第121話 予約
マルリルへの模擬戦の申し込みを
繰り返し浴場で暗唱していたおかげか、教わった定型文についてはしっかりと記憶できていたので、マルリルに誉めて貰えた。
嬉しい。
喉の構築も順調に進んでいるようで、授業中に何度か声を出すことに成功し、マルリルにとても誉めて貰えた。
凄く嬉しい。
随分上達したわねとマルリルに驚かれたので、シルティは笑顔で『声帯に珀晶の刃を刺し込んだ状態で練習したんです』と笑顔で伝えたところ、ドン引きされた。
少し悲しい。
一か月半ほど前のシルティの精霊の耳が完成した日、マルリルは『言語学習は
一日の休みでは狩猟に出るのは難しいが、優先すべきは狩猟よりも最後の霊覚器の獲得である。
ただ、現実的な問題として先立つものがなければ何事も立ち行かない。シルティに後悔の念など
すぐに食い詰めるということはないが、
いよいよとなれば、授業日程を変更して貰ってでも狩猟に出なければならないだろう。
できれば春までには構築を完了させ、
そんなこんなで二十四日ぶりの授業を終えたシルティは、そのままの足で魔道具専門店『
「こんにちはっ!」
店仕舞いを始めていた店主ヴィンダヴルが、慌ただしく突入してきた蛮族に目を向ける。
「よぉ。来たか嬢ちゃん」
「お久しぶりです!」
「いいとこに来たな。
「えっ? 補修ざ……あっ。そうでした。それもあったんでした」
すっかり意識の外にあったが、気が付けば飛鱗の補修材を注文してから
ちなみに、シルティが
「あん?
「いえ、今日はシグちゃん……あ、いや、シグリドゥルさんへの口利きに、改めてお礼をと思いまして」
「おお。そっちか。おめえら、気が合っただろ?」
「はい!」
満面の笑みを浮かべ、シルティは肯定した。
武具強化の対象となる得物に対し、狩猟者というのは大なり小なり愛を持ち合わせるものだが、シルティほどの愛執を抱ける者はかなり珍しい。戦闘能力至上主義の蛮族ですらだ。
自身が垂れ流した愛に引くことなく、それどころか追い抜かんばかりの愛を垂れ流してくれたシグリドゥルを、シルティは既にかけがえのない友人だと考えていた。
「この度、無事に完成しました!」
腰を
「
「そりゃあなによりだ」
かっかと笑いながら、ヴィンダヴルは戸棚から口の大きな濃褐色のガラス瓶を取り出した。軟膏あるいは蝋のようなものが充填されていて、しっかりと固まっている。
シルティは
「どれ。ちょっとそいつを見せてくれっかい」
「もちろんです」
シルティは剣帯から〈永雪〉を外し、両手で支えてヴィンダヴルへ差し出す。ヴィンダヴルは丁寧な手つきでそれを受け取り、慣れた動きですらりと抜いた。揺らぎを孕んだ白銀の刃が姿を晒し、シルティの目が途端に
「ほおん……」
ヴィンダヴルは手や指を細かく操作しながら、〈永雪〉の
しかし、孫娘の仕事を検めるその表情に、甘さなど微塵も感じられない。
シルティにシグリドゥルを紹介した以上、この太刀の出来栄えの責任は自分にもある、とヴィンダヴルは考えていた。もちろん、ヴィンダヴルは身内贔屓でシグリドゥルを紹介したわけではない。シグリドゥルの技能を認め、ひとりの優れた鍛冶師として紹介したという自信がある。だが結局のところ、客観的に言えば客に自分の身内を紹介したという事実は変わらないのだ。身内の仕事だからこそ、その内容は特に厳しい目で見なければ示しがつかない。
シルティの頭のてっぺんから足の爪先まで、鋭い目つきで睨みつける。
じろじろと見られることを不快に思う人類種は多いだろう。シルティにも嫌な視線だと感じるものはある。だが、ヴィンダヴルのこの視線は違った。
シルティにはわかる。これは探りの目。鍛え上げられた洞察力により、ヴィンダヴルは想像上で
「んふふ……」
シルティはにまにまと笑いながら少し足を開き、僅かに重心を落として戦いに備える。
もちろん、この場この時にヴィンダヴルと戦えるとは毛ほども思っていない。いないのだが、自分の力量を測られたと感じると、頭と身体が勝手に臨戦態勢へ移行してしまうのがシルティという娘である。
ヴィンダヴルもシルティが興奮し始めたことには気付いたが、特に気に留めず、〈永雪〉を右手で静かに上段に構えた。
小さな踏み込みを経て、流れるように振り下ろす。
軽やかな動きとは裏腹に、放たれた剣閃は常人の目には全く映らないほどの速度を孕み、そして、床板すれすれでぴたりと止まった。
ヴィンダヴルは満足げに頷くと、刃をくるんと翻し、音もなく納刀する。大振りな湾刀の取り扱いが身体に染み付いていることがわかる、呼吸にも等しい自然な動きだった。
「いいじゃねえか。嬢ちゃんに合った作りだな」
「はい! ちょっと前に
シルティは
やっぱこいつら似てんなぁ、とヴィンダヴルは苦笑した。孫娘が一人増えたような気すらしてくる。
「それで、ですね。ヴィンダヴルさん」
シルティは媚を売るようにへらっと笑った。
「この前、約束してくれたじゃないですか」
「あん?」
「私の腕と目が治ったら、一回、模擬戦してくれるって……約束、しましたよね?」
「あー、ああ。まあ、
「できれば
「やめろや。年寄りに無理させるんじゃねえ」
「んぅ……。わ、わかりました。軽くでいいです」
蛮族にも、年配は労わるべしという考えはある。
「……あの、今からとか……?」
ヴィンダヴルは、なに言ってんだこいつは、という表情をした。
「いや今からは無理だろ。得物なんかねえぞ」
「ですよね……」
シルティはがっくりと肩を落とす。
「いきなり来て模擬戦だ言われてもよ、そら、丸腰だろがよ。こちとらもう平和に生きてんだ。
「ぐぬぅ」
「別にやらねえっつってるわけじゃねえぜ。今日は帰れ。明日は
「明日と明後日は夕方まで用事があって……。今日ぐらいの時間になっちゃうんですけど、どうでしょう?」
「あんま遅えのもな。俺ぁいいが、嬢ちゃん見えねえだろ」
「でしたら、
「んなら
「西門!」
ヴィンダヴルの言葉を聞き、歓喜を帯びた生命力がシルティの身体を満たす。
集合場所に西門を指定してきたということは、ヴィンダヴルは模擬戦を
つまり、
「
「絶対っつったって、雨降ったらやんねえぞ。俺ぁ雨嫌いだからよ」
「そんなっ……待ってください! 雨だったらレヴィンに屋根作って貰いますから! どうか!」
「……まあ、いいか」
「やったッ! 明々後日、予約しましたからね!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます