第131話 成長した舌



 十五回目。

 登った珀晶の階段はたったの十五段だが、シルティの胸元までの高さの十五倍だ。もうかなり高い。小さな鳥たちが気楽に飛ぶくらいの高さだろうか。

 高さが苦手な者であればとっくにうずくまっているだろうが、シルティは全く平気である。それどころか、興奮したような微笑みを浮かべていた。

 この蛮族の娘、高いところが大好きなのだ。

 視界を遮るものが何もない、というのが実に爽快である。

 自分自身の背が低い反動もあるだろう、幼い頃は父ヤレックによく肩車をせがんでいた。


「んふふふ。良い景色……」


 ご、る、る、る。

 シルティの足の下で、レヴィンが遠雷のように喉を鳴らす。出発時の不機嫌さはどこへやら、立てた尻尾はまっすぐに伸ばされ、機嫌の良さを示していた。こちらも姉と同様、高さに怯える様子はない。

 その巨体に似合わず、琥珀豹という魔物は木登りや崖登りが大の得意である。なにせ、空中にいくらでも足場を生み出せるのだ。基本的には地上で獲物に忍び寄り、跳び出して仕留めるという狩りを行なうようだが、高所に隠れて要撃ようげきという手段を取ることも多い。珀晶の足場でひょいひょいと高さを稼ぐと、樹冠や岸壁に紛れるようにしながら獲物を待ち、機を見て落下強襲、死角から後頸部うなじをがぶり、である。琥珀豹は咬合力こうごうりょくが極めて強いので、得物の喉を長時間噛み絞めて窒息死させるより、後頭部や後頸部脊髄のような急所を即死させることを好むようだ。

 レヴィンが珀晶を足場として使うようになったのは、魔法を使えるようになって早々のことだったが、これもシルティが教えるまでもなく自然とやるようになった。本能に近い習性のようなものなのだろう。琥珀豹は生まれつき高所を苦としない魔物である、と言えるかもしれない。


「もっともっと高いとこに行ったら、どんな景色が見えるかな。楽しみだね」





 四十九回目。

 巨木と呼ばれる樹ですら大抵は足の下に来るだろう、そんな高さ。


(よし、五十段目。一息ひといき入れよっかな)


 跳躍をひたすらに繰り返すこの旅路は、単なる歩行や走行とは比較にならない度合で疲弊ひへいしてしまう。まだ地上を離れてからさほど時間は経っていないが、シルティは最初の小休止を挟むことにした。

 シルティは現在、体重操作の訓練のために自らの体重を半分以下まで軽量化している。身体の延長とは見做せない荷物の重量はそのままだが、体重が軽くなった分だけ脚の疲労も軽減されていた。今から二百段くらい勢いよく駆け上っても余裕だろう。

 しかし、レヴィンはそうではない。今この瞬間、レヴィンの体重はシルティの四倍を超えているのだ。疲労の溜まる速度も段違いである。

 この旅路は全てが魔法『珀晶生成』頼りなので、最優先すべきはレヴィンの体調だ。充分に余裕を取り、今後も五十段ごとに小休止を挟む予定である。


「レヴィン、ちょっと休憩しよっか。次の足場、少し広めにしてくれる?」


 シルティが眼下に声をかけると、レヴィンは要望通りに五十枚目の足場を広く生成した。シルティがまずひょいと跳び乗り、続いてレヴィンがぴょんぴょんと跳び乗る。二人が同時に乗っても足場はびくともしない。体積強度は充分である。

 落ちないように身を寄せ合い、レヴィンの顎下を撫で回しながら、シルティは右腰に取り付けていた鞘から真新しい大振りのナイフを引き抜いた。

 このナイフは喪ってしまった鎌型ナイフ〈玄耀げんよう〉の後継として購入したものである。後継と言ってもこちらは鎌型ナイフではなく、一般的な形状をした片刃のナイフだ。


 シルティは当初、〈玄耀〉の後継を同好の士である鉱人ドワーフの鍛冶師シグリドゥルに特注しようと思っていたのだが、残念ながら予算と納期の関係で諦めざるを得なかった。

 とはいえ、これも素晴らしいナイフである。上質な鋼を丹念に鍛え上げた逸品で、反りのないブレードの刃渡りはシルティの拳で二つ分ほど。ナイフではなく剣鉈けんなたと呼ぶべきかもしれない、大振りで重厚な格好いい刃物だ。握りグリップは色気のある飴色のカシ材で、細めに作られており、シルティの小さな手のひらにも吸い付くような収まり。握った瞬間、製作者に心からの敬意と感謝を告げたくなる、そんな刃物である。

 買ったばかりで現時点では思い入れが薄いため、名前はまだ付けていないが、シルティは既にこのナイフを充分に愛していた。当然のように武具強化の対象だ。いずれ良い名前を付けてあげたい。


 シルティは左の手のひらにナイフを食い込ませ、すぱりと裂いた。

 見た目通り、ぞくぞくするような良い斬れ味だ。シルティの両目が細められ、視線に陶酔の色が混じる。

 が、残念ながら今は恍惚としている暇はない。シルティは頭を振ってけを振り払った。時間は有限である。


「はい、どうぞ」


 鮮血のしたたる手のひらを差し出すと、レヴィンが首を伸ばして生き血をぴちゃぴちゃと舐めた。まだまだ先は長い。レヴィンは少しでも生命力を補給しておく必要があるのだ。

 ざらついた舌がぱっくりと開いた傷口をゾリゾリと削り、鋭い痛みが断続的に走る。


 猫のたぐいの舌はブラシとやすりの機能を兼ね揃えた高性能な器官だ。表面に糸状乳頭しじょうにゅうとうと呼ばれる鉤状の突起が無数に生えており、ある程度は意識的に突起を寝かせたり立てたりすることができる。か弱い我が子を毛繕いグルーミングするようなときは突起を程よく寝かせて優しく。仕留めた獲物の肉を舐めてぎ取る際は突起をしっかり立てて苛烈に。という具合である。

 母親の乳首を削るわけにはいかないからだろう、この鉤状突起は生まれて間もない仔にはほとんど存在しない。今となっては凶器と言うべきレヴィンの舌も、出会った当初はしっとりなめらかな表面だった。


「んふ」


 身体能力以外の部分でもレヴィンの成長を感じ、シルティは和やかに微笑んだ。

 レヴィンは既に意識的に糸状乳頭を寝かせたり立てたりすることができる。しかしながら、手のひらがめちゃくちゃ痛い。

 普段、愛情表現として舐めてくる際は上手く手加減していて全く痛くないのだが。やはり血を舐めるような行為では本能が刺激され、糸状乳頭を無意識に立ててしまうのだろう。どんな動物でも食欲にはなかなか抗えない。レヴィンの舌にはわずかに強化までもが乗せられており、シルティの手のひらの肉を細かく持ち去っていく。


「まだまだ先は長いから、たっぷり飲んでおいてね」


 生き血だけでなく肉も食べてくれた方が生命力をより多く補給できる。

 シルティは手のひらの強化を意識的に弱め、レヴィンの食欲を受け止めた。

 ゾリゾリ。


「んっ、ふふ、ふふふ……」


 やすりを刃物と見るかどうかは個人個人の感性によるだろうが、シルティは刃物の一種だと思っている。

 つまり、シルティはレヴィンの舌を愛していた。






◆◆◆◆◆◆


お読みいただきありがとうございます。


突然で申し訳ありませんが、本日タイトルを変更いたしました。

新:蛮族娘の異大陸漂流記

旧:蛮族の娘がデカい豹と一緒に金のために狩猟しまくる話


実は拙作の書籍化が進行中でして、2024年4月に発売予定なのです。

長らく仮のタイトルだったものが正式に決まりましたので、それに伴いまして改題を行ないました。


一巻の内容としましては、シルティたちが都市に辿り着くまでとなります。

大きな変更点は、web版には登場しないキャラクターが最序盤から登場することでしょうか。

かなり根本からの変更になったため、web版からどれくらい加筆修正したのかというのを文字数で表すのは難しいのですが、最終的には17.5万文字ほどになりました。

専門店様では購入時の特典SSもあったりなかったりしますので、読者さまの財源に余裕があれば是非。


もちろん、web版の更新は続けてまいります。

今後ともよろしくお願いいたします。

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