第152話 食欲混じりの戦意



 波状かつ多角的に襲い来る水円を見つめる。

 小さな体積に恐ろしい速度破壊力を内包した暴力。

 今までの水塊よりもかなり小さいが、今までの水塊よりもずっと痛そうだ。

 一口ひとくちで飲むのは少し難しい。少しトリミングしなければならない。

 飛鱗を踏み付けて高さを合わせつつ、前方へ加速。一枚目をこちらから迎えに行き、〈銀露〉を七度振るう。刃筋を立てた不銹ふしゅうの刃が水円の外縁部をぎ飛ばし、またたく間に一口大ひとくちだいに整形した。

 はしたなく大口おおぐちを開けたシルティは軟性固体と化した水円に喰らい付き、口腔に取り込んだ水分を即座に嚥下えんげする。


「っぷはッ」


 よく冷えていて、とても美味しい。

 普通の水とは違った味わいがあるのではないか、とシルティは期待していたのだが、特にそう言ったことはないようだ。僅かに血の香りがするような気もするし、形相切断の影響でとした口当たりだが、味は普通の水である。

 その身に宿る『完全摂食』が瞬時に働く。胸骨の裏側がじんわりと熱を持ち、シルティの肢体に生命力を供給した。

 喉やら太腿やら左腕やら顔面やら、負傷している箇所が多いうえ、魔術『操鱗聞香そうりんもんこう』の行使には少なくない生命力を消費する。たった一口分とはいえ、この状況ではとてもありがたい給水だ。


 次なる水円を注視。

 〈銀露〉を振るって同様に整形し、捕食、嚥下。

 水精霊ウンディーネが直前で水円を動かしたせいで齧り付く角度がずれてしまった。右の口角がぱっくりと裂け、シルティの首筋に赤色の潤いをもたらす。嚼人グラトンの口腔内は基本的に無敵であり、どんなに鋭いものを頬張っても傷ひとつ付かないのだが、それはあくまで口腔内に限られる。外からは容易に傷付いてしまうのだ。無駄な負傷を避けるためにも、しっかりとお行儀よく食べなければ。

 補給した生命力で口角を再生させながら、三枚目。頭部を狙ってきたそれを正中線で真っ二つに裂き、片方を躱しつつ、片方を飲み込む。

 間髪入れず襲い来る四枚目。これは刻んで整形するにはもう近過ぎる。

 振りかぶった〈銀露〉に生命力をぶち込み、脅威を打ち砕くべく全力の一撃を放ち――不銹ふしゅうの刃が水円をすり抜けた。


(ぇあっ)


 姿を保ったままの水円が右脇腹に突き刺さり、シルティの身体がくの字に折れ曲がる。


「ぶぐッ!!」


 生命力により強化された革鎧が水円の研削作用を防いでくれたが、臓腑を貫くような衝撃までは吸収し切れない。消化器はらわたになにも入っていない嚼人グラトンであっても、腹を殴られれば強い吐き気を覚えるもの。超常を宿す魔物も結局は動物なのだ。余程無茶な鍛錬を行なわない限り、こう言った生理反応は失われない。

 当然ながら、シルティはそんな可愛らしい反応などうの昔に失っている。

 与えられた苦痛を燃料に生命力をたぎらせ、右脇腹を抉る水円に左腕を突っ込む。断面が削り取られて前腕が短くなり、水円が形を失い飛び散った。生き血を大量に混ぜ込まれたせいで、魔法『冷湿掌握』の対象から外れたのだ。

 自由を取り戻したシルティは飛鱗を踏み付けて後方へ跳躍。そこを狙ってきた高速の狙撃を〈銀露〉の腹で弾きつつ、息を吸い、珀晶の足場に着地。バランスを取りつつ心身を整える。


(筋肉が足りない……)


 先ほどの一撃は確かに水円をとらえていた。だが、〈銀露〉の刃はごく少量の水をはじき飛ばしたのみに終わっている。純然な物理にのっとったの結果。粉砕どころか半壊にもまるで足りていないという無様を晒してしまった。

 水精霊ウンディーネが特別なにかをしたわけではない。シルティの一撃が形相切断形相破砕に至っていなかった、ただそれだけのことである。

 愛する〈銀露〉で水を斬れるのは当然だ。だが、粉砕できて当然とまでは確信できなかった。得物の刃渡りが短いためか、意識の深部で理性ブレーキが働いてしまったのだ。

 無論、〈銀露〉が悪いわけではない。自分の膂力であればどんなものでも粉砕できるとシルティが盲信できていれば、こんな結果にはなっていなかった。

 脳内で〈銀露〉に謝罪しつつ、シルティは前を見る。

 被弾しつつも四枚を無力化し、視界に残る水円は八枚。と思った直後、貯水塊から水円が追加された。数は八枚。水円の総数が十六枚になった。当然だが、水精霊ウンディーネのあれはシルティの革鎧と違っていくらでも増やせる。まずはシルティを参考にして十二枚で試し、思っていたより簡単だったので増やしてみた、というところだろうか。


