第148話 死ぬんですね
両胸の飛鱗〈
それらを目で追い、外向きの渦を描かせた刃で濃密な白雲を長々と切開、局所的な晴れ間を作り出した。
間髪入れずレヴィンが無数の足場を展開する。形状は指定通り丸い棒だ。板のような足場より、こういう支えの方が空中では自由が利く。
姉妹と
好みの位置にある足場を転々と踏み砕きつつ、嬉々として空中の獲物へと襲いかかる。
殺意を露わに跳びかかったシルティに、なんら反応を示していない。
彼らは超常の領域に生息する魔物であるがゆえ、尋常な動物が自らを害することなどできないと確信しているのだろうか。
シルティは止まらない。
言葉が通じるのだ。
右肩に〈永雪〉を担ぎ、真正面から真っ直ぐに肉薄。
絶好の座標に〈嘉麟〉を置き、前に伸ばした左足で着地。空中での静止を成し遂げ、行き場を失った制動エネルギーを得物に流し込んだ。
竜すら斬った実績を持つシルティの刃は、主人の確信をそのまま世界に容認させ、
豆腐を斬ったような抵抗のなさ。だというのに、なぜだか妙に斬り応えが
直後、痛ましく
「んっ」
異質な痛みがシルティの感覚を刻む。
物質の鼓膜などいくら破れても屁とも思わないシルティであるが、霊覚器を
僅かに
展開済みの足場の一つに着地、バランスを取りつつ背筋を伸ばしてすらりと立ち、再び〈永雪〉の切先を
眼下では低く構えたレヴィンが被毛をぼわりと逆立たせ、耳介をぺとりと倒していた。
【おま、え】
怨嗟の響き。
シルティの視線の先には青虹色の半球体が二つ浮かんでいた。片方の半球体の方は、シルティが見ている前で徐々に濃度が薄まり、そのまま霧散。もう片方の半球体は太った
さすがは精霊種、真っ二つに両断したぐらいでは死なないらしい。
だが、元通りではない。球の体積が七割ほどに減じている。
愛刀〈永雪〉の一撃がなんらかの損害を与えたのは間違いないだろう。
【なんだ、それ、は】
【これですか?】
【これは、えー……ナ、ガ、ユ、キ、と言います】
シルティが名付けた〈永雪〉は、水精言語には当然存在しない固有名詞である。シルティは人類言語を精霊の喉から発し、伝えた。
【ナガユキ……?】
【私たちの言葉で、永遠の雪、というような意味です。綺麗でしょう?】
【雪が、私を害したとほざくか】
【ふふ。そういうこともありますよ。私だって刃物で怪我しますし】
【はあ?】
【そんなことより】
朗らかな笑顔を浮かべ、
【もっと斬り刻めば、あなたも死にますか?】
青虹色の球体の動きが完全に静止した。
【死ぬんですねっ】
自分の太刀ならば精霊種を殺せると確信したシルティの目が、狂喜を帯びてどろりと
直後、シルティの周囲の雲が凝縮を始め、一呼吸ののちに
どうやら真剣になってくれたようだ。やはりこうでなくては。
真正面、
(おっ)
その切れ目を埋めるように出現した一本の丸棒を見て、シルティは思わず笑ってしまった。欲しい手掛かりが欲しいところに出てきたからだ。我
左手で丸棒を握り、そこを支点に僅かに回転、手を離す。曲芸のような運動操作により、シルティは全く減速することなく空中で方向転換を決めた。
その動きを追いかけるように響く
レヴィンの作ってくれた棒はシルティの動きを支え切るだけの硬さがあったはず。だというのに、一瞬で粉々だ。六分割してもあれだけの攻撃力を保持しているのか。もっともっと細切れにしなければ。
ちょうど良いところにあった足場を蹴り、進路を修正。
だがこれは
(んん)
遅い。
そのせいで、なんというか、随分と
生命力の動きで予兆を読むことこそできないが、いくらなんでも
足場を使って急制動、直角に跳躍。飛鱗を踏み、雲の槌を迂回。獲物を間合いに収めようとしたが、
ぎりぎり届きそうだが、そのためには残りの飛鱗を使い切ってしまいそうな、嫌な距離だ。
一度仕切り直すべきと判断したシルティは飛鱗をもう一枚踏み付け、鋭角に降下。レヴィンから適度に離れた位置に両足を揃えてぱちゃりと着地する。
はずだった。
気付いた時には、シルティの視界は傾いていた。
(んな)
驚愕に目を見開く。
側方へ強く弾かれ円運動を開始した両足と、それに伴って落下する頭部。覚えのある感覚。滑ったわけではない。足を払われたのだ。
シルティの顔が瞬間的に朱を帯びた。
千回やっても自分を捉えることはない、などと調子に乗った直後にこれ。あまりに恥ずかしすぎる。
羞恥と
(このクソ馬鹿ッ!!)
敵対関係にある
身体は左へ傾いており、足で体勢を立て直すのは既に難しい重心位置だ。折り曲げた左腕で頭部を庇い、腹斜筋を働かせて身体の接地面に弧を描かせつつ、転倒。下方への慣性を上手く
その瞬間、シルティの
(んわっ!?)
不測の力流に重心を乱され、シルティは復帰に失敗して再び転倒する。なんだ。何が起きた。考えている暇はない。今度は慣性に頼らず、足場に左拳を当てて突き殴るように筋力で跳ね起きる。
これは上手くいった。無事に着地。貧弱に接地していると先程のように払われそうだ。体重の軽量化を中止し、両足をいつもより大きく広げて重心を低く。
「う」
どういうわけか、右足が前に押され、左足が右に流れ、尻と腰が逆方向に捩じれ、胸が持ち上がって両腕が重くなり、頭部が抑え付けられている。
(なん、だこれ)
複数人に全身を揉みくちゃに洗われているような不快感だ。意識ははっきりしているというのに、身体がふらつく。
シルティは霊覚器を
(あ)
自分が
四肢も腹も背中も頭も、耳の奥まで漏れなくびしょ濡れ。こんな姿を
連続する
動けないほどではない。体表に
だが、シルティは動きのキレを身上とする戦士。精密かつ瞬発の繊細な動作こそが生命線である。動きの
同じ不意の動作でも、相手の動きに反応して急停止するのとは
身体を拭いている暇などない。いや、仮に拭いたとしても、戦場が雲の中である以上、身体はすぐに水気を帯びてしまう。現に、
どうすべきか。
簡単だ。
シルティは〈永雪〉の鍔元を自らの喉に添え、大きく息を吸うと、躊躇なく真一文字に斬り裂いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます