第107話 万里一刀



「そうだった……」


 超常金属宵天鎂ドゥーメネルの鎌型ナイフ、〈玄耀〉。

 ふと、シルティの脳内にまだまだ敵対的だった頃のレヴィンの姿が思い浮かんだ。今思えば、レヴィンが心を開く明確なきっかけになったのは、レヴィンを狙ってきた宵闇鷲よいやみワシをシルティが返り討ちにしたことだろう。姉妹の絆の始まりと言える刃物が、あの〈玄耀〉だったのだ。


「〈玄耀〉」


 遭難中はずっと〈玄耀〉に助けてもらった。蔓を斬り集めて背負い籠を製作するのも、蒼猩猩あおショウジョウの尾の肉を刻んでレヴィンの流動食を作るのも、製塩のための樹皮鍋や塩を持ち運ぶ樹皮筒を作ったのも、蛇角羚羊じゃかくレイヨウ(初代木刀を圧し折った魔物の名)や雷銀熊らいぎんグマを綺麗に解体して美味しく食べられたのも、鋸折紫檀のこおりシタンの若木を伐り倒せたのも、それを削り出して〈紫月〉を誕生させたのも……全て、〈玄耀〉がいてくれたから、できたことだ。


「〈紫月〉」


 そして、ある意味では〈玄耀〉の子供ともいえる、〈紫月〉も死んでしまった。

 極限の武具強化の影響下にあったとはいえ、さすがに木製の太刀で竜の破壊魔法『咆光』をぶった斬るのは無理があったらしい。つかは残っているが、刀身はつばから七分の一ほどを残して綺麗に消滅してしまっている。


 得物を損なうというのは蛮族の戦士にとって最大の恥とされる出来事だ。

 だが、さすがにこれを恥と思うほどシルティは傲慢ではなかった。

 愛する〈玄耀〉は、世界最強種の恐るべき口蓋を貫き、持ち主であるシルティの命を救った。

 愛する〈紫月〉は、世界最強種の破壊魔法を引き裂き、のみならずその頭蓋をも断ち斬った。

 どちらも、世界に誇るべき成果だ。


 叶うならば〈玄耀〉の亡骸を回収したいところだが、多分、もう無理だろう。魔法『完全摂食』を宿す嚼人グラトンほどではないにせよ、竜の消化器はらわたの性能も超常的に凶悪だ。左腕ごと飲み込まれた〈玄耀〉は既に竜の体内でボロボロになっている。

 シルティは左腰から唯一遺された〈紫月〉の亡骸を抜いた。

 先ほどの臨死体験を想起しながら、柔らかく微笑んで語りかける。


「最後の……すっごく気持ち良かったね」


 最後の瞬間、シルティの振るった〈紫月〉は竜の破壊魔法『咆光』を見事に二分にぶんして見せた。これは実のところさほど特筆すべき点ではない。『咆光』は明確に目視できるので、霊覚器をその身に構築しておらずとも、形相切断に至った人物であれば斬り裂くことが可能だ。当時のシルティは幼すぎたため同行することは叶わなかったが、父ヤレック・フェリスをはじめとする蛮族の戦士たちも、竜狩りの際はズバンズバンと豪快に斬り開いて肉薄していたらしい。


 だが、あの瞬間。

 命を燃やし尽した〈紫月〉の斬撃は、『咆光』を二分しただけに留まらなかった。


「まさか、とは思ってなかったけど。……きみのおかげだよ」


 才能と執念により認識のたがが外れ、至る所まで至ってしまった剣士は、武具強化を極限に研ぎ澄ませた果てに……刀身のに、明確な切断を実現できる。

 誰がどう見ても刃物うでの届かぬ距離だというのに、これぐらい斬れて当然だ、と理屈を超えて心の底から確信できてしまう、そんな狂人のみに許された傲慢な奇跡。

 刀身の延長あるいは間合いの省略とでも称すべきそれは、人類種が『万里一刀ばんりいっとう』などと呼ぶ、形相切断とはまた別の超常の現象わざである。


 勿論、やろうと思ってやったことではない。そもそも今までの人生において、シルティは遠くを斬れると思ったことすらなかった。

 だというのに、なぜできたのか。

 あの時のシルティは眼球を失い、精霊の目による立体感の乏しい視界に頼っていた。さらに魔法『咆光』による凝縮された生命力を直視し、目が眩んで遠近感を完全に失っていた。シルティの主観では、『咆光』を放つ重竜グラリアが一枚の影絵のように平たく見えていた。

 死んでも斬るという狂気と渇望を注ぎ込まれた〈紫月〉の斬撃は、シルティの主観に従順に則り、平たい重竜グラリアの像をまばゆい『咆光』の破壊ごと斬り捨ててくれた。

 つまり、状況が偶然にもこの上なく噛み合ってたまたま実現された、まさしく奇跡的な万里一刀ばんりいっとうである。

 シルティが明確な目的意識を持って研鑽し、削磨狐みがきギツネとの戦いでようやく結実した形相切断とははっきりと違う。


 とはいえ。

 一度できたのだから、二度とできないなんてことはないはず。

 シルティがそう認識したことで、シルティの未来に万里一刀の種子たねかれた。


「今までありがとう、〈紫月〉。ずっと大好きだよ」


 シルティは〈紫月〉の鍔元にキスをし、心の底からの称賛と感謝を捧げる。労わるような手つきで丁寧に鞘に納めると、不意に抜けないように懐から取り出した紐でしっかりと結び付けた。亡骸を捨てるつもりなど毛頭ない。『頬擦亭』の自室まで持ち帰り、大事に保管するつもりである。


「よし。……ごめん、レヴィン。周りに飛鱗が落ちてると思うから、ちょっと集めてくれる?」


 この場で使える刃物は革鎧の飛鱗しかない。鱗たちが死んでいないことは感覚でわかっているので、魔術『操鱗聞香そうりんもんこう』を使えば浮かせて集めることもできるが、今は少しでも生命力を温存したい。足を使って拾い集めるべきだろう。

 そう時間を必要とせず、レヴィンは十二枚の飛鱗を全て集めてくれた。レヴィンに感謝を告げてから、飛鱗の表面を指でなぞって検める。

 滑らかな表面とは決して呼べない状態だ。重竜グラリアの魔法『視経制圧』による超常的重圧をまともに受けたため、飛鱗たちには細かなひびが入っていた。まぁ、竜の魔法を受けたのだから、完全に粉砕されていないだけでも重畳ちょうじょうというものか。


「きみたちもありがと。おかげで生き延びた。すぐ治してあげるから、ちょっとだけ待っててね」


 自室には飛鱗用の補修材がある。アルベニセに到着次第しっかり治してやらなければ。手探りで飛鱗の大きさを確かめながら、革鎧の所定の位置へと慎重に配置していく。

 最後に残った二枚を重ねて摘まみ、シルティは微笑んだ。

 両胸に配置されるこの二枚は、飛鱗のなかでも最大の面積を誇っている。やはり大きい方がなにかと使い勝手がいいので、シルティはもっぱらこの二枚を武器として使っていた。一応、十二枚の飛鱗全てで遠隔の強化を乗せることはできるが、この二枚は使い慣れた分だけ強化の効率も突出している。愛する飛鱗たちのなかでも殊更に愛着のある二枚だ。


「……。きみは〈瑞麒みずき〉。きみは〈嘉麟かりん〉。これからもよろしくね」


 シルティは右胸の飛鱗を〈瑞麒〉、左胸の飛鱗を〈嘉麟〉と名付け、愛おしげにキスをした。




 なおその後、シルティは重竜グラリアの尻尾の肉に塩だけ振って生で食べたが、なんというか、白身魚に近い旨味が凝縮された、甘みの豊富なぷりぷりの鶏肉のような味で、物凄く、もんの凄く、美味しかった。

 血液も、戦闘中に飲んだときはどうにも不快な舌触りだったが、何故か肉と合わせて賞味すると実に好ましい風味に変化していた。

 もちろん脳も美味かった。脳の味を例えるなら、特上の肝臓と特上の白子しらこいとこ取りである。口の中でとろりととろける舌触りも、尾の肉とはまた違った甘さと旨味も、素晴らしかった。舌の表面を刺激する細い血管と血の香りもいいアクセントだ。

 目がないため、手探りで表面のぬめりと土埃を除く程度の下処理しかできなかったのだが、その雑な処理がかえって良かったのかもしれない。


 ともかく、重竜グラリアは、とても美味しかった。しかしレヴィンとはんぶんこにしたので、ほんの僅かしか味わえなかった。

 シルティは残った竜の肉を前にして、食欲を自制するのにかなりの精神力を消費した。


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