第120話 百足の味



 総真銀ミスリルの太刀〈永雪ながゆき〉の初陣を飾ったシルティは、四分割した黒曜百足こくようムカデの生命力が完全に尽きるのを待ち、二つの〈冬眠胃袋〉に収納して帰路に就いた。黒曜百足の殻は貝殻などの生体鉱物に近いため腐ることはないが、内部に収まっている筋肉や神経節は別だ。雪が降るほどの寒さだが、念のため冷蔵しながら運ぶ。

 港湾都市アルベニセまでは一日と少しの距離だ。普通、黒曜百足は猩猩の森のもっと奥まった領域に生息している魔物なので、こんな近場で狩れたのは幸運と言えるかもしれない。先日の調査団が魔物たちの生息域を掻き回したのか、あるいは重竜グラリアの影響か。なんにせよ、生息域の混乱もそう長くは続かないだろう。それぞれの魔物が過ごしやすい、自然な位置関係に落ち着いていくはずだ。


 それはともかくとして。


「ふふ……んふふふふ……」


 にまにま笑いが止まらない。

 同好の士シグリドゥルの仕事は本当に素晴らしかった。シルティは今日の感触を思い出して一生にまにまできるだろう。

 そして、レヴィンもまたご機嫌だった。

 ありえないほど滑る地面。自慢の肉球がああも頼りなくなる日が来るなんて思いもしなかった。初めての経験だ。とても楽しかった。

 囮役をになった狩りも最高だ。単独での狩りも大好きだが、やはり姉と協力する狩りは格別である。

 それに、姉が『んふふふ』と鳴き続けているのも耳に心地よい。レヴィンは姉の刃物愛好についてあまり共感はできていないが、姉がご機嫌なこと自体は好ましく思っているのだ。

 実に良い狩猟だったとご満悦な姉妹は、薄暗い森の中をうきうきと横並びに進む。


「ね、レヴィン」


 隣に呼びかけるシルティの左手には、黒曜百足が自切した歩肢のうちの一本が握られていた。自切された歩肢は拾い集めて〈冬眠胃袋〉に詰め込んだのだが、とにかく数が多く、しかも折れ曲がっていてやたらと嵩張るため、全てを収納することはできなかったのだ。最大数を持ち帰るために、空いた左手で一本を保持しているのである。

 黒曜百足の歩肢のうち最も太かったその一本を、シルティが軽く揺らす。見る者によっては生理的嫌悪感を抱いてしまうだろう物体ではあるが、先入観を抜きにして見れば深みのある艶やかな黒は美しい。


、綺麗だと思う?」


 レヴィンは正面を向いたままシルティの手元にちらりと目線をやり、小さく鼻を鳴らして答えた。どうやらこの琥珀豹は黒曜百足の美しさに肯定的なようだ。


「ふふ。レヴィン、宝石とか好きだもんね。この歩肢あしは売らずに取っとこうか。ヴィンダヴルさんかハインドマンさんに頼んだら、レヴィンの首輪に着けられる形に加工してくれると思う。大きさもちょうど良さそうだし。磨いたらきっと綺麗だよ」


 レヴィンはシルティの方へ振り返り、肯定と喜びが混じったような音色で喉を鳴らしながら尻尾をくりゅんと波打たせた。

 シルティは宝石のたぐいに対する美的な興味の薄い性質たちなのだが、レヴィンは姉に似ず、綺麗な宝飾品が好きなようだ。かつてルビアやエミリアと共に装身具アクセサリー販売店をひやかした際も、陳列された煌びやかな品物たちを三人で熱心に鑑賞しており、終始ご機嫌だった。

 食べられるわけでも遊べるわけでもない宝飾品が好きなのは、自身も美しい珀晶を生み出せるからだろうか。野生の琥珀豹も同じように光り物が好きだったりするのかもしれない。


 ちなみにシルティは、他の三人がかしましくしている後ろで、『この紅玉髄カーネリアンって宝石の数珠玉ビーズ、なんか木の実みたいで美味しそうだなあ』などと思っていた。


 魔法『完全摂食』を持つ嚼人グラトンの味覚は他の人類種とはかなり異なるらしい。美味しく感じるもの、不味く感じるもの、これらはおおよそ共通している。だが、無味に感じるもの、これに大きな違いがあった。他の人類種では無味にしか感じないものであっても、嚼人グラトンが口に含むと明確な味を感じるという例が無数にあるのだ。例えばきんなどは他の人類種が舐めても無味無臭だが、嚼人グラトンが舐めるとほのかな塩味と独特の芳香を感じる。

