第156話 契約



【ともかく】


 ローゼレステはその青虹色の身体を急速に膨らませたあと、痙攣するように震えながら元の大きさに戻った。シルティには精霊種の動作の意図を正確に察することはできないが、なんとなく、咳払いのようなもののように感じる。


【私の家を汚し回ったのは、不快極まりないが。まあ。冷静になれば、殺すほどのものではなかったな。お前の四肢はひとつ潰した。充分な罰だ。許す】


 住処を糞尿で汚し回ったのは充分に殺意に値するやらかしだったと蛮族シルティは思うのだが、水精霊ローゼレステの常識では腕一本で釣り合うらしい。

 精霊種の世界に身体刑しんたいけいが存在するとは思わなかった。精霊種同士であれば肉体を損なうことができるのだろうか。そういえば喧嘩するっぽいこと言ってたような……。

 湧いてきた疑問をひとまず飲み込み、シルティはありがたく頭を下げる。


【ありがとうございます】

【次に。私がお前たちを殺すべく行動したことは、お前にとっては罪ではないと言ったな】

【はい】


 法的に罪となる殺害事項が存在することはシルティも理解しているが、蛮族は特に『己へ向けられた殺意』についてはほぼ無条件で肯定する動物だ。

 シルティは〈虹石火にじのせっか〉と言う馬鹿みたいに高価な代物をたずさえていたせいもあって、輝黒鉄ガルヴォルンに目が眩んだ強盗のたぐいに襲われた回数も十や二十では利かなかったが、彼らの悪徳だって満面の笑顔で飲み干してきた。

 向こうに非がある場合ですらそうなのだから、こちらに落ち度のある殺し合いに含むところなど一つもない。


【つまり、この段階で、我々の間に貸し借りはない。そうだな】

【私に否やはありません】

【その上で。私はお前に命を救われたな】

【んん】


 ローゼレステがシルティの眼前でくるくると小さな円を描いた。どうやらローゼレステの観点では、現状、シルティに大きな借りがあると考えているらしい。


【対価を支払おう。助命に見合うだけの対価を、お前に】

【ほんとですか! じゃあ、ローゼレステさんの身体が治ったらまた殺し合いましょう!】

【……。えぇ……】

【できれば、地上で!】

【……やだ】


 水精霊ウンディーネは円を描くのをやめ、恋慕の表情を浮かべた蛮族の娘からさらに遠ざかる。


【そう言わずに!】

【……お前、なにか他の望みはないのか】

【今は特にないです!】


 大興奮で一歩踏み出すシルティ。

 その臀部に、レヴィンが頭突きを見舞った。


「ぁでッ。……な、なに?」


 困惑の表情で振り向いた姉へ向け、さらに左前肢での殴打を放つ。

 ずどん。


「ぶぐっ」


 鉤爪こそ仕舞われているが、一歳と五か月ほどになった琥珀豹が放つ割と本気めの殴打だ。革鎧の守りを貫通する衝撃に、シルティの身体がくの字に折れる。レヴィンはさらに後肢だけでさおちになり、姉の肩に両前肢をかけ、体重を使って圧し潰した。


「んっぬ、ぅお、ちょっ、なん……」


 咄嗟に両足を踏ん張り、妹の体重を支える。すると、うなじに押し当てられた柔らかい喉から地響きのような低い振動が伝わってきた。ご機嫌な時の遠雷とはまた違う響き。シルティにはわかる。これはたしなめの唸り声だ。

 シルティは今のローゼレステとの会話を翻訳していなかったのだが、あでやかな表情やうきうきで踏み出した足を見て、レヴィンは姉の思考を正確に推測できたらしい。

 しっかりしろとでも言いたげな妹の重低音に、ゆだっていたシルティの脳が少し冷える。


「あっ。そ。そうだった……」


 もう一度殺し合って貰うという対価も捨てがたいところだが。

 今は、もっと優先すべきことがあるのだった。


「ありがと、レヴィン。もう大丈夫。落ち着いたから」


 感謝を告げると、レヴィンは姉の側頭部をガジガジと強めに甘噛みをしてから元の体勢に戻る。会話を翻訳していなかったおかげもあり、シルティと違って充分な冷静さを保ってくれているようだ。


「んンッ」


 気を取り直すために咳払い。

 姉妹のじゃれ合いを目の当たりにし、少し引いた雰囲気を纏っていたローゼレステを真正面から見つめる。


【ローゼレステさん、すみません。望み、やっぱりありました】

【殺し合い以外のか】

【はい。殺し合いももちろん捨て難いのですが】

【捨てろ】

【捨てるのは無理ですね】


 シルティが折り曲げた指で宙に浮かぶカップをコンコンとノックすると、意図を察したレヴィンがカップを消去し、同じ座標にカップを作り直した。新品になったカップに再び生き血を注ぎ、手振りで勧める。


