第156話 契約
【ともかく】
ローゼレステはその青虹色の身体を急速に膨らませたあと、痙攣するように震えながら元の大きさに戻った。シルティには精霊種の動作の意図を正確に察することはできないが、なんとなく、咳払いのようなもののように感じる。
【私の家を汚し回ったのは、不快極まりないが。まあ。冷静になれば、殺すほどのものではなかったな。お前の四肢はひとつ潰した。充分な罰だ。許す】
住処を糞尿で汚し回ったのは充分に殺意に値するやらかしだったと
精霊種の世界に
湧いてきた疑問をひとまず飲み込み、シルティはありがたく頭を下げる。
【ありがとうございます】
【次に。私がお前たちを殺すべく行動したことは、お前にとっては罪ではないと言ったな】
【はい】
法的に罪となる殺害事項が存在することはシルティも理解しているが、蛮族は特に『己へ向けられた殺意』についてはほぼ無条件で肯定する動物だ。
シルティは〈
向こうに非がある場合ですらそうなのだから、こちらに落ち度のある殺し合いに含むところなど一つもない。
【つまり、この段階で、我々の間に貸し借りはない。そうだな】
【私に否やはありません】
【その上で。私はお前に命を救われたな】
【んん】
ローゼレステがシルティの眼前でくるくると小さな円を描いた。どうやらローゼレステの観点では、現状、シルティに大きな借りがあると考えているらしい。
【対価を支払おう。助命に見合うだけの対価を、お前に】
【ほんとですか! じゃあ、ローゼレステさんの身体が治ったらまた殺し合いましょう!】
【……。えぇ……】
【できれば、地上で!】
【……やだ】
【そう言わずに!】
【……お前、なにか他の望みはないのか】
【今は特にないです!】
大興奮で一歩踏み出すシルティ。
その臀部に、レヴィンが頭突きを見舞った。
「ぁでッ。……な、なに?」
困惑の表情で振り向いた姉へ向け、さらに左前肢での殴打を放つ。
ずどん。
「ぶぐっ」
鉤爪こそ仕舞われているが、一歳と五か月ほどになった琥珀豹が放つ割と本気めの殴打だ。革鎧の守りを貫通する衝撃に、シルティの身体がくの字に折れる。レヴィンはさらに後肢だけで
「んっぬ、ぅお、ちょっ、なん……」
咄嗟に両足を踏ん張り、妹の体重を支える。すると、うなじに押し当てられた柔らかい喉から地響きのような低い振動が伝わってきた。ご機嫌な時の遠雷とはまた違う響き。シルティにはわかる。これは
シルティは今のローゼレステとの会話を翻訳していなかったのだが、
しっかりしろとでも言いたげな妹の重低音に、
「あっ。そ。そうだった……」
もう一度殺し合って貰うという対価も捨て
今は、もっと優先すべきことがあるのだった。
「ありがと、レヴィン。もう大丈夫。落ち着いたから」
感謝を告げると、レヴィンは姉の側頭部をガジガジと強めに甘噛みをしてから元の体勢に戻る。会話を翻訳していなかったおかげもあり、シルティと違って充分な冷静さを保ってくれているようだ。
「んンッ」
気を取り直すために咳払い。
姉妹のじゃれ合いを目の当たりにし、少し引いた雰囲気を纏っていたローゼレステを真正面から見つめる。
【ローゼレステさん、すみません。望み、やっぱりありました】
【殺し合い以外のか】
【はい。殺し合いももちろん捨て難いのですが】
【捨てろ】
【捨てるのは無理ですね】
シルティが折り曲げた指で宙に浮かぶカップをコンコンとノックすると、意図を察したレヴィンがカップを消去し、同じ座標にカップを作り直した。新品になったカップに再び生き血を注ぎ、手振りで勧める。
【そもそも私たちがなぜローゼレステさんの家まで来ていたのか、という話なのですが】
ローゼレステは若干の躊躇を見せたが、結局は生き血に身体を重ねた。やはりまだ全快とは言い難いのだろう。心臓のような脈動を見せ、生命力をぐびぐびと吸収していく。
