第132話 先入観の破棄



 百五十回目。

 三度目の小休止。

 曇天のため太陽の位置は定かではないが、地上を出発してから拳一つ分ぐらいは巡ったであろう。

 上を見ると本当に果てしなくてさすがに気が滅入るので、基本的に横や下を見るようにしていた。


「いやー……たっかいなぁ……」


 港湾都市アルベニセはとっくの昔に足の下だ。もはや遠近感は失われており、絵画のように思える景色。こうして見ると、アルベニセが巨大な川の河口部に作られた都市だということがよくわかった。

 アルベニセに流れ込む川は『サイキス河』と呼ばれており、東南東から流れてきてアルベニセ城壁をくぐり、都市内を貫通して北側にて海へ流れ込む。

 当然、ここから北を見れば広大な大海原だ。水平線の遥か向こうにはシルティの故郷であるノスブラ大陸があるはず。


 西から南西にかけては猩猩の森が広がっている。この高さから見ると、森の比較的浅い領域にくっきりとした三叉路Y字路が見えた。重竜グラリアの放った破壊魔法『咆光』が森の木々を真っ直ぐに消滅させた痕跡だ。ちょうどあの交差点が、シルティと重竜グラリアが殺し合った現場である。

 もっと高さを稼げば、いずれは恐鰐竜デイノスに食われかけた二度目の入り江、そしてシルティが漂着した最初の入り江も見えてくるだろう。水精霊ウンディーネと仲良くなってその魔法を借りられるようになったなら、いよいよ家宝〈虹石火にじのせっか〉の回収が始まる。まずは海岸線をひたすら辿って最初の入り江に戻らなければならない。当時はレヴィンが幼いこともあって二か月ほどかかったが、今なら旅程をもっとずっと短縮できるだろう。


 南東の方を見れば、赤茶けた山肌を持つ独立峰が見えた。かつて削磨狐みがきギツネを狩りに行った赤罅山あかひびやまだ。なるほど確かに、こうして遠方から見れば、赤くてひび割れた山としか言いようのない外観である。

 削磨狐みがきギツネは春の終わりに出産するというから、今頃は出産に備えて魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』で巣穴を磨き上げている最中さいちゅうかもしれない。


 東を見れば殊更に立派な街道が延びている。

 この街道を進むと、アルカトルという都市に辿り着くらしい。

 家宝〈虹石火〉を引き上げることができたらアルベニセを発ち、サウレド大陸の方々ほうぼうを遍歴する予定なので、いずれアルカトルを訪れるのはほぼ確定事項だ。


(確か、火精霊サラマンダーと契約した霊術士さんがいるんだっけ)


 アルカトルには火精霊サラマンダーと契約した岑人フロレスの男性が在住だと聞いている。マルリルの知り合いで、身の丈を遥かに超える巨大な直剣つるぎと、長年の相棒である火精霊サラマンダーの助力を巧みに組み合わせる熟練の狩猟者だという。

 マルリルから聞いた話によると、火精霊サラマンダーがその身に宿す魔法『熱乾掌握ねつかんしょうあく』は、どういうわけか物体をことができるらしい。超常金属燦紅鈥カランリルの衝撃噴火とは違って、上手くやれば商品価値を落とさずに獲物を仕留めることが可能なのだとか。


 アルカトルを訪れた暁には絶対に探し出して模擬戦を申し込もう、とシルティは決意していた。

 岑人フロレスとの斬り合いは、それはもう、物凄く楽しいのだ。


 天峰銅オリハルコンを身に纏う彼らは単純に凄まじい膂力を誇る上、体重操作などせずとも馬鹿げた重さを持つ。筋骨隆々の鉱人ドワーフでも彼らとまともに斬り結ぶのは難しい。もし仮にシルティが相互束縛バインドを仕掛けようものなら、敢えなくそのままと叩き斬られるだろう。相互束縛バインドから駆け引きを始めるにも、一瞬とはいえ彼我の力の拮抗が必要なのだ。


 そんな必殺の膂力を備えているくせに、文字通りの意味で手数が多く、猛者となれば斬り合いの最中に腕の増設などということも容易くこなす。加えて、天峰銅オリハルコンをいくら動かしても本人の肉体には疲労が溜まらないので、他の人類種から見れば無尽蔵の体力を備えているのだ。

 膂力、手数、体力。全てを兼ね揃える純粋暴力の権化が、岑人フロレスという魔物種である。『頬擦亭』の女主人エキナセア・アストレイリスのような戦闘行為とは縁遠い一般人ですら、身に纏う天峰銅オリハルコンの量によってはシルティの筋肉を圧倒するだろう。


「んふ……」


 しかも素晴らしいことに、アルカトルに居るくだん岑人フロレスは霊術士。

 彼との斬り合いは、一体どれだけしいのか。


「んふふふふ……」


 いやはや、笑いが止まらない。

 まだ見ぬ強敵に思いを馳せ、だらしなくにやけていたシルティだったが。


(……。模擬戦、か……)


 ふと、思考が逸れる。


(アルベニセのヒトはみんなしてくれるんだけど……アルカトルではどうかなぁ……)


