第157話 絶望的仮定



 港湾都市アルベニセ西門の女衛兵ルビア・エンゲレンは、四日ぶりに帰ってきた年下の友人の肉体を検めたあと、長々と溜め息を吐いた。


「……両目があるだけ重竜グラリアん時よりマシだな」

「んふふ。水精霊ウンディーネさん、すっごく強かったよっ」


 欠損した左腕の断面を右手で撫でながら、シルティはこの上なくとろけた表情を浮かべる。


「私の腕をぎゅうって絞ってさ。ソーセージみたいだった。あんなの初めて」

「あーあー。やめてくれ。聞きたくないっての」


 ルビアは嫌そうに苦笑しつつ、シルティと同様に身体を欠損しているレヴィンに目を向けた。


「レヴィンも大怪我だな……大丈夫か?」


 琥珀豹は頭胴長と同程度の尾長を誇る魔物である。それが失われている姿には酷く違和感があり、どうにも痛々しい。

 レヴィンは澄まし顔で耳介を動かし、これくらい全然平気、と態度で示した。堂々の足取りでのしのしと友人に近付き、その太腿に首筋を擦り付ける。

 ルビアはしゃがみ込んでレヴィンの首筋に抱き着き、両手でわしわしと激しく掻き撫でた。


「おーしおしおしおし」


 目を安らかに細めたレヴィンは、距離の近付いたルビアの頭部に一度頬擦りをしてから、鮮やかな赤髪にざりざりと毛繕いグルーミングを施す。


「……なあレヴィン。こういうの、今度エミリアにもやってやってくれない?」


 ルビアが打診した瞬間、レヴィンの動きが止まった。


「頼むよ。あいつ、なかなか時間合わないじゃん? そろそろレヴィンから栄養摂取しないと死ぬって言ってたぞ」


 シルティの数少ない友人、食事処『琥珀の台所』の看板娘エミリア・ヘーゼルダイン。彼女は家業が忙しいためなかなか休みを取ることができない。たまの休みも、肝心の琥珀豹レヴィンが雲の中にいたり、狩りに行っていたり。最後に満足に触れ合えたのは二か月ほど前、水精霊ウンディーネ探索旅行の七回目と八回目の間だったか。

 だが、シルティは首を傾げた。


「私たち、結構『琥珀の台所』にご飯食べに行ってるよ?」

「いや、なんつーか、それが逆にキツいらしくてさ」


 フェリス姉妹が『琥珀の台所』に食事に来ても、エミリアは仕事の真っ最中なのだ。ルビアと違って仕事中にレヴィンを愛でるわけにはいかず、給仕をしながら熱視線を送るだけ。彼女にとってはほぼ拷問と呼ぶべき生殺しである。

 だが、シルティはまたもや首を傾げた。


「えっと……食べに行かない方がいいってこと?」

「いやそうじゃなくってさぁ」


 ルビアが呆れ返った表情を浮かべ、溜め息を吐く。


「……シルティにわかりやすく言うと」

「うん」

「お前さんが今、刃物をひとつも持ってないとするだろ」

「えっ。……ひとつも?」

「ひとつも」

「……はい」

「しかも、今後も新しい刃物を買ったりとかは絶対にできない」

「んえェッ……」


 シルティは珍妙な鳴き声を漏らしつつ絶望の表情を浮かべた。この蛮族の娘にとって、刃物と断絶された生涯というのは仮定としてすら想像したくないものらしい。


「そんなお前さんの目の前に、綺麗な刃物を持った奴がいて、楽しそうにいろいろ斬ってたら、どう思う」

羨ましい……」

「だろ。エミリアは今、そんな感じなんだよ」

「……なるほどぉ。それはつらいなぁ……」


 ようやく納得して頷くシルティの横で、レヴィンが小さく喉を鳴らす。しぶしぶと言った様子だが、その響きには了承の意図が込められていた。

 苦手なのは間違いないし、好きと表現するのも今のところちょっと難しいが、エミリアは紛れもなくレヴィンの友人の一人。決して悪い奴ではないと、思ってはいるのだ。好意を向けられること自体も嫌なわけではない。

 ただ、その表現方法がおぞましくて気持ち悪いだけで。

 もう少し落ち着いてくれれば、レヴィンも素直に親愛を示せるのだが。


「ありがとな。今度、美味いもん持ってくからさ」


 再びレヴィンの首筋を掻き撫でたあと、ルビアはゆっくりと立ち上がった。


「……で。ようやく水精霊ウンディーネに会えたってのはわかったけど。その分だと、契約はできなかったみたいだな」


 彼女は海底から家宝を回収するというシルティの目標を知っており、その手段としてマルリルから水霊術を学んでいたことも、ここ四か月強の間は上空に水精霊ウンディーネを探しに行っていたことも知っている。


