第138話 脆弱化
三十枚ほどの薄膜を貫通し、充分に速度が落ちてから、レヴィンが一際強固な足場を生成した。
どこか粘着質な重厚音と共に、フェリス姉妹の落下がようやく止まる。
「ぅ、ぐぉぅ……」
倒れ伏したシルティが唸り声を上げた。
衝撃を分配したとはいえ、あれだけの落下速度を三十数回でゼロにするのはなかなかに過酷な仕事だ。自分自身だけならともかく、レヴィンと荷物の重さも加算されたとあっては、足が
シルティの上に覆い被さっているレヴィンも無事ではない。シルティが緩衝したおかげで骨は折れていないようだが、度重なる衝撃に臓腑をボロクソに打ち据えられたらしく、耳介は後方へ回旋し、目は薄く閉じられ、呼吸は浅く不規則。しかも、呼吸音に異常が見られる。かなり辛そうだ。
だがそれでも、二人とも意識はしっかりと保っていた。
つまり、死にはしない。
「レヴィ……
シルティの声を聞き、レヴィンが粘菌のようなのろのろとした動きで移動する。その後、シルティは陸に
だが、起こせない。
(うおぉ……脚とおまたが、すっごい変な感じする……)
皮膚は破れていないが、両脚の骨は粉々、筋肉はズタズタだ。骨盤も多少損傷しているようで、動作の支点が定まらない。ここまで下半身が柔らかいのはシルティの生涯でも初めての経験だった。もしかして、今なら足を丸めてぎゅっと結べるのではないだろうか。
「んぐ、ぅ……」
シルティはそれでもなんとかハーネスの脱着機構を操作し、〈冬眠胃袋〉を分離すると、中に腕を突っ込んでビスケットの袋を取り出した。
貪る。貪る。もはや噛まずに、丸呑みにする。
二十数枚のビスケットを一挙に消費したシルティは、そのままべちゃりと仰向けに倒れ込み、ヒュウヒュウと細い呼吸を繰り返した。呼吸するだけで身体の至る所が痛い。補給した生命力を下半身に集中させ、全力で再生を促進させる。
「……はあ……。すんごく、
その顔には、晴れ晴れとした笑顔が浮かんでいた。
◆
太陽の下端が地平線に触れるか触れないか、といった頃。
「さ、て、と」
レヴィンが生成した仮眠室に引き篭もり、各々で身体の負傷を再生させながら、シルティは反省会を開くことにした。
シルティは比喩ではなく腰抜けになってしまったので、仰向けに寝転がりつつ足を真っ直ぐに伸ばし、ビスケットをひたすらにボリボリと食べながらという行儀の悪い姿勢で。
レヴィンはというと、長い尻尾を身体の中に隠し、四肢をピタリと揃えて可能な限り身体を小さく丸め、耳を倒して頭を低く下げ、酷く落ち込んだ様子を見せている。
「レヴィン、あれはさ」
シルティの声に、
シルティは苦笑しつつ腕を伸ばし、レヴィンの耳介を指先で優しく摘まむと、くにくにと弄り回した。
本当なら抱き締めてあげたいところだが、まだ身体は起こせない。
「ぜーんぜん怒ってないよ」
妹のちょっとした失敗に怒るほど狭量ではないし、そもそも、あの失敗は本当にレヴィンの責任かという話である。
「割れちゃったのはレヴィンのせいじゃないと思ってる。割れたあとにボーッとしちゃったのは、まー、しょうがない。みんなそうだよ。私もよくやっちゃうし。ね。だから、ちゃんとこっち見て?」
レヴィンはそれでもなおしばしの
「よし、いいこ」
どうやら前向きになってくれたようだ。シルティは微笑みを浮かべ、レヴィンの耳介を解放した。
「じゃあ、さっきの割れちゃった足場だけどさ……違和感とかあった?」
レヴィンが力なく首を左右に振る。
「んんん……そっか」
さらなる高所に登っていくために、今回の失敗要因は是が非でも特定しておかなければならない。
ゴリゴリと追加のビスケットを咀嚼しながら、シルティは魔法『珀晶生成』の性能を脳内に羅列していく。
珀晶と呼ばれる黄色透明な物質を空気中に生成できる。その色合いには個体によって多少の差がある。これは重力や外力の影響を受けず、生成された座標へと強固に固定される。珀晶は視界内の任意の位置に任意の形状で生成される。生成は
「
シルティがレヴィンを朋獣登録したことで、魔法『珀晶生成』の解像度は飛躍的に向上した。現在の港湾都市アルベニセでは、『琥珀豹の生成する珀晶の強度は、体積および生成者の生命力の密度に依存する』というのが通説になっている。
強度に対する体積の影響については、人類種の間でも広く知られている通説だったので今更ではあるのだが、シルティたちが行なった検証のおかげもあってほぼ確定だ。
生命力の密度の影響については、これまでは『おそらくそうだろう』という程度の説だったが、レヴィンの成長を見守ってきたシルティにとっては火を見るより明らか。全く同じ形状の珀晶だとしても、魔法を使い始めた頃と今とでは強度に雲泥の差があるのだ。他の多くの魔物と同様、成長に伴って生命力の密度が上がったおかげで魔法の性能が根本的に向上したと考えるのが自然である。
「……うん。やっぱり、
シルティの言葉を聞き、レヴィンはすぐに同意の唸り声を上げた。
仮眠室や小休止の際の足場は別だが、ここまで踏み台にしてきた通常の足場は、どれも複製したかのように同形状・同体積に揃えている。この体積の足場ならばレヴィンが〈冬眠胃袋〉に生肉を満載して飛び跳ねても
レヴィンの体重を支え切れなかった千二百四十段目の足場も、当然ながらこの規定体積で生成されている。少なくとも、シルティが見る限りでは全く同じ板に見えた。
やはり、体積が不足していたせいで割れたという線はないだろう。
レヴィンは足場の強度に充分な余裕を持たせていたのだから、目視でわからない程度の体積減少があったぐらいで割れるはずがない。
「んー……となると……」
であれば、生命力の密度が原因だろうか。
生命力の密度は短期的にそう大きく上下するようなものではないが、それはあくまで健康な状態を比較した場合の話だ。精神的あるいは肉体的な
レヴィンは現在、常人であればまず辿り着けないような高空に、命綱もなしに立っているのだ。自分が少し間違えればシルティ共々死ぬかもしれない、という緊張もあるだろう。平然としているように見えていたが、幼いレヴィンの精神にかかっている重圧は地上でのそれとは比べ物にならないはず。
それに、肉体的にも万全とは言えなかったかもしれない。
シルティは故郷での登山経験を踏まえ、千五百段目くらいで一度レヴィンの身体を慣れさせる予定だったのだが、いざ実際に到達してみると千二百段目の時点でも空気の薄さを感じていたのだ。
レヴィンも平気そうにしているし予定通りで大丈夫だろう、と判断してしまったが、高所初体験のレヴィンを思えば千段目くらいで高さに順応させておくべきだったかもしれない。シルティも初めて山に登った時は、
「あっ。ぁあっ!!」
突如、シルティが大きな声を上げ、不意を突かれたレヴィンがびくりと身体を硬直させた。
「わかったっ!」
シルティが寝転がったまま両手で拳を握り締め、会心の笑みを見せる。自分の思考が正解に行きついていることを確信している表情だ。
「空気が薄いからだ!
シルティの言葉を聞いたレヴィンは、しばらく首を傾げて思考していたようだが、ひと呼吸ほど経つと耳介がぴんと立ち上がり、得心したような表情に変わった。
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