第158話 気持ち悪さも悪いことばっかじゃない



 水精霊ウンディーネのローゼレステと契約を結び、港湾都市アルベニセに帰還した、その翌日。

 シルティは昼前から魔道具専門店『ジジイの店』へ向かい、新たな〈冬眠胃袋〉の取り寄せを依頼した。


「いや、レヴィンの分を新しく買って、今のを嬢ちゃんが使えばいいだろがよ?」


 不思議そうな顔をした店主ヴィンダヴルの指摘に、シルティもまた不思議そうな顔を浮かべる。


「え、そんなことできるんですか? これって、紐付けられてるんじゃ?」

「交換しちまえばいいだろがよ」


 狩猟者向けの〈冬眠胃袋〉は、土食鳥つちくいドリの宿す魔法『熱喰ねつばみ』を再現して物体を冷却する収納部と、白磁獏はくじバクの宿す魔法『専食引力せんしょくいんりょく』を再現して収納部を固定するハーネス部とを組み合わせたもの。

 シルティの言ったようにこの収納部とハーネスは一対一で紐付けられているので、シルティがこれまで使っていたハーネスにレヴィンの〈冬眠胃袋〉の収納部を装着をするのは、たとえ血縁を結び直したとしても不可能だ。

 これが人類種同士であれば、ハーネスごと交換すれば終わる話なのだが。


「や。さすがにレヴィンのハーネスを使うのはちょっと無理だと思うんですが……」


 レヴィンの使っている〈冬眠胃袋〉は四足歩行をする使用者に合わせて作られたもの。ハーネスの構造や寸法の比率が人類種用のものとは大きく異なっている。ゆえに、レヴィンの分を自分がお下がりで使うのは無理だろう、とシルティは考えていた。


「なんか勘違いしてんな」


 しかしヴィンダヴルは事も無げに笑って、右手の親指で自身の背中を指し示す。


「脱着に関係してんのは背中んとこの心臓部だけだからよ。ベルトだけ交換できっから、大丈夫だ」

「あ、そうだったんですか……。てっきり、ベルトの内部なかにも魔術のあれこれが詰まってるのかと」

「んな複雑なもん、すぐ壊れっちまうだろ」


 つまり、レヴィン用となっている〈冬眠胃袋〉一式の朱璃しゅりを取り除き、血縁を結び直してハーネスのベルトを人類種用のものと交換すれば、シルティがそのまま使えるということだ。今までのものより一割ほど収納部が大きくなるが、どうせ戦闘時には切り離すので問題ない。


「ちなみに、そのハーネスの交換って……?」

「俺んとこに預けてくれりゃあ、〈冬眠胃袋いぶくろ〉の専門家んとこに持ち込んでやるが」

「おおっ。ありがとうございます! 是非お願いします」

「うし。交換にゃあ……まあ、三日だな」

「わかりました。それじゃ、ちょっと取ってきますね!」

「まあ待て」


 シルティはすぐさま定宿の『頬擦亭』へ向かい、部屋に置いてある〈冬眠胃袋〉を持って来ようと思ったのだが、ヴィンダヴルが大きな手を振ってそれを制止した。


「先に話を済ませちまおうぜ。レヴィンの方だけどよ。掘り出しもんがあんだよ」

「掘り出し物、ですか?」

「知り合いがな。相棒のウシジジイになっちまったんで、引退させるっつーから、使ってた〈冬眠胃袋いぶくろ〉をうちで引き取ったんだわ」


 ヴィンダヴルが銀煌ぎんこうを帯びた髭をもしゃもしゃと揉みながらレヴィンを注視測定する。昨夜はとても晴れていた。魔法『月光美髯げっこうびぜん』の完全な肉体操作感覚はばっちり発揮されているようだ。

