第140話 上空測定



「そんっ、そんなことできたのっ!?」


 無数の光線を生み出しながら遠方へと消えていくレヴィンの生命力。あれはおそらく、望遠鏡のピントが合わせられた座標にまで到達し、そこで望み通りの形状の珀晶を生み出しているのだろう。


 魔法『珀晶生成』は視界そのものを効果範囲とし、注視点さえ明瞭ならば透明な障害物では遮られない。そして、精密に作成された正立式望遠鏡は観測者に鮮明な遠景を与える。

 一つずつ要素を噛み砕けば確かにに繋がるかもしれないが、まさかそんなことが可能だとは。少なくとも、シルティはこれを単独で思い付ける自信がない。


「やばぁ……」


 シルティは食事と骨折の治療すら途中で放棄し、眼球に生命力を集中させて望遠鏡の先へと視線を送った。全力で目を凝らす。しかし、なにも見えない。

 当然だ。優れた眼球を持つ琥珀豹がわざわざ望遠鏡に頼っているのだから、人類種の裸眼視力など遠く及ばない距離に決まっている。千歩先や二千歩先にある豆粒を視認できるような、そんな世界なのだろう。

 無論、レヴィンの技量が向上すれば望遠鏡の性能も向上するので、今後は更なる視程を得られるはず。


 地上に生息する動物の視界には物理的な限界があることが知られている。どんなに開けた土地であっても、ある程度離れれば視線は地平線に遮られてしまうからだ。

 この距離は身長視点の高さに依存し、シルティの身長であればおよそ六千五百歩弱、シルティの父ヤレック・フェリスであればおよそ七千五百歩強。世界で最も優れた静止視力を持つ陸上生物は、飛び抜けて長大な頸部を誇り、かつ世界最強種の眼球を持つ魔物、雷竜ブロントであると言われていた。


 四足歩行をする動物ゆえ、琥珀豹の視点はそう高くない。地平線までの距離はシルティと大差ないだろう。だが彼らは、自前の足場でいくらでも高さを稼ぐことができる。事実、現在フェリス姉妹がいる場所は、雷を捕食しようと首を鉛直に伸ばした雷竜ブロントより何十倍も高い位置なのだ。

 この高さに、直線的な視力を事実上増強できる望遠鏡を組み合わせれば。


「マジ、やっばぁ……」


 シルティの知る限り、単独でここまで射程の長いを放てる魔物は存在しない。

 もしかしてこれは、理屈上は六肢動物にすら知覚できないような超遠距離狙撃を可能とする、素晴らしい技法なのではないだろうか。

 珀晶で作り出された望遠鏡は全ての部品が生成座標に完全に固定されるため、そのままではピントをずらすことも光軸視野を変えることもできないという難点は存在するが、そこは消滅させて作り直すという力技ちからわざで非連続的に調整できるのだろう。

 今回は珀晶の年功序列を入れ替えるわけにはいかないため、僅かに倍率を変えた接眼レンズを再生成し、ピントのみを前後に移動させているようだ。


「レヴィン、すっごぉ……」


 シルティの感嘆の声を受け、レヴィンが静かにゆっくりと振り返った。に重い躊躇ちゅうちょが混ざり込んだような、なんとも微妙な表情を浮かべている。

 強度を見誤って足場を割り、茫然としたまま落下して姉に助けられた、という直前の経験が、満を持して披露した新技を素直に誇れなくしているのかもしれない。

 足場が割れてしまったのはレヴィンのせいというよりシルティの想定が甘かったせいであるし、初めての失敗に茫然としてしまったのも仕方がないと思っているので、気に病む必要は全くないのだが。

 今すぐ撫で回して褒めちぎりたいシルティだったが、位置的に手が届かない。飛鱗を操作して撫でるのもつい昨朝レヴィンに怒られたところだ。


「もー……。ちょっとこっち来て。めちゃめちゃ撫でるから」


 シルティの宣言を受け、レヴィンの洞毛ヒゲがぴくんと跳ねた。尻尾をぴんと伸ばしながらのしのしと歩み寄り、仰向けに寝転がった姉の頬に鼻鏡びきょうを控えめにくっつける。

 シルティは両腕を最大限に使い、レヴィンの首回りをわっしゃわっしゃと撫で回した。本気も本気。この場でレヴィンを蕩けさせて眠らせてやる、ぐらいの意気込み。指先の繊細さを存分に発揮して真剣に撫でる。

 蛮族の戦士は肉体を過信して強くなっていく生態の動物ゆえ、褒められることが大好きであり、そして褒めることも大好きだ。出会って三百日余り、シルティはとてもレヴィンを褒めてきた。レヴィン愛撫学という学問の第一人者なのだ。どこをどんな風に撫でればレヴィンが喜ぶのか、もはや知り尽くしていると言っても過言ではない。

