第112話 鉱人と真銀



「申し訳ありませんでした」


 シルティは深々と頭を下げていた。

 考えてみれば、いつの間にか巨大な肉食獣が背後に鎮座しており、しかも自分をじいっと見ているのだから、驚くなという方が無理というものだ。

 シグリドゥルが地面に落とした地金には、砂粒やら灰やら炭やら鍛造剥片たんぞうはくへんやら、不純物が大量に付着している。台無しだ。仕事の邪魔をしてはいけないと静かにしていたのだが、これではむしろ仕事の邪魔をしてしまった。猛省である。


「少し驚いただけ。気にしないで」


 シグリドゥルは憮然ぶぜんとした表情で頷いた。

 薄っすらと頬を染めているように見えるのは、炉の熱を浴びていたからだけではないだろう。羞恥ではない。そこに滲むのは、憤怒だ。

 エフンとわざとらしく咳払いをし、手拭いで顔の汗を拭う。


「改めて、いらっしゃい。私はシグリドゥル。あなたは、シルティ・フェリス?」

「はい……」

「お爺ちゃんから聞いてる。剣の注文?」

「……あの、本当にすみま」

「気にしないで」


 シルティの謝罪を遮り、シグリドゥルが僅かに声を荒げる。


つちを握った鍛冶師はどんなことがあっても冷静でいなければならない。鎚を握ってあたふたするような鍛冶師はクソボケ。つまり私がクソボケカスだった」


 折り曲げた五本指で焦げ茶色の髭をわしゃわしゃと掻き毟り、罵詈雑言を自らに浴びせながらそっぽを向く。


「あなたのせいじゃない。次はもう落とさない」

「……。なるほど」


 シルティは親近感を込めた微笑みを浮かべた。

 技術を磨く過程での失敗もまた貴重な財産だ。失敗に至るまでの過程そのものも、失敗が生み出す灼熱の怒りと悔しさも、全て、自分がより高みに至るための糧である。失敗を誰かのせいにはしない。敗北をも噛み締め、誰にも渡さない。

 その思考は、蛮族的にとてもよくわかる。


「わかりました。すみません。失敗も成長のかてなのは、鍛冶屋さんも一緒ですよね」

「……うん。そう。そうそう。あなたのせいにしたら私は次もきっと地金を落とす。そういうことが言いたかった」


 シグリドゥルが頻りに頷く。

 シグリドゥル自身、自分の苛立ちの理由を上手く言語化できていなかったのかもしれない。


「……それで。剣の注文で合ってる?」

「はい。太刀が欲しいんです。混ぜ物なしの真銀ミスリルで」

「ふうん?」


 真銀ミスリル

 鉱人ドワーフがその身に宿す魔法によってのみ産出される、真珠の如き淡い銀煌ぎんこうを帯びた美しい超常金属の名だ。


 魔法『月光げっこう美髯びぜん』。

 鉱人ドワーフたち曰く、彼らの自慢の豊かな御髭おヒゲは、ことができるらしい。

 月光を存分にし取った鉱人ドワーフの髭はほのかに銀煌ぎんこうを帯びる。それは暗闇の中でしか気付けない程度の儚いものだが、その輝きが続く限り、当人のありとあらゆる『動き』が極限に研ぎ澄まされるのだとか。


 生来、鉱人ドワーフたちは手先が尋常ではなく器用な魔物だ。

 しかし、特に良く晴れた満月の夜に限って言えば、彼らの器用さはおよそ動物に許される精度域を著しく逸脱していた。

 つまるところ、魔法『月光美髯』が鉱人ドワーフもたらすのは、自らの身体を、自らの思い通り、正真正銘寸分の狂いもなく運動させる、究極に肉体の操作感覚である。


 彼らの魔法『月光美髯』は嚼人グラトンの『完全摂食』と同様、無意識に発揮される恒常魔法こうじょうまほうだ。月の光がたっぷりと当たる環境で眠っていれば、意識がなくとも髭が月光を捕まえ、翌日の昼間も動作鋭敏の効果が続く。ゆえに、鉱人ドワーフの住居の寝室は窓が広く取られていることが普通である。ひるがえって、月が分厚く遮られるような曇夜くもりよにはほとんど発揮されない、という欠点もあるが。