【そもそも私たちがなぜローゼレステさんの家まで来ていたのか、という話なのですが】


 ローゼレステは若干の躊躇を見せたが、結局は生き血に身体を重ねた。やはりまだ全快とは言い難いのだろう。心臓のような脈動を見せ、生命力をぐびぐびと吸収していく。


【どうしても水精霊ウンディーネさんのお力をお借りしたかったからなんです】

【わかった。貸す】


 血の浴槽の中から、ローゼレステは即答した。


【え……。い、いいんですか? 詳しい部分はまだなにも】

【助命された身だ。大概のことは、なんでもしてやる】

【あ、ありがとうございます!】


 気風のよい答えに、シルティは頭を深々と下げる。


【実は、海に大切なものを落としてしまったのです。それを探すのを手伝っていただけませんか】

【わかった。……他には?】

【いえ、これだけです】


 頭を上げ、柔らかい微笑みを浮かべた。


【あれは私にとって命と同じぐらい大切なものなのです。ローゼレステさんの命を助けたことへの対価というなら、これ以上は望めません】

【そうか。まあいい。それで、その失せ物はどういったものだ】

【はい。……えー、抜きますけど、大丈夫ですよ。斬るつもりじゃないですからね】


 半生半死のローゼレステを刺激しないよう一言断ってから、左腰の〈永雪〉をゆっくりと引き抜く。


【探して欲しいのは、〈永雪〉と同じようなものでして。形も大きさも大体同じです】

【……形? 大きさ? どういうことだ?】

【え? ……言葉通りの意味ですが、あれ? 上手く伝わっていませんか?】

【お前、私の身体を害したのはナガユキと呼ぶのだと言っていただろう】

【その通りですが……? んんー……?】


 最初の一合いちごうを終えた直後、ローゼレステは自分の身体を初めて物理的に害した形相切断という現象について尋ねた。だが、シルティはそれを自らの愛刀の銘を尋ねたのだと解釈し、自信満々に答えた。前提が食い違っているがゆえに、会話が噛み合っていない。

 シルティは思考にふけり、レヴィンとも相談して、やがて正解に辿り着いた。


【えと。すみません。私が勘違いしていたみたいです。〈永雪〉というのは、この太刀の固有名詞です。これがローゼレステさんの身体を斬ったのは確かですが、これでなければ斬れないというわけではありません】


 シルティは〈永雪〉を納刀すると、代わりに不銹ふしゅうのナイフ〈銀露〉を引き抜いた。


【まず、これは〈銀露〉といいます。私たちの言語で、えーと、銀色の雫ロザルジェンティ、というような意味でして。……ちょっとローゼレステさんの名前っぽいですね?】

【……まあ。ロースは、水精霊ウンディーネの名によく使われるからな】

【はー。精霊種さんたちにもそういうのあるんですねぇ】


 さらに魔術『操鱗聞香そうりんもんこう』を発動、十二枚の飛鱗を全て浮遊させる。


【それから、ローゼレステさんも真似してくれたこの鱗たち。ふふ。あれ、凄く嬉しかったです】

【……】

【大きい二枚が〈瑞麒みずき〉と〈嘉麟かりん〉。かどが丸っこくて可愛いのが〈鳳駕ほうが〉で、こっちの色が鮮やかなのが〈凰輦おうれん〉。真ん中が少しだけ薄くなってるのが〈撓覇とうは〉で、反対に厚みがあってちょっと六角形になってるやつが〈堅亀けんき〉です】


 徐々に、シルティの声が蕩け始めた。


「この表面に薄いすじ模様が入っているのが〈岐尾きび〉。ふちがほんのり青っぽいのが〈鸞利らんり〉。一番小さいけど一番鋭いのが〈怜烏れいう〉、回すと風切音が綺麗なのが〈瓏鵄ろうし〉、指でなぞるとざらっとしてて気持ちいいのが〈……】

【おい。やめろ。なにひとつわからん】

【えっ……あの、まだ、あの……】

【黙れ】


 うっきうきで愛する刃物たちを紹介していたところをばっさりと切り捨てられ、シルティは肩を落として酷く傷付いた表情を浮かべる。が、他者に自分の刃物愛を理解して貰えないのはいつものことなので、すぐに気を取り直す。


【ええと。まあ、こんな感じで、現在の私が身に着けている刃物は十四個あるのですが。私はこのどれを使ってもローゼレステさんを殺せます】


 ローゼレステは血の浴槽からそっと抜け出し、再び蛮族から距離を取った。


【水や火のように形のないものを斬るすべは、人類言語では形相切断と言いまして。形相切断に至った〈永雪〉がローゼレステさんを斬った、というのが正しい表現でした。申し訳ありません】

【……そうか。まあ、理解した】

【はい。定義が噛み合ったところで、話を戻しますと。探して欲しいのは〈虹石火にじのせっか〉といいます】


 シルティは飛鱗たちと〈銀露〉を所定の位置に戻すと、真銀ミスリルの太刀を再び抜き放ち、銀煌の刀身を自慢げに見せびらかす。


【〈永雪これ〉と同じような太刀です。……ただ、海のどこに沈んでいるのか、全くわからなくてですね。その、探すのはかなり大変だとは思うのですが……いけます?】

【まあ、形が明らかであれば、探せる。……と思う】

【ほんとですか! おっしゃーっ!】


 精霊の喉と物質の喉、両方から並列して雄々しい歓声を上げつつ、シルティは右拳を振り上げて満面の笑みを浮かべた。


【それでは、〈虹石火〉を引き上げるまで、よろしくお願いしますッ!】

【ああ】

【……ちなみに、確認なんですけど】

【なんだ】

【別途、対価を支払ったら、また殺し合いしてくれたりしませんか】

【やだ】




◆◆



※シルティの革鎧の鱗について

嘉麟かりん:左胸   瑞麒みずき:右胸

凰輦おうれん:左肋   鳳駕ほうが:右肋

堅亀けんき:左肩   撓覇とうは:右肩

鸞利らんり:左肩後ろ 岐尾きび:右肩後ろ

瓏鵄ろうし:下腹部  怜烏れいう:ヘソ辺り

貅狛きゅうはく:左脇腹  獅獬しかい:右脇腹

と、それぞれ固有の名前を設定したのですが、

ぶっちゃけますと覚える必要は全くありません。

フレーバーテキストとして読み飛ばしてください。

(今後のストーリーで登場するのも多分、せいぜい瑞麒と嘉麟の二枚くらいだと思います)


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