第145話 第十二回水精霊探索旅行
第十二回
フェリス姉妹は今日も今日とて雲の中にいた。
「んんんんんんん……」
両胸の飛麟〈
以前レヴィンが仕留めた
だが果たして、このまま探索旅行を継続していいものか。
初春から始まった雲への旅路だが、成果のないまま夏に突入してしまった。
精霊種とは出会うことすら稀である、ということは理解しているつもりだったが、さすがに停滞感を覚えずにはいられない。
(こんなに濃い雲なんだから、居ても良さそうなんだけどな……)
現在、シルティたちは足場換算で二千五百段ほどの高さで雲に
(見逃してる、とか。……ないとは言えないよね……)
不安になっているからだろうか。もしかしたら
マルリルのお墨付きは貰っているが、シルティには実際に精霊種を見た経験はないのだ。考えたくはないが、シルティの霊覚器の感度ではまだ精霊を捉えられない、などということであれば、どれだけ雲の中を
(感度……。感度、か。そう言えば、精霊を見るだけなら
紅狼がその身に宿す『
(手伝って貰えたら、もうちょっと探し易くなったりしないかな)
シルティの脳内に思い浮かんだのは、同じく『頬擦亭』を
(でも、
ロロの愛称で知られるルドルフ。彼は紅狼としては突出した巨躯を誇っている。もし同行するとなれば、レヴィンの生命力の消耗率も食料の消費率も一気に跳ね上がってしまうだろう。しかし、小柄な紅狼の知り合いはいない。いや、そもそも紅狼を高所に連れていくべきではないか。琥珀豹と違って彼らの肉体は上下の移動に強くないのだ。落下した時、シルティとレヴィンだけなら生還できる目もあるが、紅狼と同行していたらどうなるか。
かと言って、『生命眺望』を再現する魔道具も存在しない。かつては紅狼の魔法も盛んに研究されていたのだが、残念ながら
シルティは雲を切開しつつ『生命眺望』の活用をしばらく検討していたが、やがて小さく溜め息を吐いた。
(無理か。やっぱり、地道に跳び回るしかないな)
頷いて、足を止める。前方の雲をサクサクと切開。
「レヴィン。ちょっと休憩しよっか。仮眠室お願い」
シルティの要望を受け、すぐさまレヴィンが仮眠室を生成した。もう結構な時間、雲の中を歩き回っている。シルティは仮眠室に跳び移ると、いつものように〈冬眠胃袋〉の脱着機構を操作して鞄を降ろした。
二枚の飛鱗を定位置に戻し、魔術『
両手をぐーっと伸ばして胸を反らし、はしたなく
目尻に浮かんだ涙を指で弾いた。
その瞬間。
殺意と
(うッ)
生物としての根源を害意で犯されるような異常な感覚。
本能的な反応なのか、体幹筋が勝手に引き攣り、シルティは己の重心を見失った。
加えて、全身に
なんだ、これは。
生涯で初めて味わう奇妙な死の気配に、身体が否応もなく硬直する。
異常の仔細を把握する間もなく、シルティの視界は雲より濃密な純白に染め上げられ。
ぐぶッ、と、肺腑からの空気の漏出に伴って喉が奇妙な音を鳴らし。
そして気がついた時には、なんの支えもない雲の中に放り出されていた。
(なんっ!?)
なにが起きた。わからない。わからないが、身体の背面に
頬を撫でる空気の流れから、自分が落下しつつもかなりの速度で前進していることがわかる。どうやらなんらかの力で後ろから強く突き飛ばされたようだ。
自然現象ではないだろう。
久々の放物落下に、シルティの主観が自動的に引き伸ばされる。油断していた自分を脳内でボコボコにしつつ空中で身体を捻り、視線を背後へ。
愛する妹はどこだ。雲が濃い。眼球の視線は通らない。霊覚器を全開にして探る。
見つけた。
濃密な白い雲の向こうで虹色に揺らぐ豹の姿。レヴィンもシルティ同様に足場から弾き出されていたらしい。尾を伸ばし、四肢を柔らかく広げ、着地に備えるような体勢を取っている。きょろきょろと頭を振っているが、恐慌に陥っている様子ではない。落下しつつも冷静にシルティの姿を探しているのだろう。
妹の成長を感じつつ、シルティは目を凝らした。この瞬間、彼我の距離は……多分、二十歩ほどか。相変わらず霊覚器の視界は遠近感が計り
だが、こうして見ている間にもどんどん遠ざかっていく。シルティが背後から突き飛ばされたのに対し、レヴィンは真正面から吹き飛ばされたようだ。正反対の向きの初速度を与えられてしまった。状況を放置すれば時間が経てば経つほど合流は難しくなる。
対処は。
まずはレヴィンに足場を与えるべきか。
どうにかして、近付かなければ。
レヴィンに合流すれば、〈永雪〉なり〈
やるべきことを決めたシルティは、この上なく嬉しそうな笑みを浮かべた。
即座に魔術『
季節が移り変わるほどの間、シルティは死と隣り合わせの
つまり今この瞬間、シルティの体重は
この状態で飛鱗を革鎧から分離せずに操作すれば、シルティは空中にふわりと浮かぶことすら可能なのだ。
ただし、浮かべると言っても革鎧だけが宙に吊られたような状態なので、動きの自由度は最低である。首根っこを掴み上げられて振り回される猫のようなものだ。動きのキレも、両足で地面を蹴るそれとは比べものにならない。
さらに言えば、浮遊できるのは非常に短い時間に過ぎなかった。魔術『
多分、体重三割の今でも、心臓の鼓動で二十回分も浮かんでいれば生命力が枯渇するだろう。つまり、死ぬ。辟易するような燃費の悪さである。同じ距離を移動するにも、非分離操作で浮かんで移動するより、飛鱗を足場にして一気に跳躍した方が圧倒的に楽なのだ。
要するに、空中を鋭く長く走るならば、やはり飛鱗を足場として
さて。
シルティの全力の踏み込みを空中で支えるのに、かつては八枚の飛鱗が必要だった。
今ならば、もっと少なくていいはず。
まだ試したことはないが、きっと。
いや、絶対に。
(いけるッ!!)
ぶっつけ本番。
シルティの好きな言葉の一つだ。
彼女は嬉々とした表情で四枚の飛鱗を足元へ射出した。
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