 蛮族の文化では、模擬戦を挑むというのは『あなたと仲良くしたいと思っています』と伝えているのとほぼ同義だ。逆に、模擬戦を申し込まれた側が断る場合に、『また今度』などと曖昧に答えずに『やらない』と明確に断るのは、『お前は嫌いだ』と言っているのとほぼ同義である。


 アルベニセに到着して以降のシルティは、幾度も模擬戦様々なヒトとに興じてきた仲良くしてきた

 指折り数えながら思い返してみると。

 レヴィンの朋獣認定試験の際に集まった武力要因のうち、マルリル含め四名と一度ずつ。革鎧が完成した直後、身体に慣らすために西門の女衛兵ルビアに一戦付き合ってもらった。定宿じょうやどとしている『頬擦亭』の宿泊者のうち、岑人フロレスのネオリ・ラウレイリス、鉱人ドワーフのヴェルグールとも一戦ずつ。ヴィンダヴルとは休み休み三戦したし、つい最近、マルリルに五回ほどボコボコにしてもらった。


 九か月ほどの間に、十五回も模擬戦を楽しんでいる。

 今までのシルティの実績からすると、これは信じられないほどに高い頻度だ。


 更なる過去、ノスブラ大陸に居た頃を思い返す。

 言うまでもないことだが、シルティはノスブラ大陸を巡っていた四年間にも様々な相手に模擬戦をお願いしてきた。しかし、実際に受けて貰えたのは二十回足らずである。

 ノスブラ大陸では、四年間でたったの二十回弱。

 アルベニセに着いてからは、九か月弱の間に十五回。

 この差はなんなのか。

 左の手のひらを斬ってレヴィンに舐めさせながら、シルティは考えを巡らせる。

 自分の性格が大きく変わったとは思えないのだが。


(外で初めて模擬戦を申し込んだのは、ユノディアで……)


 忘れもしない。遍歴の旅に出て最初に辿り着いた『ユノディア』と言う名の小さな都市で、シルティは初対面の相手に斬り合いを挑んだ。ちょうど同い年ぐらいでなかなか強そうな男の子を見つけたので、抜身ぬきみの家宝〈虹石火にじのせっか〉を片手に、斬り合ってくださいと満面の笑みで頼んだのだ。

 十二歳のシルティはとても速やかに逮捕された。


 幸いと言うべきか、位置の関係上、ユノディアは遍歴の旅に出た蛮族の戦士が最初に辿り着く都市である。行政衛兵も数年ごとにやってくる国外の蛮族バカには慣れていたので、シルティは『まーた蛮族こいつらか』という雑な扱いを受け、多少の罰金と短期間の拘留で許された。

 当時はなぜ拘束されて部屋に閉じ込められたのか全く理解できず、牢の中でちょっと泣いたが。

 今となってはもちろん、あれはちょっとまずかったよなと後悔している。


 シルティは学んだのだ。

 戦闘を生業としない人々が出歩く往来で、抜身の刃物を持つというのは、逮捕に値するほどに悪いことなのだと。

 逆説的に、抜身の刃物を持っていなければ、初対面の相手に模擬戦を申し込んでも逮捕はされないのだと。

 逮捕されないということは、初対面の相手に模擬戦を申し込むのは悪いことではないのだと。

 シルティは外の常識をそのように理解した。

 そのように、理解していたのだが。

 シルティは己の脳裏に貼り付けられた『理解済み』という先入観ラベルを剥がし、改めて思考を深める。


 蛮族は、仲良く模擬戦を申し込む動物だ。

 だが。

 もしかして。

 外の人類種は。

 仲良く、模擬戦を申し込むのではないだろうか。


(……そう、かも、しれない……)


 記憶を辿れば、思い当たる節はある。

 ノスブラ大陸での旅は、ひとつところに留まるのは長くとも一か月程度で、最初のうちなどは数日しか滞在しなかった。跳貂熊とびクズリの革鎧を発注した時に三か月ほど滞在したのが最長記録だろう。

 故郷を出たばかりのシルティにとって、見たことのない景色を見て、食べたことのないものを食べ、斬ったことのない生き物を斬るのはとても楽しかったので、ついついせわしない旅になってしまったのだ。

 だが当然ながら、そんな旅路では都市の住人たちと親密になることもほとんどなかった。仲良くなりたいと思った相手に模擬戦を申し込み、『やらないお前嫌い』と断られて、しゅんとして引き返す。そんな日々だった。


 一方で、ここに漂着してからはどうか。

 アルベニセでの十五回の模擬戦は、武力要因たちとの四戦を除き、どれも相手と仲良くなってからの模擬戦だ。あいさつ代わりに斬り合いましょうとは言わなかった。

 武力要因たちについても、レヴィンという優秀な朋獣の活躍を見て、少なからずシルティたちに好意的な感情を持っていたはず。

 だからきっと、初対面でも模擬戦に応じてくれたのだ。


(そうだったのか……)


 シルティは今更ながらに後悔した。


(くっそう……凄く勿体ないことしちゃったな……)


 もっと前にこの事実に気付いていれば、これまでの旅路でもマルリルやヴィンダヴルのような猛者と斬り合うことができていたかもしれない。

 あまりに勿体なさすぎる。


(これからは、もっとこう……仲良くなってから、斬り合いたいですって言おう……)


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