第143話 美味しい尾羽



「怪我、診せて?」


 シルティが手振りで促すと、レヴィンは大人しく横倒しに寝転んだ。

 名誉の負傷を診察する。

 くちばしで齧られた右前肢は掌球しょうきゅうが丸ごと無くなっており、その奥の指骨しこつが見えていた。もありなん。肉球に嘴が深く突き刺さった状態でガンガンと地面足場に叩き付けたらこうもなる。

 右脇腹と臀部には深い穿孔傷が複数。特に臀部の八か所は深い。鉤爪によって大殿筋をがっちり掴まれた状態で宵闇鷲の身体を揺さぶったため、筋肉が激しく穿ほじられ、拳大ほどの肉が脱落しそうになっている。心臓の拍動に合わせ、断続的に血が湧き出していた。

 だが幸い、骨折はしていないようだ。


「ん。大丈夫。これならすぐ治るね」


 いずれも、魔物の観点では軽症である。

 レヴィンの生命力は充分だ。シルティの生き血を飲ませるまでもない。しばらく待っていれば血は止まるだろうし、しっかり休息を取れば明日の朝には間違いなく完治するだろう。

 シルティはほっと息を吐き出し、レヴィンの身体に負担をかけないよう、首筋を優しく撫でさすった。

 顎の下を揉みつつ、口元に付着していた赤黒い羽毛を丁寧に取り除く。


「レヴィン。ほんと強くなったねぇ……」


 完全な不意打ちを受けた直後の反応の速さも、負傷をものともせずに燃え上がる戦意も、鉤爪で宵天鎂ドゥーメネルを突き破り、巨大な猛禽である宵闇鷲を尾で縛り付ける身体能力の増強具合も、全てが蛮族として賞賛すべき領域に達している。


「魔法がなくても戦えてたし……あと、尻尾も強く使えるようになってきたね? これなら、すぐに私の顔をえぐり飛ばせるようになるよ」


 レヴィンが寝転がったまま喉を鳴らし始めた。

 猫のたぐいの前肢は四足歩行をする動物の中では器用な方だが、それでも人類種や猿の類と比べれば数段劣る。なにぶん指が短い。物を保持したり細かく動かしたりという行為は、琥珀豹の肉球と鉤爪ではどうしても難しいのだ。

 だが、人類種の社会で生活する以上、なんでもかんでも口で咥えて動かすというのもはばかられる。

 その不便を解消するため、都市で生活するようになってすぐ、レヴィンは己の尻尾を手指の代わりとして多用するようになった。


 琥珀豹の尻尾は体型に比してかなり長い。胴体を曲げることなく自分の口に届かせることも余裕だ。人類種が普段使いするようなサイズの小物であれば、大抵は尻尾の先端を巻き付けてしっかり把握することができる。

 思い返せばレヴィンの実の親も、幼い我が仔を尻尾の先端で持ち上げて運んでいたので、身体が出来上がった琥珀豹は自然と尻尾を腕代わりとして使うようになるのかもしれない。


 そういうわけで、レヴィンにとっての尻尾とは、シルティとの意思疎通を円滑にするための道具であり、己の重心や動作の反動を制御するためのおもりであり、ちょっとした小物を運ぶためのもう一つの腕であった。

 だが、シルティがヴィンダヴルとの模擬戦を終えた少しあと、レヴィンは己の尾に『敵を殺すための武器』という新しい役目を自発的に与え、一人で訓練を始めたのだ。

 シルティがお爺ちゃんにボッコボコにやられる場面を見て、自分もさらに強くならなければならないと奮起したのかもしれない。


 強くなるための手段として尾を選択したのはおそらく、自身と同じく視界を魔法の効果範囲としながら、背後死角に潜り込んだ姉を見事に尾でぶっ飛ばした重竜グラリアの影響だろう。

 レヴィンが重竜グラリアのように尾の先端で空気を炸裂させられるようになるかはわからないが、もしそこまで至れるならこれほど素晴らしいことはない。

 正面に来れば力強い牙と鉤爪。背後に回れば長大で器用な尾。離れれば『珀晶生成』。レヴィンはますます強くなれる。


「さてとっ。ちょっと休んでてね。すぐ解体バラしちゃうから」


 シルティはレヴィンの頭をぽんぽんと軽く撫でてから立ち上がり、右腰の鞘からナイフを引き抜いた。

 宵闇鷲は滅多に遭遇することのない魔物である。ゆえに、魔術の研究もほとんど進んでいない。五体満足の死骸を港湾都市アルベニセへ持ち帰ればかなりの高値で売れるだろう。魔法『鷲鎂佩帯しゅうびはいたい』を再現できる魔道具が作り出せれば、超常金属宵天鎂ドゥーメネルを安定供給できるようになる。確実に莫大な利益を生み出す発明なので、魔術研究者たちにとっても垂涎の的に違いない。


