第122話 キレッキレお爺ちゃん
三日後。
西門から少し離れた草原にて。
適度な間隔を空け、シルティとヴィンダヴルが向き合っていた。
幸いにして、雨は降っていない。かつてのマルリル戦と同じように、レヴィンはシルティの後方上空に珀晶の足場を生成し、その上に姿勢よく座って観戦に臨んでいる。
「よろしくお願いしますッ!!」
シルティはこの上なく威圧的な笑みを浮かべながら、左腰の〈永雪〉を
右足を前に、両足を拳四つ分ほどの間隔を空けて広げる。体重を蹴り足にかけつつ、重心は正中線上。両手で握る〈永雪〉の切先を相手の
「おう。まあ、
対するヴィンダヴルは
防具は鎧兜のみで、盾のようなものはない。両手で中段構えに保持するのは、全長がシルティの身長ほどの長大な
(ああ、あの子も綺麗だなぁ……)
シルティはヴィンダヴルの得物へ向け、じっとりとした物欲しげな視線を送っていた。
刀身は真珠を思わせる淡い白銀色。シルティの〈永雪〉と同じ輝き。つまり、
ヴィンダヴルはこれを『
しかしヴィンダヴルの得物は、柄の長さが全長の四割弱しかなかった。長巻と呼ぶにはかなり控えめな姿だ。
とはいえ、ヴィンダヴル本人が長巻と呼んでいるので、それに倣うべきだろう。
(長巻と斬り合うのは
一見すると
その分、両手で
〈
ヴィンダヴルの得物は
シルティの得物は
「んふふふ……」
得物が似ている。
さらに、上背も似ている。
多分、自信のある性能も似ている。
これが笑わずにいられようか。
息を静かに吸い。
止めて。
跳び出す。
全身全霊、鋭利な跳び込み。
シルティの足元が爆発したように
静止状態からただの一挙動で最高速度に達し、シルティは全く躊躇なくお互いの間合いを重ねた。
落雷のような速度で振り下ろされる、ヴィンダヴルの脳天を狙う唐竹割り。
白銀の剣閃が、ヴィンダヴルの頭頂に割り込み、股下から抜ける。
斬った。
(ぇあっ!?)
斬れてしまった。
まさか、
そう思った。
(んっ!?)
一瞬遅れて気付く。手応えがない。
空振りだ。
理解不能なことはなにも起きていない。シルティの真向斬りに対し、ヴィンダヴルは右足を拳一つ分だけ右方へ滑らせ、左足を引く、そんな素直な体捌きで回避した、それだけのこと。
ただ一つ、ヴィンダヴルの
斬ったのに手応えがない。そう錯覚してしまうほどの、神懸った体捌きだった。
物凄く強いだろうと思っていたが、とんでもない。このお爺ちゃん、想像を遥かに超える。
あまりの感動に思わず硬直したシルティの耳に、ヴィンダヴルの足が土を踏み
我に返ったシルティは前傾した重心を根性で引き戻し、両腕を高く畳んで〈永雪〉に右肩を添えた。直後、凄まじい衝撃がシルティの身体を襲い、至近距離で発生した轟音が右耳を蹂躙する。甲高い金属音による
「ぐッぅ」
肺腑が潰れ、掠れた吐息が口から洩れる。
凄まじい剣だ。角度の付いた左袈裟が〈永雪〉越しにシルティの重心を捉え、身体を地面へと押し付けてくる。まるで山が圧し掛かってきたような重さだ。
小柄なシルティは上から潰されるのには慣れている。だが、まさか自分より小柄な相手に上から潰されるとは思わなかった。
咄嗟に両脚に力を込め、硬い地面を担保に重圧に対抗――その瞬間。
生み出した抗力が、ぐるりと体内で
(んぁっ!?)
二刀の
シルティは驚愕に目を見開いた。
なにがどうなっていつの間にこうなったんだ。
無論、剣理を学ぶ暇などない。あっけなく踏ん張りを奪われる。もはや対抗できない。体重差が
受け切れない。
咄嗟に重心を浮かせて脱力、ヴィンダヴルの威力を利用して後方へ弾かれ、距離を取らんとする。
が。
押し付けられた後方への跳躍は、ふわりとした放物線を描き、欠伸が出るほどに
(この下手くそ!!)
シルティの脳内で自らへの罵倒が響く。どうやらヴィンダヴルは、シルティの脱力を見越してわざと
着地が遠い。足裏が頼りない。
のんびりと流れる時間の中、ヴィンダヴルが長巻を悠然と右肩に担ぐのが見えた。
瞬間、長年の戦闘経験と勘が確度の高い未来を算出する。シルティには
ここを何とかしなければ死ぬ。
だが、シルティの身体はまだ空中にあるのだ。重力では
(下ッ!)
