第120話 百足の味
総
港湾都市アルベニセまでは一日と少しの距離だ。普通、黒曜百足は猩猩の森のもっと奥まった領域に生息している魔物なので、こんな近場で狩れたのは幸運と言えるかもしれない。先日の調査団が魔物たちの生息域を掻き回したのか、あるいは
それはともかくとして。
「ふふ……んふふふふ……」
にまにま笑いが止まらない。
そして、レヴィンもまたご機嫌だった。
ありえないほど滑る地面。自慢の肉球がああも頼りなくなる日が来るなんて思いもしなかった。初めての経験だ。とても楽しかった。
囮役を
それに、姉が『んふふふ』と鳴き続けているのも耳に心地よい。レヴィンは姉の刃物愛好についてあまり共感はできていないが、姉がご機嫌なこと自体は好ましく思っているのだ。
実に良い狩猟だったとご満悦な姉妹は、薄暗い森の中をうきうきと横並びに進む。
「ね、レヴィン」
隣に呼びかけるシルティの左手には、黒曜百足が自切した歩肢のうちの一本が握られていた。自切された歩肢は拾い集めて〈冬眠胃袋〉に詰め込んだのだが、とにかく数が多く、しかも折れ曲がっていてやたらと嵩張るため、全てを収納することはできなかったのだ。最大数を持ち帰るために、空いた左手で一本を保持しているのである。
黒曜百足の歩肢のうち最も太かったその一本を、シルティが軽く揺らす。見る者によっては生理的嫌悪感を抱いてしまうだろう物体ではあるが、先入観を抜きにして見れば深みのある艶やかな黒は美しい。
「
レヴィンは正面を向いたままシルティの手元にちらりと目線をやり、小さく鼻を鳴らして答えた。どうやらこの琥珀豹は黒曜百足の美しさに肯定的なようだ。
「ふふ。レヴィン、宝石とか好きだもんね。この
レヴィンはシルティの方へ振り返り、肯定と喜びが混じったような音色で喉を鳴らしながら尻尾をくりゅんと波打たせた。
シルティは宝石の
食べられるわけでも遊べるわけでもない宝飾品が好きなのは、自身も美しい珀晶を生み出せるからだろうか。野生の琥珀豹も同じように光り物が好きだったりするのかもしれない。
ちなみにシルティは、他の三人が
魔法『完全摂食』を持つ
なので、未知の
シルティはふと、手元の歩肢を見た。
「……そういえばこれ、美味しいのかな」
シルティの経験上、その辺の地面から採取した土や砂はとても不味い。様々な味が調和することなく
では、黒曜石や
すんすんと、匂いを嗅いでみる。
酒のような酢のような。ちょっと
先端を、
「ぅッ? ヴアッ!? ぎッ、ぃィぃ……!」
あり得ないほど
◆
五日後、早朝。
シルティはマルリルの家を訪れた。二十四日ぶり、六回目の精霊言語学習だ。
マルリルが参加した調査団が帰還するまでの間、シルティは毎日のように公衆浴場を利用し、珀晶による模造〈玄耀〉を喉に刺し込んだ状態での発声練習に励んでいた。
始めた当初は痛み以外の手応えを何一つ得られなかったシルティだが、教わった定型文をひたすら唱えること二十日余り、精霊の喉の
特にここ最近では頻度も右肩上がり。
毎度毎度、決して安くはない利用料金を支払い、湯気で指先をシワシワにしながら暗中模索した甲斐はあったというものだろう。
といっても、今のところ精霊の耳で捉えられるのは、明瞭に聞き取ることもできない
なんにせよ取っ掛かりを掴むことはできた。あとはこれを逃さずに鍛え上げ、感覚を養っていけばいい。
もちろん、
コンコン。シルティがドアをノックする。
すると、すぐに気配がした。
「はーい? シルティ?」
「おはようございまーす!」
「ん。今開けるわ」
カチャリ、と開錠の音が響き、ドアが開かれる。
「おはよう、シル……あら?」
笑顔で出迎えてくれたマルリルは、シルティの恰好を見て眉を顰め、首を傾げた。
「
過去五日間の精霊言語学習では、刃物を身に纏った状態では興奮してしまって勉強に集中できない、という理由で普段着を着用していたのだが、今日のシルティはきっちりとした正装だ。
鎧下の上に
理由は三つ。
「こっちの方が喉の感覚を掴みやすいかなーって思って」
「ああ。なるほどね。あなたならそうかも」
文法や語彙の学習はともかくとして、精霊の喉の構築を試行錯誤するならば、むしろ興奮している方がいいのではないか、と思ったのが一つ目。
「あと、新しい太刀を打ってもらったんで、顔見せに」
「そ、そう。あとで見せて貰うわ」
敬愛する先生に、新たに手に入れた愛刀〈永雪〉を
「はい! それから、あの」
シルティは媚を売るようにへらっと笑った。
「あわよくば、バゼラードを握った先生と斬り合いたいなって思ってですね……」
今日は授業の後に久々の模擬戦をおねだりしてみようと思っている、というのが三つ目である。
「……。模擬戦は、しっかりした喉が構築できたあとでね」
「先生……」
「そんな物欲しそうな顔しても駄目よ」
「……うぅ」
「唸っても駄目よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます