第109話 傷痕



 港湾都市アルベニセの西門で真銀ミスリル鉱山斧こうざんふをたっぷり愛でたあと、シルティは入門手続きに移った。

 左腕と左目と、何より溺愛していた〈紫月〉や〈玄耀〉を失って姿を現したシルティ。女衛兵ルビア・エンゲレンは仰天して怒ったように心配してくれたが、シルティが重竜グラリアを斬って帰ってきたことを知るとさらに仰天し、口をあんぐりと開けて絶句した。

 シルティとレヴィンの〈冬眠胃袋〉の中身を念入りに検め、目をしばたたかせる。当然だが、ルビアは重竜グラリアを見たことなどない。


「……これが、重竜グラリアか。確かに特徴は一致してるな」

「『咆光ほうこう』も『視経しけい制圧せいあつ』も使ってきたから、間違いないよ」

「……シルティ、ちょっとこっち来い」

「ん? なに?」


 ルビアの手招きに従いシルティが近寄ると、ルビアはシルティの顔を労わるように撫でた。

 今は左腕の再生に集中しているため、シルティの顔面は必要最低限しか再生されていない。もちろん頬骨の骨折は治してあるし、鼻根びこん鼻梁びりょうも形成済みだが、それ以外は後回しだ。そのせいで、顔を横切るような痛ましい傷痕がくっきりと残っている。


「左目、ないのか?」

「うん。両目ともぶっ飛ばされちゃって、最優先で右目を治したの。次は左腕だから、左目は後回しかな」

「……ちょっと、見るぞ。いいか?」

「うん」


 ルビアはシルティの顔を両手で挟むように固定し、人差し指でシルティの左目の瞼を持ち上げた。ぽっかりと開いた眼窩を嫌そうに見る。

 衛兵として怪我を見るのには慣れているルビアだったが、友人の、それも自分より年下の少女のものとなれば、やはり平然とはしていられない。ただでさえシルティは小柄で実年齢より幼く見えるのだ。ルビアの主観では痛ましさが半端ではない。


「……まぁ、これなら、治るか。……よく帰ってきたな」

「んふふ。すんごく楽しかったよ。やっぱり竜は凄かった」

「お前なぁ……。そんななりなんだから、しばらく大人しくしとけよ?」

「うん。〈紫月〉も〈玄耀〉も死んじゃったし、新しい刃物を買うまではお休みするよ」

「刃物揃えろじゃなくて身体治せって意味だぞ」


 その後、ルビアはシルティから竜殺しの詳細を聞き出して素早く紙面にまとめ上げ、上司のドミニクス・クラッセンを呼び寄せて報告し、慌ただしく税を徴収してシルティを解放した。





 西門をくぐったシルティは、そのままの足で『槐樹かいじゅ研究所』へ向かうことにした。

 明日から三日間、マルリルの元で精霊言語の学習の予定だ。重竜グラリアの売却については、できれば今日中に当たりを付けておきたいところ。エアルリンがさらりと買い取ってくれれば最善だが、しかし竜の死骸ほぼ丸一匹分となるとかなり難しそうだ。となると、現実的なのは複数の魔術研究者により共同買取という形か。そうなった場合、エアルリンの知り合いの研究者を紹介して貰えるととてもありがたいのだが。


「重いと思うけど、もうちょっと頑張ってね」


 シルティが鼻面を撫でるとレヴィンはフスンと鼻を鳴らした。

 重竜グラリアの死骸のうち、シルティの〈冬眠胃袋〉に入っているのは上半身、レヴィンの方に入っているのは下半身と尾だ。レヴィンの方がかなり重い。帰路の間、シルティは何度か肩代わりを申し出たのだが、レヴィンは頑として譲らなかった。

 シルティは前を歩むレヴィンの後ろ姿を見る。一応、足取りは確かなので心配はないと思うが、シルティの感覚からすればレヴィンはまだまだ幼い仔。無理をしすぎないように目を光らせながら『槐樹かいじゅ研究所』へ向かう。


 日が完全に落ちた頃、シルティたちは『槐樹かいじゅ研究所』に辿り着いた。

 この研究所はエアルリンの自宅でもあるので、なにか特別な理由がない限り今の時間帯ならば会えるはず。ドアノッカーを抓み、控えめに音を鳴らした。

 ゆっくりと十を数えるほどの時間が経過。

 重厚な扉が滑らかに開かれ、黒い礼服に身を包んだ岑人フロレスの使用人、ヒース・エリケイレスが姿を現した。


「申し訳ありません、お待たせしました……おや、フェリス様」

「こんばんは。遅くにすみません」

「いえ、お気になさらず」


 ヒースはちらりとシルティの左腕と左目を見たが、それには全く触れず、やや大袈裟な動きで空を見上げる。気の早い星たちが存在を主張しはじめる時間帯だ。天峰銅オリハルコンの触手で空を指し示し、のほほんと微笑む。


「実は、主人はこのくらいの時間が一番元気なんですよ。夜行性といいますか」

「ふふ。森人エルフなのに、鉱人ドワーフみたいですね」


 人類種の中で明確に夜行性の動物と呼べるのは鉱人ドワーフのみだ。

 都市のように様々な人類種が入り混じる環境では、鉱人ドワーフも周囲に合わせて夜間は眠り、昼間に活動する。しかし本来、彼らは月の光の下でこそ本領を発揮する種族なのだ。

