第108話 真銀の斧



 世界最強の六肢動物の一種、重竜グラリアとの死闘に勝利したシルティは、勝者の特権を享受した。つまり、重竜グラリアの血を思う存分にすすり、肉と脳をちょっぴり食べた。重竜グラリアの血だけでは物足りなかったので、〈冬眠胃袋〉に収納していた二匹の蒼猩猩も貪った。

 補給した膨大な生命力を右の眼球の再生に費やし、なんとか見えるようになったのが二日後のこと。

 そこから帰路にき、可能な限り足を速め、翌日の黄昏時。

 シルティとレヴィンは港湾都市アルベニセになんとか無事に到着することができた。マルリルとの授業は明日の予定だ。ぎりぎりだが、間に合った。



 西門。

 遅い時刻のため入門待ちの列はほとんどけている。荷馬車を伴った行商人らしき男が一人、〈冬眠胃袋〉を背負った狩猟者らしき男が三人。最後尾に並んでいる男は、縦に小さく、横に広い。正面から見るまでもなくわかる、鉱人ドワーフの骨格だ。背負った〈冬眠胃袋〉以外に、ゴツゴツと膨らんだ巨大な革袋を両手に掴んでいる。

 シルティは、その鉱人ドワーフが腰に差している刃物に見覚えがあった。


(おっ。あの綺麗な鉱山斧こうざんふは)


 ハルバードのをごっそりと切り詰め、錨爪フルークを太く長く鋭くして、さらに刺先スパイクを取り除いたような独特の形状をした工具兼武器を、人類言語では鉱山斧こうざんふと呼ぶ。幅広で分厚い三日月形の斧刃と、反対側に長く張り出した頑丈な突起ピックを併せ持った、戦闘用斧バトルアックス戦闘用鶴嘴ウォーピックの混血児である。

(※現実では、斧刃+ピックの斧頭を持った斧は消防斧や消火斧などと呼ばれます)



 最後尾の鉱人ドワーフが腰に差す鉱山斧は、真珠を思わせる淡い銀の輝きを放つ、巨大な斧頭ふとうを持っていた。

 シルティが刃物を見間違えることはまずない。

 あの鉱山斧は、シルティの知り合いの得物だ。


「どうも、ヴェルグールさん!」

「あん?」


 シルティが声をかけると、その男、鉱人ドワーフのヴェルグールが振り返り、シルティの姿を見て眉間にしわを寄せた。髭で口元が隠れているせいもあってか、一見すると顔をしかめているようにしか思えないが、シルティは知っている。これは彼なりの朗らかな笑顔だ。


「おお、なんだよ、フェリスじゃねえか」

「こんばんはー」


 この鉱人ドワーフの青年ヴェルグールは、シルティと同じく『頬擦亭』の長期宿泊者である。彼の豊かな顎髭にはシルティの頭ほどの大きさの蝙蝠コウモリがしがみ付いており、シルティのことをじっと見つめていた。ヴェルグールが相棒とするメスの水蝙蝠みずコウモリ。名前はヴェスペルだ。

 彼ら水蝙蝠がその身に宿す魔法は『湿覚しっかく』と呼ばれている。細かい機序はいまだ判明していないのだが、現象から判断すると、彼らは一定以上の湿気がある環境に限り無類の知覚能力を発揮できるらしい。周囲の詳細な地形から微小な生物の所在、さらには無色無臭の毒気の存在まで、さまざまな事柄を把握できるのだ。

 この『湿覚』はどういうわけか障害物をほとんど完全に無視でき、それでいて知覚できる範囲もかなり広大である。厳重に密閉された箱の中を知ることも容易いし、訓練すればを探ることも可能だ。

 ゆえに水蝙蝠は、高湿かつ窮屈で入り組んだ環境、例えば洞窟や坑道において、人類種のこの上ないパートナーとして名高かった。


 ヴェルグールも表向きは狩猟者を名乗っているが、半分以上は鉱夫のようなものだ。ヴェスペルを伴って一般の鉱夫では訪れられないような僻地の洞窟に赴き、ヴェスペルが探り当てた希少な鉱石類を採掘するかたわら、そこに生息する珍種の魔物を狩るのである。鉱山斧を愛用しているのも狩猟者業と鉱夫業の効率化のためだ。

 現在両手に握っている革袋にも掘り返してきた鉱石が詰め込まれているのだろう。アルベニセの周囲に大規模な鉱山はないので、鉱夫業の売上も意外と馬鹿にはならないのだとか。


 ヴェルグールはじろじろと無遠慮にシルティの姿を眺め、首を傾げながら荒々しく鼻息を吐いた。


「腕と顔面、左の目ん玉……武器もかよ。おめえほどのやつが、どこに落としてきやがった?」


 シルティがヴェルグールと出会ったのはおよそ一か月前、二回目の霊覚器構築の最中である。

 三日間の構築を終えたあとの休息日、シルティはほとんど寝て過ごしたのだが、夕方にもなるとやはり暇になり、『頬擦亭』の外で軽く身体を動かしていた。その際にヴェルグールが通りかかり、雑談したのち、折角だからと軽く模擬戦を行なったのだ。ゆえに、ヴェルグールはシルティの戦闘技能を身を以て知っている。


