第150話 破砕
レヴィンの初陣の日。
三匹のオスの群れに襲われたあの時、シルティは露払いとして二匹の蒼猩猩を相手取り、そのうち一匹の頭部を
シルティはにまにまと笑いながら手の内を締め、血の染み込んだ
愛情を込めて頻繁に丹念に巻き直している
「ぅふっ」
またもやぶっつけ本番だが、まぁ、失敗したらその時はその時だ。
一旦、
対面から背中が見えるほど腰を捻り、
シルティの脳裏には、尊敬してやまない父の
憧れへの渇望を滾らせ、体幹筋に蓄えられた暴力を解放。
右から左へ
世界がシルティの傲慢を容認し、水塊が粉々に
(さすが私ッ!!)
甲高く硬質な断末魔を耳にし、シルティは
形相切断。
至る所まで至ってしまった
ならば、当人が
それは、刃物と呼ばれる概念が誕生する以前、斬撃ではなく衝撃こそが唯一無二の武器であった世界で、拳や足や棍棒を振り回す筋肉自慢の人類種たちが生存競争の末に至った
シルティは砕くよりも斬る方が圧倒的に
これで
残る全ての飛鱗を射出し、雲の切開と足場に総動員。黄金色の丸棒と黄土色の五角形を絶え間なく踏み付け、空中を鋭角に連続跳躍しつつ
「ひひッ」
何度も〈永雪〉を振るって斬り刻むという手間がなくなった恩恵は想像以上に大きかった。
逃げ惑う青虹色の球体を、ついに間合いの内に取り込む。
(いけるっ!!)
ようやく、肉薄できた。
斬るべきか、砕くべきか。
やっぱり、斬りたい。
斬り殺したい。
爛々と輝く両目を見開き、
「あはっ!!」
シルティの野蛮極まる
燃えるような昂りを乗せ、左手一本で放つ全力の唐竹割り。
音すら置き去りにする
ぢゅびっ、と。
シルティの左腕が強く左方へと弾かれ、直後に感じたのは凄まじい痛みと骨身に沁みる冷気。
(んぁっ?)
完全な不意打ちを受け、シルティの体勢が無様に崩れる。
なにかが起きた。
なにが起きた。
わからない。
だが、結果だけは明らかだ。
左前腕に攻撃を受けた。手首にほど近い位置で、完全に分断された。
(あっ)
不意に生き別れになった左手は、〈永雪〉を固く握り締めたまま、唐竹割りの慣性を綺麗に保持して放物運動に移っている。
鍔元を中心として、高速で回転しながら、シルティから遠ざかっていく。
(あああっ!?)
戦闘が始まって以来、最大の焦燥がシルティを襲った。
愛する〈永雪〉が。
なんとかしなければ。なんとかしなければ。絶対になんとかしなければ。あれを失くしたら、肉体的には無事でも精神的に死ぬかもしれない。いつもと一味違う臨死に際し、シルティの主観が極限に引き延ばされる。完全に静止した視界の中央に〈永雪〉を据え、己の脳の性能を絞り切った。
(レヴィッ……)
雲を切開すれば。雲さえなければレヴィンが珀晶で掴み取ってくれるはず。だが、飛鱗では間に合わない。シルティの全力の唐竹割りがそのまま初速度に変換されてしまった。いやはや素晴らしい速度だ。
馬鹿め。自己陶酔している場合ではない。今すぐ〈永雪〉の周囲の雲を斬らないと。あの素晴らしい太刀が行方不明になってしまう。
雲が邪魔だ。
斬らないと。
(あっ)
今すぐ、愛する〈永雪〉の
雲を、斬らないと。
(あ、あっ)
どうやって。
ああ。
「あっ。……ふふっ」
その瞬間、シルティはあることに気付き、一瞬だけ呆然としたあと、自嘲気味に笑った。
一体全体、自分はなにを焦っていたのやら。
私の左手は相変わらず〈永雪〉の柄を握り締めているというのに。
私の握った〈永雪〉が、雲如きを斬れないはずがないというのに。
実績と確信が混ざった
左腕の断面から噴出した莫大な生命力が世界の後押しを受け、体外という絶縁空間を食い破り、空と地を結ぶ
繋がった。
ならば。
斬れる。
旋回しながら空中を泳ぐ〈永雪〉はシルティの主観に則り、
「やっ!」
快哉を叫ぶ。
「だぇっ!」
そんな暇など与えられない。
襲い来る甚大な圧力。
致命的速度を与えられ鉛直に落下するシルティ。咥えていた飛鱗を放り出し、レヴィンが走る。素晴らしい瞬発力を発揮して華麗に跳躍すると、シルティを迎え打つように空中で激突、両前肢で姉の胴体を挟み込んだ。
剥き出しになった鉤爪が革鎧と肉に深く食い込み、姉妹の身体を強固に結び付ける。支えのない空中での
レヴィンは姉をしっかり確保したまま、前肢と後肢を精一杯に伸ばした。実現し得る最大の半径で自らを中心とした円動を生み出し、半回転。シルティに与えられていた慣性を柔らかく
シルティの落下速度の何割かがレヴィンに吸収され、
自らが跳躍した速度よりも遥かに加速して落下することになったレヴィンは、広げた四肢と体幹筋を最大限に柔らかく使って着地、なんとか足場を壊さずに済ませる。
一方、妹の献身で大幅な減速を果たしたシルティは余裕を持って体勢を整え、揃えた両足で軽やかな着地を成功させた。
「ありがとっ!」
なにより先に視線を空に飛ばす。
愛する〈永雪〉はどこだ。
居た。薄雲の向こう。
「信じてたッ!!」
レヴィンへの賞賛と感謝を叫び、すぐさま意識を切り替える。
居た。シルティの後方上空。大量の水と共に青虹色の球体が浮かんでいる。
シルティの左腕から噴出した血が混ざったらしく、滞留させた貯水塊の一部が
(んんっ? なんか、変な動きしてるな?)
生き血混じりの貯水塊の表面は微細に波打っており、また
考えるに、貯水塊に混入したシルティの生き血がなんらかの影響を及ぼしているのではないだろうか。
精霊の耳の構築を受けているのと同じような苦しみを味わっているのかもしれない。もしくは、
【なぜ震えているのですか?】
興味半分時間稼ぎ半分で問いかけてみるも、残念ながら
(んむん。せっかくだからもっといろいろ話を聞いてみたいんだけどな)
シルティは残念に思った。殺すつもりの相手と殺す寸前まで談笑できるのが蛮族という動物である。
まあ、仕方ない。とりあえず隙を見て〈永雪〉を回収しなければ。
貯水塊に混入した赤色が全体に広まって薄まり、元のように無色を取り戻す様を見ながら、静かに息を吐き、吸って、止めて――シルティの視界に、
こっちに来る。
小さい。
(あっ、まずッ)
速い。
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