 ちなみに鉱人ドワーフの眼球には輝板タペタムがあるので非常に夜目が利き、薄暗い環境で光を浴びると反射して瞳孔が銀色に見える。


「さて、本日は?」


 要件を尋ねるヒースに対し、シルティはレヴィンの〈冬眠胃袋〉の口を開いて中を見せた。


「エアルリンさんに持ち込み販売です。重竜グラリアとか買いません?」

「なるほど、持ち、……は? 重竜グラリア?」





 翌日。

 シルティは金鈴きんれいのマルリルの家を訪れた。


 損傷した鬣鱗猪りょうりんイノシシの革鎧は昨夜のうち補修材を使って再生済み。血汚れは少し残ってしまったが、機能としては万全の状態である。

 しかし、革鎧刃物を身に纏った状態ではじわじわと興奮してしまって勉強に集中できないので、今日のシルティは珍しく非戦闘用の衣類だった。いわゆる普段着と呼ばれるカテゴリの服だ。これは以前、ルビアとエミリア、シルティとレヴィンの四人でショッピングに出かけた際に購入した服のうちの一つである。

 シルティはその際、いの一番に鎧下を買おうとしたのでルビアとエミリアに滾々と叱られ、決定権を奪われた上に着せ替え人形にされた。


 精霊たちは文字を持たないので、基本的に口頭での学習になると聞いている。手ぶらで良いと言われていたのだが、シルティは一応筆記用具を持参した。いかに文字の無い言語だとしても、さすがに筆記用具はあった方が効率的だろうとの判断である。


 なお、一部では人類言語と対応させて精霊言語を文字化する試みもあるらしいが、霊覚器を持つ人員が少ないことや、生命力を媒体とするという精霊言語の根本的構造が大きな弊害となり、今のところまともな形には成っていないらしい。

 精霊言語は厳密には音ではないし、発声者ので意味が変わったりするというのだから、これを文字化するのは至難の技だろう。


 コンコン。シルティがドアをノックする。

 すると、すぐに気配がした。


「はーい? どなた?」

「おはようございます、シルティです」

「ん。今開けるわ」


 カチャリ、と開錠の音が響き、ドアが開かれる。


「おはよう、シ、ルっ!?」


 そこまで声を出し、マルリルは止まった。

 左目を閉じたシルティの顔を見てサッと青褪め、ガシリと肩を掴む。


「うおっ」


 不意打ちに驚いて声を出すシルティを余所に、マルリルは今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。


「どうしたのその顔!? まさか、治らないの!?」

「だ、大丈夫です。治ります。今は腕に生命力を回しているだけです」

「腕っ!? ……あ、左腕が」


 どうやらマルリルはシルティの左腕欠損に気づいていなかったらしい。安心したようにほっと息を吐き出し、肩の力を抜いた。


「よかったわ……。いや、よくはないけれど。でも、やっぱり女の子の顔に傷が残っちゃったら大変だもの」


 膨大な生命力を備える魔物と言えど、身体に傷痕が残ることはある。

 例えば『この傷は強敵と殺し合って勝利した証だから消したくない』『この傷は無様に負けた証だから戒めとして残しておきたい』『正直でかい傷跡ってかっこいいよな』などと強く考えていると、生命力の作用による再生がうまく働かず、傷痕がくっきりと残るのだ。狩猟者にはこういった傷をわざと残している者が結構いたりする。

 なお、シルティたち蛮族は己の肉体を万全の状態に保つことを至極当然とする文化なので、意図的に傷を残すようなことは絶対にしない。


 また、著しく再生しにくい傷を与える魔法も存在する。例えば竜の破壊魔法『咆光』などだ。もし『咆光』で四肢を根本から消し飛ばされると、突出した再生力を誇る嚼人グラトンですら完全再生まで年単位の時間が必要になるという。竜の最強種たる所以ゆえんの一つである。

 マルリルが心配したのはこちらの線だろう。人類種の中でも図抜けた再生力を誇る嚼人グラトンが痛々しい傷を残しているとなれば、慢性創傷を負ったのではないかと心配するのも無理はない。

 マルリルにとってシルティは精霊術の弟子だが、それ以前に、恋人を得るために故郷を飛び出したという共通の過去を持つ仲間。その顔に傷ができているのを見て、マルリルは自分でも意外なほどに狼狽してしまった。


「んンッ。……いらっしゃい、シルティ」


 頬をほんのり染めながら大袈裟に咳払いをしたあと、シルティを家に招き入れる。


「それにしても、あなたがそんな怪我をするだなんて。なにがあったの? 鷲蜂わしバチは無傷で退治できたんでしょう?」

「はい。鷲蜂は、まぁ、楽勝だったんですけど。その次の狩りで重竜グラリアに出会いまして」

「……。はっ?」


 マルリルはぎょっとして立ち止まり、振り返った。


「ぐ、重竜グラリア? 竜の?」

「はい。四肢竜の重竜グラリアです」

「ど、どこで?」

「猩猩の森です。蒼猩猩を狩った帰り道で……」

「えぇ……嘘ぉ……」


 四肢竜重竜グラリアが港湾都市アルベニセの周囲に生息しているなど、マルリルは聞いたこともない。

 シルティは幾度目かになる竜殺しの経緯を語った。


「……よく、無事で帰ってきたわね」

「へへ」


 マルリルは重竜グラリアを相手したことはないが、同じく四肢竜と呼ばれる鎌爪竜ティリジノ四翼竜カンギュラなどを狩ったことはあった。いずれの四肢竜にせよ、マルリル単独ならば決して狩ろうとは思わない相手だ。霧白鉄ニフレジスの誇る凶悪な生命力霧散作用も、竜の強靭な鱗や爪牙の前には形無しである。どうしても狩るなら、自分と同じぐらいの力量の狩猟者がもう三人ぐらいは欲しいところ。

 重竜グラリアも、あれらと大差はないだろう。

 マルリルは改めてシルティを強く抱き締め、心から無事を祝った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る