第155話 ローゼレステ
「レヴィン、コップ作ってくれる? この辺に」
シルティが背後のレヴィンに声をかけると、すぐさま半透明なティーカップが生成された。
かつて
職人気質というか、凝り性というか。レヴィンはこういう雑務的な用途の時にこそ洗練された美的形状に作ろうとする癖がある。
ちらりと表情を窺うと、絵に描いたような澄まし顔をしていた。
だがシルティには、
「ありがと。ふふ。エアルリンさんのとこのカップだね」
微笑みつつ感謝を告げ、シルティはカップの上に左腕を掲げた。
【どうですか?】
青虹色の胡麻粒は答える代わりに動いた。非物質の身体で半透明のカップを通り抜けると、生命力をたっぷり含んだ
(お? ……おっ、おお)
シルティの
生き血が劣化するつれ、
なんにせよ、ティーカップ一杯分程度では足りないようだ。シルティは追加の生命力をカップに注ぎ、
(精霊種にとってのご飯、みたいな感じかな?)
動物の心臓を思わせる
精霊の耳の構築を受けているのと同じような苦しみを味わっているのか、重竜の血を飲んだシルティのように美味しすぎて震えているのか、水を掌握しにくくなって苛立っているのか……などと考えていたが、二つ目が正解に近かったのかもしれない。
しばらく
【大丈夫ですか。もういいですか。まだ出せますが】
元の大きさに比べると、今の
【助かった。礼を言う】
【いえいえ。困ったときは、えーと、お互い様ですよ】
シルティがたどたどしい水精言語で意思を伝えると、
見た目は単なる青虹色の球体なので、表情や仕草などは窺い知れないが、なんとなく、気まずそうにも見える。殺そうとした相手からそんなことを言われるとは思っていなかったのかもしれない。
【お前は……なんなんだ、お前は】
【あ。改めまして、私はシルティ・フェリスといいます。こっちはレヴィン・フェリスです】
手振りを交えて妹を紹介しつつ、レヴィンにも会話の内容が伝わるよう、物質の喉を使って同時進行で翻訳を行なう。
自分を紹介されたと理解したレヴィンは鼻面に
【……ローゼレステ】
【え、あ、んんっと? すみません、意味がよく……わからなくて】
【私は同胞たちにそう呼ばれる】
【あっ、お名前ですか! えーと、ロース、セレステ、さん?】
【ローゼレステだ】
【ローゼ、レステさん】
シルティは聞き取った水精言語を脳内で分解し、人類言語で表現するならば『空色の雫』のような意味かな、と解釈した。
ちなみに『シルティ』は、ノスブラ大陸の
【綺麗なお名前ですね】
素直な感想を伝えてみたが、反応はない。完全な無言である。かと言って、逃げる様子もない。ふるふると落ち着かない様子で微震しつつ浮遊している。
これ幸いと、シルティは気になっていた点を尋ねることにした。
【ひとつ教えていただけますか】
【なんだ】
愛刀〈永雪〉を鞘に納めてから、不機嫌そうにしているレヴィンの頭を撫でる。
【あなたはレヴィンを汚いと言っていましたが、この仔はとても綺麗好きなんです。この仔よりも私の方が汚いと思いますが。なにが不快だったのでしょうか】
すると、ローゼレステはギロリと血走った視線をレヴィンに向けた。もちろん、
【そいつは、わざわざ、何度も、私の家に来て、汚物を撒き散らした】
【
そこまで言われてようやく、シルティはこの
【ああー……】
生物由来の汚れを嫌うという情報を持っていたのに、レヴィンの排泄が
【一度や二度ではない。
【えー……っとー……それは……】
まあ殺意を抱かれるのも当然だな、とシルティは思った。
清潔で居心地のいい我が家で寛いでいたところ、見ず知らずの
縄張りを荒らすというのは宣戦布告と同義である。しかも、考え得る最悪の手段で荒らしてしまった。手を出さずに百三十日間も我慢してくれたローゼレステは、むしろ異常なほどに温厚だと言える。シルティが同じ立場ならば多分
「レヴィン。聞いて。一緒に謝ろう。あのね……」
シルティは妹に対し、ローゼレステの怒りの正当性を懇切丁寧に説明する。すると、レヴィンの頭部は次第に下がっていき、やがて首を
【ローゼレステさん、申し訳ありません】
シルティが深々と頭を下げると、同時にレヴィンもぺたりと平伏し、謝罪を込めて喉をか細く鳴らした。
レヴィンは綺麗好きだ。自分の寝床に他者が潜り込み、
【あなた方が動物の糞尿を殊更に嫌うということに対し、配慮が不足しておりました。ですが。誓って、我々はあなたの住処を故意に汚しにきたわけではありません】
【いや。まあ。お前が私の言葉を発した時に踏み止まり、事情を聞いて追い返せばよかった、と今は思う。お前が謝る必要は、ない。頭を下げるな】
【ありがとうございます】
シルティは頭を上げ、苦笑を漏らした。彼女自身、戦意が収まらないという経験は多々あるので、興奮すると止まれないという気持ちはとてもよくわかる。今では随分マシになったが、かつては一度刃物を握れば何かを斬るまで手放さない幼女だったのだ。
【それと、声もかけずに吹き飛ばして殺そうとしたのも、よくなかった。謝罪する】
【えっ? ……ん?】
続けて発せられた精霊の声を聴き、蛮族の娘は首をこてんと傾げた。少し遅れ、姉の翻訳を聞いたレヴィンもまた全く腑に落ちないといった表情を浮かべ、首を傾げる。
【あの。いきなり殺しかかるのは別に悪いことではないのでは?】
【……いや。喧嘩ならば、宣言をし、正面を切ってやるべきだろう】
眼前の青虹色に向け、
【もちろん尋常な殺し合いは素晴らしいものです。ですが、相手を一方的に殺せるというのも、それはそれでとても素晴らしいことではないでしょうか】
【えぇ……】
人類種的な観点では正々堂々を美徳としがちだ。事実、シルティ自身も真正面からの戦闘が大好物であり、一方的に襲うよりも尋常な殺し合いを好む。
だが、だからと言って、不意打ちを卑怯とは全く思わない。
彼女は
【
【そ。……そうか。猿にとっては、そうなのか】
【はい】
【まあ……。そう……。かな……】
ローゼレステは拳三つ分ほどゆっくりと後退し、シルティから距離を取った。
【お前がそう思うなら、それはもういい】
【もちろん、私も不意打ちより正面切った殺し合いの方が好きですけど】
【もういいと言うのに】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます