第108話 真銀の斧
世界最強の六肢動物の一種、
補給した膨大な生命力を右の眼球の再生に費やし、なんとか見えるようになったのが二日後のこと。
そこから帰路に
シルティとレヴィンは港湾都市アルベニセになんとか無事に到着することができた。マルリルとの授業は明日の予定だ。ぎりぎりだが、間に合った。
西門。
遅い時刻のため入門待ちの列はほとんど
シルティは、その
(おっ。あの綺麗な
ハルバードの
(※現実では、斧刃+ピックの斧頭を持った斧は消防斧や消火斧などと呼ばれます)
最後尾の
シルティが刃物を見間違えることはまずない。
あの鉱山斧は、シルティの知り合いの得物だ。
「どうも、ヴェルグールさん!」
「あん?」
シルティが声をかけると、その男、
「おお、なんだよ、フェリスじゃねえか」
「こんばんはー」
この
彼ら水蝙蝠がその身に宿す魔法は『
この『湿覚』はどういうわけか障害物をほとんど完全に無視でき、それでいて知覚できる範囲もかなり広大である。厳重に密閉された箱の中を知ることも容易いし、訓練すれば
ゆえに水蝙蝠は、高湿かつ窮屈で入り組んだ環境、例えば洞窟や坑道において、人類種のこの上ないパートナーとして名高かった。
ヴェルグールも表向きは狩猟者を名乗っているが、半分以上は鉱夫のようなものだ。ヴェスペルを伴って一般の鉱夫では訪れられないような僻地の洞窟に赴き、ヴェスペルが探り当てた希少な鉱石類を採掘する
現在両手に握っている革袋にも掘り返してきた鉱石が詰め込まれているのだろう。アルベニセの周囲に大規模な鉱山はないので、鉱夫業の売上も意外と馬鹿にはならないのだとか。
ヴェルグールはじろじろと無遠慮にシルティの姿を眺め、首を傾げながら荒々しく鼻息を吐いた。
「腕と顔面、左の目ん玉……武器もかよ。おめえほどのやつが、どこに落としてきやがった?」
シルティがヴェルグールと出会ったのはおよそ一か月前、二回目の霊覚器構築の最中である。
三日間の構築を終えたあとの休息日、シルティはほとんど寝て過ごしたのだが、夕方にもなるとやはり暇になり、『頬擦亭』の外で軽く身体を動かしていた。その際にヴェルグールが通りかかり、雑談したのち、折角だからと軽く模擬戦を行なったのだ。ゆえに、ヴェルグールはシルティの戦闘技能を身を以て知っている。
「んふふふふ。見ます?」
「あん?」
「これです、これこれ」
シルティはにやにやと笑いながら背負っていた〈冬眠胃袋〉を降ろし、収納部の口を開いて中身を披露した。
シルティの〈冬眠胃袋〉には
売値を考えるとにやにや笑いが止まらなくなってしまうシルティである。
「どれ。……ん。……ん? あ? おん?」
ヴェルグールは〈冬眠胃袋〉の中を見て、シルティの顔を見て、再び〈冬眠胃袋〉の中を見て、目を大きく見開いた。実に見事な二度見だ。
「……。間違ってたら悪いんだがよ。こいつぁ。……
「
シルティが元気よく肯定した声を聞き、ヴェルグールの前に並んでいた狩猟者二名が勢いよく振り返った。
「あんたたち、今、
「あ、はい。言いました」
「狩ったのか?」
「はい!」
両名ともシルティとは面識のない相手だが、アルベニセを拠点とする狩猟者として竜の名は聞き流せるものではない。
彼らは軽く自己紹介をし、一言
「うーん。
「いや俺も見たことねえっつの。でも多分、マジに
「んん~? ……お。おお。確かに根本にゴツい骨があるな」
互いに親しげな様子を見せながら
「つーか、頭を縦に真っ二って。あんたすげーな。……一人で狩ったのか?」
「はい!」
検分を終えたタイラーが顔を上げ、シルティと、そしてシルティの後方に控えるレヴィンを見た。その視線をどう捉えたのか、レヴィンはシルティを守るように前に出て、小さく唸り声を上げ始める。
「どしたのレヴィン。大丈夫大丈夫」
シルティは五指を折り曲げた右手でレヴィンのお尻を掻き撫で、優しく
「あー、シルティ・フェリス、で合ってるよな?」
「はい。シルティ・フェリスです」
アルベニセにおいて、レヴィンの存在はシルティの外見よりもシルティを証明するものである。面識がなくともシルティの素性はバレバレだった。
「まさか竜殺しとはなぁ。やっぱ、琥珀豹に懐かれるような奴は強えんだな」
「な。俺らだったら一発で潰されて終わるぜ、これ」
「んふふ。ギリギリでしたけどね。最後は真っ向からぶった斬ってやりました!」
タイラーとフィリップから向けられる称賛の視線を受け、シルティはご満悦である。
「おいフェリス。こいつ、どこにいやがった?」
「あ。はい。すぐそこなんですけど」
ヴェルグールに問われ、シルティが猩猩の森に入って一日ほどの位置で遭遇したことを答えると、三人の狩猟者たちは揃って顔を盛大に
六肢動物が人里近くに現れることは非常に稀なことだ。彼らは賢く、独自の言語を持ち、親子間でしっかりと教育を行なう。美味しい食べ物の取り方。狩りのやり方と、敵との戦い方。快適な住処の作り方。
親から子へ伝承される様々な情報のなかには、自身の住処付近の人里の位置も含まれているらしい。
基本的に竜にとって人類種など取るに足らない雑魚である。だが、人類種は群れる。稀に見るほど大規模な群れを作る。そして、数の暴力が時に種としての強弱を容易く覆すことを竜たちは知っている。
なにか特別な理由でもない限り、わざわざ
つまりこの
この後、シルティが竜殺しの詳細を上げれば行政はすぐに動くだろう。朋獣認定試験の時と同じように武力要員として狩猟者を募集し、調査団が組まれるはず。目的は、
六肢動物の中では弱い部類とはいえ、四肢竜を単独で仕留められる人物は稀少なので、実績のあるシルティには間違いなく声が掛かると思われる。
ただ、残念ながら今のシルティは丸腰なので、しばらく狩猟者は休業するつもりだ。少なくとも得物を調達するまで仕事は請けられない。
「
「おう」
「俺はノーマンとエヴァンと……あとグレゴリーんとこ行くわ」
「おう。あとエドにも一応教えとくか」
狩猟者仲間たちに竜の情報を伝達する段取りをしている二人組を余所に、シルティはちらりとヴェルグールの得物に目を向けた。
一見すると銀のように見えるが、じっくり見ていると真珠層のような虹の煌めきを呈する、世にも美しい
「……ヴェルグールさん。あの。お願いがあるんですけど」
「あん?」
「ヴェルグールさんの鉱山斧、ちょっと持たせて貰えませんか?」
「こいつか? 別に構わねえが。……斬りかかってくんなよ?」
「んふ。新しい刃物持つと試し斬りしたくなっちゃいますよね。わかります」
「あ? ……俺はそういう意味で言ったんじゃねえが」
「え? ……あれ、じゃあ、どういう意味でしょう?」
「……いやまあいい。ほれ」
微妙に噛み合わない交渉の末、ヴェルグールは得物をベルトから抜き取り、シルティに差し出した。
「ありがとうございます!」
頭を下げ、丁重に受け取る。
巨大な
それもそのはず。ヴェルグールの愛用するこの鉱山斧、超常金属の一種である
「んふふ……」
シルティはどろどろに
「
飴色をした木製の
握る位置と握り方を微調整し、しっかりと保持してから、手首の動きでくるんと回す。故郷では斧の使い方もある程度は修めているシルティだが、鉱山斧を握るのは初めてだ。重心に少し違和感がある。
感触を掴んだら、右肩に担ぐ。胸を張り、肩甲骨を意識しながら踏み込んで、自然に振り下ろす。
振り下ろされた鉱山斧は、軽く見える動作とは裏腹に恐るべき速度で空気を切り裂き、シルティの思い通りに地面すれすれでぴたりと止まった。
「んふっ。素直な斧ですね、これ。気持ちいい重さ……」
形状を把握した。重量を把握した。重心を把握した。その状態で振り下ろし、思い通りに操った。
つまり、これはもう、シルティの右手である。
確固たる自己延長感覚を確立したシルティは、愛おしげに笑いながら鉱山斧を持ち上げ、
「ああ、本当に……綺麗だなぁ……んふふふふ……」
シルティはうっとりとした表情でそれを眺めたあと、
「よし、決めたっ。やっぱり次の刀は
(ええ……)
(なんだこいつ……)
(こんなやべえ奴だったのか)
タイラーとフィリップとヴェルグールは、間違いなく初めて握ったはずの鉱山斧をたった一度の素振りで己の手と見做したシルティに、心の底からドン引きした。
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