 昨夜はとても晴れていたので、現在のシグリドゥルの髭はたっぷり月光を蓄えている。よくよく注視すればほんのりと銀煌を帯びていることがわかった。


 手を使う細かな技において、鉱人ドワーフの右に出るものはない。

 種族特有の恵まれた筋肉と頑丈な骨格は、その動作に莫大な出力といわおのような安定性をもたらし、さらにその上で魔法による完全な精密性が加わるのだ。

 シルティも精密な動作にはかなりの自信を持っているが、月光浴を終えた鉱人ドワーフと比較するならば足元にも遠く及ばないだろう。


 では、そんな生粋の職人である鉱人ドワーフたちが、どうやって真銀ミスリルと呼ばれる超常金属を産出するのかと言うと。

 髭を集めて、くのである。

 言うなれば彼らの髭は、真銀ミスリルの鉱石なのだ。

 月の光をたっぷりと濾し取り、銀煌を帯びた状態の髭を剃り落として大量に束ね、紙でくるんで炉にべる。赤熱させて溶け固めたのち、叩いて伸ばして熱して折り畳んで、叩いて伸ばして熱して折り畳んで、ひたすらにこれを繰り返して不純物ひげを焼き切り、絞り捨てる。

 数百回に及ぶ狂気的な折り返し鍛錬の末、鉄床かなとこの上に残るのは、月の光を凝縮したような美しい物質。

 超常金属真銀ミスリルの誕生である。


 例えば岑人フロレスの分泌する超常金属天峰銅オリハルコンは、常に液体の状態をとるという物性から、自らの身体の延長と見做すことがとても難しい。

 森人エルフの創出する超常金属輝黒鉄ガルヴォルンもまた、森人エルフ以外の生命力を散らすという特性から、自らの身体の延長と見做すことがとても難しい。

 一方でこの真銀ミスリル、上記二種とは対照的に、自己延長感覚の確立が驚異的なまでに容易いことで知られていた。真銀ミスリルで作られた道具類は、握って振るえば自分にと錯覚するほどの極上の心地よさを担い手にもたらす。

 加えて、『内部を導通した生命力が僅かずつし、最終的にはする』という、唯一無二の優れた特徴を持っていた。


 末端に至るまで生命力が定着同化した真銀ミスリル製道具は、自身の生き血を保存させた朱璃をも超える極限の生命力導通性を示し、指先ほどの欠片からでもいずれするうえ、狂人の所業として名高い『遠隔の武具強化』の実現すらをも大いに助けてくれる。

 わかりやすく表現すれば。

 愛情をたっぷりと注ぎながら数十年と使い込んだ真銀ミスリル製の道具は、もはや身体の延長と見做せるなどという域には留まらず、正真正銘、完全に身体の一部と化すのである。


 適度に軽く、極めて強靭。

 身体に馴染み易く、武具強化の対象としてこれ以上のものはない。

 輝黒鉄ガルヴォルンとは別の方向だが、真銀ミスリルもまた、武具の素材としては至極の存在と言えるだろう。

 特に、再生する長持ちする、というのがいい。持ち主が死なない限り、真銀ミスリル製の武器はほとんど不死身だ。


 魔物の死骸を上手く加工した物品に関して言えば、多少の損傷であれば修復できる場合も多い。近しい存在で欠損を補い、健康を願いつつ生命力を通してやると、じわじわと一体化して再生されるのである。例えば鬣鱗猪りょうりんイノシシの革鎧の飛鱗であれば、鬣鱗猪の脂から作ったにかわと鱗の粉末を練り合わせた塗料パテが補修材だ。さすがに粉々になってしまうと難しいが、罅割れや少々の欠けであれば修復は可能だった。

 しかし、真銀ミスリルならば補修材すら不要で、文字通りの再生能力を有する。〈紫月〉のように刀身が消滅してしまっても、愛していればすぐに治ってくれるだろう。


 シルティは愛する〈紫月〉の後継として生半可な刃物を使うつもりはなく、どうせなら極上の逸品をと考えていたのだが、先日触らせて貰ったヴェルグールの鉱山斧こうざんふがあまりにも可愛かったので、真銀ミスリルで作られた太刀を手に入れることを決心した。