「ううん。契約してもらったよ」

「はっ?」

「〈虹石火〉を回収するの、手伝ってくれるって」

「え、マジで?」

「マジです」

「マジか……」


 ルビアは唖然とした様子でシルティの左腕を見た。

 一体どんな交渉をすれば、片腕を欠損するような戦いを繰り広げた相手が協力を約束してくれるのだろうか。

 幸いなことに、ルビアには全く理解できなかった。


「あれ、じゃあもしかして今、この部屋に居るのか?」

「んーん。都市人里には近付きたくないんだってさ。やっぱり、汚く感じちゃうみたい」


 精霊術は特殊技能の一種として認識されているが、その実態は精霊種との取引。友情を育んだ結果として無償で協力して貰えることもあるものの、基本的にはなんらかの対価を精霊種へ支払う代わりに、少しばかりの仕事をこなして貰うというものである。

 シルティとローゼレステの契約は『海の底に沈んだ〈虹石火〉の捜索を手伝うこと』のみだ。常にシルティに付き従うだとか、雑務に力を貸して貰うだとか、そういった内容は含まれていなかった。

 追加でなにか別の対価を差し出せば都市内部へ連れ込むことも可能かもしれないが……シルティとしては〈虹石火〉回収後も末永く付き合いたいと思っている。最終的には自身の戦闘技能の一部に含められるくらいに水霊術を磨き上げたい。雇用期間が終わるまでにできる限り親密になっておきたいので、ローゼレステが嫌がることはなるべく避けておく。


「今は多分、この都市の少し上の方でふよふよ浮いてるよ」

「ほぉーん……」

「用がある時は、で呼べって」


 シルティは〈冬眠胃袋〉のハーネスに括り付けていた小さな布の袋を取り外し、その中から親指ほどの大きさの透明な球体を摘まみ出した。


「なんだそれ? ガラス、じゃないよな?」

「ただの水だよ。ローゼレステさん……あ、えっと、手伝ってくれる水精霊ウンディーネさんの名前なんだけど。ローゼレステさんが魔法での」


 指先でふにふにと摘まむと、水の塊は崩れずに形を変え、体積をたもつ。


「『冷湿掌握』って、自分のウォークス? で染めた水の場所なら、それが抜けるまでは遠くからでも感じていられるんだってさ」

「……ウォークスってなんだ?」

「よくわかんないけど、水精言語でそんな感じの響きの単語。生命力とはまた違うものっぽいんだよね」

「ふぅん? 森人エルフ光耀こうようみたいなもんか?」

「かも?」


 ある種の魔物たちの魔法は、その種族にしか認識できない存在を前提にしていることがある。森人エルフがその身に宿す魔法『光耀焼結』がその最たるものだろう。鉱人ドワーフがその御髭おヒゲし取る月の光についても、鉱人ドワーフ以外にとっては単なる光でしかないので、本質的には似たようなものかもしれない。


「この水珠みずたまに呼びかけたらすぐにわかるって言ってた。便利だよねぇ」

「へー。水霊術士がたくさんいたら都市と都市の情報伝達めっちゃ楽になるな」


 衛兵の視点から意見を述べつつ、ルビアはどこかうきうきとした様子で腰をかがめ、シルティの指先に顔を近付けると、広げた手のひらを口元に添えた。


「ローゼレステ、さーん?」


 シルティが小さく吹き出す。


「いやいやルビちゃん。精霊の喉で呼びかけないと」

「え、あ、んん。そうかよ。なんだよもう……わくわくしちゃったじゃん……」


 落胆と羞恥を混ぜたような表情を浮かべ、ルビアは体勢を元に戻した。広く認知されているが自分では全く認識できない精霊種という生物は、霊覚器を持たない一般的な人類種にとって、ある意味で自身の魔法よりも超常的に思える存在だ。対話ができるのか、と思ったルビアが勇み足で声をかけたのも仕方がないことかもしれない。


「んンッ」


 咳払いを一つ挟んで気を取り直したルビアは、フェリス姉妹の荷物をあらため、徴収する金額の計算を始めた。


「ん、いつも通り食料品だけ、と。……そういや、〈冬眠胃袋〉は失くしたのか」

「ちょうど降ろしてる時に吹っ飛ばされちゃってさー、そのままどっか行っちゃった。買い直すならレヴィンの方だったのになぁ……」

「あー。もうずいぶんちっちゃくなってるもんな」


 肩を落としながら、シルティは苦笑を浮かべる。

 妹用〈冬眠胃袋〉を購入したのは七か月ほど前のこと。レヴィンの身体はまだまだ成長している。そろそろ下取りに出してもっと大きなものを買い直す予定だったのだが、残念なことに今回失くしたのは姉用〈冬眠胃袋〉だった。レヴィンにはもう少し、このちんちくりんな〈冬眠胃袋〉を使って貰うことになりそうだ。


「まぁ、レヴィンの分があれば遠出もできるし、お金もちょっとはあるからすぐ貯められると思うけど……あれ、人気商品だからなー……」


 低級の〈冬眠胃袋〉は狩猟者からの需要が非常に高く、あればあるだけ売れていくといっても過言ではない。資金的に足りていても買い直すには少し時間がかかるだろう。急いで注文を入れなければならない。とはいっても今日はもう夕暮れ時なので、明日になってから魔道具専門店『爺の店』へ向かうつもりだ。


「ま、とりあえず、怪我治るまで大人しくしとけよ?」

「うん。やっぱ殺し合いに行くなら万全の身体じゃないとねっ!」

「だよなー」


 こっわ、とルビアは思ったが、おくびにも出さずに相槌を打った。


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