 今回の個体は頸椎がぐちゃぐちゃにじ折れているし、興奮したレヴィンが頭部を噛み砕いてしまったので脳が粉砕されている。魔術研究目的の素材として売るには状態が悪いと言わざるを得ない。だがそれでもなお、結構な値段で売れるだろう。

 水精霊ウンディーネ探しが無事に終わったとしても、そこから家宝〈虹石火〉を引き上げるためにはいろいろと準備が必要になる。水精霊ウンディーネ以外の精霊言語も学習したい。つまり、シルティは相変わらず資金を必要としている。高く売れる魔物は大歓迎だ。


(どこ食べよっかなー)


 だが、シルティは迷わずこの宵闇鷲を食べることにした。

 これはレヴィンが雪辱を果たした証である。どんなお金にも代えられない勲章。食べてレヴィンの血肉にするべきだ。

 もちろん、余った部分は地上に持ち帰って売却するけども。

 宵闇鷲は巨体だが、二つの〈冬眠胃袋〉の中身を整理すれば、くらいは収納できるだろう。


(とりあえず血を……もう心臓止まっちゃったか?)


 シルティは宵闇鷲の頸部を改めて根本から斬り落とし、持ち込んだ雑貨の中から紐を取り出すと、趾に括り付けて足場のふちからぽいと投げ下ろした。紐のもう一端はしっかり握り締めている。空中に逆さまに吊られ、ぷらぷらと揺れる宵闇鷲。頸部の断面から血が滴り、地表へ向かって落ちていく。


(う……。これはちょっと……後ろめたいな……)


 遠近感が失われるほどの高さだが、シルティの足下には港湾都市アルベニセが存在しているのだ。落下しているうちに霧散し、風に流され、地表に届くのは一分一厘いちぶいちりんに過ぎないだろう。だが、友人や恩人の住む都市に向かって上から仕留めた獲物の血を垂れ流すというのは、シルティの性格からするとどうしても罪悪感を覚えてしまう行為だった。


 いっそ、レヴィンに桶を作って貰い、血を貯めて全部飲もうか。

 でもな。この、血の量が多そうだしな。血の味は嫌いじゃないけど、これを飲み干すのはかなりキツそう。

 ……などと、うだうだ考えているうちに、血の勢いが弱まってくる。


「……つ、次は、飲み干しますんで……すみません……」


 誰に言うでもなく謝罪を呟き、シルティは宵闇鷲を引き上げた。


 実のところ、これはかなり今更な話である。水精霊ウンディーネ探しの道中でレヴィンが出したモノは、液体にせよ固体にせよ、空中に……なのだから。

 肉食動物としての本能警戒心なのか、あるいは人類種的な理性羞恥心によるものなのかはわからないが、レヴィンは排泄をシルティにも見せたがらない。という時はこっそりと小さな穴の開いた足場を生成し、姉に黙ってそこから下へ落としていた。


 一応、シルティたちはアルベニセからそれなりに離れた位置を出発点として登り始めているし、水平方向へもかなり移動しているから、厳密にアルベニセの真上にいるわけではない。出したモノが理想的に真っ直ぐ鉛直落下すれば、人類種の社会に取り込まれることなく、自然界の栄養となってくれるだろう。

 だが、理想はあくまで理想。これだけの高さになれば少々の水平距離など誤差である。風向きにもよるが、やはり一部は都市に降り注いでいるだろう。特に、液体の方は。


 シルティはこの事実に全く気付いていなかった。彼女は嚼人グラトン。基本的に食べたらの魔物である。レヴィンが隠れて出していればそれに気付けないくらいに、排泄という行為に対する理解と関心が薄いのだ。

 あるいは幸いなことなのかもしれない。

 気付かぬ間は、悩まないで済む。


 シルティは引き上げた宵闇鷲を横向きに寝かせ、雑貨類の中から口の広い革袋を取り出した。宵闇鷲の左脚を踏み付け、右脚を持ち上げる。そうすると股関節が開くので、足の付け根の羽毛をぶちぶちとむしり、袋の中に漏れなく収納していく。

