をじっと観察していた。気を利かせたマルリルが三つの部品を持ち上げ、レヴィンの方へ差し出しながら観察し易いように角度をゆっくりと変える。

 レヴィンは、つい思わず、といった様子で顔を近付けたが、直後に鼻面にしわを作って首をすくめた。近付き過ぎて霧白鉄ニフレジスの持つ生命力霧散作用に当てられたらしい。

 被毛を脱水するようにぶるぶると頭を回し、不快感を力業で吹き飛ばしてから、魔法『珀晶生成』を行使。

 マルリルの見本と寸分違わない、黄金色の蒸留器が空中に出現した。


「さすがね。ばっちりだわ」


 マルリルの感嘆の声を受け、レヴィンは洞毛ヒゲを揺らしながら澄まし顔を浮かべる。短い尻尾は真っ直ぐに伸ばされ、堪え切れないようにぷるぷると震えていた。

 想像を形にするという類似点と自らの腕前への自信からか、彼女は森人エルフという魔物に結構な対抗意識を持っている。姉に褒められるのも殊更に嬉しいが、森人エルフに褒められるのも殊更に嬉しいのだ。


「レヴィンが蒸留器これをたくさん作って、それで蒸留水をたくさん作って……でっかい浴槽みたいな珀晶に溜めてあげたら、水精霊ウンディーネも喜ぶんじゃないかしら?」

「なんだかいけそうな気がしてきました。……もういっそ、蒸留水で氷をたくさん作って、強いお酒に混ぜてみるとか」

「うーん……なにで怒らせるかわからないから、変に冒険しない方がいいんじゃないかしら……」

「……多分、ローゼレステさんなら、いきなり怒り出すようなことはないと思います。物凄く我慢強いというか、優しい精霊なので……」

「……そう、だったわね」


 ローゼレステは自宅のトイレ扱いに百三十日間も耐えた個体である。


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