「んふふふふ。見ます?」

「あん?」

「これです、これこれ」


 シルティはにやにやと笑いながら背負っていた〈冬眠胃袋〉を降ろし、収納部の口を開いて中身を披露した。

 シルティの〈冬眠胃袋〉には重竜グラリアの上半身が、レヴィンの方には下半身と尻尾が詰め込まれている。飛鱗〈瑞麒みずき〉と〈嘉麟かりん〉を使って重竜グラリアの身体をいくつもの肉塊に分割し、シルティとレヴィンの〈冬眠胃袋〉に隙間なく詰め込む事で、どうにか全てを持ち帰ってくることができた。

 売値を考えるとにやにや笑いが止まらなくなってしまうシルティである。


「どれ。……ん。……ん? あ? おん?」


 ヴェルグールは〈冬眠胃袋〉の中を見て、シルティの顔を見て、再び〈冬眠胃袋〉の中を見て、目を大きく見開いた。実に見事な二度見だ。


「……。間違ってたら悪いんだがよ。こいつぁ。……重竜グラリアか?」

重竜グラリアです!」


 シルティが元気よく肯定した声を聞き、ヴェルグールの前に並んでいた狩猟者二名が勢いよく振り返った。


「あんたたち、今、重竜グラリアっつった?」

「あ、はい。言いました」

「狩ったのか?」

「はい!」


 両名ともシルティとは面識のない相手だが、アルベニセを拠点とする狩猟者として竜の名は聞き流せるものではない。

 彼らは軽く自己紹介をし、一言ことわりを入れてから、シルティの〈冬眠胃袋〉を覗き込んだ。


「うーん。重竜グラリアとか見たことねえからわかんねえわ。お前わかるか?」

「いや俺も見たことねえっつの。でも多分、マジに重竜グラリアだ。少なくとも竜だろ。ここ見ろ。これ中肢ちゅうしだ。土台が肩みてえになってる」

「んん~? ……お。おお。確かに根本にゴツい骨があるな」


 互いに親しげな様子を見せながら重竜グラリアを検分する嚼人グラトンの男たち。赤髪で黒い鞘のロングソードを吊るした方がタイラー・アスカム、二十一歳。黒髪で赤い鞘のロングソードを吊るした方がフィリップ・ランバート、二十三歳。どうやら彼らはチームを組んでいるらしい。髪と鞘の色が互いについになっているのは何か理由があるのだろうか。


「つーか、頭を縦に真っ二って。あんたすげーな。……一人で狩ったのか?」

「はい!」


 検分を終えたタイラーが顔を上げ、シルティと、そしてシルティの後方に控えるレヴィンを見た。その視線をどう捉えたのか、レヴィンはシルティを守るように前に出て、小さく唸り声を上げ始める。


「どしたのレヴィン。大丈夫大丈夫」


 シルティは五指を折り曲げた右手でレヴィンのお尻を掻き撫で、優しくなだめた。今日のレヴィンはシルティに対して妙に過保護な様子を見せている。レヴィンにとって人類種は自身を遥かに上回るだ。負傷中の姉を守らねばならないと、変に気負っているのかもしれない。


「あー、シルティ・フェリス、で合ってるよな?」

「はい。シルティ・フェリスです」


 アルベニセにおいて、レヴィンの存在はシルティの外見よりもシルティを証明するものである。面識がなくともシルティの素性はバレバレだった。


「まさか竜殺しとはなぁ。やっぱ、琥珀豹に懐かれるような奴は強えんだな」

「な。俺らだったら一発で潰されて終わるぜ、これ」

「んふふ。ギリギリでしたけどね。最後は真っ向からぶった斬ってやりました!」


 タイラーとフィリップから向けられる称賛の視線を受け、シルティはご満悦である。


「おいフェリス。こいつ、どこにいやがった?」

「あ。はい。すぐそこなんですけど」


 ヴェルグールに問われ、シルティが猩猩の森に入って一日ほどの位置で遭遇したことを答えると、三人の狩猟者たちは揃って顔を盛大にしかめ、むぅぅん、と低い唸り声を上げた。

 六肢動物が人里近くに現れることは非常に稀なことだ。彼らは賢く、独自の言語を持ち、親子間でしっかりと教育を行なう。美味しい食べ物の取り方。狩りのやり方と、敵との戦い方。快適な住処の作り方。

 親から子へ伝承される様々な情報のなかには、自身の住処付近の人里の位置も含まれているらしい。

 基本的に竜にとって人類種など取るに足らない雑魚である。だが、人類種は群れる。稀に見るほど大規模な群れを作る。そして、数の暴力が時に種としての強弱を容易く覆すことを竜たちは知っている。

 なにか特別な理由でもない限り、わざわざ人里危険に近寄ろうとはしないのだ。

 つまりこの重竜グラリアはなにか特別な理由があって猩猩の森をうろついていたということになる。その理由によっては、他の竜もアルベニセに近付いてくるかもしれない。狩猟者としては危険極まりない事故要因だ。


