第158話 気持ち悪さも悪いことばっかじゃない
シルティは昼前から魔道具専門店『
「いや、レヴィンの分を新しく買って、今のを嬢ちゃんが使えばいいだろがよ?」
不思議そうな顔をした店主ヴィンダヴルの指摘に、シルティもまた不思議そうな顔を浮かべる。
「え、そんなことできるんですか? これって、紐付けられてるんじゃ?」
「交換しちまえばいいだろがよ」
狩猟者向けの〈冬眠胃袋〉は、
シルティの言ったようにこの収納部とハーネスは一対一で紐付けられているので、シルティがこれまで使っていたハーネスにレヴィンの〈冬眠胃袋〉の収納部を装着をするのは、たとえ血縁を結び直したとしても不可能だ。
これが人類種同士であれば、ハーネスごと交換すれば終わる話なのだが。
「や。さすがにレヴィンのハーネスを使うのはちょっと無理だと思うんですが……」
レヴィンの使っている〈冬眠胃袋〉は四足歩行をする使用者に合わせて作られたもの。ハーネスの構造や寸法の比率が人類種用のものとは大きく異なっている。ゆえに、レヴィンの分を自分がお下がりで使うのは無理だろう、とシルティは考えていた。
「なんか勘違いしてんな」
しかしヴィンダヴルは事も無げに笑って、右手の親指で自身の背中を指し示す。
「脱着に関係してんのは背中んとこの心臓部だけだからよ。ベルトだけ交換できっから、大丈夫だ」
「あ、そうだったんですか……。てっきり、ベルトの
「んな複雑なもん、すぐ壊れっちまうだろ」
つまり、レヴィン用となっている〈冬眠胃袋〉一式の
「ちなみに、そのハーネスの交換って……?」
「俺んとこに預けてくれりゃあ、〈
「おおっ。ありがとうございます! 是非お願いします」
「うし。交換にゃあ……まあ、三日だな」
「わかりました。それじゃ、ちょっと取ってきますね!」
「まあ待て」
シルティはすぐさま定宿の『頬擦亭』へ向かい、部屋に置いてある〈冬眠胃袋〉を持って来ようと思ったのだが、ヴィンダヴルが大きな手を振ってそれを制止した。
「先に話を済ませちまおうぜ。レヴィンの方だけどよ。掘り出しもんがあんだよ」
「掘り出し物、ですか?」
「知り合いがな。相棒の
ヴィンダヴルが
老齢な
頭は僅かに下がり、見開かれた両目は爛々と輝いて、丸い瞳孔は最大限に拡がっていた。
圧倒的な強者から向けられる探りの視線に興奮しているようだ。姉にそっくりである。
当然、ヴィンダヴルはレヴィンが臨戦態勢に移ったことに気付いたが、
「うん。やっぱ今のレヴィンに良さそうなデカさだな。古い型だが、品は良い。すぐ渡せるぜ。どうだ?」
「い、いいんですか? めっちゃくちゃ助かります!」
四足歩行用の〈冬眠胃袋〉を新しく作るとなると最短でも一か月はかかるだろう。これを大幅に短縮できるのは凄まじくありがたい。予想していたより遥かに早く〈冬眠胃袋〉が揃いそうだ。
シルティは提示された数字を確認した。中古品ということもあってか驚くほど安い。現在の資産でも余裕で購入できる金額だった。正真正銘の『掘り出し物』である。
「お金と〈冬眠胃袋〉、取ってきます! レヴィン、ちょっと待ってて!」
シルティは『爺の店』を飛び出した。
◆
新しい〈冬眠胃袋〉の目処が付いたシルティは、そのままの足で
コンコン。
ドアを控えめにノックする。
しかし、反応がない。
「んー。先生、留守か……」
残念ながら不在のようだ。狩猟に出ているのかもしれない。
レヴィンに珀晶で適当な筆記台を作って貰い、懐から取り出した紙片に
紙片を細く折り畳み、扉の隙間に差し込んだ。
「よし。じゃ、ミリィちゃんとこ行こっか」
昼食を取るついでに、今日の仕事が終わったら一緒に公衆浴場に行かないか、とエミリア・ヘーゼルダインを誘うつもりである。
◆
夜。
港湾都市アルベニセの誇る七つの公衆浴場の一つ、『西区・公衆浴場』。
その設備のひとつ、個別浴室にて。
「ひひっ、ひひッ」
全裸のエミリアが全身を泡塗れにしながらレヴィンに抱き着き、わっしゃわっしゃと泡を