 他の鳥類なら毟った羽根など空にばら撒いて終わりだったが、宵闇鷲の羽根は貴重な財産なのでそうもいかない。風切羽根に代表される長板状の正羽せいうはもちろん、腹部などを覆うふわふわの綿羽めんうですら、超常金属宵天鎂ドゥーメネルの羽軸を持っているのだ。火で炙るなりして羽枝うしを焼き切れば、かなり純度の高い宵天鎂ドゥーメネルを得られるだろう。

 ただ、宵天鎂ドゥーメネルはあまりにも軽く、羽の構造のままでは容易く舞い上がってしまうので、飛散防止のためには袋にまとめておく必要がある。

 シルティが取り出した袋は少し前まで生肉を収納していたものだ。生肉に触れていたため内部が少し粘着質に湿っており、羽毛がいい具合にくっついてくれる。今回の用途には非常に好都合だった。


 足の付け根の羽毛をぐるりと抜き終えたらナイフで皮膚を裂き、右脚を持ち上げながら筋肉の境目に刃を走らせる。かつて宵闇鷲を解体した時はまだ〈玄耀げんよう〉もなく、道具は肉体と木の枝を石で削った粗末な木刀のみで、かなり力任せな解体になってしまった。だが今は、業物のナイフがこの手にある。

 元来、生き物の肉を斬るのが大好きなシルティであるが、今回は過去の不自由さの記憶も相まって、殊更に楽しかった。

 そうして丁寧に丁重に宵闇鷲の右脚を分離したら、かかとの少し上であしゆびを切断。腿の断面からナイフを入れ、皮をめくりつつゆっくり剥いでいき、最後にあしゆびをすぽんと抜けば、綺麗な腿肉の出来上がりだ。とりあえず、食べるのは脚一本分だけにしておく。

 剥がした羽毛付きの皮は小さく折り畳み、斬り落とした趾と共に袋に入れ、口をぎゅっと縛って万一にも漏れ出ないようにする。


「んふふふ。片脚だけでも結構な量あるなー。シグちゃんに分けてあげよっと」


 同好の士である鍛冶師シグリドゥル。かねてから彼女が宵天鎂ドゥーメネルで剣を打ちたがっていることを、シルティはしっかりと覚えていた。出来上がった刃物を愛でさせてくれるというならば、シルティはこの宵天鎂ドゥーメネル無料タダで譲り渡すことに躊躇などない。

 だらしのなさ過ぎる笑みを浮かべながら、シルティは腿肉をレヴィンの前にデンと鎮座させた。


「お待たせ、レヴィン。いっぱいお食べー」


 嬉しそうな声を上げ、レヴィンが早速肉塊に齧りつく。宵闇鷲の腿肉は以前にも食べたことがある。脂肪の少ない赤身で、とても強そうな味がした。つまり、硬くて臭かった。だがシルティと同じく、レヴィンは獣臭い肉も嫌いではない。幼少期から猛烈にくさい蒼猩猩の肉を食べてきたのだ。食べ慣れた風味である。

 頭を傾けて黙々と肉を裁断し始めたレヴィンを右手で撫でつつ、シルティは左手方向に視線を向けた。

 右脚を失った宵闇鷲の死骸。

 見事な尾羽がこちらに向けられている。


「……」


 シルティは無言で手を伸ばし、手前側の石打いしうち(尾羽のうち、もっとも外側にある二枚)をぶつりと引き抜いた。宵天鎂ドゥーメネルを羽軸に持つ、長大な尾羽だ。シルティの手のひらよりもはるかに長い。引き抜いてみると、根本の方は羽枝うしの色が薄く、白っぽくなっていた。

 美しい。

 美しいが、それ以上に……味が気になる。

 前回はそれどころではなかったので、肉以外は食べなかったのだ。


 試しに、羽枝うしを摘んで千切り、ぱくりとしてみた。なんというか、普通の味だ。野生味の強い羽毛ダウンと言った感じで、まぁ、美味しくはない。

 指でしごいて羽枝うしを取り除くと、宵闇鷲の羽根は赤黒い金属の針となった。

 唇を開け、ぱくん。


「んっ!? ……えっ? なにこれ……」


 甘く香ばしい香り。

 強い甘みと仄かな苦み。

 じんわりと喉の奥が暖かくなる後味。


「めちゃくちゃ美味しい……」


 超常金属宵天鎂ドゥーメネルは、シルティの好みにどんぴしゃだった。

 極限に至った究極のカラメルと言われても頷ける、そんな美味しさだ。


「も……もう、一本……」


 シルティは尾羽を追加で三枚食べた。


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