シルティは本能的に革鎧へ生命力をぶち込み、魔術『
目の前に、ヴィンダヴルがいた。
襲い来る長巻。シルティの左頸部を狙う右袈裟だ。
「ひひッ」
喉が引き攣ったような笑いが漏れた。ああ、綺麗な太刀筋。幾千幾万と振るってきたのだろう。泣きたくなるほどに美しいが、戦闘中ゆえ、蛮族の目から涙は出ない。
シルティは全力で首を
想定通りだ。体幹筋で生み出した威力を右肩に乗せ、突き出し、
右腕一本で握る〈永雪〉に殊更の生命力を注ぎ込む。同時に、勢いよく屈曲していた左膝を酷使し、跳び上がるような
ヴィンダヴルの右脇の下を狙う、二度目の必殺だ。
それが、またしても空を切る。
なんという後方跳躍のキレ。シルティの頭が歓喜で染まる。
右袈裟を逸らし、それに被せるように放った、会心の逆風だった。
あの状況で、あのタイミングで、あの体勢で、この逆風を、なぜ
自分の
故郷の
ああ、嬉しい。
突き詰めれば、
それを知れたことが、
いずれ。
自分も。
左手を柄頭へ走らせつつ、左足を前に大きく踏み込む。〈永雪〉を切り返し、左袈裟。これもまた空を切る。左に躱された。さらに踏み込み、右逆袈裟で追う。ヴィンダヴルは両腕を折り畳み、一歩引いて、長巻の鍔元でしっかりと受けた。
耳を
互いの得物が強固に噛み合う。
シルティは恍惚と笑った。
いやはや本当に、なんという
わかっていたことだが、ヴィンダヴルは速いだけではない。笑えてしまうほどの受けの強さだ。単純な筋力では圧倒的に負けている。刃の交点も位置が悪い。相手の長巻は粘り強い鍔元で受けているのに対し、〈永雪〉は刀身半ばだ。
刃を触れ合わせた状態での瞬きの駆け引きにおいて、鍔元は圧倒的に
現状の不利を悟ったシルティは、即座に刀身を返して
(だあクソ無理ッ!!)
身体をぐいと引っ張られたかのような錯覚を覚えるほどの、見事すぎる受け流しだ。二度の
鍔迫り合いを挑むのは分が悪すぎる。
柄頭を放し、至近距離のヴィンダヴルへ向けて左肘を打ち込む。迎え撃つは左掌底の突き上げ。真下から
今一度、間合いが作られる。
休む時間はいらない。
素早く息を吸う。止める。前へ。
地面が再び爆発し、足場の破壊に見合った加速をシルティに与える。
シルティはそれに逆らわず、流れの方向に地面を蹴った。
シルティの生み出す足音は一つ。
だが、地面に刻まれた足跡は四つ。
シルティは瞬き一つの間に直角の方向転換を二度こなし、ヴィンダヴルの背後に現れた。
あまりの速度に、地面を蹴り砕く音が完全に重なっている。
狙うは右胴だ。
手加減なしの、逆水平。
敢え無く空を切る。
見失いかけたお爺ちゃんを追いかけ、逆水平の勢いのまま自身の身体を軸として回転。腰の抜けた薙ぎ払いを背後へ放つ。
硬い感触、弱弱しい金属音。
術理もへったくれもない〈永雪〉の一撃は、しかしヴィンダヴルを辛うじて追跡することに成功し、長巻によって止められていた。
「ひひッ」
笑うしかない。
後ろを取ったと思ったら、後ろを取られていた。
脚を止めた斬り合いの
だが。
シルティができることは、当然、ヴィンダヴルにもできる。
(あ)
シルティの目が、ヴィンダヴルの両手を捉えた。
長巻は左手一本で保持されている。つまり、右手が完全に自由だ。しかも拳を作っていた。
避けなければ。
だが、踏ん張りが足りない。逆水平を空振って、そのままの勢いで背後を薙いだのだ。重心がぐちゃぐちゃである。完全な
「っ、ェはッ」
その瞬間、ヴィンダヴルが
両肩ががくっと下がり、体幹が乱れ、重心がふらつく。拳を作った右手は、動かない。
(!)
唐突に降って湧いた猶予。シルティは息を吹き返す。骨髄まで染み付いた動きを身体が自動的に再生する。両足で地面を
ヴィンダヴルの肩口、指一本分の隙間を開け、〈永雪〉は止まった。
振り抜いていれば、間違いなく致命傷だ。
「っぜ、へぇ、だぁアぁぁ……」
ヴィンダヴルは悲鳴のような声を漏らしながら力無くへたり込み、そのまま地面に仰向けに転がった。
「もうちょいっ、動けっかと思ったがよっ、はッ。おぃ……っひふぅぅ……もう、息がよ……」
ゼェヒュウと掠れ切った音を響かせ、大口を開けて空気を貪りながら、ヴィンダヴルが弱音を吐く。筋肉よりも早く、
シルティは寸止めしていた〈永雪〉を
誰がどう見ても、この模擬戦はシルティの負けだ。技量でも、技法でも、身体能力でも負けていた。唯一勝っていたのは持久力のみ。
ヴィンダヴルがあと一歳、いや
「参りました」
「おう……。まあ、ちょっくらっ、待ってくれや……ぶ、はぁ……。わかっちゃいたがよ……
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