【どうしても
【わかった。貸す】
血の浴槽の中から、ローゼレステは即答した。
【え……。い、いいんですか? 詳しい部分はまだなにも】
【助命された身だ。大概のことは、なんでもしてやる】
【あ、ありがとうございます!】
気風のよい答えに、シルティは頭を深々と下げる。
【実は、海に大切なものを落としてしまったのです。それを探すのを手伝っていただけませんか】
【わかった。……他には?】
【いえ、これだけです】
頭を上げ、柔らかい微笑みを浮かべた。
【あれは私にとって命と同じぐらい大切なものなのです。ローゼレステさんの命を助けたことへの対価というなら、これ以上は望めません】
【そうか。まあいい。それで、その失せ物はどういったものだ】
【はい。……えー、抜きますけど、大丈夫ですよ。斬るつもりじゃないですからね】
半生半死のローゼレステを刺激しないよう一言断ってから、左腰の〈永雪〉をゆっくりと引き抜く。
【探して欲しいのは、〈永雪〉と同じようなものでして。形も大きさも大体同じです】
【……形? 大きさ? どういうことだ?】
【え? ……言葉通りの意味ですが、あれ? 上手く伝わっていませんか?】
【お前、私の身体を害したのはナガユキと呼ぶのだと言っていただろう】
【その通りですが……? んんー……?】
最初の
シルティは思考に
【えと。すみません。私が勘違いしていたみたいです。〈永雪〉というのは、この太刀の固有名詞です。これがローゼレステさんの身体を斬ったのは確かですが、これでなければ斬れないというわけではありません】
シルティは〈永雪〉を納刀すると、代わりに
【まず、これは〈銀露〉といいます。私たちの言語で、えーと、
【……まあ。
【はー。精霊種さんたちにもそういうのあるんですねぇ】
さらに魔術『
【それから、ローゼレステさんも真似してくれたこの鱗たち。ふふ。あれ、凄く嬉しかったです】
【……】
【大きい二枚が〈
徐々に、シルティの声が蕩け始めた。
「この表面に薄い
【おい。やめろ。なにひとつわからん】
【えっ……あの、まだ、あの……】
【黙れ】
うっきうきで愛する刃物たちを紹介していたところをばっさりと切り捨てられ、シルティは肩を落として酷く傷付いた表情を浮かべる。が、他者に自分の刃物愛を理解して貰えないのはいつものことなので、すぐに気を取り直す。
【ええと。まあ、こんな感じで、現在の私が身に着けている刃物は十四個あるのですが。私はこのどれを使ってもローゼレステさんを殺せます】
ローゼレステは血の浴槽からそっと抜け出し、再び蛮族から距離を取った。
【水や火のように形のないものを斬る
【……そうか。まあ、理解した】
【はい。定義が噛み合ったところで、話を戻しますと。探して欲しいのは〈
シルティは飛鱗たちと〈銀露〉を所定の位置に戻すと、
【〈
【まあ、形が明らかであれば、探せる。……と思う】
【ほんとですか! おっしゃーっ!】
精霊の喉と物質の喉、両方から並列して雄々しい歓声を上げつつ、シルティは右拳を振り上げて満面の笑みを浮かべた。
【それでは、〈虹石火〉を引き上げるまで、よろしくお願いしますッ!】
【ああ】
【……ちなみに、確認なんですけど】
【なんだ】
【別途、対価を支払ったら、また殺し合いしてくれたりしませんか】
【やだ】
◆◆
※シルティの革鎧の鱗について
と、それぞれ固有の名前を設定したのですが、
ぶっちゃけますと覚える必要は全くありません。
フレーバーテキストとして読み飛ばしてください。
(今後のストーリーで登場するのも多分、せいぜい瑞麒と嘉麟の二枚くらいだと思います)
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