【それ、百個、できませんか?】

【黙れ】


 たどたどしい水精言語で勝手な要望をほざいたシルティに、十六枚の水円が殺到する。


(うっひぇ)


 水精霊ウンディーネが動きを変えてきた。

 これまでの水塊は獲物シルティの死角を突くことを重視していたようで、一発一発の着弾には雑な時間差があったのだが、今回の十六枚はシルティから綺麗な等距離に配置されており、速度も揃えられている。このままいけば全てがほぼ同時に命中することになるだろう。

 整形して喰らい付くという動作が挟まるため、水塊を飲むのはたださばくだけよりずっと忙しい。そして、緻密に調整された同時多角攻撃は相手の猶予を残酷に奪う。嚼人サルに水を飲ませないために攻撃を揃えてきた、と見るべきだ。まだ三回しか飲んでいないというのに、早くもシルティの狙いが看破されている。


 シルティは喜色満面で舌舐めずりをした。

 私を殺そうと工夫を凝らしてくれている。

 知恵ある敵との戦いはこれだから楽しい。


 前方斜め下へ向けて、全力の突進。重力を加算した脚力で水円による包囲網を揺さぶる。己と敵の位置と速度を空間的に把握し、移動によってから逃れるのは対多数戦闘の基本中の基本。飛鱗と〈銀露〉を縦横無尽に振るい、進路上にあった三枚の水円と雲を瞬時に斬り刻んだ。

 切開された雲間に出現した珀晶の丸棒に着地、反跳。後方からシルティに追い縋っていた水円の群れに突っ込み、手当たり次第に細断する。避け切れなかったのが二枚。シルティの背中と臀部が浅く長く削られた。問題ない。最後尾にあった一枚に狙いを定め、刃を振るってトリミング。身体をひねり、首を伸ばしてかじり付く。

 嚥下。


 ああ、美味しい。

 水と血に濡れたシルティの唇は明確な笑みの形を作っていた。

 いやはや、まさか『完全摂食』を明確な攻撃手段として使う日が来るとは思わなかったが、これがなんだか無性に楽しい。相手のに噛み付き、口腔に溢れる液体を飲み干すという行為が、シルティの脳に根源的な快楽をもたらしてくるのだ。鋭い牙を持つ獣になった気分である。

 食欲混じりの戦意をたぎらせ、シルティはさらに前へ跳び込む。

 水精霊ウンディーネが水円を追加した。総数はさらに増え、二十枚。まだまだ増えてくれるだろう。本当に百枚ぐらいになったらいいのに。鷲蜂わしバチの群れよりも楽しいに違いない。


 上空をただよって獲物を俯瞰視点で観察しつつ、水円の着弾タイミングを揃えようとする水精霊ウンディーネ。自らに殺到する暴力を捕捉しつつ、縦横無尽に跳躍して整形・捕食し、生き別れた〈永雪〉を求めるシルティ。

 攻防は一進一退。ある程度までは容易く近付けるのだが、あと一歩というところで高速狙撃による妨害が的確に挟まる。どうしても〈永雪〉に手が届かない。

 水精霊ウンディーネこなれてきたのか、枚数は三十枚に達し、獲物の追い込み方に磨きがかかってきた。地上ならともかく、空中で全てを躱すのは到底不可能だ。できるだけ革鎧の表面でなし、どうしてもという時は左腕の血肉を混ぜ込んで無力化する。定期的に挟まれる高速狙撃も厄介極まりない。致命傷と両足への被弾だけはなんとか避けているが、身体の至るところをがれ、貫かれていく。もはや血化粧など施す必要などないだろう。

 だが同時に、シルティの動作も効率化されていった。捕食できる機会は加速度的に増加しており、飲み干した水円はもはや数えるのも億劫になるほど。レヴィンは六角網構造で生成した広大な足場の上を走り回りつつ、上空で暴れ回るシルティを観察。彼女の思考と動きを読み取り、雲の切開に合わせ臨機応変に足場を作ってくれている。

 水精霊ウンディーネが手強い。レヴィンが頼もしい。なんかもう、本当に、ひたすら楽しい。

 シルティは狂喜に身を任せて全身全霊を振り絞り、〈永雪〉を求めて跳ね回った。


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