第135話 絶好の斬り時
二回目の大休憩を終えてしばらく。
カウントが間違っていなければ、六百四十五段目の足場に乗った、その瞬間。
シルティの視界に、瞬くような白光が飛び込んできた。
「んっ」
即座に抜刀。
愛刀〈永雪〉を下段に構え、視線を空へ飛ばす。
姉妹が地上を出発したのは早朝だった。太陽は見えないが、既に
その瞬間自体は見ていなかったが、間違いない。
雲内放電。
雨は降っていない。
「んふふっ」
シルティは満面の笑みを浮かべた。
今回の旅路で雷斬りに挑戦できるのは、
なぜなら、雨の中では魔法『珀晶生成』が著しく不安定になるからである。
琥珀豹の『珀晶生成』は
もちろん、それらの異物を漏れなく内部に取り込むスポンジのような形状でなら生成できるが、あくまで理屈上は可能というだけのこと。空中を漂う無数の異物の座標と形状を全て認識するのは、いかに優れた琥珀豹の眼球とはいえさすがに不可能である。
かつてレヴィンが
この点、『珀晶生成』と近しい部分も多い
そういうわけで、琥珀豹は種族的に豪雨が苦手だった。レヴィンという個体は大雨が降ると大いに
その点、今は。
雲の内部で放電が起きているのに、雨は降っていない。
誰かが
(さあ斬れ、って言ってくれてるみたいだ)
シルティは首元の留め金を外した。
マントに仕込まれたバネが蓄えた弾性を即座に解放し、背面側へ
鞄の中を
食料補給を迅速に終えたシルティは、唇をぺろりと舐めて威圧的に笑った。
準備は万端だ。
「レヴィン、離れたところに足場作ってくれる?」
シルティが要望を伝えると、レヴィンは了承の唸り声を上げながら立て続けに魔法を行使した。
「ありがと。悪いけど、もしもの時は尻拭いお願い」
任せろとでも言いたげに
シルティが雷斬りに失敗した場合、雷に呑まれた足場は一瞬で焼き砕かれるだろう。そうなった場合、レヴィンは落下するシルティを受け止めるための足場を再生成する必要がある。
なにからなにまで頼ることになって申し訳ないが、シルティは自分の欲求を抑え切れなかった。
今こそ、九歳の雪辱を果たす時だ。
「じゃ、行ってくるねっ!」
荷物を降ろし、頼もしい妹に見守られ、シルティは身も心も軽くなった。
機嫌よく鼻唄を歌いながらぴょんぴょんと跳躍を繰り返し、すぐに決戦の舞台に到着する。
制限時間は、雨が降り始めるまで。
改めて、天を見る。
すると、まるでシルティの視線に反応したかのようなタイミングで、雲が白光を孕んだ。
「……んふっ。くふふふっ……」
ついつい口角が上がり、笑みが漏れてしまう。
斬り合いたいという視線に応えるように、得物を見せつける。
これはもう、蛮族の常識では真剣を使った模擬戦のお誘いと同義である。
さて、どう構えれば、空から落ちてくる雷を斬り易いだろうか。
非物質である雷を斬るのに太刀を振り抜く必要はない。シグリドゥルの鍛えてくれた〈永雪〉の斬れ味は最高なのだ。刃筋をしっかり立てれば、刃を合わせるだけでちゃんと斬れる。
ならば、取り回し重視。
シルティは右足を前に滑らせ、両の膝を曲げて腰を深く落とした。両足の
ヴィンダヴルの操る
これがツヴァイヘンダーなどであればリカッソ(剣身の鍔元に設けられた刃の付けられていない持ち手)を握れるが、〈永雪〉の刀身は鍔元から切先まで漏れなく全てが素晴らしく鋭い。握れば手は無事では済まないだろう。
ゆえに、指でしっかりと摘まむ。
生きた敵との斬り合いでは絶対に使えない構えだが、速くて柔らかい雷を斬るためだけならば問題はない。
身体の内で暴れ回る生命力の奔流に、脳を焦がすような渇望を溶かし込み、心臓へと流し込んでさらに煮詰め、湧き立ったそれを四肢の先端まで行き渡らせる。
準備は万端だ。
来い。
早く来い。
シルティは仄暗い空へどろりと
息を深く吸い、深く吐き出す。
雷の始点を読むのは不可能だが、終点を絞るのは不可能ではない。背の高い木や建物など、雷が高所にある物体を好むのはよく知られている。今、この空にある物体は珀晶とフェリス姉妹のみ。そして、雲に最も近いのはシルティの頭上に掲げられた〈永雪〉だ。
この曇天は
いや、
すぐに来る。
私に斬られに落ちて来る。
絶対だ。
傲慢にもほどがあるシルティの確信。
それを練り込まれた高密度の生命力。
生成者の意志を強く帯びた生命力は、
純粋な自然現象である意思のない
ざわり、と。
シルティは自らの頭髪が逆立つのを感じた。
(
◆
ばしゃり。
顔に何かが掛かった。
「……。……ぅ。っびッ!?」
びぐんっ。
シルティが身体を痙攣させた。
「ぇヴっ、ッ、ぃ、くっひゃ……」
無様な悲鳴を上げながら飛び起きようとして、しかし、敢え無く失敗。べしゃりと
「ひック、ぅ……ガッ、ハッ、カハッ」
身体が上手く動かない。力を入れようとしているのに、筋肉にそれが伝わってくれない。
できるのは僅かな身悶えのみだ。冬に土から掘り出された
とにもかくにも、物凄く
「レ、ヴィ……ちょ、これは……掛け過ぎ……」
シルティの顔面は赤色の液体に
気付け薬とは
レヴィンは教え通りに気付け薬をシルティの顔面へぶち撒けた。多い方がよく効くだろうと判断し、たっぷりと。
狙い通り、シルティは悪臭に嗅覚をぶん殴られ、即座に覚醒することができた、が。
(死……
想像以上だった。
酢と香辛料を混ぜ合わせて煮詰め、そこに獣の糞尿と腐った魚肉を入れてじっくり熟成させたような、凄まじすぎる刺激臭。
時間が経つに連れてどんどん苦しくなってきた。冗談ではなく窒息してしまいそうだ。
「す……水筒……」
引っ切り無しに
直後、バケツをひっくり返したような水がざあっと落ちてきて、シルティの全身を一瞬でびしょ濡れにした。
(うおっ!? なんっ、あっ、これ雨か……! 助、かった……!)
シルティが気絶している間に土砂降りの雨が降り始めていたようだ。先ほどまでは珀晶の板が天井として浮かべられていたのだろう。シルティの言葉から水を求めていると察し、レヴィンが消してくれたらしい。
まさしく恵みの雨。気付け薬が流され、みるみるうちに悪臭が薄まり、
ぜぇはぁと荒い呼吸を繰り返しながら、シルティは笑った。
「ふ。ふふふ……物凄く、嫌な死に方、するかと思った……」
さすがに、気付け薬が
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