 レヴィンの肢体からはあっという間に力が抜け、液状化したかのように足場に横たわる。


「ね。もしかして倒立像式前の望遠鏡だと、できないの?」


 愛撫を継続しつつシルティが問いかけると、レヴィンは尻尾の動きのみで肯定した。当然、既に試していたようだ。

 なんとなく浮かんだ疑問だったが、シルティの直感通り、上下左右が反転する倒立像では『珀晶生成』の経路にはなり得ないらしい。

 座標にせよ形状にせよ維持時間にせよ、『珀晶生成』は当が非常に大きく関わる魔法である。肉眼の視界と一致していることが重要なのかもしれない。


「なるほどねぇ。正立像式今の望遠鏡にやけにこだわってたのは、このアイデアがあったからだなー? もー。私に内緒で新技練習するのが好きだねぇ?」


 愛を込めた恨み言をこぼしつつ、妹の頬を執拗に揉み込み、引っ張る。レヴィンは無言のまま洞毛ウィスカー根本パッドをぷくりと膨らませた。今後も内緒で練習しよう、と思っている表情だ。

 頬を揉み、顎下を撫で、額をさすり、耳介を摘まみ……太陽の傾きがわかるほどの時間、レヴィンの頭部を愛撫し続け、シルティはようやく満足した。


「ふふ。まぁ、今日はこんくらいで勘弁してやろう……。望遠鏡消える前に、空に作る時の体積大きさの上限を確認しなきゃだしね」


 レヴィンは名残惜しそうにシルティの腕を一度二度と甘噛みしたが、三度目の甘噛みは我慢し、すっくと立ち上がる。毅然とした足取りで望遠鏡に近寄り、姿勢よく覗き込んで、じっと動きを止めた。

 霊覚器に映る光景から、凄まじい勢いで断続的に魔法を行使していることがわかる。望遠鏡の光軸の延長線上に小さな珀晶を無数に生成しているのだ。おそらく、足場が割れてしまった千二百四十段目よりも遥かに空気の薄い材料の少ない上空に。

 さほど長くかからず、レヴィンが望遠鏡から目を離した。シルティの視点からは見えないが、望遠鏡の対物レンズが消滅しているので、無事に体積上限を迎えたようだ。


「どう?」


 レヴィンが長い尻尾をぴんと伸ばし、強く短く、やや誇らしげな咆哮を上げた。


「お。空でもあんま変わんない? よぉっし!」


 どうやら空気の薄さは体積上限に影響を与えないらしい。シルティは満面の笑みを浮かべながら拳をぐっと握り締めた。

 おそらくだが、維持可能時間についても地上と大差ないのではないだろうか、とシルティは予想している。地上で検証した限りでは、珀晶を維持できる時間は強度体積とは無関係に決定されたからだ。

 豆粒のような小さな珀晶でも、上限ギリギリの巨大な珀晶でも、レヴィンが持続性を強く意識して生成すれば太陽の巡りで拳四個分二時間半と少しほど維持され、ほぼ同時に寿命を迎えた。

 もちろん、予想はあくまで予想であるので、確かめる必要はある。


「あとは時間だけど……こっちも今のやり方で確かめられるよね」


 上空における維持時間の測定も、レヴィンが披露してくれたこの超遠距離生成を使えば驚くほど簡単だ。破壊されたにせよ維持可能時間を超過したにせよ、レヴィンは自身が生み出した珀晶の消滅を認識することができる。視界の外でも距離を隔てていてもそれは変わらない。望遠鏡を使って上空に維持を重視したサンプルを生成しておけば、あとは放っておいても空気が薄い環境での維持時間を測定できるだろう。

 レヴィンは無言のままシルティの傍に寄り、左隣に腹這いになった。そのまま姉の側頭部をざりざりと舐め、毛繕いグルーミングを始める。最近、レヴィンは毛繕いグルーミングの際に側頭部を舐めることを好むようになった。素肌よりもたてがみのある頭部の方が舐め心地がいいらしい。

 寛ぎ始めたところから察するに、すでに測定の準備は完了しているようだ。対物レンズが消える前にサンプルを生成していたのだろう。


「さすがぁ」


 シルティは側頭部を舐め続けるレヴィンの首元を掻き撫でながら、空いている腕で〈冬眠胃袋〉から新たなビスケットを取り出し、貪り食った。ゴリゴリと咀嚼しつつ、完全回復に必要な時間とビスケットの量をざっと計算する。

 骨盤の損傷はすでに癒えている。だった両脚も、多少は形を取り戻した。夕方ごろには跳び回れるようになるか。ただし日が落ちてしまうから、このままここで一夜を過ごすことになるだろう。


「だいぶ食べちゃったな……。雷に負けたし、足はふにゃふにゃになっちゃったし、しょうがないけど……」


 まだ数日分の食料は残っているとはいえ、事前の想定よりはかなり寂しい。


「んー……ん。よし」


 ここは一度地上に帰って体勢を立て直すべき、とシルティは判断した。

 水精霊ウンディーネにこそ出会えなかったが、雷斬りには挑戦できたし、魔法『珀晶生成』の新たな事実もわかったし、なによりレヴィンの素晴らしい新技を見せて貰ったのだ。シルティとしては大満足な二日間である。


「このままちょっと寝よっか。起きたら地上に降りよう。レヴィン、天井張り直してくれる?」


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