 なので、未知の宝石食材を見て食欲を覚えるというのも、嚼人グラトンという魔物の本能としては不自然なことではない、かもしれない。


 シルティはふと、手元の歩肢を見た。


「……そういえばこれ、美味しいのかな」


 シルティの経験上、その辺の地面から採取した土や砂はとても不味い。様々な味が調和することなくらかっていて気持ち悪いし、なにより舌触りが最悪だ。しかし、売り物になるような純度の高い宝石類は割と美味しいことも多かった。黒曜石の欠片を食べたこともある。ほろ苦く、つるりとした舌触りも気持ちよくて、とても美味しかった。黒玉ジェットの欠片も食べたことがある。こちらは酸味があり、爽やかな風味で、とても美味しかった。

 では、黒曜石や黒玉ジェットに酷似した、この外骨格は。

 すんすんと、匂いを嗅いでみる。

 酒のような酢のような。ちょっとくさい。

 先端を、む。


「ぅッ? ヴアッ!? ぎッ、ぃィぃ……!」


 あり得ないほどにがくて、死ぬほどくさかった。





 五日後、早朝。

 シルティはマルリルの家を訪れた。二十四日ぶり、六回目の精霊言語学習だ。

 マルリルが参加した調査団が帰還するまでの間、シルティは毎日のように公衆浴場を利用し、珀晶による模造〈玄耀〉を喉に刺し込んだ状態での発声練習に励んでいた。

 始めた当初は痛み以外の手応えを何一つ得られなかったシルティだが、教わった定型文をひたすら唱えること二十日余り、精霊の喉の下地したじぐらいは出来始めてくれたようだ。今では百回に一回か二回くらいは、精霊の耳になんらかの音が届くようになっている。

 特にここ最近では頻度も右肩上がり。

 毎度毎度、決して安くはない利用料金を支払い、湯気で指先をシワシワにしながら暗中模索した甲斐はあったというものだろう。


 といっても、今のところ精霊の耳で捉えられるのは、明瞭に聞き取ることもできないかすかな雑音でしかない。これはおそらく赤子の発する喃語なんごのようなものなのだろう。シルティの精霊の喉が未発達なため、意図した音を発せていないのだ。

 なんにせよ取っ掛かりを掴むことはできた。あとはこれを逃さずに鍛え上げ、感覚を養っていけばいい。

 もちろん、水精霊ウンディーネと会話するためには文法への理解を深め、語彙を増やすことも必要だ。こちらは自主訓練では補えないので、どうしてもマルリル頼りになってしまう。少ない機会を無駄にしないよう、真面目に真剣に授業を受けなければ。



 コンコン。シルティがドアをノックする。

 すると、すぐに気配がした。


「はーい? シルティ?」

「おはようございまーす!」

「ん。今開けるわ」


 カチャリ、と開錠の音が響き、ドアが開かれる。


「おはよう、シル……あら?」


 笑顔で出迎えてくれたマルリルは、シルティの恰好を見て眉を顰め、首を傾げた。


夜狩よかりにでも行くの?」


 過去五日間の精霊言語学習では、刃物を身に纏った状態では興奮してしまって勉強に集中できない、という理由で普段着を着用していたのだが、今日のシルティはきっちりとした正装だ。

 鎧下の上に鬣鱗猪りょうりんイノシシの革鎧を着込み、腰には真銀ミスリルの太刀〈永雪ながゆき〉を吊るしている。

 理由は三つ。


「こっちの方が喉の感覚を掴みやすいかなーって思って」

「ああ。なるほどね。あなたならそうかも」


 文法や語彙の学習はともかくとして、精霊の喉の構築を試行錯誤するならば、むしろ興奮している方がいいのではないか、と思ったのが一つ目。


「あと、新しい太刀を打ってもらったんで、顔見せに」

「そ、そう。あとで見せて貰うわ」


 敬愛する先生に、新たに手に入れた愛刀〈永雪〉を紹介自慢したかった、というのが二つ目。


「はい! それから、あの」


 シルティは媚を売るようにへらっと笑った。


「あわよくば、バゼラードを握った先生と斬り合いたいなって思ってですね……」


 今日は授業の後に久々の模擬戦をおねだりしてみようと思っている、というのが三つ目である。


「……。模擬戦は、しっかりした喉が構築できたあとでね」

「先生……」

「そんな物欲しそうな顔しても駄目よ」

「……うぅ」

「唸っても駄目よ」


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