 老齢な鉱人ドワーフをじっと見つめ返す若い琥珀豹。

 頭は僅かに下がり、見開かれた両目は爛々と輝いて、丸い瞳孔は最大限に拡がっていた。

 圧倒的な強者から向けられる探りの視線に興奮しているようだ。姉にそっくりである。

 当然、ヴィンダヴルはレヴィンが臨戦態勢に移ったことに気付いたが、フェリス姉妹こいつらはこういうもんだと既に理解しているので、そっと黙殺した。


「うん。やっぱ今のレヴィンに良さそうなデカさだな。古い型だが、品は良い。すぐ渡せるぜ。どうだ?」

「い、いいんですか? めっちゃくちゃ助かります!」


 四足歩行用の〈冬眠胃袋〉を新しく作るとなると最短でも一か月はかかるだろう。これを大幅に短縮できるのは凄まじくありがたい。予想していたより遥かに早く〈冬眠胃袋〉が揃いそうだ。

 シルティは提示された数字を確認した。中古品ということもあってか驚くほど安い。現在の資産でも余裕で購入できる金額だった。正真正銘の『掘り出し物』である。


「お金と〈冬眠胃袋〉、取ってきます! レヴィン、ちょっと待ってて!」


 シルティは『爺の店』を飛び出した。





 新しい〈冬眠胃袋〉の目処が付いたシルティは、そのままの足で金鈴きんれいのマルリルの自宅を訪れた。

 コンコン。

 ドアを控えめにノックする。

 しかし、反応がない。


「んー。先生、留守か……」


 残念ながら不在のようだ。狩猟に出ているのかもしれない。

 レヴィンに珀晶で適当な筆記台を作って貰い、懐から取り出した紙片に水精霊ウンディーネと契約できたこと、できれば近日中に会いたいこと、しばらく自分たちは狩猟には出ないので、もしこのメモを読んだら連絡が貰えると嬉しいこと、連絡がなくとも三日後にまた来ること、そして今日の日付と自分の名を丁寧に記入。

 紙片を細く折り畳み、扉の隙間に差し込んだ。


「よし。じゃ、ミリィちゃんとこ行こっか」


 昼食を取るついでに、今日の仕事が終わったら一緒に公衆浴場に行かないか、とエミリア・ヘーゼルダインを誘うつもりである。





 夜。

 港湾都市アルベニセの誇る七つの公衆浴場の一つ、『西区・公衆浴場』。

 その設備のひとつ、個別浴室にて。


「ひひっ、ひひッ」


 全裸のエミリアが全身を泡塗れにしながらレヴィンに抱き着き、わっしゃわっしゃと泡をり込んでいた。常連の皆様方にはとてもお見せできない恍惚の表情である。

 エミリアと湯を共にするのはこれで四度目なのだが、レヴィンの身体を洗うことを任せたのは初めてのこと。琥珀豹狂たる彼女がこうなってしまうのも無理はないかもしれない。

 そんな狂気的愛撫を一身に受けるレヴィンは、なにもかもを諦めたような遠い目で洗い場に腹這いになり、されるがままになっている。ただ、洗われていること自体は気持ちがいいようだ。かすかな音量だが、喉がごるると鳴っていた。


「ふひっ……ぃひっ、いひひひっ……レッヴィインんちゃぁんん…………好きぃ……」


 看板娘の絶え間ない嬌声が浴室の壁に反響し、妖しく恐ろしげな呪言と化して、湯舟に肩まで浸かるシルティの聴覚を蹂躙している。


(なんか、頭がしてきたな……)


 耳の奥、いや、脳の奥が、なんというか、物凄くくすぐったい。

 浴室の熱気でのぼせ気味のシルティの視界が、徐々にサイケデリックな色に染まり始めた。

 ノスブラ大陸に生息する剣尾蝙蝠けんびコウモリという魔物は、人類種の可聴域外の音波を媒体として他者に幻覚と麻痺を植え付ける魔法『妖震伝播ようしんでんぱ』をその身に宿しているが。

 エミリアの鳴き声も、あれに近いのではないだろうか。

 『完全摂食』に加えて疑似『妖震伝播』を、つまり二つの魔法をその身に宿しているエミリアは、もしかして竜なのかもしれない。

 などと馬鹿な事を考えつつ、シルティはぼんやりとした視線を二人へ向けた。


「うふっ、ねね、レヴィンちゃん? 肉球を……肉球を、ね、洗いましょ? ね? 手、こっちに出して? ね? うふふっ」


 ハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら、エミリアがレヴィンの胸元を揉み撫でる。

 レヴィンは暖かな浴室内にありながら極寒の視線を返し、エミリアの眼前に自身の身体を厳密にかたどった黄金色の右前肢を生成した。もぞもぞとじろぎをし、両前肢を内側に仕舞い込む香箱座こうばこすわりに移行。大事な肉球を自分の肉体で覆い隠し、瞼を閉じて、ばぁぅと盛大な溜息を吐き出す。


「くぬむ……」


 それを見たエミリアは大層不満げな表情を浮かべたが、どういうわけか、すぐに笑顔に戻った。


「いや、これはこれで好都合……」


 ぽそぽそと呟きながら、レヴィンが生み出した右前肢型珀晶を両手で挟み、執拗に撫でる。


「だって、これ、レヴィンちゃんの前肢じゃないものね?」


 にやにやと笑いながら、レヴィンが生み出した右前肢型珀晶に顔を近付け、ちろりと唇を舐め、湿気を帯びた吐息を吐き出し、そして。


「じゃあ、なにしてもいいよね……」


 れろん、と。躊躇なく舌を這わせた。

 その瞬間、ぺたりと寝ていた黄金色の被毛が泡を持ち上げてぶわりと逆立ち、レヴィンの身体が大きく膨らむ。全身の立毛筋りつもうきんが総動員だ。カッと目を見開き、珀晶を瞬時に消去。怒りを込めた頭突きをエミリアの胸元に抉り込む。


「ぉゔぇッ」


 驚いたことに、エミリアは潰れたカエルのような悲鳴を上げながらも、レヴィンの(割と本気ガチの)攻撃をしっかりと受け止め、突き飛ばされることなくその場に留まった。沸騰しながら滾々こんこんと湧き出す熱水泉のような偏愛生命力で身体機能を増強して、琥珀豹の繰り出す衝撃を吸収する。

 まさか非戦闘員のエミリアに受け止められるとは思わなかったらしい、レヴィンは驚愕の表情を浮かべて動きを止めた。


「うへっ、いへへへへ……」


 形のいい乳房をむにゅりと圧し潰しながらレヴィンの頭部を抱き締め、だらしなく緩んだ唇から恍惚の響きを垂れ流す。

 レヴィンは右前肢をエミリアの顔面に押し当て、引き剥がそうと突っ張ったが、狂気に染まった看板娘は両手両脚の筋肉を総動員して現状を維持して見せた。


(おお。やるなぁミリィちゃん……)


 魔物には、特定の対象に対してのみ常識を超えた性能を発揮できる個体が稀に存在する。大抵の場合、その源泉となるのは対象への多大な『愛』だ。

 シルティが刃物に異常な親和性を発揮できるのと同じく。

 レヴィンが年齢の割に優れた筋力を発揮できるのと同じく。

 エミリアもまた、一種の天才変態である。


(……ていうか今、もしかして、少し遠隔強化してた?)


 シルティの視線が妹に向かう。

 先ほど、レヴィンは目を閉じていた。

 だというのに、珀晶を舐められたことを認識していた。

 もちろん、聴覚や嗅覚などでエミリアの動きを察知しただけかもしれないが。

 そう毛立けだつほどの怖気おぞけを感じたとなれば、生命力導通を介した感覚延長の結果と考えるのは、そう的外れではないはず。


 水精霊ウンディーネを捜索する間にこなしてきた珀晶強化の習得訓練(肉球を薄く斬ったあとに手袋型のような珀晶を生成し、珀晶越しに刺激を与える)の結果、レヴィンは『自分が触れている珀晶』かつ『自分の肉体を相同的に象った珀晶』であれば、生命力を導通させて強化することができるようになっている。牙や鉤爪を拡大したような形状に、超常の頑強さを宿らせることが可能になったのだ。

 だが、『珀晶生成』の性能を完全に発揮するためには、やはり遠隔の強化が必須である。

 シルティと共にいろいろと訓練方法を考えていたのだが、まさか、エミリアの行為に対する悪寒が引き金になるとは。


(ミリィちゃんの気持ち悪さも悪いことばっかじゃないな……)


 脳内で失礼極まりないことを呟きながら、シルティはかしましく取っ組み合いを見せる二人を見守ることにした。


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