エミリアと湯を共にするのはこれで四度目なのだが、レヴィンの身体を洗うことを任せたのは初めてのこと。琥珀豹狂たる彼女がこうなってしまうのも無理はないかもしれない。
そんな狂気的愛撫を一身に受けるレヴィンは、なにもかもを諦めたような遠い目で洗い場に腹這いになり、されるがままになっている。ただ、洗われていること自体は気持ちがいいようだ。
「ふひっ……ぃひっ、いひひひっ……レッヴィインんちゃぁんん…………好きぃ……」
看板娘の絶え間ない嬌声が浴室の壁に反響し、妖しく恐ろしげな呪言と化して、湯舟に肩まで浸かるシルティの聴覚を蹂躙している。
(なんか、頭が
耳の奥、いや、脳の奥が、なんというか、物凄く
浴室の熱気でのぼせ気味のシルティの視界が、徐々にサイケデリックな色に染まり始めた。
ノスブラ大陸に生息する
エミリアの鳴き声も、あれに近いのではないだろうか。
『完全摂食』に加えて疑似『妖震伝播』を、つまり二つの魔法をその身に宿しているエミリアは、もしかして竜なのかもしれない。
などと馬鹿な事を考えつつ、シルティはぼんやりとした視線を二人へ向けた。
「うふっ、ねね、レヴィンちゃん? 肉球を……肉球を、ね、洗いましょ? ね? 手、こっちに出して? ね? うふふっ」
ハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら、エミリアがレヴィンの胸元を揉み撫でる。
レヴィンは暖かな浴室内にありながら極寒の視線を返し、エミリアの眼前に自身の身体を厳密に
「くぬむ……」
それを見たエミリアは大層不満げな表情を浮かべたが、どういうわけか、すぐに笑顔に戻った。
「いや、これはこれで好都合……」
ぽそぽそと呟きながら、レヴィンが生み出した右前肢型珀晶を両手で挟み、執拗に撫でる。
「だって、これ、レヴィンちゃんの
にやにやと笑いながら、レヴィンが生み出した右前肢型珀晶に顔を近付け、ちろりと唇を舐め、湿気を帯びた吐息を吐き出し、そして。
「じゃあ、なにしてもいいよね……」
れろん、と。躊躇なく舌を這わせた。
その瞬間、ぺたりと寝ていた黄金色の被毛が泡を持ち上げてぶわりと逆立ち、レヴィンの身体が大きく膨らむ。全身の
「ぉゔぇッ」
驚いたことに、エミリアは潰れた
まさか非戦闘員のエミリアに受け止められるとは思わなかったらしい、レヴィンは驚愕の表情を浮かべて動きを止めた。
「うへっ、いへへへへ……」
形のいい乳房をむにゅりと圧し潰しながらレヴィンの頭部を抱き締め、だらしなく緩んだ唇から恍惚の響きを垂れ流す。
レヴィンは右前肢をエミリアの顔面に押し当て、引き剥がそうと突っ張ったが、狂気に染まった看板娘は両手両脚の筋肉を総動員して現状を維持して見せた。
(おお。やるなぁミリィちゃん……)
魔物には、特定の対象に対してのみ常識を超えた性能を発揮できる個体が稀に存在する。大抵の場合、その源泉となるのは対象への多大な『愛』だ。
シルティが刃物に異常な親和性を発揮できるのと同じく。
レヴィンが年齢の割に優れた筋力を発揮できるのと同じく。
エミリアもまた、一種の
(……ていうか今、もしかして、少し遠隔強化してた?)
シルティの視線が妹に向かう。
先ほど、レヴィンは目を閉じていた。
だというのに、珀晶を舐められたことを認識していた。
もちろん、聴覚や嗅覚などでエミリアの動きを察知しただけかもしれないが。
だが、『珀晶生成』の性能を完全に発揮するためには、やはり遠隔の強化が必須である。
シルティと共にいろいろと訓練方法を考えていたのだが、まさか、エミリアの行為に対する悪寒が引き金になるとは。
(ミリィちゃんの気持ち悪さも悪いことばっかじゃないな……)
脳内で失礼極まりないことを呟きながら、シルティは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます