第124話 爺の教え・神髄
「まぁ、確かに身軽になんのも大事なんだけどよ」
ヴィンダヴルは長巻を鞘に納めながら言葉を繋ぐ。
「
「わかりました。……足の感触、ですか」
「嬢ちゃんその靴、強化できんだろがよ?」
「はい」
シルティの足を覆う
「それが
「肌。はい」
「んでだな。こーやって」
ざり、ざり、という
ヴィンダヴルが両足の裏で地面を踏み
「足の裏をしっかり確かめんだ。ほれ、嬢ちゃんもやってみろ」
「はい」
自己延長感覚を確立して生命力を導通させた物品には、触覚、痛覚、温覚・冷覚などの感覚が備わる。
しかし、日常生活に使われる
シルティはどうしているのかと言うと、戦闘に支障がない限界ギリギリまで、感覚を鋭敏な状態に保っていた。
殴られたときはある程度痛い方が血が
今回は
ヴィンダヴルに
ざり、ざり。
素足で地面を踏むのと変わらない感触だ。少しこそばゆい。
「ほんだら、
ずどん、と下腹部に響く音を立て、ヴィンダヴルが地面を踏んだ。
「……。ああ。なる、ほど」
そこまで言われればシルティにも理解できた。
要するにヴィンダヴルは、足元の地面を自らの身体の延長と見做し、生命力を導通させ、武具強化の対象として固めているのだ。超常の強化が乗せられた地面はただの土壌とは比べようもないほど強固になり、全力で踏み込んでも崩れることなどない、ということなのだろう。
初めて聞く術理だ。蛮族の集落でも、ノスブラ大陸でも、この技法は概念すら存在しなかった。サウレド大陸では有名な移動術なのだろうか。いや、ヴィンダヴルが『特別に教えてやる』と言ったのだから、知っている者はそこまで多くはないはず。
もしかしたら、ヴィンダヴル自身が長年の研鑽の末に編み出した奥義のようなものかもしれない。
「地面を自分だと思う……」
理屈は理解できた。
理解は、できたが。
「うーん……」
地面を、自分の身体の延長と見做す?
しかも、彼我の位置が目まぐるしく移り変わる戦闘の
死ぬか殺すかの舞台で、踏み締めた地面を、その都度、かつ瞬時に、自分の身体の延長と見做す……?
「んんん……」
控えめに言ってもめちゃくちゃイカれているのでは……?
「なに唸ってやがる。なにも地面全部っつってるわけじゃねえぜ? てめえの足元、ほんの少しだけだ」
「んぅん……」
「簡単だろがよ?」
「ふふっ……」
ヴィンダヴルの言葉を聞き、シルティは思わず笑ってしまった。
簡単ではない。簡単なわけがない。
理屈を聞いたからこそ正気の沙汰とは思えなかった。形相切断や体重操作と同様、いやそれ以上に、狂人の領域へと踏み込んだ異常の
しかもヴィンダヴルは、これを
なんなのだそれは。
狂気の神業。
シルティには、それ以外の表現が見つからなかった。
「ふふふふふ……。はぁ……」
人類種の到達点のひとつを目の当たりにした感動を噛み締め、シルティは笑いながら湿度の高い吐息を漏らす。
遍歴の旅に出てよかった。
サウレド大陸に渡ることを決めてよかった。
遭難して、本当によかった。
この日、ヴィンダヴルと模擬戦に興じたことは、シルティの生涯の財産となるだろう。
「ヴィンダヴルさん。ご指導、本当に、本当にありがとうございます。今日のことは一生忘れません」
「おう」
「教えていただいたこと、決して無駄にはしません」
「せいぜい気張れよ、嬢ちゃん」
やる気に満ち溢れたシルティの言葉を聞き、ヴィンダヴルが嬉しそうに笑う。
「昔、ジョエルの野郎にも教えたんだがよ」
「えっ。じゃあハインドマンさんも
シルティの脳内に革職人ジョエル・ハインドマンの姿が浮かんだ。ジョエルは見上げるような巨躯を誇る偉丈夫である。シルティの父ヤレック・フェリスに勝るとも劣らないあの巨体が、ヴィンダヴルのようにキレッキレの動きを見せてくれるのだろうか。
それはなんとも、めちゃくちゃ強そうだ。
是非とも斬り合いたい、とシルティは目を輝かせる。
「いや、できねえ」
シルティのぎらぎらとした期待を、しかしヴィンダヴルは否定した。
「俺らと違って、あいつぁ動き回る
ヴィンダヴルが残念そうに溜息を吐く。
今では両者とも引退した身だが、ヴィンダヴルはかつてジョエルと狩猟者のチームを組んでいた。年の離れた友人同士であり、同時に狩猟者としては師弟関係でもあった。
駆け出しの頃のジョエルは今よりずっと落ち着きがなく、経験不足のくせにやたらと向こう見ずで、とても危なっかしい少年だったのだとか。見かねたヴィンダヴルが拳骨を落として叱り、以来、先達として狩猟の
だが、
弟子にいろいろと教えたがる
「まぁ、あいつぁ筋肉馬鹿だしよ。ちっとばかり、なんだ、ぶきっちょでな。できなくてもしゃあねえ」
「ぶきっ……ハインドマンさんが。ぶきっちょ、ですか」
「ああ」
「ぶきっちょ……」
それはちょっと違うんじゃないかな、とシルティは思った。
シルティは革職人ジョエルの作品をいくつも所有している。半長靴。
もちろん、物作りにおける手先の器用さと戦闘における器用さを単純に比較することはできないが……だとしてもだ。あの
単純にヴィンダヴルの要求水準が高すぎるのだ。
実際のところ、ヴィンダヴルが足元の地面を自らの一部と見做せるほど詳細に把握できるのは、
「まぁ、嬢ちゃんならできんだろ。見込みがあんぜ」
「んふふっ。ありがとうございます!」
ヴィンダヴルは『見込みがある』と言ったが、おそらくシルティがヴィンダヴルと同じことをするのは難しいだろう。不可能、と言ってしまってもいいかもしれない。
シルティも自身の精密な動作には並々ならぬ自信を持っているが、それは
シルティ自身、
「体重操作も、足場の強化も、必ず、自分のものにしてみせます。絶対にっ!!」
だが、そんなことは心底どうでもよかった。
この技法を習得した暁には、シルティの
「ふふ。んふふふふふ。なんか最近、ほんと、生きるのが楽しいなぁ……」
精霊術。体重操作。足場の強化。
強くなるための道筋が明瞭で、しかも、多岐にわたっている。
シルティは幸せだった。
「それはそうと、ヴィンダヴルさん。せっかくなので、もう一回斬り合ってくれませんか」
「……
「もちろんいくらでも待ちます」
その後、休憩と指導を挟みつつ三回戦したが、シルティは全敗した。
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