 この後、シルティが竜殺しの詳細を上げれば行政はすぐに動くだろう。朋獣認定試験の時と同じように武力要員として狩猟者を募集し、調査団が組まれるはず。目的は、重竜グラリアが人里近くをうろつくことになった理由の解明ではなく、他に重竜グラリアの個体がうろついていないかどうかの調査だ。

 六肢動物の中では弱い部類とはいえ、四肢竜を単独で仕留められる人物は稀少なので、実績のあるシルティには間違いなく声が掛かると思われる。

 ただ、残念ながら今のシルティは丸腰なので、しばらく狩猟者は休業するつもりだ。少なくとも得物を調達するまで仕事は請けられない。


重竜グラリアはやべぇな。もし出会っちまったら死ぬしかねえぞ。調査終わるまで待っとくか。タイラー、門くぐったら速攻でナイジェルとニコラスんとこ走ってくれ」

「おう」

「俺はノーマンとエヴァンと……あとグレゴリーんとこ行くわ」

「おう。あとエドにも一応教えとくか」


 狩猟者仲間たちに竜の情報を伝達する段取りをしている二人組を余所に、シルティはちらりとヴェルグールの得物に目を向けた。


 戦闘用斧バトルアックス戦闘用鶴嘴ウォーピックの混血児。

 一見すると銀のように見えるが、じっくり見ていると真珠層のような虹の煌めきを呈する、世にも美しい鉱山斧こうざんふ


「……ヴェルグールさん。あの。お願いがあるんですけど」

「あん?」

「ヴェルグールさんの鉱山斧、ちょっと持たせて貰えませんか?」

「こいつか? 別に構わねえが。……斬りかかってくんなよ?」

「んふ。新しい刃物持つと試し斬りしたくなっちゃいますよね。わかります」

「あ? ……俺はそういう意味で言ったんじゃねえが」

「え? ……あれ、じゃあ、どういう意味でしょう?」

「……いやまあいい。ほれ」


 微妙に噛み合わない交渉の末、ヴェルグールは得物をベルトから抜き取り、シルティに差し出した。


「ありがとうございます!」


 頭を下げ、丁重に受け取る。

 巨大な斧頭ふとうを持つだけあってズシリと重い。だが、見た目の印象よりは遥かに軽い。

 それもそのはず。ヴェルグールの愛用するこの鉱山斧、超常金属の一種である真銀ミスリルをふんだんに用いた逸品なのだ。超常的な比強度ひきょうどを誇る宵天鎂ドゥーメネルには遠く及ばないとはいえ、真銀ミスリルも非常に軽い超常金属である。


「んふふ……」


 シルティはどろどろにとろけた粘っこい視線で鉱山斧を愛でた。


真銀ミスリル……やっぱり、いいなぁ……」


 真銀ミスリル製の武器に特有の、可愛らしい握り心地。

 飴色をした木製の鉱人ドワーフたちは矮躯だが、手のひらは嚼人グラトンのものと比べてかなり大きい。ヴェルグールが扱うことを前提として作られたこの鉱山斧のはシルティには少し太すぎるようだ。

 握る位置と握り方を微調整し、しっかりと保持してから、手首の動きでくるんと回す。故郷では斧の使い方もある程度は修めているシルティだが、鉱山斧を握るのは初めてだ。重心に少し違和感がある。諸刃斧ラブリュスとも違った手応え。だが、そこがまた可愛い。

 感触を掴んだら、右肩に担ぐ。胸を張り、肩甲骨を意識しながら踏み込んで、自然に振り下ろす。

 振り下ろされた鉱山斧は、軽く見える動作とは裏腹に恐るべき速度で空気を切り裂き、シルティの思い通りに地面すれすれでぴたりと止まった。


「んふっ。素直な斧ですね、これ。気持ちいい重さ……」


 形状を把握した。重量を把握した。重心を把握した。その状態で振り下ろし、思い通りに操った。

 つまり、これはもう、シルティの右手である。

 確固たる自己延長感覚を確立したシルティは、愛おしげに笑いながら鉱山斧を持ち上げ、を通して生命力を注ぎ込んだ。どぱどぱと加減知らずに注がれる生命力に、真銀ミスリルで作られた斧頭がぐんにゃりと虹色の揺らめきを帯びる。


「ああ、本当に……綺麗だなぁ……んふふふふ……」


 シルティはうっとりとした表情でそれを眺めたあと、重竜グラリアの死骸を収納している〈冬眠胃袋〉をちらりと見て、売値を夢想しながら一大決心をした。


「よし、決めたっ。やっぱり次の刀は真銀ミスリルにしようっ!」




(ええ……)

(なんだこいつ……)

(こんなやべえ奴だったのか)


 タイラーとフィリップとヴェルグールは、間違いなく初めて握ったはずの鉱山斧をたった一度の素振りで己の手と見做したシルティに、心の底からドン引きした。


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