 家宝〈虹石火にじのせっか〉を無事引き上げた暁には、真銀ミスリル輝黒鉄ガルヴォルン、至極の二振りを手元に揃えることになるのだ。実に楽しみである。


そう真銀ミスリルの太刀。私としては涎が出るくらい嬉しい仕事。ぜひ請けたい」

「おお! お願いできますか!」

「うん。でも」


 シグリドゥルが首を回し、鉄床と炉の中間を見た。シルティもその視線を追う。

 そこにはツールラックが設置されており、シグリドゥルが愛用していると思しき工具類が掛けられていた。大小様々な金鎚、火箸、やすりたがね。シルティには用途のわからない、何らかののような棒。


真銀ミスリルは、買えるけど、すごく高い。私も真銀ミスリルの工具は二つしか持っていない」


 シグリドゥルが所有する無数の工具のうち、真珠の銀煌を放っているのはただ二つ。標準的な大きさの金鎚と、標準的な大きさの火箸のみだった。


「だから、太刀を打つなら、前金をかなり払ってもらうことになる。いい?」


 百名以上が数十日間も魔法の焦点を重ねなければならない輝黒鉄ガルヴォルンほどではないにせよ、この真銀ミスリルも十二分に高価な素材だ。

 まず、樽一つ分の髭束から製錬できる真銀ミスリルは僅か拳五つ分ほど。歩留ぶどまりがとても悪い。

 そのうえ、鉱人ドワーフたちは髭を剃るのを嫌う。月光の濾過ろか装置とも呼べる髭を剃ってしまうと、必然的に魔法『月光美髯』の効果が急落し、鉱人ドワーフたちは動作の精密性を著しく損なうからだ。また、他の人類種には見られない髭という要素が鉱人ドワーフにとっては誇るべき身体的特徴であり、同時に伝統的なファッションの対象でもあるという点も大きい。特に女性の鉱人ドワーフは身嗜みとして、髪と髭を同じ編み込みで飾るのを好む。……仕事中のシグリドゥルは特に編み込んでいないようだが。


「もちろん、覚悟の上です」


 幸い、現在のシルティの懐は燃え上がるように暖かかった。鷲蜂わしバチ駆除の報酬もかなりのものだったし、なにより重竜グラリアの死骸の売却金がある。前金と言わず全額を問題なく賄うことができるだろう。

 シルティはパンパンに膨らんだ三つの財布を懐から取り出し、丸ごとシグリドゥルに差し出した。シルティの全財産はもはや懐に入れて持ち歩けるものではなくなったので、大部分を行政が運営する銀行に預けてあるが、この財布たちの中身だけでも十二分に大金と言える額だ。


「前金には足りないかもしれませんが、残りも必ずお支払いします。だから、どうかお願いします」


 シルティが深々と頭を下げる。

 シグリドゥルはその財布を受け取り、ちらりと中を見た。

 前述の通り、真銀ミスリルは貴重な超常金属だ。しかし、資金さえ潤沢ならば、実のところ調達は難しくなかった。

 例えば岑人フロレスは自身の天峰銅オリハルコンを失うと日常生活にすら難儀するが、鉱人ドワーフが髭を剃ったとしても生活がままならないほどの悪影響はない。もちろん、シグリドゥルやヴィンダヴルのような職人、あるいはヴェルグールのような戦闘を生業とする者たちにとって、髭の有無は死活問題だ。魔法『月光美髯』の効果があるのとないのとでは仕事の成果が段違いなのである。

 しかし、都市内で平穏に暮らす一般の鉱人ドワーフに、魔法は必要不可欠ではない。それに、彼らの髭は驚くような勢いでぐんぐん伸びる。

 鉱人ドワーフが積極的に髭を剃るようなことはないが、充分な対価を用意すれば、真銀ミスリルの製錬に協力してくれる者は割と見つかるのである。

 そしてシルティの財布の中身は、鉱人ドワーフたちの損得勘定を傾けるに充分値するものだった。


「……。うん。わかった。請ける」

「ありがとうございますっ!」


 がばりと頭を起こし、満面の笑みを浮かべるシルティ。

 シグリドゥルも満面の笑みを返した。

 元々お爺ちゃんヴィンダヴルの紹介だから請けるつもりではあったが、こちらの腕を値切る様子もなく潔く大金を支払われると、シグリドゥルとしても頑張ってあげたくなる。


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