第149話 お揃いのお化粧
愛刀〈永雪〉により裂かれた喉。
ぱっくりと開いた断面から勢いよく噴出する自らの血液をピタリと合わせた両の前腕で受け止め、革鎧や鎧下に染み込ませる。続いて〈
再生の促進を殊更に苦手とするシルティだが、喉の切開と治療は諸事情により
【なん……お前……? えぇ………】
無論、シルティは痛みを味わいたくなったから自分の身体を斬ったわけではない。
『冷湿掌握』を行使すれば巨大な川を一時的に
ゆえに、シルティは自らの生き血で全身を
新鮮な生き血。当人の生命力に限定すれば極上の導通性能を誇る伝統の素材である。少々水で薄まったとて誤差の範疇。
これで思い通りに動ける。足を
シルティは体重を再び軽量化し、傷を最低限まで再生促進させつつ、レヴィンに鋭い視線を送った。魔術『
レヴィンはシルティの望み通り、顎を開いて咥えていた飛鱗を解放した。言葉はなくとも姉の意図をしっかり理解できたらしい。
自由になった飛鱗を回転させることで切断力を宿らせ、レヴィンの身体を螺旋状になぞる。
空という環境にいる限り、姉妹の生命線はレヴィンの魔法である。体表を
作ってくれた職人が見れば血の涙を流しそうな光景だが、シルティの防寒マントと違ってこちらは着脱に時間がかかるのだ。悠長に脱いでいる暇はないので、申し訳ないが仕方ない。修繕できないようであれば、後日、仕立て直して貰おう。
(んん。ちょーっと遠いかな)
霊覚器による目算なので自信がないが、おそらく直線距離で五十歩以上ある。
初めて
やはり、ちゃんと肉薄しなくては。
「ふふ、ふ……」
含み笑いによって喉の割れ目を泡立たせながら、シルティは〈銀露〉を鞘に納め、〈永雪〉を脇に構えた。
息を静かに吸い。
止めて。
跳び出す。
展開済みの丸棒を踏み砕いて消費しながら、シルティは宙を駆け上った。太腿が痛い。それがまた好い。シルティ単独では届かぬ高さだが、レヴィンの助けがあれば。
三枚の飛鱗を先行させ、雲を切開してレヴィンの魔法行使を補助。以心伝心、レヴィンが新しく生成してくれた丸棒で進路を細かく修正し、
(くっそう! わかってたけど、もどかしいなっ!)
空を翔ける
その猶予に、
いよいよ殺し合いの間合い、というところで、蓄えられた巨大な貯水塊から小さな水塊が分離した。凄まじい速度で空を貫き、シルティへと襲い掛かる。小さな水塊と言ってもシルティの上半身と同じくらいはあり、一度二度斬ったぐらいでは無力化できそうにない。
では、もっとたくさん斬ろう。
伸ばした左足で飛鱗を踏み付け、一瞬だけ宙に停止。片足立ちの体勢から〈永雪〉を縦横無尽に閃かせ、
斬り刻んだ水飛沫からの抵抗はあった。だが、極めて弱い。薄いヴェールを突き抜けるような感触だ。
やはり、水量。『冷湿掌握』が液体を動かす際の物理的な出力は水量に依存する。シルティは確信した。
遠距離では水塊、近距離では触腕で対応するつもりだろうか。
なんにしても大振りだ。竜の尾を思えば回避は容易い。飛鱗を踏みつけて鋭く宙返りし、やり過ごす。
続いて、シルティの頭部ほどの大きさの水塊が三つ、貯水塊から分離した。空中で弧を描きつつ殺到する。少し面倒な位置とタイミングだ。それぞれ別の角度から頭部と左肩と右足を狙っていて、着弾の瞬間も微妙にずれている。シルティの
つまり、二つなら余裕だ。
そのまま直進、胴体を狙う二つのみを斬り刻んで霧散させ、さらに前へ。前傾姿勢で首を右に
「っぶぇッ!」
シルティの頭部が右方へ弾き飛んだ。
動きを読んでいたのか、あるいは純粋な反応速度か。最後の一つの水塊が絶妙な位置で進路を折り曲げ、シルティの左頬を痛烈にぶん殴ったのだ。
めちゃくちゃ痛い。非戦闘時に不意打ちでこれを喰らっていたら首の骨が圧し折れていただろう、そんな衝撃。空中でそんな威力を受け止められるはずもなく、シルティの身体は
お父さんに右フックをぶち込まれた時みたいだ、とシルティは笑った。
同じ流体の凶器でも、
四肢の屈伸と腰の捻りで与えられた回転運動を制御。空中に放られた猫のように体勢を整えつつ、飛鱗を足元に射出する。即座に踏み付け、慣性を膝で吸収、弾むように跳躍。爛々と輝く目で
次なる迎撃が来た。先ほどよりも大きな水塊が九つ。触腕が三つ。
数が多い。
地上ならともかく、これを空中で掻い潜るのは骨が物理的に折れそうだ。かと言って、一振りの太刀で
このままではいつまで経っても肉薄できない。
止まったように感じられる視界の中、シルティは九つの水塊と三つの触腕の位置を意識上に刻みつけた。
早く
とにかく、最高効率を。愚直に、最短距離を。
おや。
あの水塊の大きさ。
ちょうど
そう認識した瞬間、シルティの経験と本能が現状の打開策を想起という形で示した。
蒼猩猩の頭なら、シルティはとても壊し慣れている。
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